パーティとドレスとダンス4
シーラは屋敷の玄関ホールに足を踏み入れた。久しぶりに履いたハイヒールが高い。カツンカツンと音がする。
木霊したヒールの音に、待っていたテオドールが振り返った。
彼は王国に忠誠を誓った、深い青と金の装飾が繊細で美しい騎士団の正装を着せられている。
騎士団の正装は行事や式典の時にしか着ないものだ。普通のパーティでは着るものではないが、祝賀会では着用する。
幼い頃のシーラは一度、騎士団の入団式に父の関係者として参加したことがある。
騎士団の正装に身を包み、王国に忠誠を誓う青い旗を背に剣を掲げ、大勢の前で祝辞を述べた父がとても恰好良かった。
母が惚れこむのも納得だったし、娘のシーラまで子供心に憧れたものだ。その影響で、その頃のシーラの将来の夢は騎士団に入ることだった。
そんな由緒と歴史ある服装に身を包んだテオドールは、普段より何割か増しで凛々しく見えた。
皴一つなく伸ばされた衣装に何一つ負けることのない綺麗な所作と真っすぐな姿勢。
意匠を凝らした金の装飾よりも端正な顔の造形と、布地の深い青よりも深い黒い瞳。
……やはり女性にチヤホヤされるだけはありますね。悔しいですが本当に見た目は良いです……
変な感覚が背骨をゾワリと通り過ぎて行ったので、シーラは慌てて目を逸らした。
逸らした視線を彷徨わせれば、ドレスから伸びて剥き出しになっている自身の腕が目に入る。
玄関は温められていると言ってもまだひんやりするし、テオドールはやはりシーラのドレスを見ても黙ったままだし、何となく心もとない。
小さくヒールの踵を鳴らして、シーラは玄関先で立ち尽くしていたテオドールの前に辿り着いた。
「お待たせしました」
「お、お前、寒々しい格好だな、見ているこっちが寒くなる」
シーラの呼びかけでハッと我に返ったテオドールは、シーラの横で控えていたミラからロングコートをひったくって、ばさりとシーラにかけた。
そしてテオドールは乱暴に身を翻し、玄関扉に体当たりをするようにしてそれを開けた。
「……いくぞ」
玄関の階段を降りる時も馬車に乗り込む時も、テオドールは渋々を絵にかいたような顔で手を貸してくれた。
お礼を言ってシーラが馬車に乗り込めば、後からテオドールも入ってきた。
「楽しんできてくださいませ」
ばたんと馬車の扉を閉める時、門でミラをはじめとした数人の使用人たちがお辞儀をして送り出してくれた。
馬車が到着した祝賀会の会場、北方騎士団本部の大ホール。
入り口で受付をしている間にも、そのホール内にはたくさんの人がいることが分かる。
騎士団員はみなテオドールと同じ正装に身を包んでいる。団員の連れは例外なく一張羅に身を包んでいるようだった。
そんな煌びやかな人で溢れたホールは、ミルフォーゼで一番豪勢だと言っても差し支えないだろう。
歴史を感じさせる重厚なデザインのホールだ。
北方騎士団の紋章や、王国の国旗が二階のバルコニーからいくつも垂れている。雪が舞うように輝く大きなシャンデリアは綺麗だった。
北方騎士団にも音楽隊はあるが、祝いの席なので中央騎士団の音楽隊が出張っており、洗練された音色で会場を盛り上げていた。
クロークに寄ってから、いよいよあの会場へとシーラが気合を入れた時、テオドールに呼び止められた。
「おい、お前が迷子になると恥をかくのは俺だろう。だから、俺に掴まっていろ」
テオドールの腕が小さく揺れたので、シーラはそっと自分の腕を絡めた。
彼の腕は見た目よりもがっしりしているように感じた。ハイヒールを履いているシーラよりも背は高くて、すらりと横に立つ姿は、いつもより数倍頼もしく見えた。
「挨拶だけしたら、とっとと帰るからな」
赤くなっているテオドールが吐き捨てるように言って、大きくため息をついた。
2人は会場に足を踏み入れた。
会場は眩しいくらいに明るく、うるさいくらいに賑やかだった。
開けた空間と高い天井、大勢の人に圧倒されながらも、とりあえず会場を進む。
「あっ」
こちらを見た誰かの声が聞こえ、それに反応した誰かが振り向いたのが感じられた。
途端、視線がブスブスッと突き刺さった気がした。
予想はしていたが、女性からの視線が特に酷い気がする。
内容は聞き取れないが、夫人たちが扇で隠した口を動かして何か喋っているのが聞こえる。
真意は分からないが、ただならぬ感情を孕んだ視線を投げかけてくる令嬢たちもいた。
……視線が刺さるとはこういうことを言うのですね。ふむ、思ったより痛いです。
それもこれも、テオドールが女性に人気がある所為である。
加えて、電撃的に結婚したことで噂になっているのだろう。
シーラは魔物を素手で割ったとか、痴漢を投げ飛ばしたとかそういう物騒な噂しかされたことがなかったので、この手の羨望の眼差しには慣れていない。
「とりあえず団長と王子に挨拶だ」
シーラを引くように歩くテオドールは、ものすごく不機嫌そうな顔で周りを睨んでいた。
令嬢たちは睨まれてあわわと頬を赤くし、睨まれた男性は慌てて顔を逸らしていた。
「おいおいテオ、お前の上官に挨拶一つもないのか?隣の可愛いお嫁さんを俺には紹介してくれないのか」
人込みをかき分けるように、呼びかけが聞こえた。
シーラを引きずりながら、人を蹴散らすように目的の人物の元へ向かっているテオドールは足を止めた。
そして更に眉間にしわを寄せ、テオドールは振り返った。
「エルドレッドか。団長はどこにいるか分かるか?」
高い位置でまとめた、赤い炎のような髪をなびかせて近付いてきたのは、テオドールの直属の上官である男性だった。つい最近晩餐会の招待状をくれた人だ。
名を、エルドレッド・ウェンズナーという。
シーラもパーティで何度か話したことがある、綺麗な顔の男性だ。炎を操るソーサラーで、その殲滅力に一目置かれている勇将でもある。
「団長?知らないな。
シーラちゃんとは久しぶりだな。また綺麗になった。これは、テオドールが速攻家に帰るのも責められないな」
「お久しぶりです」
テオドールに返事をしてから、シーラに親しげに声を掛けてくるエルドレッドに、ぺこりと頭を下げた。
エルドレッドはさも仲が良さそうにシーラに向けて微笑んでくるが、彼とシーラは特別仲が良いわけではない。
馴れ馴れしいのは性格なのだろう、エルドレッドは誰に対してもこんな感じだ。
綺麗な顔と人当たりが良い性格で、この人も女性に人気があるらしい。
「シーラちゃん、そのドレスとっても似合ってる。お世辞なしでこの会場で一番綺麗」
エルドレッドはそういって美しく並んだ歯を見せて笑った。人懐っこい笑顔だ。
そんな彼に、とりあえずお礼を言おうと口を開きかけたシーラは、グイッと腕を引っ張られた。
シーラが後ろに引っ張られた瞬間、エルドレッドの服が裾から凍り始めた。
会場は防寒もばっちりなのに、エルドレッドの纏う服だけ雪山のように冷たく凍えていく。
「……テオ、俺に君の魔法は意味がないこと知っているだろう」
裾に霜が降りていても緩やかな微笑を湛えたまま、エルドレッドはふわりと手を動かした。
熱く乾いた空気が鼻先をかすめたのを感じた時、エルドレッドが炎の魔法を使ったのだと、シーラは気が付いた。
騎士団でも一二を争う火力を持つソーサラーで炎を操るエルドレッドと、テオドールの氷の魔法は相性が悪いな、とシーラは冷静に考えていた。
「テオ、何でも暴力で解決しようとするのはいけないぞ。何が気に食わなかったんだ?ん?」
「大の男が首をかしげるな、気色悪い」
「そんなことは無い。こう首を傾げれば、大抵の女性は可愛いと言ってくれるぞ。シーラちゃんもそう思うだろう?」
エルドレッドはおちょくるように首を傾げた。
彼の真紅の長髪がそのたびに揺れる。
「そうですね、大抵は……」
確かに、エルドレッドは美形なので、どんなことをしても大抵ちやほやされるだろう。
シーラがそう言って頷こうとすると、またテオドールに腕を引っ張られて、今度は脇に押しやられた。
「いちいちこいつに話しかけるな」
「そんなこと言うな。こんな綺麗な女性がいれば、誰だって話したいじゃないか。可愛い後輩のお嫁さんならば尚更だ」
「黙れ、変態のクズめ」
ねじ伏せるようにして、テオドールは言い放った。
いくら仲が良いと言っても、相手は上司なのに全く遠慮というものがない。
「心外だな。俺は変な事は言っていないぞ。シーラちゃんは誰が見ても可愛いじゃないか。さあ、大事な先輩に大事なお嫁さんを紹介してく」
飄々としていたエルドレッドは言い終わる前に、傍で会話に花を咲かせていた令嬢たちの輪の中に、テオドールによって強引に押し込まれた。
「お、おい、テオ……」
エルドレッドの突然の乱入に令嬢たちはきゃあっと嬉しそうな歓声を上げ、エルドレッドはすぐに彼女たちに囲まれて拘束されてしまった。
それを見てフンと鼻を鳴らしたテオドールは、行くぞとばかりにシーラの腕を小さく引っ張った。
そして小さく付け加えた。
「それと、ああいう阿保はつけあがるから、考えなしに相手をするなよ」