第22話
日和さん:時計の下にいます
姉とちまちま荷物を運びながら日々を過ごし、天気にも恵まれた週末がやって来た。
今日は日和さんと二回目のデートである、都市一番の駅で待ち合わせの約束をしていた。
(時計の下、時計の下)
日和さんはどうやら先に着いているらしい、待ち合わせ場所は妹と同じ、空中通路の中腹にある時計塔だった。
季節はすっかり冬である、厳密には秋が終わる直前だけど。せっかちな地球が寒冷前線をばこばこ作って日本列島を冷やしていた。
天気が良いせいか寒さなど関係なく人通りは多い、商業ビルから商業ビルへ伸びる通路は大変な混雑を見せていた。
(日和さんは〜………なっ!!)
いた、日和さんがいた。
ちなみに時計塔の下はちょっとしたベンチスペースになっており、待ち合わせに利用し易い造りになっていた。
日和さんはそのベンチスペースの端も端、周囲の人たちに埋もれるように、心細そうにしながら座っていた。ずっと周囲をきょろきょろと忙しなく見ている、まるで、というより大都会に来たばかりで困り果てている子供にしか見えなかった。
宮島(父)が溺愛する理由が何となく分かった。
日和さんに気付かずお喋りに興じていた人たちを押し退け、安心させるように手を差し出した。
「すみません、遅くなりました」
日和さんが俺に気付いてぱっと顔を輝かせた。
「──帰島さん」
「ここは人も多いですからさっさと離れましょう」
「はい」
ふわりと、小さな手が俺の手に重なった。
目的地である植物園にはここから環状線に乗り換え、さらに地下鉄に乗り換える必要があった。
縦横無尽に行き交う人の群れを掻き分けながら進む、ここも見所は十分あるが呑気に眺めている余裕はなかった。
駅のホームに到着し数分おきにやって来る車両に飛び乗った、中もぎゅうぎゅうである。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
とは言ってるものの、日和さんは周りにいる人たちに押し潰されそうになっており、(><)みたいな顔をしてぐっと堪えていた。
心配でつい見つめてしまい、上目遣いの日和さんと目が合ってしまった。
「大丈夫です!」
「と、とりあえず次の駅でどばっと降りるはずですから」
おしくら饅頭にあっていたのは数分くらい、次の駅に電車が止まり、予想通り乗っていた人がどばっと降り、そしてどばっと人が乗ってきた。
◇
「……………」
「……………」
移動しただけで体力の半分近くを持っていかれてしまった、環状線から乗り換えた地下鉄はもっと酷く、人の多さと「サウナですか?」と言わんばかりに効いた暖房が俺たちの体力を根こそぎ奪った。
目的地の植物園を前にして俺も日和さんもベンチでぐったりとしていた。
何でこんなに人が多いねんと思いながらスマホで調べてみると、街のそこかしこでイベントが行われているようだった。
「普段はここまで人は多くないんですけど…イベントが重なっていたみたいですね…というか今から行く所もイベントがあるみたいですよ」
「そうなんですね…そうとは知らずに私はとんでもない日に来てしまいました」
自前の水筒で水分補給をし、そのコップを両手で持ってぐた〜っとしていた日和さんが俺に謝ってきた。
「すみません…疲れさせてしまったようで…」
「それはお互い様と言いますか…とりあえず、中に入りますか?元気が出るかもしれないですよ」
「そうですね、せっかく来ましたから入りましょう」
鞄の中に水筒をしまい、日和さんがゆっくりと立ち上がった。
「…………」
「……?──あ、どこか体が痛みますか?」
立った日和さんがじっとこっちを見ていたのでそう尋ねると、ささっ!と手を振った。
「い、いえ!」
日和さんの方から先に歩き出し、俺はその背中を冷や冷やとした思いで眺めた。
「ゆっくりで!ゆっくりで行きましょう、俺も疲れていますから」
「あ、そ、そうですね!はい!」
良く晴れた天気のお陰で、日和さんの笑顔が文字通り眩しく見えた。
✳︎
(は〜〜〜!私ったらつい…)
手を繋いでもらえるかなと、期待してしまった。
待ち合わせ場所で会った時、帰島さんの方から手を差し出してきてくれた。それからずっと握って移動し、気が付いたらその手が離れていて、じっとりと汗で濡れた感触がまだ手に残っている。
こういう事はしない人だと思っていたのに、ドキリとしてしまった。
全面ガラス張りの大きな建物の入り口は人工池の横にあった、その扉を潜った時に名前を呼ばれてまたドキリとした。
「日和さん、あっちに食事できる所があるみたいですよ」
「え、お、お腹空いていますか?」
「いえ俺は…歩けますか?」
歩けるわ!と思いながら、
「だ、大丈夫ですよ、そこまで心配しなくても私は平気ですから」
「そうですか、なら見て回りましょうか。疲れたらいつでも言ってくださいね」
(あれ…もしかして、私子供扱いされてる?)
県内屈指の温室!という触れ込みがある大温室へ向かうその途中で私は帰島さんに尋ねた。
「帰島さん、私のこと子供扱いしていませんか?何だか先程からそんな感じが…」
帰島さんがぱっと顔を曇らせた。
「あ!す、すみません…宮島ちち──宮島さんを心配させるわけにはいかないと思って…」
(宮島ちちって何?)
「私は大丈夫ですから!もう子供じゃありませんから!」
「そ、そうですね、すみません」
そう申し訳なさそうに頭を下げた様子を見て、あっさりと溜飲が下がった。
(素直な人)
それに私の方が歳下なのに、帰島さんはずっとさん付けで呼んでくれている。そうだと気付いた時、この人は私の事を子供扱いしているわけではないと遅まきながら分かり、またやってしまったと一人で後悔した。
(あた〜前の時もそうだった、花に詳しくないのにご存知ですかって訊いてしまったし…)
大温室の中では低温に弱い観葉植物がずらりと肩を並べ、その圧巻な景色に他の見学客が舌を巻いていた。
少し前を歩く帰島さんもそれらの植物に目を向けている、前と一緒、また黙りとしながら見て回るのかなと思ったけど、その帰島さんが私に視線を向けて尋ねてきた。
「温室って言うくらいですから中は暖かいですね」
「あ、はい、天候や気温の影響を受けないように適切な温度管理がされていますから」
「そこまでするものなんですか?」
「温室は費用がかかりますけどメリットがとても大きいですから。例えば作物の出荷時期をコントロールできたり、その地域には無い植物でも栽培することが可能です」
「へえ〜〜〜日和さんはそういった事を勉強されているんですか?」
「はい、将来やりたい仕事はまだ決められていないんですけど、野菜や花とか、植物関係の業界に進みたいと思ってます」
「しっかりされているんですね、昔の俺が聞いたら裸足で逃げ出しますよ」
「ふふっ」
メッセージでも言っていた冗談である。
帰島さんがあれやこれやと私に尋ねてくれるので、植物園を見て回っている間ずっと喋りっぱなしだった。
✳︎
「心配だわ、両方とも心配だわ…ちょっと電話してみましょう」
良く晴れ、そして一気に冷え込んだ秋の終わりを前にした休日、私は最近知り合った可愛い娘に電話をかけた。
「もしもし日和?どうかしら」
日和は他の娘たちとはまるで違い、大人しい子だった。また、外見は子供のような可憐さと儚さがあり、男性の庇護欲を掻き立てる、そのせいで今日まで随分と怖い思いをしてきたらしい。
そんな子が今日は二度目のデートである、いくらあの子とはいえ気を遣っているはずだ、きっと──
予想を大きく外れる声が耳に届いてきた。
「はあ…はあ…あ、茜、茜さん…の、喉がっ…んくっ、喉が、渇き、ました…き、帰島さんが、や、休ませて、く、くれません…」
(ええ〜〜〜〜っ?!?!)
「ひ、日和?あ、あなた今日確か植物園に行くって…」
ええ?な〜に?今時の植物園って個室があるの?
え、というか会ってまだ二度目よね〜?もう合体しているの?
(最近の子は進んでるわ〜)
「そ、そう、そうですっ…わ、私も、こ、こんなにっ、も、求められたのが、は、初めてだった、ので、ま、舞い上がって、しまって…はあ〜〜〜」
(やだただの獣じゃない)
「日和…あ〜その、仲が良いのはとても嬉しい事なんだけれどね…」
「あ、茜さん、先にお水飲んでもいいですか…ちょっと電話切りますね」
そう言って電話が切れてしまった。
家にいても暇だからと遊びに来ているあかりが、私の布団でごろごろしながら「誰と電話してたの?」と尋ねてきた。無視する、答えている暇はない。
私は慌ててつぐもに電話をかけた。
「何やねん」
「何やねんじゃないわよあなた一体何してるの!!日和ちゃんが可哀想じゃない!!初めてなんだから優しくしないと駄目でしょ!!」
「はあ〜?何の話?」
布団から立ち上がったあかりがテーブルの椅子に座り、聞き耳を立てている。
「いい?日和ちゃんは頼まれたら断れないタイプなんだから調子に乗ったら駄目!」
「いやほんと何の話してんの?──あ、日和さん来たから電話切るね」
「ちょっ!」
通話が切れてしまったスマホを見つめる。隣で聞き耳を立てていたあかりも「何の話をしていたの?」としつこく訊いてきた。
「…どうやら、あの二人はもう結ばれてしまったみたいだわ、まだ会って二回目だというのに…」
「ん、ん?分かりやすく言ってくんない?」
「植物園でえっちしているわあの二人」
✳︎
呂布:五分以内に電話をかけないとあんたの居場所がなくなるから
呂布:いやね?さすがにそれはどうなの?出会って二回目の女の子とえっちするって
呂布:お母さんもあんたがこんなに獣だったなんてって泣いているわよ
(やべえよこの家族早く何とかしないと)
「帰島さん?」
「──あ、いえ、ただのスパムメールでした」
お手洗いから戻って来た日和さんが向かいの椅子にちょこんと座り、その間に届いていたパフェにスプーンを刺した。
「いただきます」
(ほんとしっかりしてる)──いただきます」
今日の日和さんは白いブラウスの上から藍色のカーディガンを羽織り、前回も付けていたネックレスを首から下げていた。まんま学生である、何か自分まで学生になったような気分になってしまった。
この植物園はとても広く、ガラス張りの建物の中にいくつもの温室があって一通り回った後だった。
それから日和さんはとても博識であり、どんな花でもスパスパと答えてくれるからそれが面白く、覚えられもしないのに俺は何度も質問していた。
「歩くWikip○diaみたいですね」と冗談を言うと日和さんがむすっと頬を膨らませ、軽い昼食がてらにここで俺が奢ることになった。
「そのパフェで足りますか?」
「足らせます、せっかくご馳走になっているのですから」
「遠慮せず言ってくださいね、ここから向こうに戻るのも大変ですから」
「…………」
「メニューどうぞ」
日和さんが消え入りそうな声で「すみませ〜ん……」と言いながらメニュー表に目を落とした。
日和さんが追加で注文し、ご飯物を食べてからパフェりますと言ってそれを脇に退け、知識を披露していた時と同じ目を俺に向けてきた。
その目に応えるべく俺は頭をフル稼働させた。
「──さっき、細菌の種類は全部で三種類と言っていましたけど、それらは全部別々に進化してきたのですか?」
ふふんと日和さんが胸を張って答えた。
「いいえ、生物界を占める三種類の細菌は全て共通の祖先とされています。その祖先からまずはバクテリア、それからアーキアが誕生し、私たちも分類されるユーカリアが最後に生まれました」
「えーと…バクテリアが細菌、アーキアが古細菌、ユーカリアが真核生物、でしたよね」
「はい、良く覚えられましたね」
「いや〜…日和さんの教え方が上手いんですよ」
「えへへ…」
(めっちゃ嬉しそう)
「私が良く研究している植物はユーカリアに属されます。真核生物とは体内に細胞核を有した生命体のことで──「お待たせしました〜」あ、ありがとうございます…」
説明の勢いが乗り始めたところで店員さんが丼物を持って来た、意外と良く食べる、邪魔をされた日和さんはまたむすっとした顔つきになってしまった。
(いや〜慣れてくるとこの子可愛いな〜)
そもそも何で細菌の話になったのか...そうそう、植物ってそもそも何ですかって訊いたんだっけ?そんな概念的な質問にまですらすらと答えるものだから驚いていた。
チョコ盛りパフェの頭を崩し終え、中に詰まっていたチョコフレークを消化してから、まだむすっとしている日和さんに話しかけた。
「日和さんは色んな知識を持っていますね、植物だけじゃなくてそれらに関連する事も」
しらす丼を頬張っていた日和さんがさっ!とどんぶりを脇に退け、またしても臨戦態勢を整えた。
「しょ──「冷えますよ、しらすが可哀想です」………」
そう横槍を入れるとことすらむす〜〜〜っと頬を膨らませた。
母から貰ったさっきの電話、聞いていた時はマジで意味不明だったけど、喋り倒す日和さんを分かっていたのかもしれない。
(質問責めにすることのどこが獣だというのか…──あ、そういう事?初めてなんだから優しくしないってそっちの意味?)
やべえちょー殴りてえ。
日和さんがしらす丼を食べ終えパフェり、また目をキラン!とさせて俺をじっと見てきた、またまた質問してほしいらしい。
専門的な事を尋ねると、マシンガンで蜂の巣にされるので違う事を尋ねてみた。
「あ〜…日和さんはいつもこんな感じなんですか?」
こんな感じ?とおうむ返しに同じ事を言いながら首を傾げた。
「お友達とも良くお喋りをされるんですか?」
「いいえ」
(え!そうなの?)
あんなに喋っていたのに?
「私、見た目がとても子供っぽいので何を言っても揶揄われるから黙っている時の方が多いです。それでも人形みたいだって言われるからそれも嫌で嫌で…」
「あ〜…見た目にコンプレックスが…」
「そうです、父は母に良く似ているからってまるで取り合ってもらえなくて…」
「俺も身長が昔っから低くて、姉に負けてるし妹と同じだし、母親にすらいつまで経っても勝てませんから…」
「そうなんですね…」
お互い似た者同士だ。
「帰島さんから見ても私は子供っぽいですか?」
「え、ええ、まあ…日和さんから見ても俺って他より身長が低いって思いますか?」
「はい」
う〜んストレート。
「でも、素直な方ですよね」
「え?俺が?」
姉に散々「捻くれている」と言われてきたのでその言葉は予想外だった。
「はい、ここへ来た時、子供扱いは止めてくださいって言ったら素直に謝ってくれたので、こんな人もいるんだな〜って」
「そりゃ注意されたら誰だって頭を下げるもんだと思いますけど…まあ、あとは知り合って間もないですから」
「私、初対面の人にも注意したことがありましたけど、全く取り合ってもらえませんでしたよ、あ〜ごめんね〜とか言って頭も撫でられましたし」
「え、それは女の人で…?」
「いいえ、男性です」
「うわあ…」
「ね?帰島さんも失礼だって思いますよね?」
「それはさすがに馬鹿にし過ぎなのでは…」
「そう思いますよね?しかもその人友達から紹介された社会人の人でしたからね、は〜世の中にはこんな人もいるんだな〜ってずっと怒ってました」
「日和さんは怒るとむすっとして黙りますよね」
「え、そんな事ありません」
(ハムスターみたいに頬っぺたが膨らんでいたって言ったら怒るのかな)
続けて日和さんが言った。
「全部シカトします」
「いやそれを黙るというのでは…」
「黙るのはまた次に喋るまでの無言の期間の事ですよね、シカトは無視する事を言いますから相手にしません」
「お、俺は大丈夫ですか?相手にされてますか?」
ずっとクールな感じでいた日和さんが、宮島(父)が言っていたように、花弁を開かせた花のように笑った。
「当たり前じゃないですか、何を言っているんですか」
植物園をくまなく回り、園内のレストランでも十分にお喋りを楽しむことができた。
時間というものは実に巧妙にできているもので、楽しい時ほどあっという間に過ぎていく、気が付けば陽が傾き始めており、日和さんが向こうに帰る時間になってしまった。
「残念です…せっかく来たのですから他の場所にも行ってみたかったんですけど…」
「また今度にしましょう」
「はい…でも、私これから大学の方が忙しくなるので、今日が目一杯遊べる日だったんですよ」
「そんな日に誘ってもらえて光栄ですね」
植物園を後にし、地下鉄に乗って来た道を戻る。来る時は地獄だったのに今はとても空いており、日和さんと肩を並べて座ることができた。
地下鉄の騒音で日和さんの声が聞き取りにくい、少しだけ耳を寄せる必要があった。
「帰島さん、私に敬語を使わなくてもいいですよ。私の方が歳下なんですから」
日和さんのチェスターコートの合間から覗く黒いパンツと、白のキャンパスシューズが見える、それらに目をやりながら答えた。
「も、もうちょっとだけこのままでいいですか?」
「それはどうしてですか?」
ついと視線を横に向けると、日和さんの顔が真近にあった。側から見たら確かに子供っぽいが、その長いまつ毛にふっくらとした唇は大人のそれで、そうだと分かると心臓が嫌な跳ね方をしたので慌てて前を向いた。
「いや緊張するといいますか、あんまり女の人には慣れていないもので…」
「よく言いますね」
「ええ?」
「帰島さんとお話ししている時とても楽しかったですよ、私のことを子供扱いせず最後まで聞いてくれましたから」
「それはただ自分が喋りたかっただけなのでは…」
車両の走行音にも負けないほど、日和さんが笑い声を上げた。
行く時は死ぬ思いをして時間も長く感じられたが、帰る時は空いていたのもあり、待ち合わせ場所に戻って来るのもあっという間だった。
改札口の前で日和さんと別れる。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ。勉強頑張ってくださいね」
「……………」
「──あ、時間ができたらまた教えてください、また一緒にどこか行きましょう」
「はい」
にっこりと微笑み小さく手を振りながら日和さんが去って行った。
(あのじ〜っと見てくるのは卑怯だな〜あれ自覚無いんだろうか…)
日和さんが改札口を潜ってホームへ上がる階段に差しかかった時、一段目から躓いて転びそうになっていた。その弾みで鞄の中身をぶち撒け、付近にいた人たちに拾ってもらっている、それなのに日和さんは真っ先にこちらを見てきた。
顔が真っ赤になっていた。
俺はもう一度だけ手を振り、日和さんも拾ってくれた人たちにペコペコしながら、後は脱兎の如く階段を駆け上がっていった。
つぐも:走ったら危ないですよ
メッセージはすぐに返ってきた。
日和さん:子供扱いしないでください!さっきのはたまたまですから!
◇
「ただいま戻りました」
すっかり引っ越しを終え、既に俺たちの住処と化した妹の家に帰ってくると、間髪入れずに姉から「こっち来い」と呼び出しを受けた。
手洗いする暇すらない。
リビングのソファに腰を下ろしていた姉が「そこに座れ」と顎をしゃくってきた。
「何でしょうか」
「詳らかに話せ」
「は、我々董卓軍に反旗を翻したのは袁紹、袁術、それから孫堅にございまする─嘘うそ、そんなに怒んないで」
当時、悪逆の限りを尽くしたという帝、董卓に仕えていた呂布は、袁紹ら率いる連合軍を前に敗れ都を去ったとされている。それから武将たちによる勢力争いの時代を迎えることになるのだが(陽人の戦い)...
自分が呂布になっている事を露とも知らない姉がガンギレでテレビのリモコンを持ち上げ、まさしく剛勇であった武将の如き脅しをかけてきた。
今日一日、どんな風に日和さんと過ごしたのか詳らかに話すと、姉は「あほらしい」と言いながらソファの背もたれに背中を預けた。
「お母さんの勘違いじゃないのそれ〜…」
「お母さん何て言ってたの?」
「あんたたちが出会って間もないのにえっちしてるって一人で興奮してたわよ」
「馬鹿じゃないの」
「ほんと私もそう思う。悪かったわね、変なメッセージ送って」
「いいよ別に」いつもの事だからとは言うまい。
「にしても…」と、機嫌が直った姉が、機嫌が直っても馬鹿にしたような目つきをしながらこう言った。
「臆病なあんたがそこまで仲良くなるなんてね〜」
「日和さんも気にしてたって聞いたからさ、それを知って自分だけじゃないんだって分かって、ちょっと自意識過剰だったかな〜って。それから楽になったよ」
「というか、その人ってあんたより歳下なんでしょ?もう敬語使わなくてもいいんじゃないの」
「も、もうちょっとだけ…いきなりタメ口は…」
は!と姉が言ってから、
「情けないにも程があるわよあんた、仲良くなった相手にすらタメ口が使えないなんて…敬語を使わないで済むのはこの世界で私くらいじゃないの?」
カチンと来た。
「──あかりさんはお風呂に入りました?」
「あ?何?」
「いや、いくら仲が良いからといって歳上の人に対してタメ口はどうかな〜って思いまして、それに俺、きっと歳上の恋人にはこんな感じで接するんだろうな〜って思いましたので。──予行演習です」
「〜〜〜〜っ」
「先に入りますか?俺は後でもいいですよ」
姉が慌て出した。
「ちょ、ちょっと待って、え?私が?まさかあんたの恋人役になっているって事なの?」
「そうですよ」
嫌がっているようにも照れているようにも、姉が初めて見せる表情をしながら自分の部屋へ走って行った。
そしてその日、姉は部屋から一歩たりとも出てこなかった。
ざまあみろ!




