二度寝って最高だよね
駅のホームで、電光掲示板を見上げながら悩む。
次の電車がいつも乗るやつだけど、その次の電車でもまだ間に合うし、座れる。
どうしよっかな。
はふっとあくびが出たから、決定。
次の次にして寝ていこう。
すぐホームに入ってきた電車に乗って、カドの席に座る。
スマホのアラームを到着時刻の三分前にセットしてたら、またあくびが出た。
ゆうべ三時までグループチャットしてたから、さすがに眠いなあ。
今日も仕事だって、わかってはいたんだけど、ゆうべのアニメの展開がすごすぎて我慢できなかったんだよね。
深夜アニメだから深夜放送なのは当然なんだけど、その後に語りあう時間がほしいから、せめて夜十時ぐらいだとありがたいんだけどな。
あくびをくり返しながら、ななめ掛けしたバッグをしっかり抱えこんで、横の手すりに頭を乗せて目を閉じた。
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「起きろ」
うぅん……?
「だらしなく足を伸ばすな。
他の客の迷惑だ」
靴の爪先に、こつんと蹴られたような振動が伝わる。
この声、は……。
うっすら目を開けると、やっぱり目の前に吹田さんが立ってた。
「あ、おはようございまふ……」
あくびしながら言うと、吹田さんの眉間にシワが寄る。
「……おはよう」
それでも、ちゃんと挨拶返してくれるとこは、まじめだなあ。
「足を閉じてひっこめろ。
他の客の迷惑だ」
くりかえし言われて、足下に視線を落とすと、きちんと閉じてたはずの足がななめに伸びてた。
「すみません……」
あわてて足をひっこめながら、またあくび。
「昨夜寝てないのか」
「あ、いえ、ちょっとは寝たんですけど、友達と長話して夜更かししちゃって……」
『深夜アニメに興奮してチャットしてました』なんて、上司じゃなくても一般人には言えない。
ごまかすように言うと、吹田さんは小さくため息つく。
「趣味を咎めはしないが、仕事に支障が出ない程度にしろ」
うわ、ほぼバレてる。
ん、あれ、なんでバレてるの?
私、カワイイもの好きってことは言ったけど、オタクだってことは言ってないのに。
通勤の時は見た目でバレないように偽装して、オタグッズも持ってないのに。
なんで?
とまどいながら見上げて、違うことが気になった。
「吹田さんて、電車通勤でしたっけ?」
「その時による」
理事官クラスって、運転手つきの車移動が基本だったはずだけど。
電車利用してるって、意外と庶民的。
でも、オーダーメイドスーツだと浮くなあ。
電車がホームに着いて、隣に座ってた女性がおりる。
「あ、どうぞ」
「……ああ」
吹田さんは、ちょっと迷うカオをしてから、隣に座った。
なんだろ。
不思議に思ってると、アナウンスが入った。
【ただいま次の駅との間の踏切で、乗用車が踏切内で停まっているという情報が入りました。
乗用車を移動させ、安全を確認できるまで、この電車は当駅で待ちあわせをいたします。
お急ぎのところご迷惑をおかけして、まことに申し訳ございません。
発車までしばらくお待ちください】
「……あれ」
人身事故ってほどじゃないみたいだけど、車輪ハマっちゃったのかな。
どーしよ。
ドア上のモニターで確認すると、目的地まで後二駅だった。
ここからじゃ、歩くには遠いけど、待ってて遅刻になるのもイヤだし。
「……どうします?」
聞いてみると、吹田さんはちらっと腕時計を見る。
「歩けない距離ではないが、まだ多少時間に余裕がある。
電車が動くのを待ったほうがいいだろう」
「そうですね……」
男の人なら歩けるかもしれないけど、パンプスで二駅分歩くのは、けっこうつらいんだよね。
吹田さんがいいって言うなら、いっか。
でも、念のためにマイさんに連絡しとこう。
スマホから手早くマイさんにメッセージを送ると、すぐに≪オッケー≫って返事が来た。
これで無断遅刻にはならないね。
ほっとして、隣に座る吹田さんの横顔を見る。
「なんだ」
「えっと……」
やっぱり気になるし、聞いてみようかな。
ちょっとだけ顔を寄せて、耳元で小さな声で言う。
「私がオタク、えっと、マンガとかアニメとかが大好きってこと、どうして知ってるんですか?」
シロさんはオタクが何かよくわからない感じだったし、おぼっちゃまかつエリートの吹田さんも同じかもしれないから、わかりやすい言葉を加えて聞いてみる。
しばらく間を置いてから、吹田さんは同じように小声で答えた。
「真白は、親の教育と性格のせいで俺に隠しごとができないから、おまえのことも一通り報告を受けている」
「え」
こないだは名字で呼んでた気がするけど、プライベートだと名前で呼んでるのかな。
『親の教育』って、シロさんは吹田さんちの使用人の家系だから、吹田さんに絶対服従みたいな感じに育てられたってこと?
友達のことを話すのは普通かもしれないけど、『報告』なんだ。
うーん、ツッこみどころが多いなあ。
でもまあ結局はシロさんから聞いたってことだよね。
「シロさんから聞いたなら、いいです」
別に口止めしてないし、知られて困ることでもないし。
変な噂でも出回ってるのかと思ったけど、違ってよかった。
私はほっとしたのに、吹田さんはなぜか考えこむようなカオになった。
「なんですか?」
「……いや」
なんだろ。
話してる間も、電車は動かなかった。
まわりの乗客がそわそわしだして、電車を降りる人もいれば、スマホで会社に連絡してる人もいた。
駅員や車掌のアナウンスは『しばらくお待ちください』ばっかりで、当分動きそうにない。
ため息ついた時、スマホが振動してアラーム時刻を知らせる。
さっき、寝すごさないためにセットしたやつだ。
てことは、ほんとならもう駅に着いてなきゃいけない時間。
やっぱり遅刻かな。
結局あんまり眠れなかった。
またあくびが出る。
眠い~~。
どうせ動けないなら、寝ちゃおうかな。
「あの、吹田さん」
「なんだ」
「私、眠いんで、しばらく寝てます。
駅に着いたら起こしてください」
にっこり笑って言うと、吹田さんは眉をひそめる。
気にせずバッグを抱えなおして、寝る体勢を整えた。
ボウリングの時と、一緒に買い物した時と、今のことで、だいぶわかった。
吹田さんは、態度も口調も偉そうだし、ちょっと恐そうだけど、理不尽なことは言わないし、しない、まじめな人だ。
だから、大丈夫。
「おやすみなさい……」
うつむいて目を閉じたとたん、眠りに落ちた。
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ぐらっと、頭が揺れる。
ぐらぐら、くらくら。
おちつかない。
かくんとうなだれても、やっぱり、ぐらぐら、くらくら。
うー。
また揺れて、ぽすっとどこかに寄りかかった。
頭が安定して、ほっとする。
ふわっと、シトラスの香りがした。
いいにおい。
ゆっくり、眠れ、そう……。
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「起きろ」
ん……?
「もうすぐ駅に着くぞ」
えー、もう……?
「『もう』じゃない、やっとだ。
動きだすまで一時間かかったから、完全に遅刻だ」
でも、もうちょっと、眠ってたかったな……。
「充分だろう。
仕事中に居眠りするなよ」
「はぁい……」
しぶしぶ目を開けると、人がぎゅうぎゅう詰めで、びっくりする。
え、なんで?
「駅に停まっていた間に増えた。
降りる時が面倒だな」
あ、そっか。
びっくりした……。
はふっとあくびして、ようやく吹田さんの肩にもたれて寝てたことに気づいた。
「す、すみません」
あわてて頭を起こして体を離すと、吹田さんは呆れたように私を見る。
「いい度胸だな。
だが、一人の時は気をつけろ。
荷物を持っていかれるぞ」
「はい……」
隣に吹田さんがいるの、すっかり忘れてた。
知らない人じゃなくてよかったけど、上司の上司の上司の人を枕にしたほうが、ヤバかったかな。
でも、怒ってないみたいだから、大丈夫かな。
電車が減速しだすと、吹田さんは軽く周囲を見回してから、私の耳元に口を寄せる。
「化粧道具は持ってきているのか」
なぜか小声で言われて、きょとんとする。
なんでそんなこと聞くんだろ。
「持ってますけど……」
いつもの時間にいったん起きたけど、二度寝しちゃったから、化粧する時間なかった。
庁舎に着いたら、課室に行く前にトイレで化粧するつもりだった。
「なら、駅に着いたら、駅のトイレで顔を洗って化粧をしろ」
「え、でも……」
始業時間は、とっくにすぎちゃってる。
マイさんに連絡したし、遅延証明出るだろうけど、そんなにのんびりしてるヒマはないと思うんだけどな。
「人が多すぎるから、どうせ改札を出るのに時間がかかる。
後から来たほうが効率がいい」
それは、わかる気がするけど。
でも、なんで?
とまどいながら見つめると、吹田さんはちょっとだけ目元をやわらかくして囁く。
「右頬に、スーツの縫い目の跡がついている。
すぐには消えないだろうが、せめてめだたないようにしておけ」
「えっ」
思わず頬を押さえる。
そりゃ、寄りかかっちゃった私が悪いんだけど。
そういうことは、早く言ってよー。
電車がゆっくりホームに入っていく。
「トイレは後方だ。
人が減ったら、車内を通ってあちらに行け。
ただし、時間が経つと発車するから、降りるタイミングを間違えるなよ」
「はい……」
頬を押さえたままうなずいた時、ドアが開いた。
一斉に人が降りて、電車の中はすいたけど、そのぶんホームは大混雑。
吹田さんの予想通りだ。
しぐさで促されて一緒に立ちあがると、ふわっとシトラスの香りがした。
これ、吹田さんの香水だったんだ。
「俺は行くぞ」
「はい。
ありがとうございました」
「ああ」
降りていく吹田さんを見送って、言われた通り電車の中を通って後ろのほうに進んで、発車直前におりた。
人混みを抜けてトイレに向かう。
鏡で見ると、頬にななめに赤い線がついてた。
これは、確かに、めだつかも。
ちょっと水が冷たかったけど、顔を洗って、手早く化粧すると、あんまりめだたなくなって、ほっとする。
道具を片づけてて、突然気づく。
私、吹田さんに、スッピンの寝顔を見られたってことだよね。
それって、ちょっと、かなり、恥ずかしい、かも。
「うーん……」
化粧ポーチをバッグに戻して、トイレを出る。
人はだいぶ少なくなってた。
改札に向かいながら、小さな声でつぶやく。
「……ま、いっか」
他のオジサン達ならともかく。
吹田さんなら。
いいかな。