第13話
「ちょっと!触らないで!」
(ええ〜〜〜っ)
津島さんの新居にお邪魔した翌日、俺は姉と一緒に競馬場へ赴いていた。
すっかり秋になった並木通りは葉を赤くし、道行く人の視線を奪っていた。
そして、そんな人たちの視線すら奪う姉が俺に一喝してきたので、通りを歩く人たちの視線が集中してきた。きっと俺の顔も紅葉のようになっているに違いない。
半日ぶりに再会した姉はとても機嫌が悪くなっており、競馬場に着くまで向こうから話しかけてくることはなく、こちらから話しかけても生返事だけ。ああ、これは機嫌が悪いなと一歩引いて歩いていたのだが、姉が道を間違えそうになったのでつい腕を取ったのだ、そして言われた言葉が「触るな!」である。
(え〜何あの態度、昨日までが嘘のよう)
半日だけ仕事をしてきた姉は豹変しており、昨日見せた姿は見る影もなかった。
競馬場の入り口に到着し、紅葉を実らせた木々を見やりながら姉の豹変ぶりについて考えてみた。
(でも何となく親近感があるのは何故?──ああ、俺かあ…)
友人と共に行く旅行の二日目、決して喧嘩したわけでもないのに俺はよくその友人を疎ましく感じてしまうことがあった。
傍にいるだけで腹が立つというか鬱陶しいというか、とにかくそんな感じだ。
(こういう時は傍にいない方がいいな〜放置、放置安定)
それに姉とは昨日と一昨日と、ベッタベタにスキンシップを取った、きっとその反動もあって俺がウザくて仕方がないのだろう。
競馬場の一階に設けられたメディアストリートという、まるでこっちが貴族にでもなったかのような気にさせてくれる豪華な展示通りに差しかかった時、姉が「一人で見るから」と言ってきた。
俺は「あっそ」とだけ答え、姉に背を向けて来た道を戻る。勿論向こうが追いかけてくるようなこともなく、来て早々別行動になってしまった。
(めんどくさ、ほんと姉ちゃんの機嫌だけは掴めない。あんな人の恋人をやっていた男性がこの世にいるなんて信じられない)
昨日は「そんな男に…俺は嫉妬したんだよ」と言ったが、今となっては違う意味でその男性を羨ましいと思った。そんな精神力があるなら何をやっても成功するだろう。
レース会場から離れて近くにある噴水広場へ向かい、この間ここで妹とご飯を食べたあの日の事を思い出した。
(たまね、大丈夫かな〜)
綺麗に整理された広場には近所に住んでいるであろう子供たちの姿もあった、皆んな楽しそうに追いかけっこをして遊んでいる。
姉にキレられしょげていた気分も上向き始めてきたので、もう一度レース会場へ行く。
会場に近づくと人も増え始め、その中には競馬新聞と睨めっこをしているいかにもな人たちもいた。
それらを横目に入れながら会場へ入り、出場馬を直近で見られるパドックに行く。そこで別れた姉を遠くに見かけた。
やはり姉、どれだけ不機嫌だろうがナンパはされるらしい、背中からでも分かるイケメンそうな二人から声をかけられていた。その姉は愛想笑いか本当に嬉しいのか、にっこりと微笑んでいる。
(もうあの二人と一緒にやってくんないかな)
そう思って眺めていると姉と目が合った。それでも姉のスマイルは変わらない。
(うわー他人行儀ー)
もういいやとパドックを離れ、メインスタンドの三階にあったお好み焼き屋さんに入った。
一人ではむはむして食事を済ませ、メインレースがそろそろ始まりますよとアナウンスがあった。
その時に姉からメッセージが入る。
姉:今どこ
(会いたくね〜)
お好み焼きができるまでの間、姉の名前を『あかり』から『姉』に戻した、バレない仕返しである。
つぐも:ご飯食べてる
姉:はあ?一人で?
「よく言うわ」
俺の独り言に店員さんが反応し、変な愛想笑いを浮かべて去って行った。
つぐも:そう
姉:あんたここに何しに来たの?
姉:私と一緒にレースを見るんでしょ?
姉:何で一人でご飯食べるの?
こういう時は何を言ってもキレられる。
つぐも:さっき男の人と一緒にいたからもういいかなって
そして、こういう時に限って一番言ってはならない事を言う。
姉:はあ?何の話?
姉:あんた馬鹿じゃないの?
姉:何で知らない人と一緒にレースを見ないといけないの?
(あ〜もうやだこの人)
つぐも:今どこなの?
姉:競馬場
「それぐらい分かるわ」
つぐも:競馬場のどこ?
既読スルーである。
◇
もうくたくたになって捜し回った結果、パドックにいた。灯台もと暗し。
「…………」
「…………」
顔を合わせても互いに無言である。
けれど、じっとこちらの顔を見ているので来た時よりかは機嫌が直っているのだろう。
「機嫌は直った?」と尋ねれば間違いなくキレるので、
「馬券は買ったの?」と尋ねた。
「買った。あんたの言った通り単勝賭けした」
「じゃ見に行こう」
「私に言う事は?」
こういう時も冗談が先に口から出てしまう。
「怒った顔も綺麗だね」
「────」
虫を見るような目つきになった姉がさっと歩き出す。
(いや〜ほんとにこんな人と良く付き合えたな昔の彼氏さん)
姉の一歩後ろを歩き付いて行く、そしてレース会場に付いた。
開始間近だったようで、レース馬はもう既にゲートに入っていた。
「…………」
姉は良く見かける光景なのか、レース会場をしきりに見渡しており、画面の向こう側では分からない雰囲気を堪能しているようだった。
そして間もなくレースが開始され、馬たちが一斉に走り出して行く。
「早っ!あっという間!」
姉が俺と同じ驚き方をしている。
賭けた馬を知りたかった俺は姉の背後からそろりと手元を覗き込む、すると姉が気付いて「声ぐらいかけろ」と言ってきた。
「見せて」
「ほら──」
それから姉はまたレース中の馬に釘付けになり、馬券にあった番号と同じ馬が見事一着になった。
「──おお凄い!マジで?!」
「やったやった!よしっ」
賭けたのは結構な金額である、俺も姉も大型モニターに表示された払戻金から計算して──。
「凄っ!一撃でこれ?!」
「──はい、次これ賭けて」
子供のようにはしゃぐ姉がぽかんとした顔つきになった、無理もない。
「はあ?え、それ本当に言ってるの?これだけでも凄いのにまだ賭けないといけないの?」
俺はここに来た本当の理由を姉に告げた。
「ギャンブルってさ、勝ったお金より使うお金の方が高くなるものなの。こんなの一時、長い目で見たらこれ以上の金額を使うことになるよ」
「いやそうかもしれないけど…」
「自分は大丈夫って思ってる?駄目だめ、姉ちゃんもハマると熱中するタイプだから駄目。現にあれだけギャンブルのこと馬鹿にしてたのに今ハマってんじゃん」
「うぐっ…それは確かに…」
「今日はこの泡銭を溶かすために来たの、いい?負けるまでやるからね」
「え、次これ賭けるの?勝ったらどうなるの?」
「七桁はいくと思うよ」
「七っ──」
「え、怖いの?」
負けん気の強い姉である、すぐにキリッとした。
「いいわよ賭けてやるわよ勝ったらあんたを跪かせてやる!」
そして次のレースの馬券を買って来た姉が俺の所に来て一言。
「三回も止められたわ、考え直せって」
「でしょうね」
「あと、知らないおじさんに肩を叩かれたわ、それがギャンブルだって」
「それは知らない。──いや言ってることが俺と同じ」
そして、拒絶されていたことも忘れて姉と肩を並べる。正式な名前はスターティングゲートというよーいどんの機械にレース馬が次々と入り、開始の合図を固唾を飲んで待つ。
隣に立つ姉がぽつりと言った。
「いや待って…これ外れたら私倒れるかもしれない…あんな大金…」
「大丈夫、それは誰かが負けたお金だから元々姉ちゃんの物じゃない」
「──確かにね、あんたの言う通りだわ」
(いやでも待てよ…負けたら感極まったこの人にぶっ叩かれるかもしれない…)
お金がかかったレースは無心ではいられない、俺もドキドキしてきた。
そして、いよいよレースが始まった。
その瞬間、姉が大真面目に賭けた馬を応援し始めた。
「行けー!行け行けー!」
「……………」
モニターに表示された順位は三、他の賭け方ならこれでも望みは高いが生憎とこちらは単勝賭けである。一着にならない限り勝ちにはならない。
お団子状態になったレース馬がコーナーに差しかかる、そこでぐんと賭け馬が先頭に出て来た。
「はっ!」
「はっ!」
一着だ!頭の中が真っ白になった。
「行け行け行けー!そのままそのままー!」
「行けー!走れー!」
賭け馬が先頭を維持したまま駆け抜ける度に頭の中でお札が舞った、あいつが勝てば億万長者だ!
最終コーナーを回ってラスト一直線、このまま維持すれば──あと少しという時に後方からブースターでも付けてんの?と言わんばかりにスピードを上げてきた他の馬が現れた。
「あー!あー!逃げてー!」
「ヤバいヤバい!お前ならいける!お前ならいけるからー!」
その馬のごぼう抜きが止まらない、ゴール間近になって先頭集団に並び──五頭くらいまとめてゴールした。
「どっち?!一着?!どっち?!」
「え、え、えあれで終わりなの?!」
モニターに表示された順位に、俺たちが賭けた馬はいなかった。
◇
「…………」
「…………」
どうやらさっきのレースは大荒れになったらしく、色んな人が叫んでいた。
あと少し!という所で人気が低い馬に一着をかっさわれ、項垂れる俺たち二人。
これで賭けたお金は全部ぱーである、あの馬が勝っていたら今頃は...と悔しい思いをするのもギャンブルの醍醐味と言えた。
俺は力を振り絞り、姉にこう言った。
「……これがお金を賭けるっていう事だからね、これを楽しめないならやらない方がいいよ」
「──は〜〜〜もう無理、私には無理、何回頭が真っ白になったことか、こんなの耐えられないわ」
落ち込んでいた姉がすぱっと気分を替えたようで、あっけからんとした顔つきになっていた。
レース会場内にあるベンチで座る俺たち、周囲は人の姿もまばらになっており至る所に馬券が散乱していた。そういえば、色んな人が馬券を投げていたので紙吹雪のように舞っていた。
駅で待ち合わせした時はあんなに嫌そうな顔をしていた姉も、今はにかっと笑い、俺に向かってこう言った。
「でも、あんたと行け行け言ってる時は楽しかったわ」
「あそう?負けた時はぶっ叩かれるんじゃないかって心配してたけど」
「そんな事しないわよ」
(よく言うよ)
俺の心を読んだかのようにじっとこちらを見つめてきた。
「………何?」
「あんた、私のことを避けていたでしょ」
「そりゃあんだけ機嫌が悪かったら誰でも避けるわ」
姉が組んでいた足を替えた。
「私って昔っからこうなのよね、とくにした次の日とかはいつもこうで、それで昔はよく相手と拗れていたわ」
(したって何を?)
「そうなの?」
「そうそう。でもあんたはそこらへんよく分かってるわ、さすがに一人でご飯食べるのはないけど。私お腹空いたんだけど」
「ここで待ってるよ」
「駄目」
「俺お腹いっぱいなんだけど…」
姉がベンチから立ち上がり、「触るな!」と怒ったくせに向こうから俺の手をくいっと引っ張り立たせてきた。
「あと、人が怒ってる時に褒めるのはないわ、あれ本当に腹が立ったから二度言わない方がいいよ」
「はいはい」
「それと、私が知らない人に捕まってる時にスルーするのもよくないから、無視られた時死ぬほど腹が立った」
「よく言うよ、怒ってる時にゴマすってもキレてたくせに。それにあの時俺が近づいていたら逃げてたでしょ?」
姉はまたニヒルな笑みになって、
「そんなの当たり前に決まってるでしょ」
(何それ全部不正解じゃん)
昔の彼氏さんは凄い人だったんだね、と言うとまたちょっぴり姉の機嫌が悪くなり、俺がご飯を奢ることになった。
メインゲート三階、俺が食べた所と同じお好み焼き屋さんに姉を連れて行き、トイレに行っている間姉は堂々と俺のスマホを弄っていた。
(あ、やっべ)
姉の名前を『姉』に戻している、バレたら何を言われるか分からない。
物陰から様子を窺い、もうこのまま食事が終わるまで隠れていたようかと思った矢先姉に見つかった。
プロレスラーが対戦相手をリングに呼ぶような「こっち来い!」みたいなジェスチャーを姉がしてきたので観念した。
テーブルの鉄板にはお好み焼きがあるのに姉は手すら付けていなかった。
「あんた何これ、なんで名前戻してるの?」
「仕返し」
「はあ?」
「触るなって言われて凹んだから、その仕返し」
「…………」
姉が無言でスマホを操作し始め、すぐに「ほら」と返してきた。
姉の名前がばっちり『あかり』に戻っている。
「二度と戻すんじゃないわよ、自分のこと記号で呼ばれるの嫌だから」
「はい」
「あと、いちいちそんな事気にしてたらもたないわよ」
「それはそっちが何とかしてよ、何あの顔凄い凹んだんだから、気にするなっていう方が無理」
お好み焼きを口にしていた姉が咽せている。
気管に入ったからなのか薄ら目が潤んでいた。
「…そうね、あんたのメンタル菌類と同じだから気をつけるわ」
「菌類の仲間で良かった」
また姉が咽せる。
「ねえ、人が食べてる時に冗談言うの止めてくれない?服が汚れたらどうするの?」
「はいはい」と言いながらテーブルの上に置かれていた姉のスマホに手を伸ばす。姉は全く気にした様子を見せず、食事の手を進めていた。
向こうが食事している間、こちらは暇なので姉のスマホの中身を検分する。フォトフォルダには化粧品や職場の人と一緒に撮った写真、それから空を映したものが多かった。
お次は音楽、姉はこう見えてゲームを嗜むのでサントラの楽曲が多くあった。休日も予定がなければコントローラーを両手にテレビ画面によく齧り付いている。
アプリゲームも雑多、リズム系、パズル系、RPG系なんでもござれ、中にはガチャが渋い事で有名な物もあった。
たまごスープをちまちま飲んでいた姉に尋ねた。
「これ課金とかしてるの?」
「してないわ、不思議と無料分で引けるのよ」
「うわあ…」
「何で引くの?」
お好み焼きをざっくばらんに切り分け、最後の一欠片を突きながら姉が小声で尋ねてきた。
「…ねえ、男の人って自家発電しながらガチャするって聞いたんだけど…本当なの?」
「誰がそんな事言ってたの?」
「いや、実況動画を上げてる人がね、男子はそれしながらガチャできるからいいよね〜みたいな事を言ってたのよ」
「やってる人もいるんじゃない」
「ふ〜ん……」
食べ飽きたのか箸の進みが悪く、「いらないならちょうだい」と言うとあっさりと持っていた箸を渡してくれた。
「さっきさ、した次の日は機嫌が悪くなるって言ってたでしょ?したって何の事?」
「…………」
「え、聞こえてる?」
急に無言になった姉を見やる、姉はお好み焼きをじっと見ていた。
つと、こちらに視線を向けてきた。
「スキンシップの事」
「あ〜そういう……──え、スキンシップだけであんなに機嫌が悪くなるの?えっちした次の日とか相手どうなるの?死ぬの?」
「はあ?」
「何でもありません」
「というか食事中だから、そういう話はしないでくれる?」
(そっちから先にしたくせに…)
何か言ってやりたい気分に駆られた俺はこう言った。
「女の人にも賢者タイムってあるんだね」
脛をこれでもかと蹴られてしまった。
姉がトイレへ行っている間、先にお会計を済ませ、「連れが戻って来たら出ますね」と伝え再び席に戻る。
宮島さん流である、前回の会食で学んだスマートなやり方。
そして戻って来た姉を連れてお店の外へ、思っていた通り「あれ、お会計は?」と尋ねてきた。
ちょっとふふんと思いながら「もう済ませた、店員さんにも伝えてあるから」と言った。
「やるじゃない」の一言でも貰えると期待するが、
「私のこと何て伝えたの?」
「…………」
「え、聞こえてる?」
(えーそうくるー?)
咄嗟に「身内」とだけ答えた。
「…………」
とくに文句があるわけでもないらしく、反論はなかった。
姉と並んで競馬場を後にする直前、大荒れになったレースのリザルトが通りのモニターに表示されていた。
さっきは自分たちが賭けた馬の順位しか見ていなかったのだが、三連複の組み合わせには目を疑うような払戻金があった。
俺も姉もぎょっとした。
「え゛、何この金額…」
「これ…所謂万馬券ってやつよね…」
「一〇〇円だけでも七桁超すだなんて…へえ〜〜〜競馬は凄いね〜〜〜」
「こんな組み合わせ買った人がいるのかしら」
もしあんな組み合わせに福沢諭吉を使っている人がいたら...それこそ億万長者だ。
◇
来た時とはうって変わって機嫌の良い姉と肩を並べ、紅葉通りを駅へ向かって歩く。競馬場付近は自然も整っているので、都会の中でも大変見晴らしが良く周囲には恋人同士の姿も多くあった。
空にはうろこ雲が西から東へかけて延び、いかにも秋らしい景色に思わず言葉が漏れた。
「旅行行きたいな〜」
「前に行ったばかりじゃない」
「いやいや、旅行は何回行っても良いものなの。とくにこの季節は森が真っ赤に染まるから」
「…………」
どうしよう、また友人誘って行こうかな。いや誘おう。
スマホを取り出してメッセージを送ろうとすると、隣にいる姉が「え?」と言ってきた。
「え?何?」
「……………」
「……………」
聞き間違えたらしい、姉は何も言ってこない。
メッセージを打っていると姉から「歩きスマホすんな」と怒られる。
駅に到着し、ホームで電車を待つ傍らメッセージを打とうとすると、
「ねえ、あんたまさかまた私の名前を変えたりしてないわよね?見せなさい」
「んなことしてないよ…」
「いいからほら!」
「ああもう!」
姉が俺のスマホを取り上げようとする、近くにいた人たちから「あの二人仲良いね〜」と言う声が耳に入ってきた。
「恥ずかしいでしょ何やってんの!」
「見せなさいって!」
言わずに黙っていた事を口にした。
「旅行に誘ってほしかったらその気性の荒さを何とかして!そんな人と旅行に行けるか!」
言いながら自分にもブーメランが刺さる、しかし姉は俺以上にクリーンヒットしていた。
「な──はあ?!そんなんじゃないから!誰が!あんたなんかと!それとこれとは別だから!スマホをこっちに渡せ!」とか言っている割には図星をさされて顔を赤くしている。
「断る!」
「私のスマホからメッセージを送ればいいでしょ!」
「それに何の意味があるの?──いいでしょ男同士で旅行に行くんだから!」
「や〜何それ寂しい奴ね〜可愛いそ──分かった分かったから!私を誘って私も旅行に行きたいの!」
あとは送信ボタンをタップするだけだったのだが、ついに姉が折れたので指を止めた。
「言っておくけど割り勘だからね」
「はいはい、それでいい」
「行きたい場所はこっちが決めるからね?」
「それでいいわよ」
「向こうに着いたら姉ちゃんが決めて」
「それで──はあ?何そのプランの立て方」
「え、旅行に行く時いつもこんな感じ。現地に着いてから行く所決めてる」
「何て無計画な…」
「それが楽しいんだって、どうせ二人だけなんだし気楽だからさ」
「………それもそうね、そういう旅も悪くないかもね」
電車がホームに到着し、気付かないうちに姉が俺の腕に手を置いていた。
◇
唐突に決まった姉との旅行、当初は二人で行く予定だったのだが、さらに二人追加されることになった。
母と妹である。
その電話はその日の夜にあった。
「たまねが実家にいる?それはどうして?」
スピーカーにしたスマホから母の声が流れてくる、その声音は思案げて暗いものだった。
「それがね…夫の様子がおかしくなったみたいなのよ」
「何があったの?」
詳しく話を聞いた俺たちは互いに目を見合わせた。
たまねもその旦那さんも競馬をやるという話は以前から聞いていた、そしてその旦那さんが万馬券を当てたというのだ。しかも結構な金額を賭けていたらしく...
それから旦那さんは人が変わったようになってしまったらしい、急に怒ってきたり優しくしてきたり、別人のように変わってしまった旦那さんを前にたまねは恐れを抱き、実家へ逃げたそうだ。
(あれを当てたのか…そりゃ狂うわ…)
それにしても...何故そんな無謀な賭け方をしたのか。
その事に姉も気付き、二人でヒソヒソと話し合うが分かるはずもない、本人に訊くしか分からないだろう。
「それで?あんたちは妹を放ったらかしにして旅行に行こうって?」
「いやそういうわけでは…」
姉と目配せをする、「仕方がない」と首を振っていた。
「たまねはどうなの?旅行に行けるの?」
「いや正直行ける気分じゃないよ…元々私が競馬に誘ったんだし…お母さんから責任を感じる必要ないって言われてるけど気にするし…」
そりゃそうだ。
「たまね、忘れる強さも覚えなさい、あんたが気にしたところで何も変わりはしないんだから。現にあんたの夫は未だに連絡の一つも寄越さないんでしょう?」
「まあ…そりゃそうだけど…」
妹のあの泣き顔が容易に想像できる。
「いいから行って来なさい、お金はお母さんが出してあげるから」
「そこまで言うんなら…うん、分かった」
そして母がこれ見よがしに溜め息を吐く、この前振りには既視感があった。
「いいわね〜きょうだい水入らず母要らずって?お母さんも長い間旅行に行ってないから…行ってみたいわね〜」
「宮島さんと行けばいいじゃん」と口から出かかるがぐっと堪える。姉妹はまだ宮島さんについて何も知らない、こんなタイミングで暴露したら喧嘩にしかならないだろう。
だが、姉は普通に文句を言っていた。
「一人で行けばいいでしょうが」
「あかり!あんたって子は──毎月家に帰って来てお母さんに甘えてくるくせに!」
「あっ」
「そうなの?」
「そうなの?」
姉の頬がさっと赤くなった。
「そうよこの子ったらまあ体だけ大きくなって中身はまだまだ子供なんだから!お母さんの布団でごろごろ「や、やめてっ「するわ作った料理にケチをつけるわ子供の頃と何も変わってないのよ?あかり!あんたはお母さんを誘う義務があると思うわ!」
「──分かった!分かったから!ね、お母さんも一緒に行こう、家族四人で行きましょう」
すると母が「え〜?」と言い出した。
「何だか無理やり言わせているみたいで嫌だわ。そこまで無理しなくてもいいのよ?」
短気な性格をしている姉はもう付き合ってられないと、面倒臭そうに顔を顰めながらさっと身を引いた。
今度は俺が言う。
「そんな事ないから、お母さんも一緒にどう?」
まだ「え〜?」と言う母。
「お母さんも歳だから、体力も落ちているから皆んなに迷惑をかけないか心配だわ」
姉が俺に身を寄せて「私ここまでめんどくさくないわよね?」と耳打ちしてきた。「似たようなもんだよ」と言いたくなる口を堪えて「大丈夫だから」とだけ伝える。
男はとにかく堪えなければいけない生き物だ、たとえ相手が家族であったとしても、女性と円満な関係を築きたかったから堪えるしかない。
傷心している妹にさえ気を遣わせた母がようやく応じた。
「もうお母さん、誰もそんな事気にしてないから、一緒に行こ?」
「皆んながそこまで言うなら…そうね、行きましょうか」
「そっちが言わせたんだろ!」と姉がついに怒り、結局親子喧嘩に発展してしまった。




