雪山での遭遇2
体が反転する。
反転したと思ったら、宙に浮いた。
そして低いところから落ちたような軽い衝撃のあと、シーラの体は動かなくなった。
じんわりと冷たさが体を這ってくる。
どうやら雪の中に放りだされたようだ。つい一拍前までは馬車の中の座席に座って話をしていたのに。
耳のすぐ横で何かがひしゃげ、爆ぜるような大きな音がした。
何が起こっているのか分からない。
視界を確保したいのに、前が見えない。
厚くて固い大きなものが庇うようにシーラを抱きしめている。二つの腕が強くシーラを抱え込んでいる。
これは、人か。シーラはすぐに気が付いた。
シーラの頭から被さって視界を奪っているものはテオドールだ。
背骨が握りつぶされるような恐ろしい音にシーラが身を縮めると、それに反応するようにテオドールの腕がさらに強く巻き付いた。
何かがパラパラ体の上に降ってくる。
分厚い冬の服を着ていても感じることができるくらいの質量のあるものだ。
テオドールがシーラを庇うようにしたまま、素早く腕で上半身を起こした。
覆いかぶさっていたテオドールが離れたので、視界が開けたシーラは周りを見て理解する。
木っ端みじんになった馬車と、大きなものが引き摺られた雪の跡と、赤い血の跡。
そこには不快な音を立てて這いまわる、この世界で魔物と呼ばれるものがいた。
人や家畜の肉を食べ、騎士団が日夜戦い、シーラの父の命も奪った魔物だ。
歪な目を持ち、醜く爛れた肌を被り、腐った息を吐き、醜悪な体液をまき散らす不吉なものだ。
シーラの目の前にいる群れた魔物は肥大した胴体に大きく裂けた口があり、蜘蛛のように不気味な足が何本も何本もついていた。
その魔物たちは、引き摺られた跡の先にある何かに群がっていた。
ゴリゴリと可哀そうな何かを砕く嫌な音がする。
群がる魔物の足元の雪は、赤黒い色に染まっていた。
橇のような馬車を引いていた大きな二頭の雪イノシシは、魔物たちに頭から齧られているらしい。
シーラ達が乗っていた馬車は、この魔物たちが雪イノシシに飛び掛かったついでに破壊されたのだ。
シーラよりも先に反応したテオドールが、シーラを頭から抱えてすんでのところで馬車から飛び出してくれなかったら、シーラの体は馬車共々潰されて吹き飛んで捻じ切れていただろう。
「お前はそのまま下がれ」
シーラの耳に、その低いテオドールの声が届いた。
だがシーラはテオドールの後ろで身構えたまま動かなかった。
シーラは周囲をもう一度確認する。
魔物は上位種ではないし、サイズも飛び切りではない。数も数えることができる程度。
はね飛ばされた御者は無事だが腰を抜かして、今にも失神しそうな青ざめた顔をしている。
そしてテオドールは、シーラを庇うようにしながら身を低くしている。
騎士団に所属しているテオドールがここにいる限り、現れた魔物に対処せずにみんなで一緒に背を向けて逃げることはできない。
ここで目を離せば騎士団の監視を掻い潜ったこの魔物たちが街に降りて人を喰うか、家畜を食い荒らすことになる。
そんなことになったら彼の名誉が傷つく事態は免れないし、名誉云々がなくても逃げることは彼の矜持が許さないだろう。
「ふむ」
立ち上がったシーラは手袋を外し、ポケットに入れた。
テオドールに買って貰った手袋が汚れるのを避けるためだ。
足首をきゅっと回す。ブーツも雪をしっかり捉えられる良いものだ。滑ることはない。
お気に入りのマフラーがずり落ちるのも嫌なので、マフラーも巻きなおした。
シーラは一歩前に出る。
「こういう時は先手必勝です」
魔物たちはまだ雪イノシシの肉に夢中のようだし、雪は深いがテオドールの雪を操る魔法があれば、シーラも地面の上で戦うのと変わりなく戦えるはずだ。
逃げられないと決まったなら、後は戦うしかない。
「お、おい、阿保!お前は俺の後ろにいろ!」
一面の銀世界で、犠牲になった雪イノシシを貪っている魔物達に向かっていこうとするシーラに向けて、テオドールが叫んだ。