イケメンににらまれると恐い②
「何をしている」
宝塚さんの背後から、強い声が聞こえた。
ふっと宝塚さんの気配が揺らぐ。
張りつめた空気がゆるんで、全身に感じてた圧力が消える。
体を起こした宝塚さんは、私から二歩離れた。
「……っ」
膝から力が抜けて、その場にへたりこむ。
頭がくらくらして、けほけほ咳をしながら浅い呼吸をくり返す。
あー、これ、酸欠になりかけてる、ヤバい。
「何をしていると、聞いている。
答えろ」
カツカツと硬い足音が近づいてくる。
この声……誰……?
「話を、してただけだ」
「殺気をまきちらしながらか?」
近づいてきた人が、私と宝塚さんの間に入って、私に背を向けて立つ。
ようやく咳が止まって、おそるおそる見上げると、スーツの背中が見えた。
「小娘にやつあたりするな、みっともない」
「…………」
宝塚さんは、何も言わないまま背を向けて、歩いていく。
その姿が完全に見えなくなって、ようやく安心できて、大きく息をついた。
殺気を込めてにらまれると動けなくなるって、聞いたことがある。
だけど、私は警察官じゃないし、ケンカもしたことないから、実際に体験したことはなかった。
さっき感じたアレが、そうなんだ。
前ににらまれた時も恐かったけど、さっきのは、ケタが違った。
心だけじゃなく、体まで凍りついた感じ。
何も考えられなくなって、呼吸さえできなかった。
めちゃくちゃ恐かった……。
「おまえは、一課の事務担当だったな」
「えっ」
上から声が落ちてきて、びくっとして見上げる。
黒髪オールバック銀縁眼鏡でオーダーメイドスーツ、いかにもキャリア官僚な見た目だけど小柄だから貫禄がたりない、この人は。
「す、吹田さん……?」
遠くから観察したことはしょっちゅうあるから顔は知ってるけど、直接話をしたことは一度もない。
なのに、どうして、ここに。
いや、今日の懇親会に参加してることは知ってるけど。
あれ、そもそも、なんで私の顔知ってるんだろ。
「俺が知る限り、宝塚が感情的になる原因は二つしかない。
あいつに何をした」
静かな問いかけに、返事に困る。
二つって、たぶん、家族の事件と、シロさんだよね。
正直に言っちゃっていいのかな。
「えっと……誤解なんです、あの、シロさんが、その……」
カレシの宝塚さんにもだけど、上司の吹田さんにも、シロさんが泣いてたからなんて、言いにくい。
どう言えばいいか迷ってると、吹田さんが小さく息をつく。
「それだ」
「え?」
「おまえが紫野とどういう関係かは知らないが、その呼び方を許した相手は、今まで宝塚しかいなかった」
「あ、さっき友達になって、そう呼んでもいいって言ってくれたんですけど。
……つまり、自分だけのはずの呼び方を私がしたから、ヤキモチ焼いたって、ことですか……?」
「だろうな」
あっさりうなずかれて、ぽかんとする。
「そんな……いくら妬いたからって、あんな、本気の殺気、向けられるなんて……」
加えて『泣き顔』発言のせいもあるんだろうけど、だからって。
「あれが『本気』のわけがないだろう」
「え?」
見上げると、吹田さんは淡々と言う。
「さっきのは、せいぜい一割だ」
「あれ、で……?」
息もできないぐらい、恐かったのに。
今もまだ、動けないのに。
あれで、一割……?
「……じゃあ、宝塚さんの、ほんとの『本気』って、もっとすごいんですか……?」
恐いけど、どんなのか、見てみたいかも。
「あの程度で動けなくなるような軟弱な神経なら、二割で気絶だな。
三割いけば、精神崩壊だ」
……やっぱ遠慮しとこう。
「まったく……こんなところで殺気をまきちらすな」
ため息混じりの言葉に、ふいにひらめく。
「……もしかして、宝塚さんが殺気出してるって気づいたから、助けにきてくれたんですか……?」
もし、あのまま宝塚さんににらまれてたら、ほんとに、おかしくなっちゃったかもしれない。
いや、おかしくなる前に、酸欠で倒れたかも。
「おまえを助けにきたわけではない。
あいつが本気でキレたら俺でも止められないから、そうなる前に対処しにきただけだ」
「はあ……」
吹田さんより宝塚さんのほうが身体能力も上って情報、ほんとだったんだ。
まあ、体格で比べても、宝塚さんのほうが強そうだよね。
それでも止めにきたのは、たぶん宝塚さんを心配して、なんだろうな。
「これに懲りたら、もうあいつを挑発するようなことはやめておけ」
「……はい……」
挑発したかったわけじゃないけど、結果的にそうなっちゃった。
シロさんて呼ぶのは、宝塚さんがいない時だけにしておこう。
「いつまでも座りこんでいると、体が冷えるぞ。
さっさと立て」
と言いつつも、手は貸してくれないんだ。
まあ、吹田さんは、女性だからって優しくしてくれるタイプじゃなさそうだもんね。
「はい……」
しょうがないから、自力で立とうとしたけど、無理だった。
「あれ……?」
足に力入らなくて、膝立ちにもなれない。
腰から下が、すっごいだるいっていうか、思い通りにならない感じ。
何これ。
「腰が抜けたか。
その程度であいつとやりあうとは、身のほど知らずだな」
別に、やりあいたかったわけじゃないんだけどな。
でも、こういうのが、『腰が抜けた』状態なんだ。
貴重な体験ができたのは、ありがたいんだけど。
どうしよう。
マイさんとか、女の人じゃ、きっと二人がかりでも、私を支えられない。
かといって、オジサン達に頼むのは、なんとなくイヤだし。
唯一頼めそうな宝塚さんが、こうなった原因なんだから、無理だし。
どーしよ。
ぐるぐる悩んでると、吹田さんがまたため息つく。
「しかたない、運んでやる」
「きゃっ」
言うなり、肩にかつぎあげられた。
何、なんでこうなるの!?
そりゃ、助けてもらえるのは嬉しいし、私より10センチ背が高いだけで細身な吹田さんに、お姫様抱っこを期待するのは無理なのもわかってるけど、だからって、荷物じゃないのにー。
「お、おろしてくださいっ」
「暴れるなら落とすぞ」
ぼそっと言われて、思わずジタバタしてた手足を止める。
「……でも、あの、この姿勢は、ちょっと……」
イヤっていうより、恥ずかしい。
「この姿勢と、襟をつかんでひきずってくのと、ここに放っていくのと、どれがいい」
「……………………この姿勢でお願いします……」
恥ずかしいけど、ひきずってかれるのも、ほっていかれるのも、ヤだ。
「なら、おとなしくしていろ」
「……はい……」
しぶしぶ答えると、吹田さんはすたすた歩きだした。
私、平均体重ぐらいだけど、吹田さんとの体格差を考えると、軽いってわけでもないはずなのに、揺らぎもしない。
小柄でも細身でも、男の人なんだなあ。
でもやっぱり、この姿勢は恥ずかしいな。
レギンス履いてるとはいえ、ワンピースの中が見えそう。
それに、もし誰かに見られて、どうしたのって聞かれても、説明できないし。
誰にも会いませんようにー。
心からの祈りが通じたのか、誰にも会わないまま、受付にたどりつく。
「お客様、どうなさいましたか」
カウンターの中にいた大学生ぐらいの女のコが、びっくりしたように聞いてくる。
そりゃ、びっくりするよね。
吹田さんは、私を肩にかついだまま平然と答える。
「貧血を起こしたようだ。
横にならせてやってくれ」
ほんとに貧血だったら、頭が下がってるこの姿勢は、かえって悪化しちゃいそうだけどね。
思わず心の中でツッこむ。
「あ、はい、ではあの、こちらへどうぞ」
女のコは、そこには疑問感じなかったのか、それともツッこまないほうがいいと思ったのか、スタッフ用らしい休憩室に案内してくれた。
壁際の背もたれのない長椅子に、一応はそっとおろして座らせてくれる。
「動けるようになるまで、おとなしく寝ていろ。
おまえのチームの者に、ここにいると伝えておいてやる」
「はい……ありがとうございます……」
態度はアレだけど、運んでくれたし、スタッフの女のコに私の世話を頼んでくれたし、吹田さんて、意外とイイ人なのかな。
枕がわりのクッションと毛布を持ってきてくれた女のコが出ていってから、ポケットからスマホを取りだした。
吹田さんが伝えてくれるって言ってたけど、どうせ聞かれるだろうから、≪ちょっと貧血っぽいのでしばらくスタッフ用休憩室で寝てます≫ってメッセージを送っておく。
大きくため息ついて、ゆっくり横になった。
短時間にいろんなことがありすぎて、頭がまともに動いてない感じ。
シロさんとなかよくなって、宝塚さんににらまれて、吹田さんに助けられて。
刑事部の有名人三人と、いっぺんにお近づきになっちゃった。
嬉しいような困ったような、複雑な気分。
あーダメだ、処理落ちしそう。
「……寝よう」
-----------------
一時間ほど眠るとちょっとおちついて、なんとか動けるようになった。
おなかすいたから、フロアに戻って、デリバリーの残りものを急いで食べる。
食べ終わった頃にはお開きになって、心配したマイさんが、迎えにきたカレシさんの車で家まで送ってくれた。
動けるようにはなったけど、だるかったから、助かった。
ぐっすり眠ったら元気になって、翌朝はちゃんといつもの時間に起きられた。
出勤して、書類棚裏で自分のコーヒーの準備をしてると、背後から声がした。
「おはよう」
「おはようございま……」
言いながらふりむいて、ぴきっと固まる。
た、宝塚さん!?
え、もしかして、昨日の続き!?
びくつく私を見て、宝塚さんは苦笑いを浮かべる。
「ゆうべはごめんね」
「え、あ」
「あの後、あいつに会って話を聞いたんだ。
御所ちゃんが友達になってくれたって、嬉しそうに言ってた。
シロって呼び方も、俺に気を遣って確認してくれたけど、自分からそう呼んでほしいってお願いしたって。
愛称で呼びあえる女友達は初めてだって、すごく喜んでた。
勘違いして恐がらせちゃって、ごめんね。
俺のことは気にしなくていいから、あいつの希望通り、『シロ』って呼んでやってほしい」
「あ、はい……」
そんなに喜んでくれてたとは思わなかった。
なんだか、嬉しいな。
でも『愛称で呼びあえる女友達は初めて』って、重い言葉だよね。
まじめすぎて、愛称で呼んでくれる人がいなかったのかな。
それとも、こどもの頃から吹田さんの従者みたいな感じだったから、なのかな。
うーん、もう少しなかよくなれたら、聞いてみよう。
「けど、泣き顔については、結局話してくれなかったんだ。
御所ちゃんが泣かせたわけじゃないなら、知ってることを教えてくれないかな」
静かな問いかけに、しばらく悩む。
「……シロさんが言いたくないなら、私からも言えません。
友情優先ですから」
サプリの時は、会う機会が多い宝塚さんを優先しちゃったけど、今は友達のシロさんのほうが大事だ。
さすがにここではキレないと思うけど、おそるおそる言うと、宝塚さんはちょっと驚いたようなカオをしてから、なぜか嬉しそうに笑った。
「そうだね、ごめん。
御所ちゃんがあいつの友達になってくれて、俺も嬉しいよ。
なかよくしてやってね」
「はい」
やったね、カレシ公認だ。
まずは今夜、お礼のメッセージから始めよう。