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第26話

「日和、この間遊びに出かけて来たんでしょ?誰と行ってきたの?」


 午前の講義を終え、良く集まる友達たちと学食へ足を運んでいる時にそう尋ねられた。

 尋ねてきた人はこのグループのリーダー格の人である、私と違って大人っぽく男子学生からも人気が高い。ちょっと香水の匂いがキツいけれど、ウェーブした髪にジャケットに合わせたパンツもとても様になっていた。勿論、背も高い。

 私は彼女に答えた。


「紹介してくれた人と一緒に行ってきたよ」


「へえ〜お父さんとじゃなくて?」


 他の数人が静かに笑った。


「違うよ、お父さんじゃないよ」


「日和はまだまだ子供なんだから危ないよ〜ちゃんと傍に居てもらわないと」


 さらにくすくすと笑みが溢れた。


「…………」


 さて、どうして私がこんな居づらいグループに籍を置いているのか、それは一重に結果論であった。

 彼女には想いを寄せていた相手がいて、けれどその人が想いを寄せていたのはどうやら私のようで、交際を申し込んでフラれてから逆恨みの対象になってしまったのだ。

 それから彼女は私をよく馬鹿にしてくるようになった。ただそれだけの話である。

 グループの人たちも私より彼女に懐いている節があるので誰も庇ってくれやしない、今さら他所のグループへ移籍するつもりはなかったのでこの状況に甘んじていた。

 大学周辺の殺風景な景色が望める学食の中、皆んながどれにしようかと券売機の前で相談している折、私は無意味だと知りつつもスマホを確認した。


「…………」


 ふむ、やはりメッセージは来ていない...きっと院試の勉強で忙しくなると伝えてしまったからだろう。


(少しくらいはいいのに…)


 また話がしたい、色んな話をしたい。その願望はここでは叶わずあの人の前の方が叶いやすい。


「日和〜このデザートなんていいんじゃない?」


 皆んなと相談をしていた彼女が私にそう声をかけ、プリン・ア・ラ・モードのプレートを指差していた。私がそんな物を食べれば、周囲からいよいよ子供っぽく見えることだろう。

 いざこざが起こるまで彼女は優しい人だった。こんな事になってしまったことを残念に思いながら、喧嘩するのも馬鹿らしかったので私は曖昧な返事を返しただけだった。



つぐも:院試の方はどうですか?


(っ!)


 帰島さんからメッセージを貰ったのは、もう間もなく午後の講義が開始される時間だった。

 急いでメッセージを送信しようにも、スマホや私語に厳しい教授が講義室に入って来てしまったので鞄の中に仕舞わざるを得なかった。


(ええ〜ん何で今なの〜)


 気が気ではない、前回一緒に出かけてから久しぶりのメッセージだ。お昼を食べている時は「少しくらいやり取りしたい」と思っていたから、その矢先のメッセージである、どうしたって意識がそっちに向いてしまう。

 教授が分厚い本とノートパソコンを教卓に置き、細菌学の講義が始まった。先日、私が偉そうに話した内容は全て、この講義の受け売りだった。


「──動植物は全て真核生物であることからユーカリアに分類され、他の二ドメイン、つまりバクテリアとアーキアとは別々の祖先から誕生したと思われがちだが、ここ最近の研究によってこの説がまた覆され、全て同じ祖先であったという事が有力視され始めている」


(そうそう!その話を帰島さんにしたかったの!)


「従来まで、その細胞内で不要になったタンパク質を分解する働き、ユビキチンプロテアソームシステムはユーカリアにのみあると考えられていたが、好熱性アーキアの一つであるサブテラネウムと呼ばれる古細菌がこのシステムを有していた事が近年の研究で解明され──」


(帰島さんは休憩中なのかな…それなら今のうちにメッセージを返した方が…)


「──であるから、ユーカリアはバクテリアとアーキアが合体し誕生した生命体であるという見方が有力になりつつある。──以上で今日の講義は終わります、本講義を受けているこの学生の中から、さらなる成果を出す人材が現れる事を願っています」


(──あっ)


 全く頭に入らなかった。

 講義中、返信するメッセージの内容をずっと考えてしまい、気が付いたら教授が教卓を去っていた。

 聞けなかったものは仕方がないと気を取り直し、鞄の中にしまっていたスマホを取り出す。


日和:問題ありません


日和:少し大変ですが予定通りです


 送信ボタンをタップした瞬間に「しまった!」と後悔した。


(まるで報告のような…何て可愛げのない…)


 頭の中は送りたかった言葉が沢山詰まっているけれど、全くもって指が言うことを聞いてくれず、事務的な内容になってしまった。

 時刻は昼下がり、きっと帰島さんは業務中で返信は早くても夕方頃──と、思っていたのだが、すぐに返事が返ってきた。


帰島さん:それは良かったです


帰島さん:今は講義中ですか?


日和:休憩中です


日和:帰島さんはお仕事中ですか?


帰島さん:今日は会社を休んでいます


帰島さん:胃炎です


日和:大丈夫でしょうか?


帰島さん:お酒の呑み過ぎだと言われました


帰島さん:無念ですm(_ _)m


「何がやねん」


 つい声に出して突っ込んでしまった。

 一体何が無念なのか分からない、その事を尋ねようにも次の講義が迫っていたのであえて既読は付けず、そのままスマホを鞄の中にしまった。



「誰とメッセージをしているの?」


 一日の講義を終え、帰り支度をしている時にそう彼女に声をかけられた。これからお出かけでもするのか、後ろにはいつものメンバーが揃っていた。

 私は言葉を濁した。


「あ〜うん、高校の時の友達」


「へえ〜〜〜」と、意味ありげに頷いている。


「紹介してもらった人じゃなくて?(こう)くんもいるのに贅沢だね〜」


 光くんとは例の人物である、彼女が想いを寄せ、そして私に想いを寄せているのがその彼だった。

 艶やかに彩色された彼女の指が私の机に乗せられている、その爪を見ながら答えた。


「そういう事では…」


 こういう時は何を言っても皮肉に取られてしまう、相手が矛を収めるのをじっと堪えて待つしかない。

 しかし、今日は間が悪かった。

 その光くんがこちらにやって来たのだ。


「宮島さん、この後暇?良かったら一緒に帰らない?」


「…………」


 この状況が彼には見えなかったのだろうか、目の前にフラれた女性がいるというのに...

 何と答えたら良いのか分からず固まっていると彼が彼女に気付いた。


「あれ、もしかして五十嵐さんと?」


 『五十嵐』は彼女の苗字だ。彼女も何と言えば良いのか分からないのか微動だにしていなかった。


「い、いいえ…私はこの後院試の勉強があるので…」


「そう、分かった、それじゃあ」


 彼は颯爽と私たちの元から離れていった──空気を悪くして。


「──別に、私に気を遣わなくても良かったのに」


「うん、でも今は試験勉強で忙しいから…」


「紹介された人とメッセージをする時間があるのに?」


「…………」


「もういいよ。じゃあね」


 彼女たちが講義室から去った後、私は机に突っ伏した。


(ぶはあ〜〜〜………もう何〜?何でこのタイミングで割って入ってきたの〜周り見えなさ過ぎ〜)


 それから私は小一時間ほど大学の図書館で時間を潰し、暗くなった空の下、家路についた。



✳︎



「胃は?」


「まだしんどい…」


「あっそ。晩御飯、唐揚げにしようと思うけどいいわよね」


「胃がしんどいって言ってるんだよ、そんな時にそんな物食べられないよ」


 姉がにやにやと笑いながら「知ってる」と言い、キッチンに立った。

 

「酒の呑み過ぎだから、次から考えて呑むんだね〜」


「くう〜弱い胃袋が憎い…世の中には酒豪がごまんといるのに…」


 胃が痛み始めたのはつい先日、さあ今日も晩酌だ!と酒瓶片手にソファに座った途端、突然みぞおち辺りがシクシクと痛み始めた。

 これは呑んでいられないぞとその日は急遽休肝日に変更し、翌る日一番近くにある消化器内科があるクリニックへ。そこで医者から言われた言葉が「酒の呑み過ぎ」であった。

 俺のくだらない言葉に姉が料理を作りながら答えた。


「馬鹿じゃないの。お酒に限らず世の中の美味い物ってもんは大概胃に悪いのよ。医者に言われた通り呑む量を変えなさい」


「くぅ〜…」


 キッチンから香ばしい唐揚げの匂いが立ち込めてきた、マジで作っているらしい。

 出来上がった料理は香ばしい唐揚げとポテトサラダ、そしてうどんである。きつねは入っていた。


「は〜早く治ってほしい…」


「元気になるまでそれで我慢しな」


 物足りないご飯を食べていると来客があった、インターホンのカメラを付けて姿を確認すると、


(……んん?津島さんか…V系にでも目覚めたんだろうか…)


 カメラに映っている津島さんの格好がまさにそれ、髪の毛は金色とも白色ともつかない派手な色合いでマッシュカット、それから目がチカチカするプリントTシャツにレザージャケットを羽織りマフラーを巻いていた。


「誰?」


「津島さん」


「澪?晩御飯たかりにきたのか…明日の弁当分のために多めに作ったんだけどな〜」


「お土産残ってるならそれ出せば?」


「それもそうね」


 などと酷い会話をしてから階段を下りて津島さんを迎えに行く。

 玄関の扉を開けると寒い冬の風が室内に入り込んできた。


「ど、どうも初めま「どうしたんですかその格好」──え?」


 津島さんの顔がいつもより一つ分高い、厚底のブーツを履いているようだった。


「V系に目覚めたんですか?もしかしてその格好でライブ配信していたんですか?」


「え?…え?」


「早く中に入ってください、寒いです」


「え?──あ、じゃ、じゃあ…お邪魔します…」


 え〜気持ち悪い、何その他人行儀。

 津島さんがブーツを脱いで家に上がった、階段を上っている間首から下げていたゴツいアクセサリーがジャラジャラと鳴っている。


「晩御飯食べに来たんですか?」


「──えっ、まさか、ご挨拶をしようと「ご挨拶う〜?何か今日の津島さん変ですよ」


 階段を上りきった所で津島さんがぴたりと足を止め、不審に思った俺は振り返った。

 じ〜っと俺のことを見つめている。


「──もしかして僕のこと「──うわ〜!澪!何その格好〜マジでウケるんだけど〜」


 リビングから姉が現れ、津島さんの格好を驚きつつもはしゃいでいた。


「──いや!だから僕は「口調まで変えてんの〜?いいじゃん、あんたみたいな格好してるストリートミュージシャン駅前で良く見かけるわ。──気に入った!唐揚げ食べさせてあげる!」


「晩御飯を食べに来たわけでは──ぼ、僕の話を聞いて「今日はお酒持って来てないんですか?「お願いだから聞いてくれませんか?「あんたはどのみち呑めんだろうが。ほら、早く入りなさい」


 姉が津島さんの手をぐいっとひっぱりリビングへ連れて行った。



 津島さんも加わった夕食を食べ終え、食休めをしている時にきちんとお礼を述べていた。


「ご、ご馳走様でした、とても美味しかったです」


「…………」

「…………」


 姉が無言で津島さんのおでこに手を当て始めた。


「熱は無さそうね…」


「いやあのそんなテンプレみたいな事を…お二人は勘違いされていませんか?」


「あんた今日ほんとどうしたの?マジで変だよ」


 意を決したように津島さんが、


「僕は澪ではありません、弟の千鶴です」


 と、そう言った。

 姉と目を合わせる。


「…………」

「…………」


「昔から良く似ていると言われていましたけど…そこまで姉に似ていますか?」


 似ていますかというか、


「本人でしょ?」


「違います!」


「ちょっと澪、だんだん面倒臭くなってきたんだけど、冗談はそろそろ止めてくれない?」


「冗談じゃありません!僕は千鶴です!澪じゃない!──あ!ほら!胸がないでしょ?!」と、津島さんが自分の胸をバシバシ叩いた。


「男装用にそういう道具がありましたよね?」


「え〜何で信じてくれないの…」


 がっくりと肩を落とした津島さんが今度は財布を取り出し免許証を見せてきた。


「ほら!ここに名前が書いてありますよね?!千鶴って!」


 渡された免許証を姉と一緒に見やる、ロングヘアのいつもの津島さんがそこに映っていた。


「やっぱりその頭、ウィッグだったんですね」


「え?──いやどこ見てるの写真じゃないよ名前!それにその写真は昔の物だから!」


「その言い方がまさしく津島さんなんだけどな〜…ほんと今日は何がしたいんですか?」


 津島さんが「は〜!」と言いながら頭を掻き毟り、スンと表情を変えて唐突に切り出してきた。


「もういいです。──今日ここに来たのはつぐもさんに用事があったからです」


「うわあ…」

「うわあ…」


「何で引くんですか?」


「津島さんにさん付けされるのはちょっと…夢に出てきそう…」


「そこまでなの?!普段の姉はどんな接し方をしているんですか?!」


「どんなって………嘘ばっかり?」


「そんなはずは──あ!それなら今から姉に電話をかけてください!僕が弟だって説明してもらいますから!」


 姉が「はあ〜」と大きく息を吐いた。


「分かったわよ、あんたのままごとに付き合ってあげるわ」


 言われた通り姉が電話をかけた、すると椅子の背もたれにかけてあったジャケットから着信音が鳴り、津島さんが「ええ?!」と心底驚きを見せていた。


「何でポケットに──ああ!さっきコンビニに出かけた時に僕のジャケットを──待って待ってこれは違うんです!」


 ジャケットのポケットから出てきたスマホは確かに津島さんが使っている物に見える。

 

「ほら!これが僕のスマホですから!」

「津島さんって二台持ちでしたよね」

「え?!そうなんですか?!それは僕も初耳なんですけど」

「澪〜?そろそろ事情を説明してもらえるかな〜?ほんっと面倒臭いんだけどあんた」

「だから僕は弟の千鶴で!つぐもさんに姉の事で話があって来させてもらったんです!どうしてそこまで疑うんですか!」


 また姉と目を合わせた。


「だってあんた、弟のちー君とは音信不通でもう何年も会ってないって言ってたじゃない。そうなった経緯もこっちは知ってるんだし、そんな相手が何でいきなりうちに来るのよ「そうそう」


 弟を演じ続ける津島さんが無言で天井を仰いだ。

 そして顔を元に戻し、とても凛々しい表情をしながらこう言った。


「僕の股間を触ってください、そうすれば男である事が一発で分かるはずです」


「え…」

「え…」


「どちらでも構いませんから触ってください」と言いながら座っていた椅子から立ち上がった。


「澪…あんたそこまでして……分かった、あんたがそこまで言うなら触ってあげるわ──つぐもが」


「普通に嫌なんだけど。え、これ触ってアレが無かったらどうなるの?」


「警察に通報する」


「何でやねん!頼まれたから触ったのに通報されるの?」


「だってしょうがない澪が引かないんだもん」


 立ち上がった津島さん?のオーラをひしひしと感じながら、俺は姉に耳打ちをした。


「…ねえ、これもしかして本当に弟の可能性は?」

「…んなわけないでしょ」

「…いやでも、何で触らないといけないの?」

「…本人が触れって言ってるんだから触ればいいじゃない」

「…男同士でも普通に股間触ったらアウトなんじゃないの?」


 ちょっぴり頬が赤く染まっていた姉が素早く身を引き、「もうさっさと触れ!」と背中を叩いてきた。

 何だか変な空気になりつつある。空気怖い。これはもう津島さん?の股間を触って男女の違いを確かめないと話が進まない、という時にまた来客があった。

 これ幸いとインターホンへ逃げ出してカメラを確認する。

 彼は本当に弟のようだった。



「──ちょっとは信じてあげなよ私の弟だよ?!何で股間を触るか触らないかの話になってるの!」


 リビングのソファに並んで座っている二人は本当に瓜二つ、双子のようだった。

 姉もそんな二人を見てぽかんと口を開けていた。


「あんた双子だったのね…てっきり歳下の弟かと…千鶴君、すっぴんの時の澪とそっくりだわ」


(──っ)


 何だか嫌な感じ...姉が誰かを君付けで呼ぶ所を見るのが初めだったせいもある。


「で、何でちー君がこんな所にいるの?」


「良く僕がここにいるって分かったね」


「前にあかりの家を教えてあげたしね。それにパソコンから自分のスマホの位置情報を調べたらドンピシャでここだったし。で?何で?」


「お姉ちゃんが勝手に僕のジャケットを使ったのが悪い」


「そういう事言ってんじゃないの、何しにここに来たの?」


 そう会話をする二人の距離はぐっと近い、まるで恋人のように見えた。

 尋ねられた千鶴さんは津島さんから視線を変えて俺の方を見てきた。


「つぐもさん、姉と一緒にお風呂に入ったのは本当ですか?」


「え、ええまあ…」


「付き合っているんですか?姉はあなたの話ばかりしていますよ」


 それははっきりと答えた。


「付き合っていません、そういう話をしたのは事実ですけど」


「分かりました。──これからは姉に思わせぶりな態度は取らないでください」


 取っとらんわ!って言いたかったけどぐっと堪えた。

 

「寧ろ、あなたの方こそ津島さんを傍から離さないでください、迷惑していま「──なああんだって〜〜〜?!」


 ぎゃいぎゃい騒ぎ始めた津島さん、口調とは裏腹にとても嬉しそうにしている。


「こういう話をあなたとしたくてお邪魔させてもらいました。僕は弟ですが、姉の事を心から愛していますから」


「も、もう…ちー君…」


(すげー、現実で愛してるって言葉初めて聞いた)


 やはり姉である。二人の世界に没入した津島さんを何のそのと、耳をひっぱり上げて立たせたではないか。


「──いたたたっ?!」


「澪、ちょっとこっちに来なさい」


「優しく!優しくお願いします!」


 二人は寝室の方へ消え、リビングには俺と千鶴さんが残った。


「あの〜さっきはすみませんでした…姉が言った通り津島さんにそっくりだったので…」


 千鶴さんはどうやら大人の方のようで優しく微笑んだだけだった。


「いいえ、分かってもらえましたから。それに…そんなに僕と姉は似ているんだなって、嬉しかったですし」


「そ、そうですか…」


「澪の事はどう思っているんですか?」


「そりゃあ好きですよ。恋人にしたいとか、そういうものではないですけど」


「そうですか、それを聞いて安心しました」


 それから暫く話をし、小一時間経ったあたりで二人は仲良さそうにしながら帰って行った。



✳︎



(最初こそ間違えられて冗談ばかりだったけど…礼儀正しい人だった)


 確かに帰島つぐもという人は姉が好きそうな部類ではあった。

 訪問した翌日、地元ではなく他県にある大学の事務所で、昨夜の事を思い出しながら仕事をこなしていた。

 本当は院に進んで研究をしたかったけれど残念な事に落ちてしまい、その当時良くしてもらっていた教授の紹介でこの職場にやって来た。

 配属された所は学生たちを支援する学務という所で、他にも財務、総務などがあった。

 今日は僕が窓口を担当しているので、事務棟の広いフロアを見渡せる窓際に座っていた。

 そして、僕に聞こえるか聞こえないかの声量でひそひそと。


「…婚約を破棄したって話…」

「…そうなの?…どうして」

「…自分からしたらしいよ」

「…相手可哀想…」


(仕方ないじゃないか…だって忘れられなかったんだから)


 僕の所へ一人の女学生がやって来た、ロングコートのボタンをきちんと閉め、丈が長いマフラーをぐるぐる巻きにしている。どこか人形を思わせる女の子だった。


「こんにちは、宮島です。受験票の受け取りに来ました」


「宮島日和さんですね。こちらが受験票と今後の日程について書かれている書類です、試験が終わるまで失くさないように注意してください」


「はい、ありがとうございます」


「頑張ってください」


「はい。失礼します」


 小さくお辞儀をした学生が、僕の元から去って行った。

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