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結婚7



テオドールの嫌そうな顔と、嬉しそうな従者たち。

シーラには、まだ分からないことがたくさんある。

そんな時は、答えを知っている本人に直接聞くのが一番だ。

誰か他人の言葉を鵜呑みにするより、きっと誠実で確実だ。



「はっはあああ!俺が、いつ、お前のことを、好きなどと言った!」


貴方は私のことが好きなのでしょうか――シーラが言い終わらないうちに、テオドールが物凄い勢いで振り返って叫んだ。

間違って人に噛みついてしまってもおかしくないほど動揺している。シーラも反射的にキュッと首をすくめたほどだ。


「言われていないので、確認したかったのです」


ブランケットの中に首をすくめたまま、シーラは意見した。


「自惚れるな!さっきから言っているが、け、結婚したかった訳じゃない。俺は従者が欲しかったんだ。ほら、お前は強いだろう」


テオドールはソファの前にある重厚なテーブルから、ほとんど苦し紛れにお茶の入ったティーカップを手に取った。

長いまつげを震わせるようにしながらカップに口をつけたり離したりしている。

お茶自体は舐める程度にしか飲めていないようだった。


……ふむ、やはり結婚したかったわけではないと言うのですね。


そのテオドールの様子を不躾にならないように観察し、シーラはゆっくり次の言葉を考える。


「テオドール様は、強いではないですか。従者は要らないのではないでしょうか」


「フ、フン。俺はお前みたいに接近戦は得意ではないんだ。だから、いざとなったら盾にできる奴でも雇おうと思ったんだ」


「でも、あれは雇用契約書ではなく婚姻届でした」


「あ、あれはうっかり間違えたんだ!うっかり護衛の契約書と婚姻届をうっかり間違えたらしい」


「三回もうっかりされたのですか」


「そ、そんなにうっかりしたのは俺の人生で初めてだ。いつもはそんなにうっかりしていない」


目を細めたシーラは、ふーんと呟いた。

相変わらずティーカップに口をつけたり離したりしている彼に向かって、シーラはゆっくり慎重に聞き方を変えてみることにする。


「うっかり間違いなのでしたら、どうしましょう。結婚、取り消したいですか?」


「い、いや、それはない。残念ながらもう国に受理されてしまったからな。今更なかったことにするのも手続きがとにかく面倒だ。俺はこのままで我慢できる。不本意だがな」


残念ながら我慢と不本意だと強調したが、テオドールは首を強く横に振った。


普通の貴族の離婚は結婚より面倒だろうが、シーラとテオドールの場合の結婚は紙一枚で成立したものだ。離婚をしたいと思えば紙二枚ほどで簡単に成立するのではないだろうか、と考えてシーラはソファの上に抱え上げた膝に頭を載せた。


……ふむ。離婚の手続きなんて、双方が同意していれば実は簡単にできるんですよ、なんて提案したらどうなるのでしょうか。

簡単ならすぐにでも、と離婚されるのでしょうか。




「……大丈夫だ心配するな、その、俺は仕事はできる方だ。家も土地も、一応はある」


丸まって膝に顎を載せたままのシーラが返事をせず沈黙していたので、テオドールが少し困ったような声を出した。

念を押すような、窺うような視線がシーラの方に向けられる。


「それくらいしかないが……」


ここで「私は結婚を取り消したいのですが」と返してテオドールはどんな顔をするか見たいような気も、見たくないような気もした。


一呼吸おいて、不安そうな表情を隠しきれていないテオドールの為に、シーラはゆっくり口を開く。


「心配はしていません。理由はどうあれ、私はあなたと結婚したので、これからはブルーナー家の為に尽力します」


「!」

呻いたテオドールは先ほどまで心配そうだったのに、今度は安心したのか更に顔を赤くしていた。


そして染まった顔を隠すようにティーカップを持ち上げて、お茶を一気に飲み干している。

そして、空になったカップをタンとソーサーに戻した。


「フ、フン。いい心がけだ。と、途中で根をあげたりするなよ……」


「私、忍耐力はある方です」



人を刺すような美男子で、雪のように飄々として氷のように冷静だと評判のはずなのに、シーラの横にいるのは緊張した面持ちのテオドール。

シーラと目を合わせることもしないし、赤くなって焦ってうっかり言葉を噛んだりもしていた。

ずっと抱いていた印象と随分違う。


良く分からないけれど、テオドールと話すのは不思議と億劫ではない。

少しだけ興味がわいた。人と話すのが実はあまり好きではないシーラだが、彼とはもう少し話してみたいと思えた。



シーラがそれ以上結婚について追及することなく黙ると、テオドールも鋭かった眼差しをほんの僅かだけ緩めて、何も言わなくなった。


「……」


「……」



カチャ


暫く、黙って動かないままだったテオドールが、シーラの視界の隅でモゾっと動いた。

茶色のブランケットから手がにゅっと伸ばされている。その手はテーブルの上のポットを取り上げていた。


そこからコポコポコポとお茶が注がれる良い音と、鼻をくすぐるお茶の良い香りが湯気と共に立ち上がる。

おもむろに動いたテオドールは、シーラにお茶を淹れてくれていた。

働かせてやると言われたのにもかかわらず、もてなされてばかりだ。


「これでも飲め」


「ありがとうございます。

……お茶ってこんなにいい香りがするものなのですか」


ティーカップを受け取ったシーラは、鼻を抜ける瑞々しい香りに驚いた。

お茶とは思えないくらい新鮮で大胆な香りだ。


「割といい茶葉だからな」


「そうなのですね。それにしてもこんなに良い香りのお茶があるなんて知りませんでした」


「知ってるやつの方が少ない」


テオドールによれば、茶葉は霙生姜の葉を特殊加工して作ったものらしい。

霙生姜は冷たい地域の雪の下で栽培されている植物で、葉は強い生姜の味がする。

ピリリとまろやかな刺激があって、トロリと金の色を出す茶葉はテオドールの好きな銘柄の一つなのだそうだ。


シーラは熱いお茶のカップにそろりと口を付けてみる。

霙生姜のお茶は香りだけでなく味も濃厚で、ぽっと温まる。


「とても、すごくおいしいです」


「フン。大袈裟だ」


そんなことはないと首を小さく振ったシーラは、ティーカップに息を吹きかけてお茶を冷ました。

お茶の滑らかな水面に、金色の波紋が広がる。

丁度良い温度になったところで、シーラもお茶を飲んだ。


気が付けば最初感じていた小さな緊張はもう跡形も無くなっているが、知らないうちに喉は乾いていたのかもしれない。

あっという間にカップのお茶を飲み干してしまった。


シーラのカップが空になったのを見計らったように、ついでだと言ったテオドールは再度熱々をティーカップに注いでくれた。

立つ湯気にふわりと解かれるようにシーラがお礼を言うと、テオドールはぶっきらぼうに鼻を鳴らした。

彼がシーラを気にかけてくれたらしいことに、シーラは少しホッとした。



シーラはしばらく何も言わずに、注いで貰ったお茶を楽しんだ。

小さく息を吹きかけて熱いお茶を冷ましたり、少しづつ口に入れて味と共に香りも味わった。


体が芯から温まったシーラがウトウトし始めた時に、静かに降る外の雪にも掻き消されそうな小さな声で、テオドールが何かつぶやいた。



「……これからはうまいお茶もたくさん飲ませてやる」


言ってしまってからハッとして、しかしどうやらシーラには聞こえていなかったようだと、ホッとした顔をしている忙しそうなテオドールだったが、シーラの耳は彼の声をしっかり拾っていた。

返事をしたい気もしたが、静かなテオドールの横顔を綺麗だと思ったシーラは、聞こえなかったふりをすることにした。


そして、シーラは黙ってもう一口とお茶を飲む。

テオドールが注ぎ足してくれた金色のそのお茶は、やはりシーラが今まで飲んできたお茶の中で一番おいしかった。



シーラはブランケットに包まりながら、テオドールとぽつりぽつりと話をした。

テオドールには何を質問しても変な返事しか返ってこないが、それらがおざなりに聞こえることはなかった。

むしろ、彼なりにシーラの話に全力で耳を傾けてくれている気さえした。


今まで会った事のあるどの人とも違うおかしなテオドールの隣は、覚悟していたより随分心地よくて、夕食を摂りに食堂へ降りていくのは億劫だなとシーラが思っていたら、彼は夕食を部屋で摂ろうと言い出した。

テオドールもシーラと同じことを思ったのかもしれない。


先ほどトランクを運んでくれた白髪の従者と数人がやってきて部屋で夕食の準備をしてくれる。

シーラの嫁入り当日と言うことで、料理はとても豪華だった。

大きな肉の塊にテーブルは占拠され、数種類のパンとチーズが籠に山盛りでスープは大鍋ごと部屋に運ばれてきた。

最初に一口飲んだほうれん草のクリームスープがとてもおいしかった。スープを食べ終わったら今度はテオドールにキジのクルミ焼きなるものを勧められた。

それもおいしいと言って食べると、あれもこれも食べろとシーラの取り皿に食べきれないほどの料理が載せられることとなった。


夕食を食べ終わり、おなかもいっぱいになったシーラは踊る暖炉の火を見ながら、ソファの上で体を丸くして座り込んだ。

あたたかい。


強く降っている雪に溶けるように暗くなった外を見ながら、温かい光で溢れるテオドールの部屋で過ごす。

ぎこちないのに、居心地は不思議と悪くない。

シーラの嫁入り当日はそうして過ぎていった。




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