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第1話

「ええ〜嘘でしょ……マジ?」


 駅の構内は通勤で電車を利用する人で溢れ返っている。皆、一様に同じ顔をしていた。


「え〜…ただ今入った情報によりますと、○○駅で発生した人身事故の対応が後一時間近くかかる見通しとのことです。ご利用のお客様につかれましては、この度…」


 構内に流れるアナウンスは絶望的だ、これでは今日中に自宅へ戻れそうになかった。

 今日は本当に運が無い、定時間際になって急ぎの仕事が入り、そこから遅い時間帯まで残業をやって、重い足取りで向かった駅では人身事故の影響で電車が運転見合わせ、踏んだり蹴ったりとはまさにこの事である。

 人でごった返す改札口を離れて駅の外へ、駅前のロータリーではタクシー待ちの長い行列が出来ていた。


(困ったなあ〜どうしよう…今から寝カフェに行ってもどうせ満室だろうし、ホテルはお金がかかるし…)


 汚れた街灯の下でスマホを取り出し、最寄りの寝カフェやらホテルやら、泊まれる所を探してみる。

 同じように調べていたらしい別の人が、何度も電話をかけ直しているのが目に映った。

 

(うう〜ん…誰か泊めてくれそうな人…ん?)


 マップの画面から電話帳に切り替え、順にスクロールしている時にその名前が目に止まった。


帰島(きとう)あかり』


 俺の姉の名前だ。

 最後に連絡を取ったのはいつだろう、その時はほんとろくでもない用事で電話をかけたはずである、それから一度も顔を合わせていないし連絡すら取っていない。

 そんな相手に電話をかけて「泊めてほしい」とお願いするのは気が引ける、かといって電車が動き出すまで外にいるのは辛い。

 

(ええ〜い…ままよ!)


 背に腹は代えられない、俺は思い切って通話ボタンをタップした。

 耳に当てたスマホから呼び出し音が鳴る、出てほしいという気持ちと出なくていいという相反する気持ちが入り乱れ、そして呼び出し音が止まった。

 相手が出たのだ。


「もしもし?」


「あ〜…姉ちゃん?まだこっちにいたりする?」


 俺が働く職場は自宅から少しだけ遠い、電車で片道三〇分ほどだ。姉が住んでいるマンションは職場から私鉄で二駅ほどの所にあったはずである。


「いるけど…何?」


 返される言葉は素っ気無い、実の家族でも疎遠であればこんなものだ。

 俺は電車が止まった事と泊まれる所が無い事を説明し、先を読んだ姉の方から、


「うちに泊めてほしいってこと?」


「う、うん…一日だけで良いんだけど…」


 どう考えてもいきなりこんな頼み事をされたら迷惑に思うに違いない。

 けれど姉は、


「別にいいけど。あんた今どこにいるの?」


「え。──ああ、◇◇駅ってとこ」


「それなら早く私鉄の駅に向かって、もう終電なくなるかもしれないから」


「あ!う、うん、ありがとう」


「私のマンション覚えてる?」


「お、覚えてる、はず」


「分からなかったからまた連絡して。それじゃ」


 意外とすんなりと許可が下りた。

 ドキドキした胸を落ち着かせる暇もなく、俺は私鉄の駅へ向かう最終バスに飛び乗った。



 飛び乗ったバスも、代行輸送をしている私鉄の電車も満員。日付けが変わろうかとしている時間帯にも関わらず、凄い人の量だった。

 人混みに疲れて何とか辿り着いた姉のマンションは築浅でとても立派、俺が住んでいるワンルームマンションとは比べものにもならない。

 ゴミ一つ落ちていない綺麗なエントランスを抜けて姉が居る部屋へ向かう。ヒーリングライトで足元が照らされた廊下を抜け、本物の観葉植物が置かれた角を曲がった先に姉の部屋があった。

 マンションの外廊下からは絶賛運転見合わせ中の線路が見えた。長い車輌が駅ホームの手前で停車していた。

 日付けも変わり時計の短針が半分近く回った辺りで到着、インターホンを鳴らすとそう時間をかけずに扉が開いた。


「災難だったわね」

 

「ああうん、まあ…」


「入って」


 姉が嫌の顔一つせず、俺を出迎えてくれた。

 玄関から短い廊下を渡ってリビングに入る。キッチンがあってリビングがあって、その横手に姉の寝室があった。

 そのキッチン前に置かれたテーブルの上には手付かずになっている料理が置かれていた。

 「これは何だ?」と見ていた俺に姉が気付いて、何でもないように「それ食べていいから」と言ってくれた。


「え?いいの?」


「いいよ別に。あ、もしかしてどこかで食べてきた?」


「ううん、凄いお腹減ってる。仕事終わるのが遅くてさ、帰ってから食べようと思ってたんだけど電車が止まってて」


「それで足りる?」


「足らす」


「何それ」


 姉がくすりと笑った。

 身内自慢かもしれないけど、姉は美人である。すらりと身長は高く、顔立ちも良い。確か、化粧品販売店の店長をやっていたはずだ。

 普段はクールで何を考えているのか一見しただけでは分からない、けれど笑う時は照れ臭そうにするし、怒ると子供みたいに拗ねる、そういうギャップを持った人だった。

 そんな姉とは高校へ進学する前から仲が悪くなり、実家にいた時から殆ど口を利かなくなっていた経緯があった。だからこうして会う時はいつも緊張する、会うと言っても、社会人になってからこれで二度目だ。

 姉が作ってくれた料理は簡単な野菜炒めである、肉だって入っていない。けれど、こんな形でお邪魔して、しかも料理まで作ってくれた事に俺はとても感謝した。

 とくに世間話をするでもなく自分の近況を語るでもなく、いそいそとご相伴にあずかった。

 ものすっごく情けないけど、目元が湿っぽくなりつい鼻を啜ってしまった。


「あんたまさか泣いてるの?ウケる」


 そんな俺を姉は、ダボついた部屋着の袖口で口元を隠しながら笑い飛ばした。

 そんな姉も、目が潤んでいるように見えた。

 やっぱり全然足りなかったけど心はあったまった野菜炒めを食べ終え、ようやく人心地がついた俺は近況について姉と話し合った。


「あんた今どうしてんの?まだ向こうにいるの?」


「そ」


「お母さんと一緒?」


「ううん、いい加減一人暮らしでもしてこいって追い出されたから一人で暮らしてる」


「何それ可哀想」


「姉ちゃんは?」


「私はずっとこっちよ、とくにあれから何も変わってないわ」


「確か店長やってるんでしょ、凄いね」


「そんな大層なもんじゃないわ、クレーマーの対応したり使えない奴を駆使してお店を回してるだけ。それも私がいるショッピングモールのマネージャーがまた要領の悪い人でね〜」


「大変そう」


「他人事みたいに…あんたは工場で働いているんでしょ?」


「そうだよ、俺もずっと変わらない。給料は他と比べて低いけど有給が取りやすいから」


「いいね〜こっちはなかなか有給取れないのよね〜そのくせ年間取得日数だけは取れってうるさいから、取った体で普通に働いてるわ」


「何それブラックにも程がある」


「あんたもそう思うでしょ?」と、姉も俺も互いに対する遠慮がなくなり言葉が弾んだ。

 姉は話をする時ニヒルな顔をする癖がある、それがまた格好良く、子供の頃は憧れたものだ。

 せっかく打ち解けたんだし、このまま喋っていたかったけど時間も時間だ、もう十分に遅い。後ろ髪を引かれる思いで会話を切ろうと話を止めた。


「──あ、ごめん、遅いのにベラベラと…俺は何処で寝ればいい?」


「──ああうん、そうね、マットレスがあるからそれ使って、悪いけどリビングで寝てくれる?」


「うん全然、泊めてもらえるだけ有り難いから」


 姉がテーブルから離れる間際、


「ところで、明日は仕事なの?」


 と、姉がそう尋ねてきた。


「ううん、あんまりに遅い時間までかかったから腹いせに有給取ってきた」


「何それうらやま。──なら別にいいんじゃない、明日は私も休みだから」


「そうなの?」


「うん」と、少し言い難そうにしながら続けて姉が言った。


「あんた、お酒呑める?」


「呑めるけど…お酒あるの?」


「あるよ、日本酒がある」その言葉に食い付いた。


「マジ?!どんなの?見せて!」


 姉がキッチンへ行き、棚から一升瓶を取って戻ってきた。

 それはとても有名なお酒でとても旨いものだ。


「すげ!これ高かったんじゃないの?」


「貰い物よ。一人で呑み切れないから、友達とかうちに来た時に一緒に呑むようにしてるの」


「ええ〜〜〜これ俺呑んでいいの?」


「他に誰がいるのよ」と姉が照れ臭そうに笑った。

 こりゃとんでもない、思い切って電話をして良かった。タダで泊まれて料理もお酒もご馳走になって、至れり尽くせりだ。

 姉が湯呑みに注いでくれた日本酒に口を付ける、ほのかな甘みと酸味がぐんと舌の上で広がり、喉を通った時にはすうっと引いていった。


「うんま〜〜〜!ちょ〜美味しい〜」


「あんた日本酒呑めるのね」


「うん、友達と旅行へ行った時に味を覚えてさ、それから一人で晩酌する時に良く呑むようになったんだ。まさか姉ちゃんも呑んでたなんてね〜知らなかったよ」と言いつつ、呑み続ける。

 そうやって、夜も遅い時間帯にも関わらずお互い日本酒を呑み続け、酔いが回ってきた時に姉がぽつりと本音を漏らした。


「正直に言うとね〜話し相手が欲しかったのよ〜まあこの際あんたでも良いやと思って、だから泊めてあげることにしたのよ〜」


「いや〜電車止まって良かった〜」


「何それ!今でも電車動いていないんだからまだ乗ってる人に失礼でしょ!」


 酔いも回れば遠慮などさらに要らない、姉もけらけらと口元を隠さずに笑っていた。

 どうやら姉は寂しかったようだ。


「話し相手が欲しいって、友達とか呼んだりしないの?」


「呼ぶにしたって限度ってもんがあるでしょ。それに、私の周りは仕事熱心な人ばっかりで遊びより労働を取るのよ」


「うえ〜理解できない…」


「あんたは昔っから怠けてたもんね〜」


「ね〜同じ姉弟とは思えないね〜」


 俺の言葉に姉がまた笑った。



 千鳥足でシャワーを浴び、くらくらする頭で皿洗いも終え、姉が用意してくれたマットレスに倒れ込んだ。

 良い匂いがする、芳香剤か柔軟剤か。その匂いに包まれながらあっという間に意識を手放した。

 それから起き出したのは朝も早い時間だ。窓の向こうはまだ薄暗く太陽も昇っていない、線路に止まっていた電車もその姿を消し、今日も当たり前の一日が始まろうとしていた。

 俺はお酒に強いのか、それとも単に日本酒がそうなのか、二日酔いを一度もしたことがない。

 嘘である。今でもちょっと頭は痛いけど寝込むようなことはない。

 俺は姉に恩返しをしようと朝食を作ることにした。無断で冷蔵庫の扉を開ける、それなりの食材が入っていた。


(これなら何とかいけそう)


 卵にベーコンブロック、それから半端なレタス、これだけでご飯は作れる。

 棚から姉と一緒に呑んだ日本酒を取り出す、迎え酒をするわけではない、お米を炊く時に一緒に入れると美味しくふんわりと炊き上がるのだ。

 お米を研いで炊飯器へ、それからお椀を二つ取り出し卵を割り、黄身と白身にそれぞれ分ける。白身は泡立つまでかき混ぜ、それから黄身と一緒に混ぜる、こうすることでふんわりとした卵焼きが完成する。

 かちゃかちゃやっていると姉が起き出してきた。


「あんた…何やってんの…?」


「朝ご飯作ってる。泊めてくれたお返し」


「…そう、ありがと」


 そう言って姉がまた寝室へ戻った。

 どうせなら食ってしまえと自分の分も作り、朝ご飯が完成した時にスマホに連絡が入った。

 

「げっ……」


 職場の上司からだ、この人はいつも朝が早い、何でも俺より遠い所に住んでいるんだとか。

 上司から入った連絡は昼からでも会社に来られないかというものだった、何でも夜勤中に仕事のミスがあったらしい。


(ええ〜〜〜!すっごい嫌なんですけど!)


 俺今日有給なんですけどと返事を返す、向こうから知ってると返ってきた。さらに、早く終わったら時間有給にして帰っていいからと追撃が来た。


(こんな事ってあるの?有給取消しじゃん…まあでも、行くしかないか…)


 それなら明日有給にして土日合わせて三連休にしますからと最後の抵抗を試みる、普段からお世話になっている上司から( *`ω´)bと返ってきた。どっちやねん。

 どうせ行かなきゃならないんならさっさと行ってしまえと、出来立ての朝ご飯を食べてお世話になったマットレス(三段折り)を片付け、姉が眠る寝室の扉をとんとんと叩いた。

 叩いてから、あ!後から連絡入れておけば良かったと後悔するが、姉がまたそろりと扉を開けて出てきた。


「何…?」


「俺今から仕事だから」


「あれ…休みって言ってなかった…?」


「そうなんだけど、来てほしいって連絡があってさ」


「そう…まあ、頑張って、行ってらっしゃい」


「うん、行ってきます」


 何年ぶりだろうか、そう姉と挨拶を交わしたのは。

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