結婚
一人馬車に乗ってパーティから帰ってきたシーラに、シーラの母は何事かと飛び出してきた。
馬車から降りるシーラに誰も手を貸す人がいないことに、ロベルトと喧嘩でもしたのかと心配された。
シーラは違うと首を振る。
事も無げに平然と事の顛末を語るシーラを見たからだろうか、母は突然の話だったにもかかわらず驚いてはいなかった。
むしろ、驚きもせず喜んでいた。
父に一目ぼれされた母も二つ返事で結婚したので、血は争えないわねーと笑っている。
そして本当にいい人に出会った時は迷わないものなのよね、と父と出会った時の話も掘り出してきて、延々とシーラに聞かせてくれた。
楽しそうに話す母を窘めることができなかった所為で、シーラはその日深夜まで起きている羽目になったシーラは眠い目をこすりながら思う。
……本当にいい人に出会ったから迷わなかったのではなく、元々していた婚約を破棄されたから迷わなかったのです。
夢見がちな母に夢の無いことを言えば、その後が面倒なので言いませんが。
シーラの母のように恋愛結婚をする余裕のある貴族は増えているが、家の為に政略結婚する貴族もまだまだいる。
彼ら同様、シーラも結婚相手に心からの恋と愛は求めない。
本当にいいと思った人でなくとも、普通に悪い人でなければ相手が誰でも迷わない。最低限の思いやりがある誠実な人ならだれでもいい。相手が生理的に無理でない限り誰でもいい。
恋にも愛にも疎く、惚れたも腫れたの話にもあまり興味のないシーラはそう思っている。
良い結婚でなくても、悪くなければ心配ないとシーラは信じている。
そんなことがあったパーティの日から何日も経たないうちに、リシュタイン子爵家にシーラとテオドールの結婚が国に正式に受理されたと報告が届いた。思っていたより随分早かった。
結婚が受理されたと分かるや否や、家の諸々やシーラが家を出てブルーナー伯爵家に行く日も結婚式の時期も決められた。
ブルーナー家と相続や今後の予定など諸々の話をつけたのはリシュタイン家の当主であるシーラの母だった。
天真爛漫を絵にかいたような彼女は、テオドールを礼儀正しくてしっかりしているけど恥ずかしがり屋さんと形容していた。
パーティで遠目から見ていた彼に礼儀正しくてしっかりした印象はなくはないが、恥ずかしがり屋さんという単語は彼とは程遠い単語だと思うのだが、母の使う形容詞だからとシーラは気にしないことにした。
いや。シーラには、天然な母親のコメントを気にしている暇はなかったというのが正しい。
突然結婚して間もなく家に行くことになって、嫁入り準備が追い付いていなかったので母に深く話を聞く精神的な余裕がなかった。
雪崩のような怒涛の展開にてんやわんやしているうちに、シーラが家を出る日はあっという間に来た。
その日、リシュタイン子爵家の自室に佇むシーラは、小さな窓から外を見ていた。
小さな庭の向こうに、どこまでも続く白い世界が見える。いつもと変わらない、見慣れた静かな景色だった。
「今日でこの眺めも見納めらしいのですが、なんとも実感がわきませんね……」
こじんまりとしているが居心地の良いこの部屋とも、今日でお別れらしい。
シーラはふわりと舞う雪を眺めながら昔のことを思い出していた。
寒い寒い日に自室で布団にくるまって本を読んだこと。シーラを強くしたい父に訓練を付けて貰っていたこと。風邪をひいた時母が看病してくれたこと。友人たちと仲良く遊んだこと。
その頃に親に付いて参加した誰かの結婚式を、美味しいご飯が食べられる春の恒例行事くらいにしか考えていなかったことも懐かしい。
それがだんだん知り合いの結婚式になって、友人の結婚式になって、そして次は自分の結婚式だ。
シーラとテオドールの結婚式はやがて来る春に行われる。
一年のほとんどが雪に覆われている、この銀の地方ミルフォーゼでも短い間だが春は来る。
そして新芽の芽吹く麗らかな春に行われる結婚式が伝統的に好まれる。
シーラとテオドールの結婚式も春に行おうということで話がまとまっている。
結婚式。
皆やはり春を心待ちにしていて、温かい季節を祝わなければという使命に駆られるのだろう。ある友人の結婚式など、朝から始まって晩まで続いた祭り並みのどんちゃん騒ぎだった。
他の友人の式も花が溢れた庭園で踊る結婚式だったり、星の綺麗な夜に誓いの言葉を交わした神秘的な結婚式だったり、それぞれ趣向を凝らした盛大な結婚式だった。
結婚式のやりようは人それぞれなようだが、新婦は皆一様に純白のドレスを着ていた。
ならば次はシーラがあの白いドレスを着る番、なのか。
お嫁さんになった女性達が幸せそうな笑顔と共に着てきた春の白いドレス。
真珠のように白く輝かんばかりのドレスを纏った花嫁を見る時は、毎回春の妖精が現れたのかと思う。
温かい春の光と同じくらい眩しい笑顔で相手と指輪を交換し、花のように幸せそうに踊って、蜜のように顔をほころばせて口づけを交わす花嫁。
彼女たちは幸せそうだったが、シーラには結婚式で花のように笑う自分の姿が想像できない。
どうにでもなれと思ってサインをした結婚など、祝うこともないのではないか。本人に実感もないし、結婚式はしなくてよいのではないか。貴重な春の日に祝うような大層なものではないような気もする。
そこまで考えてから、こればっかりは自分の我儘で式をあげないと言うわけにもいくまい、なるようになるだろう、と先のことを心配しすぎることを止めた。
そして、人生の分岐点であるらしい今日という日に目を細めて、シーラはくるりと踵を返す。
少ない私物をありったけ詰め込んだ大きなトランク二つを両手で持ち、暖炉に火が入っていない寒い自室を出る。
夕方、テオドールが迎えのソリの足が付いた馬車を出してくれていた。
リシュタイン子爵家の門の外にきれいな馬車が止まっているのが見える。
シーラはリシュタイン家の使用人一同と母親に見送られ、馬車に乗り込んだ。
この地方の馬車は大抵橇の脚と車輪が付け替えられるようになっていて、馬ではなく雪イノシシと呼ばれる大きなバッファローのような獣が引いている。雪もガシガシ掻き分けて進める優秀な家畜だ。
乗り込んだブルーナー伯爵家の馬車は流石、立派で座り心地もよかった。
揺れることもあまりない。
シーラは荷物を足元に置き、一人馬車の中で外を眺めていた。
どれだけ座って外の景色をぼんやり眺めていただろう。長い時間だった気もするし、短い時間だった気もする。
馬車は、ブルーナー家の屋敷の大きな門に到着した。