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第27話

「頑張ってください」


「はい。失礼します」


 私たち学生に大人気の職員さんからそう励ましを受けた私は受験票を持って窓口から離れ、ガラス戸の向こうからやって来る人影が視界に映った。

 五十嵐さんたちだった。


「──ん?日和じゃーん、何してるの?」


「うん、受験票の受け取りに来たんだよ」


「へえ〜…」


「………」


 五十嵐さんと、他の友人たちの視線が突き刺さる。


「私には興味ない?」


「え?」


「何しに来たのか訊いてくれないんだ?」


「い、いや、そういうわけじゃ…」


(……面倒臭い)


 今日はいつにも増して面倒臭い絡み方だ、そんなに私のことが嫌いなら関わってこなければいいのに、と思った。

 互いに何も言わない微妙な空気が流れ、それを壊してくれたのは先程の事務員だった。手に一枚の書類を持って私たちの所へやって来た。


「宮島さん、試験会場の案内を忘れていました」


「あ、ど、どうも…」


「試験会場が工事中なので別の会場が用意されていまして、その案内がここに──」事務員の人が私たちの間に割って入ってくれたお陰で、五十嵐さんたちのグループが離れて窓口へ向かって行った。

 私は説明を受けている間紙面を見ていた、一通り説明を終えた後顔を上向けると事務員の人と視線がぶつかった。


「な、何でしょうか?」


 まさかじっと見つめられていたとは思わなかったので少しだけ驚く。

 尋ねた事務員の人が敬語を止め、優しい口調でこう言ってきた。


「──ごめんね、君たちのやり取りを聞いちゃったんだけど…君はもう少し汚くなってもいいんじゃないかな?」


「……はい?汚く?」


「君、あの人たちのことが嫌いなんでしょ」


 はっきりとそう言われてしまった。


「自分の為になるなら多少汚い手を使ってでもあの人たちを遠ざけた方がいいよ」


「は、はあ…そう言われても…」


「相手に悪いって思っちゃう?でもね、世の中ってこんな事ばっかりだから、相手に気を遣ってばかりいたら本当に欲しいものが手に入らなくなっちゃうよ」


「…………」


「ただのお節介。──それじゃあ」


 柔和の笑みを浮かべ、事務員の人も私の元から離れて行った。



「もう意味分かんなーい「にゃー!」汚くなった方がいいってどういう意味〜「にゃん!」ほーれほーれ、飛んでけ〜「ぐるる…にゃん!」


 大学から帰ってきても私は事務員の人に言われた言葉が頭から離れず、自宅のリビングで猫たちの相手をしながらぐるぐると同じ事ばかり考えていた。


(汚くなれって…汚くなったら欲しい物が手に入るの?)


 足元に寄ってくる猫たちを次から次へとソファへぽいぽい投げる、この遊びが好きらしく投げても投げても猫たちが私の元へ戻って来た。

 暫くそうして遊んでいると傍にいた猫たちが一斉に玄関へ駆けて行った、父が帰ってきたようだ。


「ただいま」


「お帰り」


 リビングに姿を現した父の足元には、先程まで私が遊んでいた猫たちがまとわりついていた。

 手にしていた荷物をカウンターに置いた父が、今度の休みは空いているかと尋ねてきた。


「どうして?」


「茜君と食事へ行くことになってね、どうせなら親子で会おうかという話になったんだよ。大学院の勉強の方は?」


「まあぼちぼち…それってつぐもさんも来るってこと?」


「そうだ、全員で四人だよ」


 ほんと、猫は飽き性である。私に遊んでもらうことに飽き、父にまとわりつくことに飽きた猫たちがぱっと何処かへ散って行った。


「お父さんも来るの?」


 分厚いコートを脱ぎ、生地が薄そうなマフラーを畳んでいた父が「当たり前だろ」と言ってきた。


「私はお父さん居なくてもいいんだけど」


「そういう事は言うもんじゃない!」


(お父さんが居るのは嫌だけど、茜さんやつぐもさんに会えるんなら…まあいっか)


「うんいいよ、私も行く」


「茜君にそう返事をしておくよ」


 降って沸いたような話ではあるけれど、考え事のし過ぎで少し落ち込んでいた胸が軽くなった。

 今週末、またつぐもさんに会える。父が本当に邪魔なのだが、また色んな話ができるかもしれない。

 それだけで十分だった。



✳︎



 細やかな冷戦は「他人を君付けで呼ぶ必要があるの?」という一言から始まった。

 

「…………」


「…………」


 かれこれ一時間ちかく互いに無言である、私も弟も話しかけるようなことはせず、しかし相手の動向が気になるので席を外すようなこともしなかった。

 弟のその言葉は突然だった、何の脈絡もなくそう言ってきたのだ。私は咄嗟に「それの何がいけないの?」と返し、それから冷戦が始まったのだ。


(こいつ……くっそ意識してやるんけ!)


 津島千鶴が訪問した時だ、確かに私はあの時澪の弟を君付けで呼んだ、それが弟的に気に入らなかったようである。

 嫉妬である。多分そう、きっとそう。

 弟は津島千鶴が私と仲良くなることを嫌がっているのだ。多分そう、きっとそう。

 だがまあ、彼が澪以外の女性に靡くような事は絶対ないだろう。何せ、結婚を約束した相手をフってまで澪の元へ戻ったのだから。


(いや〜昨日澪から話を聞かされた時は自分の耳を疑ったわ)


 まるで恋愛小説に出てくるような話だ。

 見るともなしにテレビを見ながらスマホを触っていた弟がちらっとこちらを見て、またスマホに視線を落とした。

 私はこの冷戦状態が堪らなく面白いと感じている。


(ふふん、たまにはそっちが嫉妬するがいいさ)


 もっと相手の反応が欲しかった私は軽いジャブを放つことにした、一時間ぶりの会話である。


「澪がさ、昨日教えてくれたの」


 弟は間髪入れずに「何を?」と尋ねてきた、私の言葉を待っていたようだ。しめしめ。


「澪の弟が帰ってきた理由よ」


「それは何?」


「澪の元に戻りたくて婚約を破棄してきたんだって」


「……ええ?それ本当なの?」


 私との間合いを測っていた弟も、さすがにこの話に身を乗り出してきた。


「らしいよ、澪がそれはもう嬉しそうにしながら話してたから」


「へえ〜………そんな事もあるんだね。まあ、あの人俺たちの前で愛してるって言ってたし」


「あんたと違って甲斐性もありそうだしね」


 さらにジャブを放つ、いつもの弟なら言い返してくるはずだが何も言ってこなかった。

 今度はストレート。


「で、私はそんな人すら君付けで呼んだらいけないって?仮に私とあの人が仲良くなったところで友人程度でしょうに」


 弟はストレートで応酬してきた。


「そういう問題じゃない。姉ちゃんが君付けしてる所を初めて見たから、なんか、虫唾が走った」


「何よそれ」


 私のパンチが効いているようだ。そんな子供っぽい理屈を包み隠さず話したのだから。

 つまり、弟は自分以外の異性と仲良くされるのが嫌らしい。


「そういうあんたは日和ちゃんと仲良くしているんでしょ?」


 攻撃する瞬間はノーガード、見事なカウンターを食らってしまった。


「──姉ちゃんは仲良くされるのが嫌なの?」


「………っ」


「そういえばやたらと気にしてくるよね、何で?」


「…………」


「ねえ、何でなの?一緒に暮らし始めたのもお互い結婚するまでって話だったでしょ?」


「そうね、だったら私が恋人作ったってあんたには文句は無いはずよね?それならどうして君付けで呼ぶことを嫌がるのよ」


 弟が、


「理屈じゃないの、そうだと分かってても姉ちゃんが他の男の人と仲良くするのは何か嫌」


 火の玉ストレートを放ってきた。


「そ、それはさすがに身勝手に過ぎない?あんたは日和ちゃんっていう女の子がいるのに?」


 その熱さに顔が火照っているのが自分でも分かる、火の玉ストレートを放った本人も顔を赤くしていた。何じゃそりゃ、恥ずかしいなら言うな。


「俺、言っておくけど日和さんを紹介される前は姉ちゃんのこと気にかけてたんだからね、けど姉ちゃんがしっかりやれって言うから」


「何よそれ私のせいにしないでよ。私が嫌だって言ったらあんた断ってたの?」


「うん」


「…………今さらでしょ、それ。あんたも日和ちゃんのこと気に入り始めてるんでしょ」


「…うん」


「じゃあ私が誰と仲良くなろうが関係ないじゃない、それなのにあんたは文句を言うわけ」


「うん」


「はっきり言うな」


「理屈じゃないって言ったじゃん」


「…………」


「…………」


 冷戦というものは得てして泥沼化するものらしい。互いに胸の内を語り合ったところで最適解が見えず、私も弟も何も言えなくなってしまった。

 しかし、私も弟も互いに"そういう感情がある"という事が分かり、それはそれで嬉しいと呼べるものだった。

 また、冷戦というものは第三者の介入によって呆気なく終わってしまうもののようだ。

 膠着状態に入っていた私たちの緊張を解いたのは一本の電話だった、それは弟のスマホにかかってきた。


「もしもし、何?」


 つっけんどんな物言いはおそらく母からだろう。弟がソファから立ち上がって自分の部屋へ入っていった。


(何だかな〜…私もよう分からんわ)


 弟が嫉妬する様をもっと見てみたい、けれど今は誰かと恋愛をする気にはなれない。

 チグハグな感情が私の中で戦い始めるが、やはり膠着状態に突入して睨み合い以上の争いは起きなかった。


(けどまあ…)


 今日の話し合いで分かった事が一つだけある、それは私が弟より先に結婚することはない、という事だった。



✳︎



(親子でダブルデートって…)


「で、勿論来られるわよね?」


「う、う〜ん…恥ずかしい以外の何ものでもないんだけど…」


「あんた今いくつなの、お母さんに恥かかせないでちょうだい」


「いや〜実は今胃を痛めててさ…」


 引き戸を開けてそろりとリビングを伺う、そこに姉の姿はなかった。

 母がはんと鼻で笑った。


「お酒の呑み過ぎ。ちゃんと絶っているんでしょうね」


「まあね」


「だったら平気よ。で、来られるんでしょ?」


「返事は待ってくれない?仕事が忙しくてさ、もしかしたら休日出勤になるかもしれないから」


「なら予定を日曜日に変更しておくわ、それなら大丈夫でしょう?」


(すんごいぐいぐい来るな…)


 観念した俺は母に行くと返事を返し電話を切った。

 正直な所、ダブルデートはあまり気乗りはしない。さっきまで姉とあんな話をしていたせいもあって何だか後ろめたかった。

 どうせ行くならこの話を姉に伝えようと部屋の前に立つと、中からそれは姦しい声が届いてきた。


「何で私たちは誘わないのよっ…そうよっ…家族ぐるみの付き合いなら私たちも呼ぶべきだわっ…うん、うん、つぐもには悪いけど私たちも日和ちゃんを拝みに…」


 姉は思っていたよりも元気な様子だった、寧ろ俺たちに内緒で跡を付けると息巻いていた。


(──ああ、たまねもこの話を知ってるのか、それで姉ちゃんに電話をかけて…)


 母から電話がかかってくる前は互いに意識し合っていると、まあ、言外に話し合ったはずである。それなのに姉は俺が日和ちゃんと会うことに対して何ら思う素振りがない。


(何考えてるんだろ、俺だったら嫌だけど…姉ちゃんは平気ってことなの?)──いたた…」


 考え事をし過ぎたせいで胃が痛んでしまった。

 まともに思考することができず、まあいいかとその日は布団に入って早めの眠りについた。



 その日夢を見た。

 枕元に姉が立っている夢だ。夜目に映った姉はただ立っており、暫くしてからそっとその場に座り込んだ。

 次に冷んやりとした手が俺の頬に添えられ、その手の感触を感じながら「ああ、あの日の続きかな」と思った。

 家族四人で初めて行った旅行の夜、その日も姉は枕元に座って何かをしようとしていた。その続き。あの時は姉と喧嘩していたせいもあって寝たふりを続けるようなことはせず、咄嗟に起き上がって腕を掴んでいた。

 だから、今回は起きていることがバレないよう息を潜め、その時を待った。"待っている"と自分で自覚した時、急速に申し訳なさが募ってきた。

 誰に?日和さんに、だ。

 俺は姉のことが好きだ、日和さんに対する思いにこの気持ちが・勝って・しまった。

 姉の顔がゆっくりと近付いてくる、不思議と心臓が高鳴ることはなく静かに待った。

 けれど、何もされなかった。



「何やねんあの夢腹立つわー」


「朝から何?」


「何でもないです」


「今日は出勤するんでしょ。私は今日は遅くなるから」


「分かった──ねえ」


「何?」


「………いや、何でもない」


「変な奴」


 いつもと変わらない姉を前にして昨夜の事を確かめる気が失せてしまい、結局何も訊かなかった。



✳︎



 迎えた親子ダブルデートの当日は良く晴れ、そしてこの季節らしからぬ暖かい日だった。

 父に誘われたあの日から私は何度かつぐもさんにメッセージを送っていた、けれどその返事は遅く、またいつもと違って何だか簡素に思えた。


(気にし過ぎかな〜…体調が悪いって言ってたから、あまり送らない方が良かったかもしれない…)


 待ち合わせ場所は以前つぐもさんと一緒に回った植物園である、今日は─残念な事に─父も一緒だ。

 車好きの父が購入した『えすゆーぶい』とやらに乗り込んだ。


「あの小さいのが良かったんだけど、この車乗り難い」


 父は何台か車を持っており、その中でも一番車高が高い物を選んでいた。


「あの小さいのって…スポーツカーの事か?あれは二人乗りだぞ?もし四人で何処かへ行くことになったら困るじゃないか」


 こういう車は嫌いである。ただでさえ人と比べて身長が低いのに、まるで自分が小人になったような感覚に陥るので好きになれなかった。

 シートベルトを締めると父が早速エンジンをかけ、植物園へ向かって車を発進させた。

 隣に座る父が「こうして日和と一緒に出かけるのは久しぶりだな〜」と嬉しそうに言ってくるがそれを聞き流しながら、私はつぐもさんにメッセージを送った。


日和:おはようございます。体の具合はどうですか?


 植物園に到着するまで返事が返ってこなかった。

 


「すみません、俺が運転していたのでメッセージを返せませんでした」


(あ、いつも通りだ…)


「いえ、お元気そうで良かったです」


 茜さんとつぐもさんは先に到着しており、私たちは少し遅れてやって来た。

 つぐもさんに気づかれないようそっとスマホを確認すると確かにメッセージが入っていた、その事に心なしか安心してしまった。

 車が疎らな植物園の駐車場で私たち四人が一同に顔を合わせた、お互いの事は皆んなが知ってはいるがこうして会うのは初めてだった。

 そんな薄らとした緊張と気恥ずかしさの中で真っ先に口火を切ったのは茜さんだった。


「あなたたち、いつもそんな他人行儀なの?」


「他人行儀って…会うのこれでまだ三回目なんだけど」


 父が乾いた笑い声を上げた。こういう笑い方をする時は緊張している証である。


「はははっ、最近の若者らしくとても謙虚だね」


「…………」


 そんな父に対してつぐもさんがじっとりと睨めつけ始め、その反応に私はいくらか驚いてしまった。


「な、何かな?」


 父も動揺を見せている。


「この間は日和さんについて語り合える相手が欲しかったとか散々言っていたのに今の言い方は──「ああ!うん!普段通りで行こう!普段通りで!」


「まあ、あなたたち知らない間に仲良くなっていたのね」


(私について語り合えるって何?)


 父と茜さん、それからつぐもさんが仲良く話し合っている様子を少し遠い位置から眺めているとある事に気付き、もくもくと嫌な気持ちが沸き起こってきた。


(避けられて──る?)


 そんなまさかと自分で否定するが、嫌な気待ちがなかなか消えてくれなかった。

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