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第19話

「まだ、息子さんがお見えになっていないようですが」


 曽根崎 花見、私の名前だ。

 そして、家族を巻き込む大問題を起こした弟の名前は曽根崎 琢磨、もう向こうの家族が来ているというのに姿を見せない。


(信じられない、これが終わったら縁を切ろう)


 両親も同じように考えているに違いない。

 弟が両親の名義で多額の借金を作っていた、その発端となったのは弟の妻である帰島たまね、その人が弟に賭け事を教えたからだ。

 ──というのがこちらの言い分、自分たちの財産を崩したくない両親が恥も外聞も捨てて相手方になすりつけようとしていた。

 きっと、私もこの問題が片付けば曽根崎家とも縁を切る、両親は私に立て替えを要求してきたのだ。「姉なんだから」という馬鹿げた理由で、だ。


(どいつもこいつも信じられない)


 我が家の客間に通された相手方も同じ事を考えているだろう、ぴくりとも表情を動かさずただ弟の到着を待っていた。

 剣呑な雰囲気だ、それなのに帰島家を預かるその人が私に話しかけてきた。


「弟さんとの仲は?」


「い、いえまあ…普通だと思いますが」


 質問の意図が分からない。その人はそれだけで納得したのか、「そうですか」と言って再び口を閉ざした。

 夫の妻は私たちに目を合わそうとすらせず、ただじっと張り替えたばかりの畳に目を落としていた。

 可憐だ、そう思った。私とは違う、少しばかり声が良いだけで外見が平凡な私とは造りが異なる。

 緊張に耐えられなかったからだろうか、それとも話しかけられたお返しのつもりだろうか、私もついとその人に尋ねていた。


「弟の琢磨はあなたに優しくしていましたか?」


 妻が答える。


「はい、今日までとても良くしてくれました」


(別れる気満々、まあ無理もないか…)

 

 ストックホルム症候群、とまではいかなくとも私は彼女に親近感を覚えた。


「私も、今日まで琢磨を弟だと思って可愛がってきましたよ」


 情けない父が私の言葉に反応を示した。


「花見?それはどういう──」


 我が家の駐車場に車が停まった、ようやく弟が帰って来たのだ。

 皆が固唾を飲んで待つ、廊下を歩く弟の足音はいつも通り、緊張などまるで感じられない様子だ。


「ただいま」と、陽気に言った弟に心底腹が立った。

 こっちはこの弟のせいで仕事にまで支障をきたしているというのに。


「ただいまじゃない!!今まで何処に行っていた──「はいこれ、完済証明書」


 弟が複数枚の書類を座卓に置いた。


「これの手続きに時間がかかって、だから来るのが遅れたんだよ、ごめんね」


「お前……散々迷惑をかけておいてその態度は何だ!!」


「だからごめんって、もう本当に大丈夫だから、心配かけて悪かったよ」


 全く悪びれた様子を見せない弟に、帰島さんが言葉をかけた。


「この場がどういったものなのか、ご理解されていますか?」


 すると、能天気な態度を取っていた弟が途端に怯え始めた。


「え、は、はい…それは、理解しています」


「であれば結構です、その問題はそちら様の事ですから。娘のたまねの件ですが、書類をお持ちしましたのでどうぞ」


 帰島さんが鞄から取り出した書類は離婚届けである。

 その用紙を弟が見た途端、あからさまにホッとした様子を見せた。


(どうして──いや、こいつまさか…)


 万馬券を当てたという話は本当だったのだ、だから完済証明書なるものを持ってきた。そして、そのお金がまだ手元に残っているのだ、それを独り占めしたいが為にこいつは──。


「分かりました、僕も迷惑をかけましたから、応じます」


 弟の言葉はそれだけだ、曲がりなりにも結婚までした相手にかけた言葉はそれだけ。

 そしてその妻は指を三つ折りで揃えて、「今までお世話になりました」と丁寧な挨拶を述べた。

 あれだけ長く揉めていたのに、実際に対面したのは一時間も無い。弟の名前を離婚届けに書かせた帰島家は何の未練もない様子で家を後にし、私もそれに続いた。

 私も似たようなものだ、これっきりだというのに別れの挨拶も告げないのだから。


「花見!どこへ──「もう出る、二度と電話してこないで」


 あの二人の跡を追いかける、幸いにも車の前で何事か会話をしていた。

 母親が私に気付いた。私の方から声をかけた。


「この度は本当にご迷惑をおかけしました。その、私が言えた義理では無いと思いますが…」


 返された言葉は冷たかった。


「ええ、あなたにそのような義理はないかと、何せあなたも被害者なのですから。そうでしょう?」


「え、は、はあ…ですが私はあれの親族ですから…」


 さっきと打って変わって帰島さんの表情は柔らかい。


「お仕事の方は?」


「え、い、今は休職しています…」


「支障は出ていますか?」


 何故心配してくれるのだろう、親にすら心配されなかったのに。


「今のところは何とも…」


「そうですか。差し支えなければこれをどうぞ」


 そう言って私に差し出してきたのは一枚の名刺だった。


「こ、これは…」


「単なる同情です、不要であれば捨ててください。けれど、食い扶持は多いに越した事はないでしょう?困るような事があれば電話をしてください、斡旋します」


「い、いえ!どうして私なんかが…」


 こんな事ってあるのか?迷惑をかけられた相手に仕事の紹介など...

 けれど正直助かる、私の仕事は知名度ありきのものだ、きっと後輩の津島に案件を取られたに違いない、今から復帰したとて以前のような稼ぎを得られる自信は一つもなかった。


「あなたはまともな人間だからです、そのような方が周りに足を取られて不幸な目に遭うのは不公平でしょう?だからです」


「…………」


 まともな人間って、およそ人に向かって言う言葉ではない、けれどその言葉に救われる思いをした。


「お、お言葉に甘えて…いただきます」


「これからどちらに?良ければ送りますよ──いいわよね?たまね」


「うんいいよー」


(軽っ)


 二人が車に乗り込み、私も後部座席に座らせてもらった。

 どうして私をまともだと思ったのか、そこまで訊きたかったけど、それはさすがに幼稚に過ぎると思い口を閉ざした。

 車が家の駐車場を離れて国道へ向かう。子供の頃から眺め続けたこの景色も今日で最後だというのに、私の頭の中は帰島さんの事でいっぱいだった。

 山から海へ向かって流れる一級河川の橋に差しかかった時、また帰島さんの方から言葉をかけてくれた。


「私たちがお家に上がらせてもらった時、あなただけが唯一申し訳なさそうにしていました、だからまともだと言ったのです」


「そ、そうなん、ですね…」


 この人は心が読めるのだろうか。


「ご両親は──いえ、ことさら言う必要はないでしょう。あなたも返済を当てにされていたのではありませんか?」


 言葉を堰を切ったように出てきた。ずっと誰にも言えなかった事だ。


「はい、私も両親から返済できないかと催促されまして、嫌だと断ったんですが挙げ句に事務所の連絡先まで訊かれたので、だから休職して実家に戻ったんです」


「それは災難ですね、同情します」


「自分の為に辞めたんです、けれど果たして戻れるかどうかそれも不安で…──あ、すみません、ベラベラと身の上話をしてしまって」


 助手席に座っていたたまねさんが、「もしかしてマリンさんですか?」と尋ねてきた。


「──え」


「いえ、声が似ているなと思いまして。それに事務所っていう言い方も気になったので」


「は、はい…そうです」


「やっぱり〜いえ、私の知り合いにも動画配信をされている方がいまして、その方の動画を見ていたんですよ、それでマリンさんの動画も一緒に見ていたことがあって」


「そうだったの?」


「そうそう、面白いよ〜お母さんも見てみたら?」


(あっ…)


 その何気ない一言に、また救われた。

 本当は声優をやりたかったのになれず、流れ着いた先が今の仕事であり、そんな自分に自信を持てなかった。

 けれど、私の動画を面白いと言ってくれた。


「あ、その、ありがとうございます」


 そうお礼を伝えるとたまねさんが慌て出した。


「あ!す、すみません軽い感じで言ってしまって。そのですね──」それからたまねさんは何が面白いかと丁寧に語り、それがとても恥ずかしく、けれど嬉しくて、居た堪れない思いをしながらただただ聞き入っていた。



✳︎



「で、だからどうしてつぐもがそっちに行くことになるのよ」


 電話は妹からだった。どうやら向こうの親族との話し合いは無事に終わり、妹は自宅へ戻っている最中らしい。

 そして、弟をこっちに寄越せと電話してきたのだ。


「旦那の荷物をまとめないといけないから、私一人じゃキツいしお母さんにお願いしても二度と世話をしないって言われてるし」


「友達に頼めばいいじゃない」


「え〜離婚の報告もしなくちゃいけないのに引っ越しの手伝いまで〜?それはさすがに面の皮が厚すぎじゃないかな〜」


「いや厚いでしょうが」


「何をう?!──とにかく、お兄ちゃんを貸して」


「その話し合いはきちんとしたの?勝手にまとめていいものなの?」


「お母さんが早い者勝ちだってさ、家を空けている奴が悪いって言ってた」


「──好きにしなさい、つぐもには自分から連絡するのよ」


「よっし!」


 と、言って電話が切れた。


(全く、隙あらばと言うか…この子はほんと強か)


 まあ、向こうとの縁が無事に切れたようで何よりである。これでいざこざに巻き込まれる事はもうないだろう。

 モール内にあるレストラン街の一角、豚カツ定食を提供しているお店で私は一人、また悶々とした時間を過ごした。


(あいつが女の子と会う…しかも歳下の大学生…)

 

 母のあの発言は本気だったのだ、本気で弟の恋人候補を用意していた。

 しかもその恋人候補が再婚相手の娘ときた、もうガッチガチだ、余程の事が無い限り実らないことはないはず。

 私は焦った。せっかく仲良くなった弟に先に行かれてしまう、それに自分だけ取り残されるという焦りもあった。

 様々な感情が胸にある、それを持て余しながらポテトサラダを突いた、緑、赤、黄色の玉つぶが意味もなく潰れていく。

 自分の感情もこうであればいいのにと思う、弟との関係が少々特殊が故に自分でも割り切れずにいた。


(あいつの恋人、ね〜──いやでも、あの臆病な男がそう簡単に作れるものだろうか…)


 突いていたポテトサラダを口に放り込む、マヨネーズの酸味と良く効いた塩が舌を刺激した。


(それにあいつも捻くれている、私と同じように。いつも冗談ばかりで他人の優しさにはとんと疎い、それに私みたいな人間じゃないと勝手に自信を失くして潰れちゃうんじゃなかろうか…)


 そうだと思うと胸の蟠りがすうっと消え、あれだけ味がしなかった豚カツを美味しいと感じるようになってきた。

 噛むと肉汁が口の中で溢れ、肉の甘味と合わさって大変美味である、白飯が進むというもの。

 それから七味が入った赤だしの味噌汁も豚カツの脂っ濃さを綺麗に流してくれる、この組み合わせはとても良い、昼から仕事を控えている社会人には大ウケだ、現にこのお店は満席で行列ができていた。


「──よし!」


 腹も膨れれば暗い考えも吹き飛ぶ、私は気合いを入れ直して豚カツ屋さんを後にした。



✳︎



 仕事帰り、いつものように晩御飯の買い物をしていると妹から呼び出しがあった。


 ──今すぐうちに来て。


 その声音はとても固かった、これは何かあったなと買い物を中断して妹の自宅へ急いだ。

 そして、到着した俺を妹が普段通りに出迎えた。


「あ、お帰り〜」


「──あ、え?何?何かあったんじゃないの?さっき電話した時怒ってなかった?」


「ううん、たまにはあんな感じも良いかなって。下手に甘えると拒否られそうだったから──な、何で無言で近寄ってくるの怖いんですけど怖いんですけど〜!!」


 妹の冗談だったらしい。


「今日話し合いがあったんでしょ?!こういう時に冗談言うのやめてくれないかな〜?!何かあったと思って心配したのに〜!」

 

「痛い痛い!分かったから分かったから!」


 妹はどうやら俺に頼み事をしたかったらしい、そしてその内容は元夫の荷物をまとめてほしいというものだった。


「勝手にやっていいの?「お姉ちゃんと訊く事が一緒「うわあ…それは何か嫌だな…」


 妹がくっくと笑い、


「早い者勝ちってさ、現に今でもその事で連絡無いし」


「だったら良いんじゃない、手伝うよ」


 さすがに一日では無理なので俺はこの家に泊まることになった。


「リビングの部屋を使うからね」


「別にいいよ〜私がそっちに行けばいいだけだから」


「鍵とか付いてないの?「そこまで嫌なの?!」


 妹にバシバシ背中を叩かれながら掃除が始まった。

 元夫の荷物は一先ずリビングに集められ、後日ダンボールに積めることになった。

 

「ごめね急に〜」


「いいよ別に、たまねが安心して暮らせるならそれに越した事はないから」


「いや〜やっぱりお兄ちゃんだわ、帰島家で怒らせると一番めんどくさいけど一番優しい」


「そりゃどうも」


 片付けがひと段落した後は妹お手製の料理で腹を満たし、お風呂を借りて一杯やることになった。


「んま〜んまんま〜」


「好きなだけ呑んでね〜私はあの鍋料理屋さんで貰えなかったけど「たまねも根に持つよね」


 二人肩を並べてのんべんだらりとお酒を呑む。妹も心配事がなくなったお陰か、お酒を呑む手がいつもより進んでいた。


「いや〜何かさ〜あの人が私よりお金を選んだ瞬間にさ〜色んなものがスパッと切れたんだよね〜」


「そうなの?」


「うん、もし向こうが頭を下げてきたらどうしようって考えてたんだけどね〜あっさりだったよ。ああ、結婚ってこんなもんかな〜って」


「それは違うんじゃない?そうだと決め付けるのは早計だと思うけど」


「結婚したことないくせに?」


「このお酒美味しいね〜「スルー!」


 ゲラゲラ笑いながら妹が俺にもたれかかってきた。

 それからまたお酒を呑み続け、俺も妹もべろんべろんになってしまった。


「ああ〜緊張する〜女性と会うのはいつも緊張する〜」


「ビビり過ぎだって〜情けない!情けない!」


 妹が俺の太ももをべちべちと叩いてくる。


「大丈夫!俺は大丈夫!「その意気だ!「俺はお姉ちゃんとたまねを相手に出来る男だ!つまり俺は国王だ!「それは違うんじゃない?」


 秒で突っ込みを入れてきた妹が面白く、俺はそのまま抱き付いていた。


「そんな事言うなよ〜!ちょっとは励ましてよ〜!」


「お〜よちよち可哀想な兄〜」


「それ全然…嬉しくない…」


 妹の胸に頭を預け、馬鹿にされていると分かりながらも頭を撫でられ、とても良い気分になってそのまま寝落ちしてしまった。



✳︎



「ふふふ…ふふふっ」


 兄がこの様だ、男の人は何かと甘えてくる時がある。兄は私の上に乗っかっている、悪戯し放題だ。


(いや〜楽しいな〜ついに冗談まで言い合えるようになって〜もう無敵じゃん?)


 ──良い事思い付いた!


(確かこの辺に………ああ!あったあった!これは面白い事になるぞ〜)


 ソファの隙間に忍ばせていたのはコンドームである。旦那と一緒に暮らしていた時は、「まだ子供はいらない」という事で必ずこれを使っていた。

 兄の頭を抱えながら封を開け中身を取り出す、それをそのままゴミ箱に入れて破ったパッケージをテーブルの上に乗せる。


(にっししし)


 牛乳があったら本物っぽくなったけど生憎と無いので、おつまみのするめをいくつかゴミ箱に放り込む。見た目の再現はできないが匂いは本物に近くなったはずだ。

 それから兄のベルトを緩め、パンツのファスナーも下ろしていく。


(いいねいいね〜)


 それから自分の上着をはだけさせ、パンツも下着が見える位置まで下ろした。露出した太ももが兄に触れ、それだけで気分が高まってしまった。


(明日起きたらさぞ驚くぞ〜)


 リビングのライトを消して私もお眠に入る、兄の頭を胸にぐりぐりしながらその暖かさと髪の毛の柔らかさを堪能し、そしてすぐに意識を手放した。

 ──結果、やり過ぎたと言わざるを得なかった。

 幸せな入眠を果たした私は後悔の寝起きを迎えた、それは兄の「嘘でしょ…」という呟きから始まった。


「…………」


(あ──)


 太陽もまだ十分に昇らない時間帯、薄暗い朝焼けの中で兄は見るからに愕然としていた。

 テーブルの上に乗せられたコンドームのパッケージに、ファスナーが下ろされた自分のパンツを見て、そして私の乱れた衣服をまじまじと眺めていた。

 「冗談だから!」と告げる前に兄は俊敏な動きで私の元から離れ、後は振り返ることなく家から出て行ってしまった。


「…………………」


 これヤバい?さすがにヤバい?

 いやいや!ちょっとは私の話を聞いてよ!と思うが私も兄のあまりの反応に寝たふりをかましてしまった。

 慌ててスマホを手にして電話をかける、出ない、かける、出ない、かける!出ない!何で!!


たまね:電話出て


 そのメッセージの重たさに気付いたのは出勤してからだった。


(いやこれヤバいじゃん私〜〜〜!これ絶対向こうを追い込んでるよ〜〜〜!)


 共に働く後輩から「大丈夫っすか?」と声をかけられる始末、余程顔に出ていたらしい。


「だ、大丈夫大丈夫」


「チーフって離婚したんすよね?いいっすよ休んでても」


「い、いやいや、ほんと大丈夫だから」


「大丈夫そうに見えないんすけど…」


 口調は体育会系のそれだが根は優しい子が私に親身になってくれる、けれど悩みのタネが兄を事後に見せかけた悪戯、だなんて言えるはずもなく。


(あた〜〜〜!ほんとどうしよう…)


 後輩にお店を預けて事務所に行き、もう一度電話をかける、やっぱり繋がらない。


たまね:ほんと大丈夫だから、とりあえず電話に出てくれない?


 追撃したメッセージのさらなる重たさに気付いたのは仕事が終わってからだった。


「何でこんなメッセージ送ったの私〜!メンヘラじゃん!」


「ち、チーフ…ほんと、明日は休んでくださいね…」


 後輩の励ましも耳に入らない。

 ──そして、兄をはめた私に有罪判決が下りたのはその日の夜だった。

 母から電話があった。


「今すぐ実家に来い」



✳︎



「ほんとにごめん!ほんと〜にごめん!悪戯なの!悪戯だから!ね?悪戯だから!だから怒らないで〜〜〜!」


「たまね!!あんたって子は──して良い事と悪い事の区別も付けられないのか!!一体何の為に歳を重ねたの!!」


「ごめんってお兄ちゃんだからこっち見て〜〜〜!!!!」


 ちーんである。

 

(はあ…死ぬかと思った…ただの悪戯だったなんて…)


 妹に抱きついた記憶はある、そこから無い、そして朝起きたらファスナーは下りているわ妹の服ははだけているわ、挙げ句にコンドームの袋が破けているわ...

 今日は一日生きた心地がしなかった、妹から「電話に出ろ」とメッセージを貰い、これは責任を取れということなのか?とさらに戦々恐々としてしまっていた。

 悪戯だったらしい、情けないけど母に泣きつき事情を説明し、妹に連絡を取ってもらったのだ。

 悪戯だったらしい...


(たち悪い〜〜〜)


 フローリングで正座し母にどやされている妹に尋ねた。


「ねえ…何でこんな事やったの?」


「…………」


「たまね!!言いなさい!!」


 母はカンカンだ、そりゃそうだ、向こうの親族と話をしてきたのは昨日である。次の日にこんなたちの悪い悪戯をして家族を困らせたのだからまるで容赦がなかった。

 ごくりと生唾を飲み込んだ妹が答えた。


「で、出来心で…つい…驚く顔を見たかったから…」


「それだけ?それだけの為にあそこまで手の込んだことをしたの?」


「わ、悪ふざけでも真面目にしないと面白くないから「ふざけてんのか!!!!」×2


 母と阿吽の呼吸で俺も怒った。


「いい?!あの時ねえ!!俺が責任取らないといけないってまで思ったんだよ?!兄なのに!兄なのに!妹に手を出したってマジで死にそうになってたんだから!俺の初めてなのに!「つぐも」記憶無い間に卒業ですか〜?!「つぐもやめなさい」これならお酒呑むんじゃなかったって思ったわ!!」


 妹はしゅんとした様子だ、けれど今日ばっかりは優しくしてあげられない。


「──反省して「はい…「具体的には「具体的には?「ここで生活して「はあ?」


「たまね、今回の件であんたはまだまだ手が焼ける子供だって分かったわ、だからここで修行なさい「はあ?!いつの時代なんですか?!「たまね、本当に反省してるの?「ぐっ……」


「あんたが住んでいる家はあかりとつぐもに明け渡しなさい」


「……………」


「あんたはここでお母さんが良いと言うまで花嫁修行をさせるわ」


「……………」


「返事は?」


「分かりますん」


 最後の最後でふざけた妹は母に追いかけ回され裸足で家を飛び出し、そして数分もしないうちに戻ってきた。


「何で〜!マジで嫌なんですけど!いいじゃ〜ん〜別に〜!──じゃあさ?!お兄とお姉がお風呂に入ったのはいいの?!それが良くて私の悪戯が有罪なのは納得いかないんだけど?!」


「それとこれとは別!「別じゃねえわ!!何でさ私だって仲良くしたいのに!」


「仲良くするベクトルが変だわ!!」


「お姉が良くて私が駄目な理由が分からんわ!どうせ言ってないだけでキスとかしまくってんでしょ?!あんな写真も撮っておきながらさあ!!」


「あんな写真?──つぐも」


「知らない知らないたまねの妄言だから」 


「嘘こけ!!二人で仲良く眠ってたじゃん!!キスしそうなくらい近くて!!手も繋いで!!羨ましいことしてるくせに!!私にだってちょっとくらい手を出してくれたらいいのに〜〜〜!!」


「たまね、俺はあの人に手を出したことはない、そんな勇気があればとっくに彼女ができている」


「……………確かに」


 俺はがくりと項垂れ、そして気を取り直して続けた。


「けれど、今回はやり過ぎ、昨日はあんな事があったのにだよ?皆んなたまねの心配してたんだよ?お姉ちゃんだってそうだよ、それなのにこれはさすがにごめんなさいじゃ済まない」


「…………」


「そんな顔しても駄目!!!!」


「──私だってえ〜〜〜!お兄と仲良くしたいの〜〜〜!」


 結局たまねは全然反省しなかった。



 事態が収拾したからさっさと帰れと母に追い出され、日付けが変わった直後にとことこと姉の家に戻って来た。

 姉は遅い時間にも関わらず、あの日と同じように俺を迎えてくれた。


「災難だったわね」


「ほんとだよ…もうくたくた…」


 帰ってきた途端に腹の虫が騒ぎ出した、妹に手を出してしまったと勘違いをして落ち込み、朝からまともにご飯を食べていなかったからだ。

 

「な、何か食べる物…」


「あ、ごめん…向こうで食べてこなかったの?」


「それどころじゃなかった…無いなら買ってくる…」


「あ〜あ〜いいから!私が何か買ってくるからあんたは風呂にでも入ってな」


「あ、ありがとう…」


 謎に優しい姉、しかし染みる。

 くったくたになりながらシャワーを済ませてリビングに入る、リビングのテーブルには姉のスマホが置かれていた、どうやら持たずに外出したらしい。


(そういやたまねが変なこと言ってたな…)


 頭をタオルでがしがしと拭きながらソファに座り、置きっ放しになっている姉のスマホを手に取る。

 ホームボタンを押すとパスコードの入力画面が表示された。


「げっ…パスコード、じゃあいいやもう…」


 写真って一体何の事なのか、手を繋ぎながらとか言っていたな...そんなのいつ撮ったんだ?

 ぼんやりと考えながら過ごしていると買い物に出ていた姉がすぐに戻って来た。

 コンビニのマークが入ったレジ袋を手に下げている、温めてきてくれたのか、炒飯と餃子の匂いが鼻をついた。


「ほら」


「ほんとありがとう…あなたは命の恩人です」

 

「…………」


 姉から袋を受け取りリビングで遅い夕食をはふはふする。わざわざ買って来てくれた姉は俺の隣に座って無言だ。何故無言なのかは分かる。


「…………」


「あ〜どうして夜中に食う脂っこいものはこうも美味いのか…ご馳走様」


「…………」


 食べた空容器をキッチンのゴミ箱へ捨てて洗面所へ向かう、歯磨きをする、トイレを済ませる、その間姉はずっと俺の跡を付けていた。

 リビングのライトを消そうとするとさすがに声をかけてきた。


「ねえ…スマホ…何でずっと持ってんの…?」


「何でだと思う?自分の胸に訊いてごらんよ」


「ぱ、パスコードかけた…から?」


「かけない主義じゃなかったの?俺のは触ったくせに?日和さんの名前、苗字に変えたの姉ちゃんでしょ」


 そうだそうなのだ、あの時の違和感の正体はそれなのだ。

 いくら酔っていたとはいえ、俺は確かに旅行先で『宮島(娘)』→『日和さん』にしたはずなんだ。

 これをいじれるのは姉しかいない、そしてその姉がパスコードをかけるというのが何だか許せなかった。


「……知らない」


「…………」


「ね?だからそろそろ返してくれない?」


「…………」


「そ、そんなに睨まれても、し、知らないものは知らない」


「──はあ〜〜〜姉ちゃんが今日やけに優しいのは…まあいいよもう、パスコード教えてくれたらそれでいいから」


「そ、そんなに知りたいの?」


「…………」


 全然納得してへんやんけ!という突っ込みを期待したのに...今日の姉は様子が変である、しかしその原因が分からないのでこれ以上冗談の言いようがなかった。

 嘘である。良い冗談を思い付いた。


「俺、姉ちゃんの全部を知らないと気が済まないから…」


 見る見る姉の目付きが変わっていった。


「──いやキモ、普通にキモい」


 後はすぱん!と俺の手からスマホを取り上げて自室に入りすぱん!と引き戸を閉めていた。


(あ〜良かったいつも通りに戻って、いやあんな冷たい態度に落ち着く俺も十分手遅れだと思うけど…)


 あんな、あんな期待の眼差しを向けられるくらいなら...


(俺もパスコードかけとこ──いやでもめんどくさい、ゼロ四つで…いやすぐバレる…ああ、どうせなら…)


 これならバレない、まずこの発想に至らないだろう。

 くったくただった俺は、その日気絶するように眠りについた。

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