第12話
「ご安全にー」
"ご安全に"とは、俺が勤める工場で交わされている挨拶である。
この言葉が誕生したのは外国だそうで、この言葉の意味としては"お互い今日も無事に終わりましょう"というものらしい。
正門にいる守衛さんにそう挨拶をして会社を後にする、今日も今日とて産業道路は車で賑わい、俺と同じように定時退社の人たちもそれなりにいた。
正門を出てすぐ、姉からメッセージが入った。
あかり:晩御飯ありがとう
つぐも:こっちが作る前提
あかり:今日帰り遅くなる
つぐも:最初からそう言って
あかり:煮物以外で
既読だけ付けてスマホをポケットにしまう。
すっかり馴染みとなった駅に到着し、そこでまたまたメッセージが入った。
あかり:返事
つぐも:一緒にお風呂入ってくれるんなら煮物以外にする
適当に返して改札口を潜った。
◇
先日、友達とメッセージのやり取りをしている時についと画面を見られてしまい、「待って」と声をかけられた。
「何だ」と尋ねると「その名前は何だ」と問われた。さらに「だから何だ」と尋ねると、「その名前の付け方は変だ」と指摘されてしまった。
俺は家族の名前を全て記号にしている。『母』、『姉』、『妹』といった具合に。父はこのアプリが浸透する前に他界してしまっているので名前は無い。
「別にいいじゃん」と言っても姉的に気に入らなかったらしく『あかり』と相なった。
姉宅の最寄りにあるスーパーまで行くのが面倒だったので、駅前の高級スーパーで買い物を終えて帰宅する。
メッセージにあった通り姉はまだ仕事中らしく、家の中はしんとしていた。
今日の晩御飯はたまごサンド、それから前回俺の舌を唸らせたポトフスープである。
たまごサンドはちょー簡単、材料は卵、レタス、チーズ、ベーコン。卵は二つの茶碗を用意して(ry、混ぜた卵に牛乳を入れてスクランブルエッグにする。牛乳を入れるとふんわりするんだとか。
焼く作業はこれだけ、あとはこんがり焼いたトーストにレタス、チーズ、ベーコン、スクランブルエッグを乗せてマヨネーズを気が狂ったようにかけるだけ。これだけでちょー美味い。
ポトフスープを作っていると姉が帰って来た。
「ただいま」
「お帰り。そんなに遅くなくない?」
「はあ?──まあいいわ、で、今日の晩御飯は?」
「たまごサンドとポトフスープ」
「…………」
「え?何?姉ちゃんが煮物嫌って言ったんだよ」
今日の姉は上下違う色のスーツを着用している。上は深い青色をしたジャケットに下はグレーのスカート、ヘアスタイルは頭の上にお団子を作っていた。身支度に時間がかかりそうなスタイルだ。
その姉がまじまじとたまごサンドを見た後、肚を括った様子で「分かったわ」と言った。いや何が?
仕事着のまま姉が食卓に着き、そのまま夕食が始まった。
「いただきます」
「いただきます」
姉が作り立てのたまごサンドを頬張る、案の定口の端をマヨネーズで汚していた。
「これマヨネーズかけ過ぎだから」
「いやいや、齧り付いている時点で汚れるのは当たり前でしょ」
「いやでも美味いわこれ、牛乳が欲しくなる」
「あー!しまったあ…牛乳買うの忘れてた〜そういう事は早く言ってくんない?」
「知らないわよそんな事言われても」
そうなのだ、このたまごサンドは牛乳が猛烈に欲しくなる食べ物なのだ。
ポトフスープはきのこ尽くし、それから余ったベーコンも入れてある、これもこれだけで美味い。
姉もたまごサンドとポトフスープの組み合わせに唸っていた。
「あんたが作る料理ってこう…とにかく箸が進むよね」
「ありがとう、それは最大級の褒め言葉だよ」
「何よそれ「その言い方はお母さんそっくりだね「お母さんの話はしないでくれる?」
そのキレ方はたまねに似ているねとは言わず、
「そういえばさ、たまねから連絡もらったりしてる?」
「ううん」
「俺もあれからぱったりなくなってさ、心配してるんだよね」
姉はこちらを見ようとせず、無心になってたまごサンドとポトフスープを交互に頬張っている。
「大丈夫でしょ、便りが無いのは元気な証、あれであの子は私よりしっかりしてるから」
その姿が嬉しく、つい食事の手を止めて見入ってしまった。
「──何?何でこっち見てるの?」
「いや〜無心で食べてるのが嬉しくて、つい」
姉は「気持ち悪い」と言いながらも頬を染めていた。
夕食とその片付けを終え、キッチンテーブルで一息吐いていると姉が寝室から出て来て「行くわよ」と言ってきた。
「え?」
「え?」と同様に言い返す姉。
それから姉の顔が見る見る赤くになり、親の仇のように俺を睨み付けてきた。
「──え、マジで?」
俺はあの適当に送ったメッセージを姉が真に受けていたとすぐに気付いた。
般若のように顔を赤くした姉が「あんたが言ってきたんでしょ〜!」と小声で詰め寄ってきた。
「え……入る?」
「……………」
「入る!入ります!入りますから!」
「だったら早くして」
これは一緒に入らないと向こうの気が済まないと悟った俺は観念し、慌ててお風呂の準備をした。
待って、入るの?本当に?狭いバスタブで?前は広い露天風呂だったし真っ暗だったから何とかなったけど...
レストルームの前で待機していると中から「もういいわよ」と姉が言い、そろりと入る。カゴの中には姉の下着が...ああ、生々しいと思いながら俺も服を脱いだ。
意を決して扉を開く、姉が浸かっていた湯船は濁っていた。
「良かった〜〜〜」
「いいからさっさと入りなさい」
姉は窮屈そうに壁に向かって体育座りをしていた。俺は適当にかけ湯をし、姉の背中に自分の背中をくっ付けて湯船に浸かった。
「…………」
「…………」
俺は一体何をしているんだと煙る天井を見つめながら考え、そして答えが出ず、ひたすら姉の背中に集中してしまった。
ぴったり合わさった背中は自分のもののようであり、けれど違うタイミングで動いていたから確かにこれは姉の背中だと思わせた。
湯船に浸かってから姉は一言も発しようとしない、俺も開ける口がなく、ただ黙ってばかりいた。
そろそろ何か言わないと、そう思った矢先、背中に合わさっていた感触がなくなり、体でも洗うのかと思うとその姉がもう一度湯船に浸かった。
態勢を変えたのだ、姉の足が俺の太もも辺りに当たっている。
「いや何でこっち向くの」
「いやね〜恥ずかしがってるのが何だか馬鹿らしくなって。私に体預けてもいいよ」
「──あっそ」と俺は言い、遠慮なく姉に体を預けた。
「──っ」
口にしなくとも、姉の体が強張るのを感じた。
「そっちが先に言ったんだからね?」
「…………」
「…………」
そう無言になられると背中に当たる柔らかい感触が否が応にでも自己主張してくる。
お湯の熱さもあって必要以上にドキドキしてしまった。
「…………」
「…………」
「………っ?!?!」
俺のお腹辺りに姉がその両手を回してきたのだ、ぐいっと力を入れてさらに引き寄せられ──そこで観念した。
「ごめん姉ちゃ〜ん俺上がっていい?恥ずかし過ぎて死にそうなんだけど…」
その姉は俺の肩に顎を乗せ、耳元で「駄目」と言った。
「言い出しっぺはそっち、責任取って私が満足するまで浸かりなさい」
「もしかしてそのお団子頭は…」
「そ、職場で結ってきたわ、あんたにお風呂一緒に入りたいって言われたから。──ねえ、前に話してたわよね?専門校の人とはお風呂入っていたりしてたの?」
「う、ううん…姉ちゃんは?」
「私も入ったことはないわ、大人になってから一緒にお風呂入ったのはあんたが初めてよ」
「そ、それは光栄というか…早く帰ってきたのも俺の為…?」
「察しがいいわね、そうよ、残っていた仕事を明日に回して切り上げて来たの、あんたが私と一緒に入りたいって言うから」
「…………」
あれそういえばこの人お風呂長かったよなと思い至る。
なるべく意識しないよう、俺はとにかく口を動かし続けた。姉の綺麗な膝頭が湯船から出ており、手を伸ばせばすぐ掴める位置にあった。
「そこまでして入るものなの?冗談だって分からなかった?」
「分かってたわよ。でも、たまにはサービスしてあげないとと思ってね、何だかんだと引っ越しもできていないし…ねえ?」
やられっぱなしは何だか癪に障ると思い、その膝頭に自分の手を乗せた。姉も嫌なのか、触れた瞬間にぴくりと反応する。
だが、姉が足に力を入れて俺の体を強く挟んできた。もう武器にしか思えない凶悪な太ももが俺のお腹に食い込んでいた。
「──ねえ、って…その言い方は何」
「スキンシップも時には大事じゃない?性欲も立派な欲求なんだし、澪みたいな女に引っかからない為にもね」
「いや別に引っかかったわけじゃ…」
手を置いていた姉の膝頭から下ろし、そのまま滑らせ脛、足首と触っていく。動かした弾みで肘が胸に当たったがもう気にしていられなかった。
触った足も男のものではない、手のひらに吸い付いてくるほど滑らかで触り心地が良い、女性のものだった。
──まあ確かに、これを独り占めしていた男が過去にいたのかと思うと、嫉妬した。それと同じくらいそいつは凄い奴だと感心してしまった。
(これに手を出せる覚悟が俺にも欲しいわ)
「良く言うわよ、空気に流されてキスしたくせに」
「いやそれ頬っぺただからね。それに今も十分ヤバいよ」
「何が?」
俺に触られるのが嫌なのか、姉がお腹を挟んでいた足を伸ばした。一気に体が軽くなる。
「何がって…分かるでしょ?」
「そういう言い方は好きじゃないわ」
「……………」
「……………」
さらに姉が回していた腕も解き、さらに体が軽くなった。このまま湯船から上がって逃げ出してもいいけど、絶対馬鹿にされると思った俺は向こうから逃げ出すように仕向けようと──姉に預けていた背中をバスタブの縁に付けた。
両手を上げてこう言う。
「疲れたでしょ?今度はこっちに背中預けなよ」
「いいわよ」
(え゛!!!)
その姉は嫌がるどころか堂々と俺の前に立った、いやここで目を逸らしたら負けだ!と姉の全裸をガン見する、湯気のお陰で視界が煙っていたのは幸運だった、そこまで見えたわけではない。
立った姉がくるりと背中を向けて座り、そのまま俺に体を預けてきた。
「思っていたよりあんたの体、しっかりしてるわ」
その姉はそんな事を言いながら俺の太ももに手を回し、ゆっくりと体の位置をずらして、俺の前には姉の頸があってとても良い匂いがして、こうずりずりとさらに体の位置を下げていって──頭半分ほど下がった辺りで二つの乳房も見えて──。
「〜〜〜〜〜っ!!」
◇
「…………………」
「……ま、まあ、ああいう事故もね、あ、あるにはあるから、き、気にしない、でっ……わ、私は、初めて、だったん、だけどねっ…」
「でしょうね」
俺がそう言うと姉が爆笑した。
お風呂から上がってずっとこれだよ、自分がお笑い芸人になったかのような爆笑が続いていた。
(最悪…)
「そ、それと…え、エリンギじゃ、な、ないから…じ、自信をもっ「──そんな事までいちいち言わなくていいんだよ!!!」
どれだけ怒っても姉は怯まず笑い続ける。
まあ、何、ねえ?いちいち言わなくて分かると思うからあえて何も言わないけども、そういう事が起こってしまったので俺は脱兎の如く湯船から上がっていた。
それから程なくして姉もすぐに上がってきた、髪の毛はしっとりどころかびしょ濡れである。
キッチンテーブルに突っ伏して肩を震わせている姉に向かって言った。
「ねえ、ちゃんと体洗ったの?上がってくるの早かったよね?」
あー面白かったと面を上げた姉、手でパタパタと自分の顔をあおぎながら言った。
「んなもん気にしないわよ。それよりあんたもきちんと体洗いなさい」
「姉ちゃんが入った後でいい」
「もう一度一緒に入る?」
「……………」
「嘘うそ、分かったから。じゃあ先に入るわね」
「早く行けええ!!」
また姉が笑い声を上げた。
◇
翌る日、俺と姉は付近に引っ越してきた津島さんの新居にお邪魔させてもらうことになった。
俺も姉も仕事だったので、最寄り駅で待ち合わせをしてから津島さんの家に向かう。
最近はとても寒くなってきたのでお互いコートを着用している、姉は明るいブラウンのトレンチコートだった。
「女優の人かと思った」
「もっと褒め方のレパートリー増やせないの?聞き飽きた」
「………俺のこのコート、裏にエリンギの柄が刺繍されてんだよ、お洒落でしょ?」
歩き始めた姉がぶは!と吹き出し、体を折って笑い始めたのを無視して自分一人だけで歩き出す。
駅を出る、そこで小走りでやって来た姉と再び合流した。
「置いて行くことないでしょ!」
「そっちが贅沢言うからでしょ、世の中褒められない人って確かにいるんだよ」
「それは本人が努力しないからでしょう?あんたのエリンギだって立派に成長しようと日々頑張っているのよ?」
今度は俺が声を上げて笑った。
そんなこんなでやって来た津島さんの新居は確かに姉宅より近く、というより幹線道路を挟んだ向かい側にあった。
周囲をビルに囲われたマンションはとても立派なもので、側から見たらこれが居住用の建物には見えないほど。
マンションエントランスは床一面大理石であり、さすがの姉も目を奪われていた。
「へえ〜あの子凄い所にしたのね〜」
「家賃ちょー高そう」
タッチパネルで津島さんを呼び出す、とくに会話することなくエントランスの扉が解除されて俺たちは中へ入って行く。
それから姉と二人、高級ホテルのようなマンションを眺めながら歩みを進め、到着した津島さんの家のインターホンを鳴らした。
「どんな家なんだろうね」
「ちょっと楽しみね」
「そういえば今日は津島さんの手料理なんだよね?」
「私食べたことないわ、あの子の料理なんて」
「そうなの?」
「見てくれは母性の塊りだけど、中身は一年中発情している獣みたいでしょ?料理が作れるっていう概念すらなかったから話なんて一度もしたことがなかったの」
「じゃあしょうがねいねー」
玄関扉が勢いよく開かれ、会って早々津島さんはお冠になっていた。
「もう!君たちは私がいない所でも馬鹿にしないと気が済まないの?!失礼過ぎるでしょ!!」
お洒落も楽しむ津島さんの今日の服装はメイド服だった、直球コスプレ。
マンションの内装同様立派な玄関は広く、長い廊下の間に扉が三つもあった。
「それだけあんたの事で会話が持ちきりってこと」
「そうそう。俺たちの前にいないのに会話まで奪わないでください」
「そうそう」
「〜〜〜っ!ふ、ふん!いいから早く上がって!」
さっと頬を染めた津島さんがずかずかとリビングへ行き、俺と姉はお互いに「チョロいね」と言い合う。「聞こえてるよ〜!」と言われるが二人もまるで気にしていない。
通されたリビングはとても広かった、引っ越したばかりだからなのか、家具の類いもあまり無かったのでどこか寂しい印象を受けた。
「立派な所ね〜」
姉はトレンチコートを脱ぎながら家の中をきょろきょろと見回している、津島さんの趣味なのかコンパクトなスピーカーから、過去に同じ曲で二作品のアニメのオープニングを担当した有名なロックバンドが流れていた。
津島さん家のキッチン回りも広い、ここで生活できるんじゃないかというくらい。そしてキッチンテーブルの上には意外にも、和食が並べられていた。
「これ店屋物じゃないわよね?」
「食べる前にそれ言うの失礼だからね?」
「早く座る!いただきますする!食べる!はい!」
かんかんに怒った津島さんにそう促され、俺たちはようやく席に着いた。
◇
津島さんの手料理はとても美味しく、また出してもらった日本酒とも良く合っていたのでとにかく箸が進んだ。
「美味い…」
「それはどうも〜」
「料理上手ね、悪口言って悪かったわ」
「えへへ〜」
「こんなに作れるならたまには私の家でもご飯を作ってくれたら良かったのに」
「…………」
(スルーした)
姉は気にせず、魚の小骨ごと頬張りながら津島さんに尋ねていた。
「ところで、こんな所に引っ越しして大丈夫なの?」
一方津島さんは綺麗に小骨を分けながら箸を進めていた、作法もお手のものらしい。
「ううん、生活はギリギリ」
「ええ?じゃあ何でこんな所にしたの?」
「私、お金に追われないと自分から稼ぎに行かないタイプだからさ、思い切ってここ借りたんだ〜」
「へえ〜何となく分かります、それ」
「それにさ、この間先輩の話をしたでしょ?その人が抜けた穴を私が埋めたんだけどさ、何か向こうに気に入られて案件も沢山貰えるようになったんだよね〜」
「良かったじゃない」
「そうそう、だから引っ越しを機に頑張ろって思って、だから奮発した〜」
「あんたってほんと、そういう所はしっかりしてるよね〜駄目なのはその軽いお尻だけ」
「何か文句を言わないと気が済まないの?」
「姉ちゃんなりの照れ隠しですよ」
「──そうね、あんたも照れ隠しに失敗してエリンギを「ああそういう事言わなくていいから!」
「何の話?」
和食を食べ終え、食後に津島さんがデザートまで出してくれた。
「至れり尽くせりだわ、ほんと。私たちの食卓にデザートなんて出てきたこと一度もないわ」
「確かに」
「とか言って〜私が食後のデザートとか言ってつぐも君の相手をしてあげてるんじゃないの〜?」
「………っ」
「………っ」
「──え、マジで?」
俺たちもまあチョロい、津島さんのかまかけに引っかかってしまった。
「マジで?!いやさ〜今日の二人なんかいつもと雰囲気が違うからさ〜いやこれやったなって思ってたんだけど…マジ?」
胡麻プリンをちろちろ食べていた姉が答えた。
「違うわ、一緒にお風呂に入っただけ」
「お風呂でやったの?」
「やってない、そのピンク変換何とかしなさいよ」
俺も津島さんに説明した。
「昨日、姉から晩御飯の要望があったので、じゃあお風呂に入ってくれるんならいいよって返事したんですよ、それでまあ、一緒に入ることになって」
「それで?」
「いや、それだけですよ、ほんと」
黙っときゃいいのに姉が続けて言った。
「この子は冗談だったみたいだけどね、こっちはその気になってしまったから腹が立って入らせてやったのよ、そしたらまあ〜湯船に浸かる前から顔は赤いわキョドるわで面白くてね、私に背中を預けさせたの」
「それで?」
「それで、この子も意地を張って私に体を預けてもいいよって挑発してきたから本当に預けてやったの、その時から背中にもう当たっててね、でも座り心地が悪かったからゆっくりと体をずらしていったら「─俺のエリンギが爆発したんですよ「そうそう、しかもこの子その瞬間私にぎゅって抱きついてきてね、これじゃどっちが女の子か分からないじゃないって茶化している間に湯船から上がって──澪?あんた聞いてるの?」
しっかりバレていた、俺が意地を張って強がっていたことを。
それに、津島さんから「やだ下品すぎるよ〜!」とか笑われると思っていたのに、本人は目を点にして俺のことを凝視しているだけだった、自分が作ったデザートにも手を付けず。
そして、津島さんが「可愛い過ぎる…」と呟いた。
「え?」
「え?」
手にしているスプーンが小刻みに揺れているのは気のせい?それも目も怖い。
「可愛い過ぎる…それはヤバ…え、背中が当たっただけで…しかもイク瞬間にしがみ付くなんて昔のちー君みたい…」そこで俺の両肩をがし!っと掴んできた。
(ひいいっ!)
「いいいいい一緒にお風呂に入らない?ねえ私と一緒にお風呂に入らない?あかりと違ってうううううんと優しくしてあげるから一緒にお風呂に入ってくれない?「その子にそんな度胸はないわよ「──いいですよ別に、入りますよ「──はあっ?!」
姉がばん!とテーブルを叩き、その弾みで胡麻プリンがぷるんと跳ねて床に落ちた。
「ふざけんなっ!昨日は私と入っておきながら今日は別の女あっ?!「姉ちゃんは姉でしょうが、女じゃないっ!!「何ですって──その姉と一緒に入ってあんな事になったくせに良くそんな事が言えたわね?!強がりも大概にしなさいよ!「良く言うわ!誰でもああなるわ!いくら自分の姉でも姉ちゃんみたいに格上の美人と入ったらああなるわ!言っておくけど背中くっ付けて座ってた時から俺のエリンギは立派に成長してたんだからね?!松茸に進化してたわ!!「ねえ、私の前で別の女と喧嘩しないで!!「うるさいっ!!」×2「──っ?!「あんたがそもそも私を誘ったんでしょうが!「ああそうだよ!少しは嫌がればいいのにあんな余裕な態度取られてたからムカついて仕方がなかったわ!「知るかそんなもん!!そっちから足触ってきて背中押し付けただけで果てて!挙げ句にしがみ付いてくるだなんてあんたの完全敗北じゃない!「だから入るって言ったの!!今ならクレオパトラとサシで入っても勃たんわ!!」
姉が「はあ〜馬鹿ばかしい」と言って何度も手を振った。
「好きにしなさい、もうあんたの事なんか知らないから」
「姉ちゃんのお陰で格段にレベルアップしました、もう暴発することはない「うるさい!!」
「あれ、というか津島さんは?」
姉と喧嘩するあまり津島さんの事を放置してしまった、そしてその姿が無い。
「風呂場に走って行ったわよ。あんたここでやっぱり止めますって言おうもんなら向こうは自殺するって脅してくるからね」
「え………」
「言ったでしょうがあの子は重いって。あ〜あ〜知〜らない、避妊はちゃんとしなさいよ」
「待っ──「つぐも君!!」
リビングに津島さんが戻って来た、履いていたソックスは脱いでおり素足、お風呂の準備をしてきたのだろうか手足が濡れている。
その濡れた手でまたがっ!と腕を掴まれてこう言われた。
「ねえ入ってくれるんだよね?散々期待させておいてあかりからもお預け食らってるんだからねこっちはこれでもし嘘って言われたら私この場で自殺するからいいね?!!」
「は、はい………」
「あかり、つぐも君借りるから、ちょ〜〜〜っとだけ借りるから、いいよね?」
「いいわよ」
姉はもう興味を失くしたようにスマホを弄り始め、俺はズルズルと津島さんに引っ張られていった。
✳︎
(はあ〜〜〜………)
まあ何だ、あいつと下らない痴話喧嘩をしてしまったが未だに気分は良い。
昨日のアレは──後ろからしがみ付かれた時はさすがに頭が真っ白になってしまったけど、向こうはそれ以上、大恥をかいて見っともない姿を晒して、私の前からほうほうの体で逃げ出して行った。
(ふん……良い気味)
澪が作ってくれた胡麻プリンをすくい上げて流しにやり、それから軽く掃除をする。
昨日からもずっとそうだが、弟の感触が今でもはっきりと残っており、それを思い出す度に全身がくすぐったい思いに駆られた。
件の歳上の人でもここまでではあるまい。あいつはこれから異性とお風呂に入る度に、私の事を思い出すはずだまあ私もそうなんだけど。
キッチンテーブルの上に置かれている弟のスマホを手にする、あいつもパスコードは設定しない主義なのでいとも簡単に見られた。
メッセージアプリを開く、一番上の履歴は私になっていた。
『あかり』
他の家族は皆『母』と『妹』のままだ、くっだらない事だけどこれも気分が良い、私の名前が良い女避けになることだ──「ちょっと姉ちゃん」
「?!」
思わず弟のスマホを、画面を下に向けてテーブルに叩きつけるようにして置いてしまった。
背後を振り返ると腰からタオルを巻いただけの弟が立っていた。今さら裸を見たところで取り乱す私では──いや、仲ではない。
「何?まさか私も一緒になんて言わないよね?」
弟は心底困った顔付きをしており、大体の事情は察した。
そして案の定、
「津島さんが風呂場で倒れたんだけど…」
分かっていても「はあ?」と言わざるを得なかった。
「あんたじゃなくて澪が倒れたの?」
「そう、殺人現場みたいに鼻血で真っ赤なの、手伝ってくれない?」
「え〜〜〜何で私が………」
「頼むって、変に触るわけにもいかないからさ、マジで手伝って」
(変に触るって…触ればいいじゃない)
あれだけウェルカム態勢を整えている女の体に触ろうとはせず、姉である私には手を出してきた、という事実がさらに私を舞い上がらせ、結局手伝ってやることにした。
「──はいはい、行けばいいんでしょ行けば」
弟は私がスマホを覗いていた事にも気づかず、「助かるよ〜」と泣き言を言いながら風呂場へ向かった。
◇
私が全部介抱してやった、本当に何なのこの時間はと苛立ちながら。
澪は寝室で寝かしつけてある、風呂場で見たあの子の顔がヤバいこと。
鼻血を出しながら恍惚とした表情をしていたのだ、「あ、人間ってこうなるんだ」と勉強させられた思いだった。
(まあ…あの子もそれだけつぐもが好きって事よね…)
他の男と寝まくってるくせに、絶対風呂にも入っているはずなのに、澪はつぐもの裸を見ただけでああなったのだ。
意識があったら確実にやっていたに違いない。
(危なかった、こうなると見越して虚勢を張ったけど)
弟は血で汚れた風呂場の掃除をしている、だからここには誰もいない。
変わらず流れるロックの曲が耳障りだ、そろそろ消そうかとテーブルに手を置くと、掃除をしていた弟がリビングに戻って来た。
そして──。
「お疲れ──っ!」
その弟が私に急接近し、さらにあろうことか上から覆い被さってきた。
テーブルの上に置いていた私の手を押さえつけ、私の耳元に彼の口があった。
「ねえ、さっき俺のスマホ触ってたでしょ、何で?」
普段とは全く違う怒気を孕んだ声は低く、言葉が発せられる度に耳を触る彼の吐息に不覚にも──感じてしまった。
「な…触って、なんか…」
「嘘。画面にヒビが入ってるんだけど」
「そ、それは…」
「何してんの?見ていいもんじゃないよね、どこ見てたの?」
私の手を押さえつける力が強い、不思議と持ち上がらなかった。
「別に…何も…見てないわ」
彼がじっとこちらを見ている気配がある。
「もしかして照れてる?耳赤いよ」
「……っ!!」
「へえ〜姉ちゃんでもこんな事で照れるんだ」
「…………」
「昨日さ、俺嫉妬したんだよ、こんな人を独り占めしていた男がいるのかって。でも、そんな事なかったね」
その言葉に二つの衝撃を受けた。
一つ目はいつかの"満足感"、そして二つ目は舐められたことに対する"怒り"だった。
「調子乗って──」
彼の手を払い、背後へ振り向く。真正面から見た彼の──いや、弟の顔が真っ赤に染まっていた。
「………ざけんじゃないわよ自分からしておきながら何そっちも照れてんのよ!!!!「いやだって〜そっちが照れるから、何でこんな事で照れるの?」
さっきまでの雰囲気はまるでなく、いつも通りの情けない弟に戻っていた。
「見たわよあんたのスマホ、だから何?」
「いや凄い逆ギレ。ん」と弟が私に手を伸ばしてきた。
「あ?何?」
「そっちのも見せて、それでおあい子」
「いいわよ別に好きにしなさい、見られて困るものなんて──ああ嘘うそちょっと待って!」
渡したそばからすぐに後悔するがスマホはもう弟の手にあった。
「待ってお願いだから一旦返して!──ほら!また一緒にお風呂入ってあげるから!また私に抱き付いていいから!「自分の体安売りし過ぎ」
さっきの雰囲気はどこへやら。
弟が「あーあったあった!」と途端に騒ぎ始めた。
弟にしがみつく、弟は私に背中を向けスマホから遠ざけようとした。
「やっぱりやってたネット投票!!」
「あーーー!!!!」
「何してんの隠れてこそこそ賭け事?えー信じられなーいショックだなー」
どんと弟を床に倒し、馬乗りになってマウントを取る。確かに言った通り、弟のエリンギは反応しなかったとか今はどうでもいい!!
「返してお願いだから!」
「いーやーでーすー──……ログインパスワード教えて「誰が教えるか!!」
押し倒した弟の腕を掴んだり、スマホを引っ張ってみるがやはりびくともしない。
「──分かった!分かったわ、勝ったお金で私と同じ最新機種のスマホ買ってあげるから!「さりげなくお揃いにするの止めて」
スマホの画面から私に視線を変えた弟が一言。
「これで単勝賭けして」
「──はあ?」
「買ったお金で単勝賭けして、そしたら全部許す、お母さんにも言わない」
「はあ?あんた正気?普通そんな買い方しないわ」
「俺も良く分かんないけど、賭けた馬が勝てば数倍に戻ってくる方が分かりやすくていいじゃん」
「あんたねえ…それに全部お金を賭けろって?」
「そう。ハイリスクハイリターン」
「真のギャンブラーじゃないそれ」
「今からお母さんにこの事を──「ちょっと待って!分かったから!分かったから!ね?」
ずっと馬乗りだ、私の下に弟がいる、その事に慣れ始めた自分に驚き、この事に慌てようとしない弟にムカついた。
「いつ連れてってくれるの?明日?「明日は駄目元々用事があるから無理「競馬場に行くんだ?「……っ!「うわあ〜マジ?あれだけキレてた人が今となっては競馬場通いなの?「ち、違っ「あ〜あ〜あの時の俺が聞いたら人間不信になっちゃうな〜」
私は観念した。
「──分かったから!あんたも競馬場に連れて行ってあげるからそんな事言わないで!!」
✳︎
(はースッキリした)
昨日はしてやられたんだ、ちょっとくらい仕返ししないと気が済まなかった。
それに姉は俺のスマホを勝手に見ていたんだ、少しやり過ぎかなと思いはしたけど詰め寄って向こうの顔を赤くさせて、今度は姉のスマホを見て散々揶揄ってやった。ざまあ。
俺に馬乗りになっている姉は涙目になってこっちを見下ろしている、悔しそうに目を細めてその顔はまるで子供のよう。
立っていた腹も収まると、今度はこの状況に意識が向いてしまった。
(──あ、これヤバいかもしれない)
俺の上から退こうとしない姉に向かってつい「そろそろ退いてくれない」と言ってしまった。
まさに形勢逆転、姉が半泣きになりながらもにた〜っと笑い始めてこう言った。
「何で?」
「いや何でって…」
「この態勢が嫌なの?昨日は一緒にお風呂に入ったのに?もう平気でしょあんたも」
「俺ゴールド免許じゃないよ」と言っても向こうは何のその。
「知ってる、あんたがペーパードライバーなのも知ってる」
「いやほんとお願いだからそろそろ退いてマジで」
「ん〜?良く聞こえな〜い」
(──っ!)
姉がぐっと顔を近づけて、その分重みが増し、自分の股間に意識の全部を持って行かれてしまった。
姉の両手は顔の横に置かれ、長いその髪が俺の頬に当たっていた。
「ど、退いてくださいお願いだから──あ!スマホ返すから!はい!」
「別に〜もう見られて困るものもないからあんたが持っていてもいいよ」
「いやいや…いやいや…」
「何でそんなに恥ずかしがるの?あ〜もしかしてこれ?何か当たってるな〜」
もう姉は楽しそうに俺を見てニヤついてる。
「そんなまさか俺のエリンギが立派な仕事するわけないでしょ」
「ん〜?」
さらに姉が顔を近づけてくる、前髪も俺のおでこに当たっていた。
とても良い匂いに柔らかくて重もみがある、昨日俺の導火線を短縮させた胸も押し付けられ、意識がまた飛びそうになった。
それですらヤバいのに姉がぐりぐりと腰を動かし──
「あーーー!」
「ふふっ」
──インターホンが鳴った。
その音に姉が素早く反応し、俺の上からさっと退いた。
(助かった〜〜〜!)
姉が今日ズボンで助かったとか馬鹿な事を考えながら、俺は固いフローリングの上にうつ伏せになった。
もう一度鳴らされるインターホン。
「ちょ──ちょっとあんた出てきなさいよ」
「むりむりむりむり絶対無理だからエリンギが仕事してるから絶対無理!」
「なっさけない!私だって絶対ひどい顔してるのに!」
「そっちが揶揄ってくるからでしょ!お風呂上がりとか言えばいいよいいからお姉ちゃんが出てきて!」
「ああ、もう!」
姉が来客の対応の為に離れて行く。
(あー仕返しできたかと思えばこれだよちくしょう、またいいようにされてしまった…)
無理だね、もう姉に反撃するのは止めよう。これ以上変な事になったら俺のエリンギが将来の彼女に反応しなくなってしまう。
姉が来客の対応を終えた頃には何とか落ち着きを取り戻せた。
「何それ」
戻って来た姉はその手に大きな紙袋を携えていた。
「同じ事務所で働く曽根崎って人から澪にって」
「ふ〜ん…お土産?」
「それがね、暫く休業することになったからそのお詫びだって持って来たのよ。本人はちょっと体調不良って寝込んでるって嘘付いたんだけど「いや真実でしょ」いいから。それで後日改めますかって訊いても急いでいるからって…」
紙袋を所在なさげに持っている姉はどこかよそよそしい、その態度には理由があった。
「それにその人、前に身内の不幸で帰省していたの、それなのに予定を前倒ししてこっちに戻って来て、しかもその葬儀も家族に嘘を吐かれてたみたいでね」
「え〜そんな事あるの?」
「あったの。──関連性は無いと思いたいけど…たまねが結婚した相手の苗字も曽根崎っていうの」
ちょっと頭が真っ白になりかけた、つまり妹と結婚した相手方の親族に何らかのトラブルがあったという事だ。
その二人が家族であれば、だけど。
「う〜ん………前にその人競馬場で見たし…何かあったのかな」
「さあね、こればっかりは…まあ、このお土産を澪に渡して終わりね、私たちは」
「うん──ねえ、俺たちどうすればいいんだろ、このまま家に帰る?」
姉が紙袋を持ちながら、もう片方の手で顎を指し、「う〜ん」と唸った。
「朝起きて私たちがいなかったら縁を切られそうね…」
「確かに。どうしよう?」
「そうね〜…」
✳︎
目が覚める。
私の目の前につぐも君の顔があってまた鼻血が出そうになった。
「?!?!」
え、何故に?
(あー…ちー君そっくりだなあ…)
混乱する頭でも彼の寝顔はきちんと認識している。
あどけない顔を眺めながら、昨夜の出来事を思い返す。
確か...彼と一緒にお風呂に入ったのだ、あかりの事が羨ましく、私にも抱き付いてほしかったから。
けれど、裸を見て触れて、同じ湯船に浸かった瞬間私の方が先に果ててしまった。
頭から快感が抜けてしまい力も抜けてしまい、慌てふためく彼の情けない声を聞きながら失神した。
人生で一番の失神ではないだろうか。幸せという意味で。
「?!?!」
え、今私のお腹で何かが動いたような...
視線を下向けると見慣れた細い腕が巻かれている。これはあかりのものだ...え?
まさか私...サンドイッチ状態?
「…………」
そうだ間違いない、この気配はあかりだ、あれだけ嫌がっていたのに私と一緒に眠っているんだ。
耳を澄ませば彼女の寝息が聞こえる、その優しい吐息が頸に当たっている私首弱いのに。
(ああ…ああ…ああ!)
誰か写真を撮ってえええ!と思いながら贅沢な二度寝に落ちた。
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