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第24話

「何て言われたの?」


「軽いぎっくり腰だって。週に何度か通院して、良くなったらその後整骨院に行って整えてもらえってさ」


「津島さんの出番だね」


「──それもそうね、通う必要がないわ」


 土日もやっている整骨院に行き、姉の体を診てもらった。どうやら軽度らしく重傷ではないらしい。

 助手席に座った姉はほっと安心した様子を見せていた。


「は〜どうなる事かと思ったけど、軽くてほんと良かったわ。ああでも、医者の人にこれからも再発する可能性があるから気を付けろって」


「そりゃね、一回やっちゃったからね、しょうがないよ」


「歳ね〜ほんと…」


 整骨院の駐車場から車を発進させ、冬らしい薄雲に覆われた空の下、自宅へ向けてハンドルを切った。



 自宅へ戻り、昼食を済ませた後津島さんを呼ぶことになった。

 ちなみに、本日の昼食は青椒肉絲である。材料はピーマン、パプリカ、たけのこ、ニンニクの芽、牛肉である。

 調味料はニンニクと醤油、それからコチュジャン、手早くさっと炒めるだけでご飯が進むおかずの完成。

 そのご飯には一合あたり一五ミリリットルほど日本酒も足してある、姉も「香りが良い」と褒めながらもぐもぐ食べていた。


「お腹が空くっていうのは元気な証よね〜腰を痛めた当日って夜になるまで一切空腹を感じなかったから」


「それは言えてるね、気持ちが元気じゃなかったら食欲が湧かないもんね」


「そうそう」


 食休めを終え、食器類をシンクに置いた姉が俺に尋ねてきた。


「あんた、澪と会えるの?この間、ちょっとややこしいことになってたでしょ」


 コップに水を注いだ姉は背筋をピンと延ばしてそれを飲み干した、早速姿勢に気を配っているようだ。


「あ〜まあね〜」


「まあねじゃないわよ、変に喧嘩しないでよね」


「…………」


 その他人行儀な物言いが気に入らなかったので、俺は姉のことをじっと見やった。


「なん」


「そっちが種を撒いたような気がするんだけど…」


「その種に水をやったのはあんた」


「何じゃそりゃ」


 あくまでもこっちが悪いと言い張る姉、元気が出た途端これである。

 食事を終えた姉が部屋へ引っ込み、俺はのんびりとご飯を食べていた。

 カウンターに置いていたスマホにメッセージが入った、妹からである。


妹:_(:3 」∠)_


妹:_(:3 」∠)_


妹:_(:3 」∠)_


妹:暇や


妹:暇やのに毎日ように家事をやらされる


妹:ここは何なん?地獄なん?


つぐも:実家や


 絶賛花嫁修行中の妹、どうやら鬱憤が溜まりつつあるらしい。

 今度は電話がかかってきた。


「遊びに来てよーお姉ちゃんはもう平気なんでしょー?」


「これから津島さんを呼んで整体講座するから無理」


「お姉ちゃんだけでは飽き足らず別の女まで…「その言い方止めて。たまねこそ地元の友達誘えばいいじゃん」みーんな結婚してるわ!誘い難い!」


 スピーカーモードに切り替え、昼食を食べ終えた俺はそのまま片付けに入った。


「それとお母さんから聞いたよ、マジで女の子紹介してもらったんだって?で、どうなの?もうフラれたの?」


「何でやねん。この間二回目のデートをしました〜」


「私もデートに行きたいな〜あ〜どこかに良い人いないかな〜「地獄にはいないでしょ「いやここ実家だから。あ〜良い人いないかな〜一緒にドライブ行きたいな〜「免許返納したら行ってあげてもいいよ「何でやねん!」


 妹は相変わらずらしい、片付けが終わるまで散々駄々をこね、俺は根負けして今度の休みにドライブへ行くことになった。


「よっし!ちょっと行ってみたいところがあってさ、お母さん誘っても面白くないからお兄と行きたかったんだよね〜」


「そりゃどうも。じゃあ今度の休みはそっちに行くから」


「あいあい〜」


 妹との電話を切ると、折良く先生がやって来た。

 あの日、遠回しに「責任を取れ」と迫ってきた津島さんは別れ際に「身辺整理をしてきます」とだけ宣言をしてから帰っていた。

 

(身辺整理って何やねん)


 リビングから階段を下りて津島さんを迎えに行く、ここはオートロックではないので迎えに行く必要があった。

 玄関の扉を開けると、ばっちばちにコーデをした津島さんが立っていた。


「何でスカートやねん」


「おっは〜診察どうだった?」


 ガン無視。


「軽いぎっくり腰だって言われたそうですよ、姉は今部屋で安静にしています。何でスカートなんですか?今日は俺にマッサージのやり方を教えてくれるんですよね?目のやり場に困るって日本語知ってます?」


「や〜だもう〜つぐも君はえっちだね〜この後事務所まで行かないといけないからなのに〜期待した〜?ね〜期待した〜?」


 今度はこっちが無視する、背中から「無視すんな!」と怒られた。

 津島さんを連れてリビングに戻ってくると姉がいつか見た仁王立ちで待っていた。

 その手にはジャージが握られている。


「履け」


「…はい」


 俺たちの会話が聞こえていたらしい。



 津島さんのマッサージ講座は「人の体は全て連動している」という一言から始まった。

 被験体である姉はベッドにうつ伏せの状態で眠っている、その姉の体を指差しながら津島さんが教えてくれた。


「自分の体重を支えてくれるのはどこだと思う?」


「足ですか?」


「そ。さらにどこだと思う?」


「う〜ん………」


 どうやら先生はせっかちなようで、姉の足を触りながら「足裏」だと教えてくれた。


「この足の裏がその人の体重を支えているの。触ってみて」


「………かった!」


 そう、姉の足の裏がかちこちに固かった。


「きっと立ち仕事だからだろうね〜。で、足の裏で体重を支えきれなくなると、人の体って別の筋肉でそれを補おうとするの、つまりふくらはぎ、その次が太もも、その次が腰って具合にね。触ってみて」


「え…」


 どうしよう、姉は何も言わずじっとしているが触ったら反撃されそうである。

 

「──何やってんの?」


 姉に向かって二礼二拍手をしようとした俺に先生が突っ込んできた。


「いえ、とりあえず崇めておけば怒られないだろうと思って」


「つぐも、何をしているのか分からないけど失礼な事をしているのだけは分かるわ」


「早くして、私本当に事務所に行かないといけないから」


「はい」


 スカートの下からジャージを履いている先生にも怒られ、観念して起きている姉の下半身を触った。


(う〜ん…そもそも女の人の体って基本が柔らかいから…)


 その疑問が顔に出ていたのか、先生もベッドに上がってうつ伏せになり「私の体を触れ」と言ってきた。


「違いが分からないんでしょ?私は日頃からケアしているからあかりより柔らかいと思うよ」


「は、はい…」


 凄い眺めだ、美女二人がベッドの上でうつ伏せになっている。


(は〜漫画で良く見る光景が目の前に…)


 言われた通り先生のふくらはぎを触ると、姉と違ってもにょっとした感触が手のひらに返ってきた。


「やわらか!」


「次太もも」


「やわらか!姉の足が大根に思えてきました…」


「余計なこと言うな」


「次お尻」


「──待って澪、お尻は必要なの?」


 何か俺のことをはめようとしていた先生がさっと起き上がり、まるで何事もなかったように姉の体のマッサージを始めた。


「難しいことを教えるつもりはないから「さっきの何ですか?」君はとりあえず固い部分をさすってあげて「身辺整理するって言ってましたよね?それそういう意味だったんですか?」筋肉はさすってあげるだけでも疲労回復になるから」


 全無視である。


「あと、最後に背中もさすってあげてね」


 姉に遠慮なく馬乗りになっている先生が背中を丁寧に揉んでいる、俺は資格なんてものは持ち合わせていないので下手に揉むと痛みが出てしまうんだとか、だから自分の手では届かない部位をさするだけだ。それでも効果はあるらしい。


「あ〜やっぱ澪のやり方が一番いい…」


 姉は先生の施術を気持ち良さそうに受けている、目蓋も閉じているしあのまま眠りそうだ。

 馬乗りになる必要があるのかなと思っていると、姉も「馬乗りになる意味は分からないけど」と言っていた。さっと姉の上から退く先生、この人も妹と同じでほんと強かである。


「──はいお終い。基本は君がやってあげて、私は週に何度かお邪魔するくらいだから」


「はい、分かりました」


「もし痛みがひどくなるようだったら私を呼んでね、出来る限り診てあげるから」


「はい、分かりました」


「私の恋人になってくれる?」


「は──」危ねえ!


 意地悪そうな笑みを浮かべ、「あともう少しだったのに」と津島さんが言い、本当の本当に用事があったらしく、慌ただしくしながら家を後にしていた。



「今度の休み、実家に戻るから」

 

「あっそ。たまね?」


「うん、暇してるから遊びに来てって。姉ちゃんも行く?」


「私はいい」


 津島さんが帰ってからはのほほんとした休日を過ごし、晩御飯も食べ終えた後だった。

 先にお風呂を済ませて晩酌タイムである、病院で貰ったコルセットを巻いている姉も湯呑みに口を付けていた。


「腰は大丈夫なの?」


「大丈夫」


「あんまり呑んだら駄目だからね、血行が良くなって痛みが増す時があるから」


「平気よ」


「程々にしておき「──うっせえわ!親か!」


 隣に座っている姉が俺の肩をぱしん!と叩いてきた。


(また機嫌が…いやでもそんな感じでもないし…んん?)


 その姉は拗ねた顔をしながらお酒を呑み、ピンボール式のスマホゲームを片手でやっている。顔は怒っているがそこまで剣が強いわけでもない、つまり雰囲気がいつもと一緒、ということである。

 スマホゲームのBGMが二人の間に流れる、俺は姉に「猫背になってるよ」と教えてあげた。


「背中を曲げると腰に負担がかかるから、なるべく真っ直ぐにした方がいいよ」


「…………」


 姉は何も言わずすっと背筋を伸ばした、余程腰の痛みが怖いらしい、腰の怖さが分かると誰でもこうなる。

 俺はソファの背もたれとの間に生まれた隙間に手を挟み、姉の背中にぴたっと這わせた。


「……………」


「……………」


 何度かさする、姉は何も言わない。人差し指を立て、昨日やったように背中に文字を書いた。

 文字は「もしかしておこってる?」と書きたかったが、「て」の辺りで姉が「長過ぎるわ!」と突っ込んできた。

 俺はある事実に気付き、遠回しな言い方はせず姉に尋ねた。


「ねえ、もしかしてフェザータッチが好きなの?」


「ふぇ、フェザー?っていうのは…さっきのやつ?」


「そう、触るか触らないかのタッチのこと。好きなの?」


 自分でも素直じゃないと豪語する姉は「そんなんじゃないから」とキッパリと否定してきた。


「そう?俺は好きだけどね」


「………そうなの?あ、あんたにしては珍しいじゃない、素直に物を言うなんて」


「でも姉ちゃんは嫌いなんでしょ?ごめんね、もう二度としないか──この手は何だ」


 姉が俺の太ももにそっと手を置いた。冷んやりとした感触が足を通じて伝わってくる。

 何だ、と訊いているのに姉は何も言わず、そっと俺の太ももを触り始めた。


「やっぱり姉ちゃんも好きなんでしょ、俺も昔から好きだったよ。友達に文字当てゲームとか言われて背中を触られるのが好きだったし、わざと外しまくってずっとやってた」


 姉が「その手があったか〜」みたいな顔をした。


「認めなよ、好きなんでしょ?」


「違う、好きじゃない」


「…………」


「でも、たまにはいいかなって思う、その程度だから」


「それを好きって言うんだよ」


「…………」


「──分かった、口で言えないなら背中でやり取りしよう。こっちに背中向けて」


 「そうでもない」と言ったくせに、姉はさっ!と俺に背中を向けてきた。服越しでも分かる綺麗な背中が目の前にある、ここでばちこん!と叩くと面白いんだろうけどそこはぐっと堪え、俺は姉の背中にこう書いた。


"すき?"


 今度は俺が背中を向ける番である、ささ!と後ろを向く。

 開きっぱなしになっている姉の部屋を見ながらその時を待つ、小学校の時によくやっていた遊びだ、童心に帰ってわくわくしていると背中にちょんと何かが当たる感触が生まれた。


(……………ん?)


 その感触は指っぽいが細過ぎるように思う、それに冷たい、姉の冷んやりとした手ではなくこう...金属的な...

 さ!と姉に視線を向けると、その手にはフォークが握られていた。


「──もういい、二度とやらない」


「──あ!うそうそ!嘘だから!怒らないで!」


「人の童心を弄びやがって!もう絶対やらないから!」


 童心を弄ぶなど!万死に値する!

 俺は決然と立ち上がり、服の裾を引っ張ってくる姉に構わず傍から離れようとした。


「嘘だから〜!だっていきなりはさすがに恥ずかしいじゃな〜い!」


「知らんわ!どうせ昨日も起きてたんでしょ?!何かそんな感じしたわ!」


「起きてない──ああ!うそうそ!いやだってさすがに触られるのが好きとかキモいでしょ?!あんたは何とも思わないの?!」


「さっき好きって言ったでしょ!」


「分かった!してあげるからそこ座って!ね?!」


「二度とこんな事しないでよ!」


 ふん!と大きく鼻息を鳴らしながらもう一度座り、そしてすぐにちょんと、今度こそ姉の指が俺の背中にあてられた。

 最初に書かれた文字は「ごめん」だった、急に素直。


「もういいよ、分かってくれたらそれでいい」


 お次の文字は「キモい」だった。


「それブーメランだからね?分かってる?」


 そして、次に書かれた文字は「すき」だった。


「……………」


 あ〜これねはいはい、確かに急にやられたら言葉が詰まるな...

 返す言葉が見当たらなかったので黙っていると、姉も追加で文字を書いてきた。

 指が動く度、背中から首筋にかけてそわそわとした感覚が走った。こういう時はつい無心になってその感覚に集中してしまう。

 

"きす"


(ん?ひっかけか…?)


 姉が書いた文字は「きす」だ。

 続いて、


"こども"


(こども…?)


"なぜ?"


(きす、こども、なぜ………────!)




✳︎



「…………」


 弟が走って逃げやがった。


(あの反応は……)


 胸の動悸が早くなりつつある、いや、お酒のせいだけではなく確実に早くなっている。

 ──弟は私にキスした事を覚えている、間違いなく、だ。


(いや、だったらどうして逃げるのか…バレていたのが恥ずかしいから…?なら、映画の真似事だけではなく別の意味があったということ…なのかな)


 考えても分からない。弟が慌ただしく閉めた扉をじっと見ながら考え、来客を告げるインターホンの音に思考を中断されてしまった。

 時間はあと数時間で日付けが変わろうとかとしている時だ、少々不審に思いながら立ち上がり、インターホンのカメラを起こした。

 カメラの向こうに映っていたのは、顔を下向けて立っている男性だった、はっきりと言って気味が悪い。


(何なのこいつ…)


 恥ずかしがっている弟には悪いが扉をノックし、不審者の対応をお願いした、女の私より男の弟の方が向こうも怯えやすいと思ったからだ。

 扉越しにこれこれと事情を説明し、思っていたより弟がすんなりと部屋から出てきた。


「分かった」


 出てきてくれたがこちらを見ようとはしない、怒り半分恥ずかしがり半分の拗ねた顔つきでインターホンへ向かった。

 通話ボタンを押しながら話しかけた。


「どちら様ですか?」


 威嚇の意味を込めてか、普段よりいくらか声が低い、もしくはまだ私の前にいることが恥ずかしいのか。

 カメラに映っていた不審者は何も答えず、さっと踵を返していた。


「何だったの…?」


「さあ、呑んだくれじゃない?缶ビール持ってたし、前の住人とか?」


「ああ…とりあえず管理会社に連絡しておきましょうか」


「うん、そうして」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 無言だ、私も弟も無言だった。

 きっと、弟は私に訊かれるのを待っていたに違いない、「どうして子供の頃、キスをしたのか」と。

 けれど、私はこの生活をまだ続けていたかったので何も訊かなかった。

 弟も私が何も訊いてこないと分かると、チラリと視線を寄越してから自分の部屋に戻っていった。

 テーブルの上にあった湯呑みや酒瓶や、つまみが入った小皿にフォークや食器類を片付けて、私も寝室へ入った。


「……………」


 病院から貰ったコルセットを外し、電気を消してベッドの上に寝転んだ。

 暗闇に慣れない目で天井を見上げ、そして弟の反応と自分の今の思いに考えを巡らせた。先程は急な来客に思考を中断されてしまったが...私は弟に真意を尋ねるのがどうやら怖いらしい。


(それでもし向こうが本気になったら…いや、そもそも私はこれからどうしたいのか…)


 あの時と同じだ、腰の痛みと甘い波の狭間で揺れ動いていた時と同じように、今も不安と期待の間で心が揺れ動いている。

 この生活はまだ続けたい、不仲だった弟と仲良くなってこうして共に生活を続けて、社会に出てから一度として実感できなかった充実感というものを感じていた。

 だが、有限だ、それは仕方がない事。いずれ終わりが来る、私と弟では、たとえ恋人の真似事が出来ても人生のパートナーにはなれない。

 あるいは──。


(そんな人生も…ありなのかもね…)


 その日は空想に耽りながら眠りについたのであった。

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