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第15話

「仲直りしてくると思う?」


 姉と大喧嘩をしたらしい兄は旅行当日の早朝、母の言いつけにより一旦向こうに帰らされていた。可哀想。

 そして私と母は、有名なタワーを真近で見られ、そして良くアニメの舞台にもなっている駅のロータリーでそんな二人の事を待っていた。

 果たして私の姉と兄は仲良しになって戻って来るのだろうか。

 私の質問に母が答えた。


「どっちでも良い」


(自分で行かせておいてその台詞)


 駅前ロータリーは人と車で賑わい、山登りの格好をした人たちも沢山いた。

 私たちがこれから行く初日の宿は紅葉が美しく、そして日本有数の竹林もある所だった。

 色んな人が行き交う様を見ながら時間を潰していると、隣に立っていた母が黙って私の傍から離れて行く。

 その手にはスマホが握られていた。


「…………」


 人間観察も飽きたのでスマホを取り出し、無意味だと分かっていてもメッセージを確認する。

 実家に帰ってきてからもう一週間近く経とうとしているが、今日まで夫から連絡が来たことは一度もなかった。


(…………)

 

 酷い変わり様だった、実家から帰ってきた時から様子は変だった。常に落ち着きがなく、スマホの着信音にすら怯え、私と世間話すらしようとしなかった。

 そしてあの日、万馬券が当たったと騒いでいた夫は別人のようで──。


「たまね」


 電話をしていた母が私の元に戻って来た。

 表情豊かな母だ、電話の内容を訊かずとも誰と話していたのかすぐに分かった。


「向こうの人から?」


「そうよ。──本当に下らない、どうして自分たちで片付けられない問題をたまねに押し付けてこようとするのか」


「…………」


 夫は家族間の付き合いを嫌い、今日まで帰島家と曽根崎家の交流は殆ど無かった。母も、それなら自分たちの問題は自分たちで解決するように、という約束を曽根崎家と私の夫に取り付け、それを了承していた。

 それが今となっては曽根崎家総出でこちらを頼ってきている、母はそれが一切合切許せないらしい。


「いい?これは保護者間の問題であってあんたが気にする事ではないの、だからそんな顔をするのは止めなさい、する権利もない」


「そんな言い方…」


 母が、すっかりしわがれたその腕にはめた時計を確認した後、私にこう言ってきた。


「あんたにも非があればあんたも話し合いに参加させていたわ、する義務があるからね。けれど、曽根崎家が抱えた多額の借金はあんたの夫が両親の名を借りて勝手に作ったものなの。この話にあんたがいつ関わったの?」


 母は子供に言い聞かせるように、一つずつゆっくりと諭すように話している。


「私がそのきっかけを作った…私が競馬に誘わなければこんな事にはならなかった…」


「そう、あんたはきっかけを理由に引きずっているのね。それが正当な理由になるのなら、やはりこんな事態を招いた責任は曽根崎家にあるわ、何せあんたの夫をこの世に産んだのはその両親なんだから、引きずる権利は向こうにあるもの」


「…………」


「──はい、この話は旅行が終わるまでお終い、いいわね?お母さんもしないし、あんたも絶対にしたら駄目」


「んな事言われても…」


「そういう物言いはお兄ちゃんそっくりね。大丈夫よ、旅行前日に喧嘩してくるような空気が読めない兄の血をあんたも引いているから」


「それ何の励みにもなってないよ」


「なら励まされないよう、気丈に振る舞いなさい」


 母とそう会話を終え、スマホを確認してみるとメッセージが二件入っていた。

 一つは姉から、もう一つは兄からだ、しかも内容は「もうすぐ着く」という、全く同じものだった。


「…………」


「誰から?」


「見てこれ、同じ車に乗ってるのに全く同じメッセージ送ってきたんだけど。これ絶対会話してない証拠だよ」


「全くもう〜たまねが一番しっかりしてるじゃないの…」


「この二人を産んだのはお母さんだよ、責任取って。せっかくの家族旅行が台無しになっちゃう」


「なら、お父さんにあの世から戻って来てもらわないとね。お母さんに撒いた種の責任は取れないわ」


「畑があるでしょ」


「…………」


(スルーした)


 ほんとこの母は。



 母と一緒にスマホと睨めっこをしながら、観光地やお食事処の検索をしていた。やはり観光が盛んな地域な為か、一日では到底回り切れない数の検索結果が表示され、二日でも全然足りないという話になった。


「ちゃんと選ばないとね」


「そうだね」


 メッセージを貰ってから半時間ほど経った辺りで、姉が所有する赤い軽自動車が駅のロータリーに到着した。

 遠目から見ても分かる車内の雰囲気、私は思った事を口にした。


「ねえ、私あの車に乗りたくない」


 見るからに不機嫌そうな兄と、意気消沈とした様子を見せる姉、その姉が運転席に座っていた。


「お母さんもよ。二人だけで回りましょうか」


「こら、責任放棄」


「全く…」


 私たちに気付いた兄が車から降り、荷物を運んでくれた。こういう気が利く所は普段通りなのだが、


「ちゃんと仲直りしたの?」と尋ねる母に向かって兄が答えた。


「それはあっちに言って」


 まだキレてる。

 兄はキレると相手の事を名前で呼ばなくなる、それは姉妹だろうが親だろうが関係なく、さらに曲がったヘソが元通りになるまで相手を居ないものとして扱う。

 キレたら一番面倒臭い、それが私の兄だった。


(くわばらくわばら…)


 私たちの鞄を難なく持ち上げ車に積み込み、そして当たり前のように兄が後部座席へ座った。

 母が助手席に座り、私は兄の隣へ。

 拗ねた子供のようになっていると思っていた姉は、まあ案外普通だった。


「悪いわね、少し遅れて」


「混んでたの?」


「そ、合流するインターが渋滞しててね」


「皆んな考える事は同じなのね〜」


 世間話をする母と姉、後ろに回った兄は窓の外に視線を向けており、駅前のタワーを見入っていた。

 私が「興味あるの?」と尋ねると、「いやアニメで良く見るから」と返事が返ってきた。兄も普通らしい。

 お互い下手に歳を取ったから子供のように不貞腐れてはいない、だが、決して仲直りはしていまい。


(へあ〜めんどくさい〜さっさと仲直りしてよ〜)


 初めての家族旅行だというのに──ああ、そうだ、母の言う通り、それだというのにこの二人は器用に喧嘩が出来たのだ。

 車が目的地に向かって走り出し、時間短縮のため縦貫道路に乗り上げた時だ、それまでずっと姉と話をしていた母が突然、「ところで」と車内に向かって言葉を放った。


「あんたたちの仲が悪くなった時、お母さんどうしていたと思う?」


 質問しているわけではあるまい、ただの前振りだ、だから黙って続きを待った。


「ずっとね、放置していたわ。それはどうしてだと思う?」


 こういう時発言権を持っているのは姉だ、だから姉が私たちを代表して答えた。


「…誰かに肩入れするわけにいかなかったから?」


「分かっているじゃない。そうよ、あの時つぐもを突き飛ばしたたまねを怒れば、丸く収まっていたかもしれない、けれどたまねは自分が悪かったんだと思い込んで家族に萎縮していたかもしれない」


(それは確かに…)


「かと言って、つぐもから二人に話しかけるように説得していたら、この子は悪い事をされたのにそれすら許さざるを得ず、二人の奴隷のようになっていたかもしれない」


 兄は何も答えず、けれどじっと母を見ている。


「そしてあかり、お母さんがあんたを叱りつけて弟と妹の仲を取り持つようにさせていたら、きっとあんたは今日この場にいなかったはずよ。それまでずっと気苦労が絶えなかったんだから、下手すれば縁を切っていたかもしれない」


「…………」


 姉も何も言わず、ただ運転に集中していた。


「何が言いたいかって言うとね、もうあんたたちは分別が付けられる大人になった、だからお母さんもここまで喋った。──で?この空気は何?お母さん、死ぬまであんたたちに気を遣わないといけないのかしら」


「………っ」


(こんわー!!めっちゃキレてる母!!)


 真っ先に口を開いたのは、この空気を放つ兄だった。


「…疲れたら言って、運転変わるから」


「あ、ああ、うん、じゃあお願いするわ」


「私もするよーいつでも言ってね」


「え?あんた運転できるの?ペーパーなんでしょ?」


「この間お兄と練習したから大丈夫」


「死ぬかと思ったけど」


「失礼な」


「キープレフトっていう運転の仕方はあるけどね、たまねはキープキルだよ、何回ぶつかりそうになったと思ってんの」


「失礼な!」


「何処へ行ってきたの?」


「マットレスを買いにね、たまねに手伝ってもらったの」


「ふ〜ん…そう」


「買ったはいいけどさ、圧縮袋に入ってたからその日は使えなくて「そーそー、それでお兄が私と一緒に寝たいって土下座までしてきて「何で話を盛るの?「似たようなもんでしょあれは「いやプライドは捨ててたけどさ」


 説教した母が「捨てるんじゃないわよ」と突っ込みを入れてきた。

 ちょっとは良くなった車内の空気。

 しかし、私は騙されない、兄がまだ姉を許していない事を。



 縦貫道路を下りてから通った一軒目のコンビニで休憩をしている時、私は車内に残っていた兄に尋ねた。

 辺りは山が見え、もう既に景色も良い所だった。


「お姉ちゃんのこと、まだ許してないでしょ」


 スマホを触っていた兄がつと顔を上げてから答えた。


「良く分かったね」


「はあ〜もういい加減許しなよ…」


「無理」


「何があったの?」


「…………」


「いやそれは違くない?旅行まで喧嘩持ち込んでおいて黙りは通らないよ?」


 兄が「確かに」と言ってから白状した。

 聞かされる話はマジで奥さんのそれだった、兄が姉のために良くご飯を作り、家事をし、世話を焼き気を遣い、挙げ句八つ当たりされても円満の為にと堪える日々、最後は──。


「はあ〜?何それ、本気で言ってんの?」


「そうだよ、止めてくれって言ったことをあっちが悪ふざけでしてきたんだよ?しかもさっきのどうだったって訊いてくるんだよ?」


「何それ〜〜〜!」


「これに耐えられる人がいるんなら紹介してほしいわ!その人に許しなさいって言われたら俺だって許すよ!でもそんな奴世の中にいないだろ!──って感じ」


「そりゃ実家に帰らせていただきますって言いたくなるよ。酷い、それはお姉ちゃんが悪いわ」


「あれほんと何なの?今でも信じられない」


 実の姉を『あれ』呼ばわり。


「で、いつまで許さないつもりなの?」


 子供の頃、まだ仲が良かった頃、私はただ黙って機嫌が直るのを待っていた。けれど、今はもう大人だ、直截にそう尋ねた。


「…………」


「お姉ちゃんから謝罪を受けたの?」


「さあ」


「それは自分がメッセージを見ないからでしょ?」


「…………」


「謝罪も受けずにただキレるだけって、それはお兄が子供過ぎない?」


「〜〜〜〜〜っはあ………そうかもね」


 頭をがりがりと掻き、ついに兄が観念した。


「頃合い見て自分から話をしに行きなよ、もうお姉ちゃんから話かけるのは無理だと思うから」


「分かった。貸し二つね、この間の手伝いと今日と、それで二つ」


「いいよ、絶対返してもらうから」


「あっ、お、お手柔らかにお願いしますね」


 途端にふざけ始めた兄を前にして、ようやく仲直りの兆候が見えた。



 今日のメイン観光地に到着し、到着したそばから母が組みを二つに作り、何を考えているのか母が私と一緒になった。

 姉も兄も気まずそう、兄も自分から話をすると言ったそばからその相手と一緒になるとは思っていなかったのだろう、若干顔が引きずっていた。

 長い木造の橋を二人が並んで歩き、その姿が見えなくなってから母が「一人で回りなさい」と言ってきた。


「分けた意味」


「──電話よ」


 ああ、そういう事...母も旅行を邪魔されてご立腹のようだ。

 あの兄はこの観光地で──いやあれは無理だな、多分気まずそうにしながら帰ってくるはずだ。

 もういいやぺい!と姉と兄のことも忘れ、私は一人で散策することにした。

 通りに並ぶ老舗の軒も見応えはあるけれど、やはり一番はあの山々だろう。


(きれーだなー)


 赤、黄、白、残った緑も合わさり自然の大グラデーションが広がっていた。

 けれど、時間的に家族が四人揃って景色を堪能する事はできない、それはとても残念だ。

 山とお店を見ながら一人でぷらぷらしていると、母から「今どこ」とメッセージが入った。

 来た道を戻り、長い橋を一望できる川の辺りまで戻ると母がかんかんに怒っていた。


「置いて行くことないでしょ!」


「お母さんが見て回れって言ったんでしょ」


「この付近でいいじゃない!どうして一人で見て回るの!」


「もう大人だからさ〜私、付近の範囲も広くなったんだよ」


 それから母が私の腕にそっと手を置き、私は二度目になるけど観光地を回った。

 


 紅葉、お店、食事、過去の偉人が建てた庵、それらを堪能した私たちは一日目の宿に到着し、気疲れと遊び疲れた心と体を癒やすため、山の麓に作られた露天風呂に浸かっていた。

 母は兄を呼び出し何やら話をしていた様子、まあ説教だろう。

 私は姉と一緒だ、こうしてお風呂に入るのは子供の時以来だ。

 宿に到着した時間が早かったせいか、他の宿泊客はいない。山が赤く燃え上がるのは寿命が尽きた葉か、それとも沈む夕日のせいか、どちらとも言えない景色を他人に邪魔されることなく眺めることができた。

 景色に目を向けていた姉が私に視線を寄越す、子供の頃は妬んだそのしなやかな腕で自分に湯をかけていた。


「私のこと、何か言ってた?」


 大変珍しい、私に尋ねてくるなど、それだけ堪えている証拠だ。


「私はお兄ちゃんの味方だから。さすがに今回はお姉ちゃんが悪い」


 それで全てを悟ったらしい姉が、沈没船のように湯船に沈んだ。

 顔だけを湯船から出し、おっさ臭く「あ゛〜………」と言った。


「私もやり過ぎたと思ってるわ〜…でもあの子、全く口を聞いてくれないのよ…」


「さっき一緒に見て回ったんでしょ」


「自分から逃げた」


「え〜何それ」


「だって怖いんだもん、存在そのもを無視られている気がして…」


(気がするじゃなくてそうだよ)


 湯船から浮上した姉が縁に体を預け、また大きくふうと息を吐いた。


「…潮時なのかしらね、今日まで一緒に過ごしていたけど、さすがに便利に扱い過ぎたかもしれないわ」


「だと思うよ」そっちの方が私にも好都合だ、「二人で暮らしていたら困る事も少なくなるでしょ?そういうのも結婚に対する意識が低くなる原因だと思うから」


「あんたの言う通りね…」


「お兄だって鬼じゃないんだし、お互い離れて結婚して家庭を持って、まあ、日にち薬ってやつ?一生は続かないでしょ」


「そうね、ちょっとあの子に固執しているのかもしれないわ」


「そうそう」


 ──私もこんな状況じゃなければ、兄と共にいられるこの日々を楽しんでいたはずだ。

 姉の家から逃げ出して実家に来て、私と一緒に寝てほしいと言われた時はどれだけ嬉しかった。けれど、夫の事もあるので手放しで喜べず、ニヤニヤと笑いたくなるこの頬を何度も抓っていた。

 それにだ、兄とこうしてぐっと距離が近くなったのもとても嬉しい事。子供のような付き合いが終わり、大学生になって大人の付き合いに変わったかのよう、妄想していた日々が何らシナリオチャートを踏み間違えることなく訪れてくれた。

 兄との和解を半ば諦め始めた姉は、段々と暗くなっていく山の景色に見入っていた。

 その後、家族四人で久しぶりに食卓を囲み、兄からの呪縛に解き放たれた姉も暗い顔をせず舌鼓をうちながら会話を楽しみ、それから家族四人で川の字になって眠りについた。

 良い旅行だ、多少の気苦労はあれど、絶対に不可能だと思っていた家族旅行がこうして叶った。

 それに、姉もついに兄の元から離れようと──。



 その日、私は夢を見たような気がする。

 それはいつか見たあの時と同じもの、それは兄が寝ていた姉にキスをする瞬間だった。

 その行為の必要性は当時の幼い私には理解できなかったが、"される側は特別な存在"だという事は認識できていた。

 兄は、姉にキスをした。

 私ではなく、兄は姉を選んだ。

 何故?どうして私ではないのか。

 どうして?私は特別ではないのか。

 今なら分かる、ただの真似事だったと。けれど、兄のその行動が私に影響を与えたことは言うまでもなく、それは今でも変わらない。

 "私が特別なんだ"というものが欲しい。

 それが私の行動理由になっていた。

 その日見た夢はあの日と同じ、けれど立場が入れ替わっていた。

 姉が兄に覆い被さっていたのだ。けれどこれは夢だ。

 姉は兄を手放そうとしている、それはとても良い事だった。



 ──はずなのに、手放すはずだったのに。


(ええ〜〜〜〜〜?!?!?!?!)


 翌る日、姉と兄は昨日までの仲が嘘のように仲良くなっていた。

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