結婚6
コンコン
軽い音を立てて、ミラが先に立って扉をノックする。シーラの部屋や他の部屋同様、ずっしりとした木の扉だ。
ミラが部屋の中に声を掛けると、扉の向こうから慌てた声が返ってきた。シーラには、テオドールの慌てた声は入室を許していないようにしか聞き取れなかったが、隣のミラは構わずバンッと大きく扉を開けた。
「旦那様、シーラ様お連れしました!うふふっ」
ミラにギュギュッと押し込まれるようにして、シーラはわわっとテオドールの部屋に一歩足を踏み入れた。
彼の部屋はシーラの部屋より少し大きく、そして負けず劣らずとても居心地の良い温かい部屋だった。
その部屋にいるテオドールは扉をあけ放ったミラを恨めしそうに睨んでいるが、不思議と拒絶されているとは感じなかった。
従者たちがシーラに、あれこれ大げさに語ってくれたおかげかもしれない。
……それにしても、このおうちはどこもかしこも暖かいし、居心地がよさそうですね。
テオドールの広い部屋には大きな窓がある。その窓には外の白銀の世界が美しく切り取られていた。
この地方独特の魔法と技術で作られたガラスは結露を生まないし、保温性も高い。
シーラが到着した時より少し強く降っている雪が、窓を上から下に同じ速さで横切る様子が大きな絵画か何かのようだ。
長い毛の絨毯は寝ころんでも気持ちがよさそうだし、木のテーブルもしっとりと艶がある良い物で、テーブルとソファから少し離れたところに配置してある同じく木の文机もスマートなデザインだ。立派な肘掛椅子はクッションがこれでもかというくらい乗っかっているが座り心地は悪くなさそうだ。
総じて質の良い物でセンス良くまとめられている印象を受ける。
「着いた時から思っていましたが、いいおうちですね」
雪深い地域で家に籠ることも多いこのあたり一帯の貴族たちは、家に一番お金をかける。
ブルーナー家も例外ではなく、潤沢な資産の多くを家や調度品に充てているのだろう。
庭も広いし、家の外観も内装も雰囲気のある重厚な造りだ。流石伯爵家である。
「……フン、これくらい普通だろう」
「窓も大きくて良いですね」
「上もある」
テオドールの不愛想な声に導かれるように上を見れば、温かみのある丈夫な木の梁の先に大きな斜めになった天窓があって、積もった雪が見えていた。
屋根に積もった雪が自重で滑り落ちた後には灰色の雲が見える。
はうっとため息が漏れた。温かい室内から、顔の上に降るような雪を見上げるのは楽しいに違いない。
部屋に籠ってぬくぬく過ごすことも、雪景色を眺めることも好きなシーラには心躍る設備だ。
……天窓、やはりいいですね。実は天窓は昔から憧れでした。昔、かまくらに穴をあけて空が見えるようにしたことがあったくらい憧れなのです。
シーラが立ったまま上を一生懸命窓を見上げていたら、テオドールの掠れた声がした。
「お前、そんなところで突っ立っていたら邪魔だろう」
「あ、すみません」
さっとテオドールの部屋を見渡し、座れる場所を確認した。
文机の椅子を引っ張ってきて座るのもおかしいし、ベッドの脇にある愛用されていそうな肘掛椅子を抱えて運んできて座るのもおかしいので、テオドールの座っているソファしかない。
触り心地の良さそうなブランケットやらクッションやらがいくつも上に置いてある、とても大きなソファだ。
「旦那様は2人で座るかもしれないからとソファをわざわざ買い替えていました」とミラがシーラの後ろで耳打ちした。
言って満足したのか、シーラの反応を待つことなくミラはすっと離れる。
シーラがちらりと振り返ると、ミラは平和だなあとでも言いたげに微笑んで、ゆっくり扉を閉めた。
がちゃん
ソファの上で背を向けたテオドールと突っ立ったままのシーラは、大きな部屋の中で2人残される。
少しだけ緊張した。
「ではそのソファに座ります」
「……フン。俺も鬼じゃないからな、座るなとは言わん」
閉められた扉の前で立ったままソファを示したシーラに、ボソボソ返事をしたテオドールの背中はふかふかのソファの上でもぞもぞと動いた。
シーラは部屋の中にもう一歩進む。
そしてもう一歩もう一歩と進み、ソファの前まで来た。
「ここに座わろうと思います」
右の壁にある大きな暖炉と対面になっているソファの上を指さして、シーラは念を押した。
ソファの右端にいるテオドールの隣だ。いや隣と言っても、テオドールから一番離れた隣である左端だ。とても大きなソファなので、中心に二人は余裕で座れる程の距離がある。
シーラに声を掛けられたテオドールはぐっと動いた。
そして意を決したようにシーラの顔を見上げたが、シーラと目が合った瞬間ぎゅんっと目を逸らした。
反発した磁石のようだ。
「言っただろ、勝手にしろ」
そしてそのままシーラの方を見ないまま、肌触りの良いブランケットを押し付けるように手渡してくれた。
礼を言って受け取ったシーラはテオドールの隣にふわりと腰かけた。
フワッと柔らかいのに適度に硬くてよい塩梅に体を支えてくれるソファが、体重で少し沈み込むのを感じる。
そして手渡されたブランケットをゆっくり開いて静かに膝にかけた。
ソファの上に居場所も確保できたところで、シーラは横で固まったままのテオドールの方に顔を向ける。
おのずと視界に入ったテオドールを見れば、彼の雪のように白い頬が少し桃色に染まっている。
薄氷を解かす春のような色だ。
その色の意味はどう解釈すればいいのか。
テオドールの人となりを知らないシーラには、まだ正確に判断できない。
だからシーラはゆっくり横顔のテオドールに話しかける。
「あの」
「……なんだ」
「やはり聞いておきたいと思うのですが」
シーラは息を大きく吸った。
「貴方は、私のことが好きなのでしょうか?」