美女の頼みは断れない①
警視庁刑事部には、有名人が三人いる。
一人目は、吹田 公明さん。
三十二歳、独身、身長168cm。
肩書きは警視のキャリア組で、捜査一課の理事官。
名家のおぼっちゃま、東大法学部出身、数ヶ国語を理解し、剣道三段柔道二段、史上最年少で警視に昇進し理事官になる、プライド高いけど能力も高い。
見た目は黒髪オールバック銀縁眼鏡にオーダーメイドスーツで、いかにもキャリア官僚だけど、小柄なせいで貫禄はいまいち。
でもカワイイもの好きで、テディベア柄ハンカチやクマストラップの目撃例あり。
ドラマなら主人公の敵役ポジが似合いそうな、属性盛りすぎな人。
二人目は、紫野 真白さん。
三十一歳、独身、身長173cm。
肩書きは警部のキャリア組で、吹田さんの補佐。
東大法学部出身、吹田さんちに代々仕えてきた家系で、常に吹田さんの背後に控えている。
能力は高いけど性格はアレな吹田さんのフォローのために、日々苦労している。
見た目は黒髪ショートヘアに黒いパンツスーツのクール系スレンダー美女で、普段はほとんど表情が変わらないまじめさん。
ごくたまに笑った時は速報が飛びかうほど。
ハーレクイン系のヒロインできそうなぐらい、こちらも属性盛りすぎな人。
三人目は、宝塚 正大さん。
三十二歳、独身、身長183cm。
肩書きは警部で、捜査第一課所属の刑事。
東大法学部出身だけど一年留年してる、数ヶ国語を理解し、剣道三段柔道三段の他、資格多数。
ノンキャリの警察官として当初は神奈川県警に所属、今年警視庁の捜査一課に異動。
見た目はこげ茶色の癖毛にゆるいスーツのチャラ男で、イケメン細マッチョ。
こげ茶色の髪は地毛で、父親が日本人で母親がドイツ人のハーフ。
いつでもチャラいけど、実は吹田さんが唯一ライバルと認めたほどの天才で、記憶力も洞察力も身体能力も吹田さんより上、らしい。
スパダリになれそうなぐらい、やっぱり属性盛りすぎな人。
三人は同期で、東大法学部で切磋琢磨しあった仲らしい。
実際は、ライバル心むきだしでつっかかる吹田さんを宝塚さんがチャラくかわし、紫野さんが二人の間でおろおろしてたらしい。
本来なら、宝塚さんは吹田さんと同じくキャリア官僚を目指せる能力があったのに、ノンキャリの警察官になったのは、三人が大学四年の夏休みに起きた事件のせいだった。
宝塚さんが家族旅行で横浜観光中に交通事故に遭い、意識不明の重傷を負った。
一緒にいた両親は即死、妹は入院後四日目に死亡。
事故の相手も即死だったけど、ドラッグでラリった男子中学生で、親の車を運転して暴走してるところをパトカーに追われ、暴走して事故を起こした。
その祖父は元大臣の国会議員で、権力を使いまくって事故を揉み消したから、宝塚さんが目覚めた頃にはもう【終わった話】にされてた。
宝塚さんはそれに納得がいかず、怪我のせいで一年留年したものの、事故の真相を知るために警察官になり、刑事になって、捜査一課にやってきた。
三人の関係は、大学時代と違って今は明確な立場の差がある。
吹田さんと紫野さんは上司で、宝塚さんは部下。
仕事で接点があっても、三人とも立場に合わせた態度で接してる。
それでも、吹田さんは宝塚さんの能力を高く評価してるらしい。
捜査一課の刑事は三百人以上いて、いくつかの班に分かれてるけど、難しい案件の時はいつも宝塚さんがいる班を指名する。
そして、宝塚さんはいつもその期待に見事こたえて結果を出す。
私が大好きなバディものみたいで、見てるとドキドキする。
吹田さんや紫野さんは雲の上の人すぎて接点ないけど、宝塚さんは私が事務を担当する班だから、接する機会はけっこう多い。
宝塚さんは、見た目も言動もチャラいけど、ごくたまにダークなところが見え隠れするような、どこかヤバめの人だった。
視線とかにすごく敏感で、五秒以上見てたら絶対気づかれる。
目が合うとにこっと笑うんだけど、目の奥が笑ってない感じ。
アニメとかだと、闇落ちしてるのを隠して仲間になって、最後に裏切る系キャラっぽい。
ダークな理由は【同盟】ネットワークの情報でわかってたから、必要な時以外はなるべく関わらないようにして、遠くから妄想を楽しんでた。
ところが、半年ほど前から、宝塚さんの雰囲気が変わった。
チャラいのは変わらないけど、ダークなところが抜けた感じ。
不思議に思いながらも、接しやすくなって安心してた。
一週間ほどして、宝塚さんが変わった理由が紫野さんとつきあいだしたからだってわかった時は、【同盟】ネットワークのサーバが不安定になるほど大量のチャットメッセージが飛びかった。
私ももちろんびっくりした。
紫野さんは、吹田さんとつきあってると思ってたから。
私達だけじゃなく、二人を知る全員がそう思ってたはず。
ということは吹田さんがフラれたってことかと思ったら、そうでもないらしい。
吹田さんのとこの事務担当の【同志】情報によると、宝塚さんの様子が変わってからも、吹田さんと紫野さんの様子は変わりないままなんだそうだ。
吹田さんはプライド高いエリートだから、仕事中は私情を挟まずに接してるのかもしれない。
だけど、紫野さんはまじめすぎて意外と態度に出るから、元カレと今まで通りの関係を続けられるとは思えない、らしい。
だとすると、もともと吹田さんと紫野さんはつきあってなかったってことになる。
その情報はまた驚きで、執行部からチャット利用を控えるよう注意メールが来るぐらいの騒ぎになった。
ひととおり騒ぎがおちつくと、あちこちの【同志】から宝塚さんのことを聞かれるようになった。
あまりにも数が多いから、個別に返信するのがめんどくさくなって、執行部に頼んで宝塚さんの情報専用のチャットルームを作ってもらって、そこに書きこむようにした。
おかげで問い合わせは減ったけど、【同志】うちでは宝塚さん担当として名前が知られちゃって、日常ツイートが突然バズって有名人になった一般人の気持ちがわかった気がした。
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二課に書類を届けに行った帰り、課室の手前で声をかけられた。
「あの、捜査一課の、御所 美景さん、ですよね」
「はい?」
おそるおそるみたいな声を不思議に思いながらふりむいて、思わず固まる。
な、なんで紫野さんが私に声かけてくるの!?
仕事で接点なんてないし、今まで話したこともないのに!?
パニクってると、紫野さんは不安そうなカオになる。
「御所さんでは、ありませんか?」
「え、あ、いえ、そうです、御所です」
あわててうなずくと、紫野さんはほっとしたみたいに目元をゆるませる。
「すみません、髪型が違ったので、ちょっと自信がなくて……」
あ、昼休みに同僚のマイさんと髪型の話で盛りあがって、編みこみアレンジしてもらったんだっけ。
普段はハーフアップにして後ろ髪おろしてるから、わからなくなったのかな。
「何か私に御用でしょうか?」
まじめな紫野さんのことだから、たぶん事前に調べてきたんだろうけど、フルネームをちゃんと呼んでもらえて嬉しかったから、にっこり笑う。
今までの人生で、私の名前を初見で正しく読んでくれた人は一人もいない。
御所は地名にもあるからまだ読める人もいるけど、美景でミヒロは絶対無理。
両親は、漢字字典とか姓名判断の本とか読んで、画数とか調べて、いろいろ考えて決めてくれたらしいけど、読みやすさももうちょっと考えてほしかった。
ミケイとかビケイとか、あまりにも間違えられるから、小学生の頃から『ミケ』って名乗るようになって、今では友達だけじゃなくお母さんも私をそう呼ぶ。
「すみません、お願いしたいことがあるんですが、五分ほどお時間をいただいてもかまわないでしょうか」
静かな口調で丁寧に言われて、またびっくり。
紫野さんが私にお願いって、いったいなんだろ。
「はい……」
「では、すみませんがこちらに来ていただけますか」
「はい」
後をついてくと、会議室の一つに入っていく。
他の人に見られないっていう意味では、休憩スペースとかよりは安心。
「どうぞ、座ってください」
「はい……」
おそるおそる向かい合って座ると、紫野さんは姿勢を正して私を見る。
「お願いしたいことというのは、宝塚さんに関することなんです」
「え」
びっくりしたけど、そういえば紫野さんは宝塚さんのカノジョなんだった。
つまり、【同志】うちだけじゃなくて、紫野さんにまで、私は宝塚さん担当だと思われてるってことだ。
複雑な気分だけど、仕事上は確かに私が担当だしね。
納得すると、ちょっと気持ちがおちついた。
「えっと、なんですか?」
「これを、宝塚さんの飲み物に混ぜて、飲ませてあげてほしいんです」
言いながら紫野さんがポケットから出したのは、小さなプラスチックのボトルだった。
「ビタミンの粉末状サプリメントです。
味がないので、コーヒーなどの飲み物に混ぜればわからないと思います」
「はあ……」
さしだされたボトルを受けとって、ラベルを見てみる。
一日の摂取目標量とか、いろいろ書いてあった。
「先日の健康診断に付属するアンケートで、食事の栄養バランスに問題があって指導が必要と思われる人のリストが警察病院から送られてきたんですが、その中に宝塚さんも含まれていました。
話を聞いてみたら、普段あまり野菜を食べてなくて、短時間で食べられてカロリーが高いものを優先して食べているとのことでした。
職務の都合上、ゆっくり食事をできないのはしかたないと思いますが、せめてもう少し野菜を取るようにしてほしいと伝えても、『前からずっと似たような食生活だから大丈夫だ』と言われて……。
それで、こういうものを探してみたんですが、宝塚さんに直接渡しても、飲んでくださらないと思うんです。
ですから、課室で出す飲み物に混ぜて、宝塚さんに飲ませてあげてほしいんです。
こういうものは、毎日飲み続けることで効果が出ると思いますから」
「なるほど」
課室には業者のティーサーバーがあって、基本セルフサービスだけど、朝イチだけは事務担当の女性達で手分けして出すようにしてる。
宝塚さんに出すのは、たいてい私の役目。
ティーサーバーは書類棚の裏側で、人目はないし、混ぜるのはそう難しくないかな。
「これ、ほんとに味しないんですか?」
「はい。
私も緑茶とコーヒーにそれぞれ混ぜて飲んでみましたが、まったくわかりませんでした」
「へえ……。
試しに私も飲んでみていいですか?」
「はい」
「ありがとうございます」
実は私も同じように、健康診断の結果で野菜不足を指摘されたんだよね。
でも野菜はあんまり好きじゃないし、どうしようか困ってた。
味がしないサプリなら、同じの買って試してみようかな。
「なくなったら、またお渡ししますので、連絡してください」
「わかりました。
あ、コレ、宝塚さんには秘密で、なんですよね?」
紫野さんは、ちょっと気まずそうなカオでうなずく。
「……はい。
騙すようなことはしたくないんですが、そうでもしないと、飲んでもらえそうにないので……」
「ですよね……」
チャラ男とサプリなんて、絶対無理そうな組みあわせだもんね。
かわいいカノジョのお願いなら聞くのかと思ったけど、そうでもないんだ。
「私事でお手数おかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします」
階級も立場もだいぶ上なのに、紫野さんは深々と頭を下げる。
紫野さん、ほんとに宝塚さんのこと好きなんだなあ。
なんだかほっこりしちゃって、にっこり笑ってうなずいた。
「わかりました。任せてください」