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結婚3




「ああ、あんなに嬉しそうな旦那様は初めて見ました……」


後ろで玄関の扉を閉め、二つのトランクを抱えて後ろに控えてくれていた従者がシーラの後ろで困ったような、それでいて嬉しそうな声で呟いた。


「今、何か仰いましたか?」


ありえない単語しか聞き取れなかったので、耳を疑ったシーラは反射的に後ろを振り向いた。

一度の溜息では足りないのか、何度もため息をついている従者が目に入る。


「ええ、旦那様が嬉しそうで何よりだと言いました。

旦那様はシーラ様本人を前にしたら、嬉しすぎてどうしたらいいか分からなくなったようですね。あそこまで酷い照れ隠しは私でも初めて見ましたからねえ。……ああ、旦那様は私とシーラ様についての話をするだけでも酷く緊張してしまうようなポンコツですから、予想通りといえばそうでしょうかねえ」


振り向いたシーラに人懐っこい笑顔で笑いかけ、従者は顔に上品にしわを寄せた。

細いのに貫録があり、しかし柔らかな物腰の初老の男性だ。


「嬉しそうですか?何が嬉しいのでしょうか」


「シーラ様がここにいることがですよ。この奇跡に、嬉しいを通り越してもう死にそうなのではないでしょうかねえ」


従者の言葉に、シーラは思い切り首をひねった。

テオドールは、家にやって来た妻を歓迎している素振りなどこれっぽっちも見せなかった。

終始眉をきゅっと寄せて、苛々している顔をしていた。


「それに先ほど私と結婚したかったわけではないと仰っていました」


「そんなの、あの旦那様がシーラ様を前にして、ずっと結婚したいと思っていたなんて言える訳がないではありませんか。あの調子であれば一回死んで生まれ変わっても、言えるようにならないんじゃないですかねえ」


「ええと……?」


シーラは少し上げたままの口角はそのままに、従者の言葉を脳内で反芻して、それでもやはり良く分からないので首を傾げた。


「あのポンコツは、シーラ様が好きすぎて緊張して照れまくって一生懸命照れ隠しをするしかできないヘタレなのですよ」


「はあ、なるほど」


なるほどと呟いたはいいものの、まだ何も理解していないシーラである。

テオドールは確か、クールで女嫌いで絶対零度のソーサラーだと一目置かれていたと思ったが、人違いだろうか。


「ええ、ええ。あんなふうですけど、旦那様は自分のポンコツさを棚に上げて、シーラ様以外の誰かとは結婚する気は無いと頑なでしてねえ。先代が亡くなってから一人家の為に尽力して、ずっと苦労を一人で背負ってこられた旦那様が唯一譲らなかったのが結婚相手でしたので、私どもも旦那様に、意中の女性に話しかけることさえままならないヘタレならばもう潔く諦めてしまえ、と強くは言えなかったんですよねえ」


従者は矢継ぎ早に思いの丈をシーラに語りかけ、ようやく一息ついて一人満足したようにウムウムと髭を撫でていた。

一方のシーラは内心ぽかんとしていたが気を取り直して、ということは、と前置きをした。


「テオドール様自身が、私と結婚したかったのですか」


「ええもちろん。旦那様はシーラ様が大好きなのですから!」


白髪の従者は満面の笑みで答えた。

本人から聞いたわけでもないし、大好きだなんて大げさな表現だとは分かっているが、従者が曇りのない目を細めてくるものだから、シーラは曖昧に笑って躱すことしかできなかった。


「はあ」


そして苦し紛れに返事を絞り出せば、シーラも驚くほど興味なさげな声が出た。


どうでもよさげに相槌を打ったシーラを見た従者は何を思ったのか、ヒマワリのような笑顔から分かりやすく青ざめた。


「も、ももしかしてシーラ様。そんなヘタレ無理とか思っておられますか?結婚、なかったことにしたりはしませんよね?

旦那様のことですから、シーラ様が拒否すれば無理強いはしないと思いますが……どうしましょうねえ、ええ……シーラ様がよそ様と婚約してしまった時より落ち込みそうですねえ……」


「あの……」


「あんなに嬉しそうな旦那様を、もう見ることはできないのでしょうかねえ……」


そう言う従者はガクリと肩を落として落ち込んでいる。

シャキシャキした理知的な印象だったこの従者だが、思い込みが激しい部分もあるらしい。



「あの、結婚をしたのであれば、私は責任を持ってブルーナー家に尽くすつもりでいます」


シーラの一言に、従者はバッと顔を上げた。


婚姻届けと知っていてサインをしたのはシーラだ。曲がりなりにも結婚を望んでもらえたのなら、無責任なことはしない。

結婚相手が誰でも、生理的に無理でない限り殴るつもりも逃げるつもりもなかったし、ある程度良い人なら誰でも同じだと決めたのはシーラだ。人並みにしっかり務めは果たそうと思ってはいる。


シーラが小さく頷くと、白髪の従者は水を得たヒマワリのようににょきにょきと大きくなって、満面の笑みになった。


「ええ、ええ、そうですか!よかった、本当に良かった!思い返せばかれこれ8年、いや9年。長い片思いでした。それが叶った旦那様がようやく嬉しそうで、私どもも本当に嬉しいんですよ」


よかったよかったと繰り返す白髪の従者は、孫の話でも語っているかのように嬉しそうに目を細めている。

周りを見回すと、シーラの出迎えの為に玄関広間に集まっていた使用人たちが、シーラと白髪の従者の会話を微笑を湛えて聞いていた。



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