雪山での遭遇
日付は変わって、テオドールの休日である今日。
シーラとテオドールは、ミルフォーゼ地方の中心部から少し離れたところにある街に遠出をしていた。
二人とも温かい上着に身を包み、シーラはハーフアップにした髪に黒い髪飾りもしっかり付けた。
その黒い髪飾りは、贈ってもらったあの日からシーラが嫌がらせのように毎日髪につけていたので、もうテオドールは諦めて何も言わなくなった。
目的地の街はこじんまりとしていて、どこにでもあるような雪の街だが、テオドールが贔屓にしている腕のいい鍛冶師がいるのでわざわざ出向いたのだ。
街に着いてから先ず鍛冶屋に依頼をし、仕上がりを待つ間に街の中を回ることにした。
目的地は特に決めず、気の向いた方向へ行ってみる。
街は煩い程ではないがのんびり賑わっていて、休日の空気が漂っていた。
この街は小さなカフェが多いらしく、午前中の冷たい空気の中温かいコーヒーを買っていく人や、遅めの朝食を摂っている人をもうすでにたくさん見た。
それにシーラが暫く来ないうちに、また新しいカフェが増えたようでもあった。
道の左右両側に並ぶ可愛らしいカフェを見ながら、シーラはおもむろに「あっ」と言って足を止めた。
「見てください、あそこの看板。骨董市がやっているようですよ」
少し向こうに見える手書きの看板を指さしながら、シーラはテオドールを振り返った。
「書いてあるな。どうした、行きたいのか」
「はい、行ってみましょう。月に一度しか開催していないそうですよ」
「まあ、暇つぶしくらいにはなるか」
看板に引き寄せられるように近付いて、示された方向に歩いていけば、テントがいくつも立っている除雪された広場に辿り着いた。
厚いコートを着込んだ出店者たちが呼び込みをしたり、客の質問を受けてあれこれ商品について説明をしていた。
骨董市とは銘打ってあったが、蜂蜜の瓶詰めを売っているテントや、干し果実や石鹸などを売っているテントもあった。
勿論、壺やら陶芸やら、やたらと値の張るものを売っているテントもあった。
「あ、テオドール様見てください。この壺はなんだか貫録があります。それからこっちは有名な人の作品らしいですよ!ふむ、やはり値段もそれ相応のようです」
「……。この完成度でこの値段はぼったくりな気がするが」
出品者には聞こえないようにボソッとシーラにだけ呟いて、テオドールはもう壺には興味がなさそうだった。
テオドールは家具は好きだが、壺や絵には良い反応を示さない。
それより、瓶入りの果物の蜂蜜漬けが並ぶ隣のテントのことが気になるのか、そちらの方をチラチラ見ている。
シーラも高価な壺や不思議な形の偶像には興味がないので、高価であるはずの品を店頭に広げて野ざらしで売るテントから離れて、テオドールに提案した。
「お土産に蜂蜜漬けを買っていきましょうか」
それから骨董市を回り、蜂蜜漬けの瓶やら手作りのジャーキーなどを買い込んで、昼時には感じの良いカフェで昼食を摂った。
のんびり小さな橋のかかる川と白い雪の街の景色を見ながらお茶を飲んで、いい頃合いになったところで鍛冶屋に寄って武具を引き取ってから帰ることにした。
街にはもう少し滞在していたかったが、まだ日があるうちに馬車を走らせたかったので、シーラ達はもう帰路についている。
シャーシャーシャーシャーシャーシャー
馬車の外から聞こえてくるのは、橇の脚が雪の上をすべる音だ。
雪道はものすごく滑らかで、帰り道もすこぶる順調のようだった。
今は国境近くの峠あたりだろうか。
たとえ今どこにいようと屋敷には着くのだろうから、カーテンをわざわざ開けることもないなと思ったシーラは、そのままテオドールとの会話を楽しむことにした。
「そういえば、次の長期休暇の日程を申告しなければならないのだが」
「長期休暇ですか」
ミルフォーゼ騎士団では年に一度の長めの休みを、好きな日程で申請できる。
長期休暇といえば、幼い時のシーラは騎士団に所属していた父の長期休暇が楽しみだった。どこかに連れて行ってもらえるし、一日中父に遊んでもらえるので子供心に最高だと思っていた。
「どこか、行きたいところ、とかあるか……お前の意見など役に立たないが、一応聞いておいてやる」
細くなったシーラの目と、片眉を上げて少し言いづらそうに言葉を紡ぐテオドールの目が合った。
……行きたいところ、連れて行ってくれる気なのでしょうか。そっか、それは楽しみですね。
誰かの長期休暇が、また楽しみになった。
「行きたいところは、そうですね……」
同じ王国でも異質の文化がある東の都で行灯踊りに参加するのもいいし、豊かで美味しい物に溢れた南の地方で食べ歩きをするのも捨てがたいし、やはりこの国最大の祭りである王都の建国祭に合わせた長期休みでもいいな、とシーラが考えて、意見を言う為に息を吸った瞬間だった。
「う、うあああああああ!」
突然、外で悲鳴が上がった。
シャーシャーシャーと規則正しく聞こえていた橇の音が止み、買った瓶が傾いて転がってぶつかる音が聞こえ、深い雪に高速で棒を刺すような無数の音が聞こえたと思ったら、脳が直接殴られたような音が両耳に響いて、シーラの目の前は真っ暗になった。