雪の日のおでかけ
今日のシーラも、いつもと同じように朝起きて身支度を整え、食堂に移動し朝ご飯をテオドールと一緒に食べ、仕事に行く彼を見送った。
ブルーナー家での生活ももうすっかりシーラに馴染んでいる。
馴染みすぎて、手持ち無沙汰なくらいだ。
「お前に仕事などない。家にいて好きなことでもしているがいい!」とテオドールに言われたシーラは多くの貴族の夫人同様働いていない。自宅警備をしているだけなのだ。
それではつまらないので、何かできることは無いだろうかと考えるようになったシーラは、テオドールが家を空けている昼間に、ブルーナー家やその領地に関する資料を少しずつ読み進めていた。
シーラは働くことが嫌いではないし、忙しいのも嫌いではない。
それに、家の雑務や領地の管理をテオドールに代わってシーラができるようになれば、少しは彼の負担も減るかもしれない。
数日前から書類を自室に持ち込んで読み込んでいるが、歴史ある伯爵家の記録は膨大だった。
テオドールの実務を手伝えるレベルになるには、少なくともあと数か月はかかるかもしれない。
しばし、シーラが必死に書類を捲り、メモ書きの為にペンを走らせていると、ミラがワゴンを押して部屋に入ってきた。
様々な種類の茶葉の小瓶がワゴンの二段目に並び、湯気をたゆたわせるポットと茶器が一段目に乗っている。
ミラはワゴンをテーブルの横に止め、シーラに声を掛ける。
「少し休憩にしましょう、シーラ様」
「ぜひ。実はとても休憩がしたいところだったのです。ありがとうございます」
キリの良いところまで書き終えて、シーラは作業を中断した。
文机の前から立ち上がって、部屋の中央にあるテーブルの前のソファへとそそそっと移動する。
「茶葉は何がいいですか?」
「生姜の、美味しいものはありますか?テオドール様が良く飲んでいるものなのですが」
茶葉の瓶が行儀よく並んでいるワゴンの二段目を覗き込むシーラ。
テオドールはシーラが飲んだことのないような美味しいお茶をいくつも知っていて、シーラにも飲ませてくれる。
そんなお茶の中でも、シーラは生姜のお茶が一番好きだった。ブルーナー家に来たばかりの晩に初めて飲んだものでもある。
「ああ、うふふ。旦那様がよく飲んでいるもの、ありますよ。淹れますね」
快い返事と共にミラが茶葉の入った瓶を一つ取り、すぐにお茶を淹れる準備をし始めた。
茶器が合わさる音と共に漂ってきた生姜と花の瑞々しい蒸気がシーラの鼻をくすぐる。
ミラが綺麗な琥珀色のお茶の入ったカップを、カチャンとテーブルの上に置いた。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
一口飲んだお茶は、シーラの凝った肩と固まった手首に染みるようだ。
鼻を抜ける生姜の香りとピリリとした刺激は堪らない。
シーラは両手でカップを支え、ふううと思わず深くため息をついていた。
「そういえば、シーラ様宛にお手紙来てましたよ」
シーラが一息ついたところで、ミラからシーラ宛の手紙が差し出された。
用意が良いミラは、ペーパーナイフも一緒に差し出してくれたので、それを受け取ったシーラは、届いた手紙の封を開ける。
何の変哲もない白い手紙の差出人は、昔から縁のある人物だった。
彼は侯爵家の当主をやっていて、この地方の貴族の例に漏れず騎士団に所属している人物だ。シーラの父とも交流があった。
そしてその縁もあり、シーラは彼の家の長男の家庭教師の一人として仕事をしたことがある。
シーラが父から受け継いだ才能を生かして、武術を教えていたのある。
彼からの手紙の内容を確認すると、数日間だけ9歳の長女の家庭教師を頼めないか、といったようなことが書かれていた。訳あって、即席でいいので簡単な護身術を身に付けさせたいらしい。
「なんと書かれていたのですか?」
ポットへ熱々のお湯を注ぎ足しているミラが、シーラに声を掛けた。
「家庭教師の仕事の依頼が来ました」
「え、お仕事されるのですか?」
「そうですね。丁度よいタイミングです」
「ええっ?でも、シーラ様が仕事をする必要は全くないですよ!旦那様はお金ならありますから!お金くらいは出させてあげてくださいよ!」
「でも、良いことを思いついたのです」
シーラは人差し指を口に当ててミラを黙らせてから、ふわりと笑った。
家庭教師の仕事の話を貰った時、シーラはやりたいことを思いついた。
またテオドールが喜んでくれるかもしれない、ささやかなことだ。
ささやかで、大したことではない。誰でも普通に思いつくことだ。
だが、喜ばせたい人がいるというのは、ささやかでも大きなことだ。
シーラは早速、侯爵に返事を書いた。
家庭教師を受けさせてもらうという返事を。