エリートだってカワイイものが好き①
スマホの地図画面とまわりを交互に見ながら歩いてて、向かいから歩いてきた人に気づく。
あれ、って。
「吹田さん……?」
思わずあげた声が聞こえたのか、足を止めて私を見た吹田さんは、かすかに目元をすがめた。
「一課の事務担当の、御所か」
「…………ハイ」
半月前の懇親会の時、顔を知られてるのはわかったけど、名前まで知られてたんだ。
一課長に次ぐ立場の人に知られてるって、喜ぶべきかどうか、微妙。
あ、そうだ。
「あの、今更ですが、懇親会の時はありがとうございました」
きちんと姿勢を正して、深々と頭を下げる。
私が中学から通ってた女子校は、礼儀教育にも結構うるさくて、お辞儀のしかたもしっかり学ばされた。
当時はうっとーしいと思ってたけど、社会に出てから意外と役立ってるって気づいて、今は先生達に感謝してる。
ゆっくり頭を上げると、吹田さんは感情の読めないまなざしで私を見てた。
なんだろ。
「あの後、宝塚とはどうなった」
あ、それが気になってたんだ。
「翌朝に謝ってくれたから、それまでと変わらず接してます。
シロさんが、私と友達になったって、宝塚さんに話してくれたらしいです」
シロさんとはあれ以来会えてないけど、メッセージのやりとりは続けてる。
毎日だと忙しいシロさんの負担になっちゃいそうだから、三日に一度ペースだ。
好きな食べ物とか、お気に入りのぬいぐるみとか、ちょっとずつ教えあってる。
「そうか」
軽くうなずいた吹田さんは、ちょっとだけ優しいカオになった気がした。
宝塚さんやシロさんのこと、心配してたのかな。
「ところで、吹田さん、こんなとこで何してたんですか?」
「買い物だ」
手元を見ると、持ってるA4サイズの紙袋にはメンズのブランド店のロゴがついてた。
仕事中の吹田さんはいつもオーダーメイドスーツだから、当然かもしれないけど、有名ブランドなのは、さすがキャリアってことかな。
でも。
「なんだ」
じろっとにらまれて、思わず顔の前でぱたぱた手を動かす。
「なんでもないです、ただ、あの、今日の吹田さんは、なんていうか、お若いなーと思って」
前髪をおろして、眼鏡が文系大学生みたいな黒縁で、服がブランド物とはいえカジュアルになっただけで、めちゃくちゃ若く見える。
どう見たって、おぼっちゃま大学生。
三十二歳のはずなのに、十歳以上若く見えるって、すごいな。
あれだ、非番の日に緊急招集がかかって、外出先から私服で現場に直行したら『若造がなんの用だ』とか所轄のオジサン刑事に邪険にされて、身分証出したとたん『け、警視殿!』って大騒ぎになるやつ。
ドラマとかでは定番ネタだけど、リアルに体験すると詐欺だよね。
「休日にどんな格好をしようが、俺の自由だ」
「あーハイ、それはもちろんです」
うわー、機嫌悪そう。
私も若く見られるほうで、私服だといつも大学生に間違えられる。
老けてみられるよりはいいけど、あんまり嬉しくないきもちは、よくわかる。
愛想笑いをして、ふと思いつく。
「あの、吹田さん。
この後、何か御用ありますか?」
一歩近づくと、吹田さんはちらっと腕時計を見る。
「特にないが、それがどうした」
「あの、もしよかったら、私の買い物につきあってくれませんか?
ちょっと治安悪いとこにあるお店なんで、一人で行くの恐いんですけど、すっごくカワイイクマのぬいぐるみがあるらしいんです」
吹田さんの気をひけそうな言葉を早口でつけたすと、何か言いかけたのがぴたっと止まる。
しばらくの沈黙。
あれ、やっぱダメかな。
おそるおそる表情をうかがってると、じろっとにらまれた。
「どういう意味だ」
「え?」
「クマのぬいぐるみがあるからといって、なぜ俺を誘う必要がある」
「え、だって、吹田さん、クマ好きですよね?
テディベア柄のハンカチ使ってたとか、靴下にワンポイントでクマがついてたとか、よく聞きますよ」
「誰からだ」
鋭い切り返しに、ちょっと困る。
「えーと、友達とか、知りあいとか。
吹田さんって有名人だから、噂が回るの早いんですよ」
さすがに【同盟】ネットワークのことは言えないから、なんとなくぼかす。
吹田さんは小さく舌打ちする。
「女の噂好きは、どこでも同じか」
「まあ、そうですね」
もう一度舌打ちした吹田さんは、しばらく間をおいてから言う。
「俺とおまえで、基準が同じとは限らんだろう」
「それは……」
確かに、カワイイの基準は人によって違うもんね。
普通のカワイイだけじゃなくて、ブサカワとかキモカワとかグロカワとか、いろいろあるし。
好みの傾向確認するには、どうしたらいんだろ。
あ、そーだ。
「あの、これ、どう思います?」
スマホストラップのウサギを見せると、吹田さんの眉がぴくっと動いた。
「……まあまあだな」
あ、なんかいい感触かも。
「じゃあ、これはどうですか?」
ななめ掛けしてるショルダーバッグにつけてるキーホルダーのクマを手の平に乗せて見せると、また眉がぴくっと動く。
「……うむ」
「じゃあ、これ」
バッグからクマ型ポーチをひっぱりだして見せると、唇の端がゆるんだ。
「……それは、どこで買ったんだ」
「オンラインショップです。
よかったら、後で教えますね。
で、たぶん私と吹田さん、好みが似てると思うんですけど」
「……そのようだな」
「一緒に、来てくれませんか?」
「……………………」
吹田さんはしぶしぶみたいなカオで、うなずいた。
「いいだろう」
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「えーっと、この先を……」
スマホの画面を見ながら、細い路地を進んでいく。
吹田さんは、二歩後ろをついてくる。
「本当にこんなところに店があるのか?」
「ある、はずなんですけど」
きょろきょろ見回して、SNSで紹介されてた写真と同じ風景を見つける。
薄汚れた雑居ビルの二階の窓に、紙に手書きした店の名前の看板が貼ってあった。
「あ、あそこみたいです」
細くて狭くて暗くてちょっと汚い階段をおそるおそるのぼって、二階の廊下を進む。
窓のないスチールのドアに端が破れた紙が貼ってあって、なんとか読める程度の手書きの字で店の名前が書いてあった。
ドアはきっちり閉まってるのに、ハードメタル系の音楽が聞こえてくる。
「これは本当に店なのか?
違法営業ではないのか」
「届出とかをちゃんとしてるかまではわかりませんけど、服のリサイクルショップですよ」
たぶん。
私もちょっと不安だったから、吹田さんに一緒に来てもらったんだよね。
でもそう言ったら、吹田さんは仕事モードになっちゃいそうだから、ごまかしとこう。
オープンのフダがぶらさがってるドアノブを、ゆっくり回す。
重いドアを体で押して開けたとたんに、音が大きくなった。
ドアの右横に、オモチャみたいな小さなレジが置かれた事務デスクみたいなのがあって、その前に若い男の人が座ってた。
「らっしゃーい」
ちらっと私達を見て、おざなりに言って、すぐ手元のスマホに視線を戻す。
冷やかしだと思われたのかな。
まあ、私達の服を見たら、ここの服を買いにきた客には見えないよね。
でも、ほっといてくれるほうがありがたい。
元は倉庫なのか、高いところに窓がある。
二十畳ぐらいの店の中は、ハンガーラックがぎっしりで、合間をようやくすりぬけられるぐらいだった。
ぶらさげられてる服は、ハードメタル系の人が着てそうな、ハデな色と柄のものばっかり。
着たいと思うようなのはたぶん一着もないけど、目的は服じゃないからいいんだ。
「えっと、こっちのほうに……」
服をごそごそかきわけて、左側の奥に向かう。
壁に打ちつけられた太い釘からぶらさがってる大きめのカゴの中に入ってるのは、ハデな色と柄の、手乗りサイズのクマのぬいぐるみだった。
「あった、これだー」
店長のカノジョが、買い取ったものの汚れたり破れたりで売り物にならなかった服の、きれいな部分で作ってるらしい。
色とか模様を上手に使ってて、一見奇抜な感じなのにちゃんとカワイイ。
バンドやってるカレシと一緒にこの店に来た女のコが、SNSで写真つきで紹介してたのを見て、一目惚れしちゃっちゃったんだ。
「うわー、これもいいなあ、あ、これもー」
とっかえひっかえ手に取って、きゃいきゃいさわぐ。
どうせ音楽でうるさいし、他に客いないし、かまわないよね。
「ね、吹田さん、これどうですか?」
隣に立つ吹田さんに、手の平に乗せてさしだしてみる。
吹田さんはちらっと見て、眼鏡のブリッジを指先で押しあげた。
「まあまあだな」
「えー、じゃあこっちは?」
「……うむ」
あ、目元がちょっとやわらかい。
なるほど、こういう色合いのほうが好みなんだ。
とすると。
「じゃあ、これどうですか?」
「……なかなかだ」
ひととおり全部見て、また一個ずつじっくり見直す。
二十分ぐらいかけて、自分用に三個、吹田さんに二個選んだ。
「じゃあ、お会計してきますね。
吹田さん、先に出ててください」
一個五百円だから、ついてきてもらったお礼としては安いぐらいだけど。
「よこせ」
「え」
吹田さんは、私が両手で持ってたものを全部ひょいっと取りあげた。
そのままドアのほうへすたすた歩いてく。
え、なんで?
あわてて追いかけると、吹田さんは入口前のデスクにたどりついて、レジの横にぬいぐるみを置く。
「これをもらおう」
「まいどー」
店員の男の人は、やっぱりおざなりに言いながら、何も書いてない茶色い紙袋にぬいぐるみを放りこんで、口を折る。
「二千五百円っスー」
吹田さんが五千円札を出すと、男の人はぽちぽちレジを打って、おつりとレシートを渡す。
吹田さんはそれを財布に入れてから、軽く紙袋をつつく。
「これは、あのカゴに入っていたもので全部なのか。
他にも在庫はあるのか」
「出てるだけっス。
リエさん、えーと、作ってる人が、シュミで作ってるだけなんで、そんなに数はねえんスよ」
「次の入荷はいつだ」
「それもリエさん、作ってる人次第なんで、わかんねっス」
「そうか、わかった」
紙袋を持った吹田さんは、ちらっと私をふりむく。
「出るぞ」
「あ、はい」
「あざーっしたー」
間延びした声に送られて、廊下に出た。