手作りの贈り物2
「マフラーは諦めて、刺繍にしましょう!ハンカチに刺繍!」
次の日、ミラは一晩で刺繍に使う用具一式を揃え、シーラに手渡していた。
磨かれた木でできた、大きな裁縫箱だった。針や糸が入っているだけの筈なのに、両手で抱えればずっしりと重い。
「刺繍ですか……」
「はい、刺繍です!一針づつ愛をこめて縫うことでお守りにもなると昔から言われています。旦那様は騎士団に所属しているので必需品です!」
ミラの言うように、刺繍も刺繍は女性から男性への定番の贈り物だ。
家紋や紋章、縁起の良いモチーフなどを剣帯や革帯に刺繍して、意味を込める特別なものだ。
シーラの母も父が生きていた頃は、彼の無事を願ってたくさん刺繍をしていたなあ、ということをシーラは思い出していた。
父の無事を家で悶々と願うより、自分が一緒に行って戦力になった方が現実的なのではないかと考えていた当時のシーラは、刺繍の練習などより武術の訓練に精を出していた。
「刺繍も実はですね……」
「はい、刺繍です!ブルーナー家の家紋にしますか?それとも騎士団の紋章にしますか!?」
実は刺繍も苦手、というシーラの小さな声は、元気なミラの声にかき消された。
「それとも不死鳥とか飛竜とか、縁起の良いデザインにしますか?!」
準備のいいミラは、片手に刺繍のデザイン集とブルーナー家の家紋の入った便箋を、見本になるようにと既に用意していた。
「では……家紋、一番簡単そうな家紋にします」
開かれたデザイン集に載っている、複雑な不死鳥や飛竜のデザインに比べれば家紋は易しそうではあるが、それでもうまく縫える自信がない。
……いいえ、やる前から諦めていてはいけません。
もしかしたら今はできるようになっているかもしれませんし、編み物と違って練習すればうまくなるかも。やれるだけやってみましょう。
覚悟を決めたシーラは、練習して一つ一つ順序だてて丁寧に縫えば、できないことはないだろうと気合を入れた。
刺繍なんて要するに、針に糸を通して布に刺せばいいのだ。
今やってみたら、案外簡単だと思うかもしれない。
結果は、惨敗だった。
「これは……ミミズ、ですか?何故ハンカチがハチの巣になっているのですか?何故針がボキボキになっているのですか?!」
ミラは愕然としていた。
どう好意的に見てもミミズにしか見えない、ブルーナー家の家紋。
シーラに針でメタメタに刺されて、ハチの巣になったハンカチ。
へし折られて、ただの鉄くずに成り下がった針。
悲惨な刺繍の残骸が、シーラの周りに散らばっていた。
「完成までに20年はかかりそうですね!」
昨日に引き続き、シーラはしょぼくれた。
針に糸を通して布に形を作っていくだけの作業なのに、こんなに下手だなんて。
昔から分かっていたことなのだが、改めて実感すると少し悲しい。
「折角教えてもらったのに、申し訳ないです」
「いいえ、まったく謝ることではありません。シーラ様ならばこれくらいの欠点、ただの愛嬌ですよ!」
一日中シーラに付き添って、手取り足取り刺繍を教えて大変だっただろうに、ミラは両手をブンブン振って気にしないでと笑ってくれた。
しかし、もうこれ以上練習しても無理だろうな、とシーラは苦笑いした。
刺繍をしたハンカチを渡したら、テオドールは喜んでくれたかもしれないのに、と考えたら悔しいような寂しいような、何とも言えない気分になった。
「編み物や刺繍じゃなくても大丈夫です、シーラ様!何か得意な事とか、作ったことがあるものとか、ありませんか?」
複雑そうな顔をして黙っているシーラを励ますように、ミラはズイッと身を乗り出してきた。
「得意なこと?」
「例えば、お菓子作りとか!あ、シーラ様は甘いものが好きではないから、作ることもしないですかね?あ、でも作るのと食べるのは違いますかね!?」
「それなら……木彫り、でしょうか」
元気なミラの声の陰に潜むように、ぽそっとシーラは呟いた。
「え?今何と言いました?」
「私、木彫りなら得意です。けれど」
少し大きめの声で言ってから、シーラは小さく笑った。
木彫りならばうまく仕上げる自信があるが、贈って喜んでもらえる自信はない。
シーラの中で得意なことと言えば木彫りだが、それは男性に贈るようなものではない。
「え?木彫りなんてできるんですか!凄いですね、シーラ様!ぜひ、それを作って差し上げてはどうでしょう!」
「でも、木彫りなんて貰っても嬉しくないかもしれません」
「ええ?そんなことないですよ!シーラ様からもらえるなら、旦那様はほんとに何でも喜ぶと思います」
「うーん。それに、置く場所にも困るのではないでしょうか」
「いいえ、木彫りなら、爆発した毛糸や折れた針よりは置き場所に困りません!」
「た、たしかに」
力説するミラに圧倒されるように、シーラは同意せざるを得なかった。
可愛げのない木彫りでも、マフラーの残骸や刺繍の屍と比べたら、随分ましなもののような気がしてくる。
「木彫りなら、編み物や刺繍より上手く仕上げる自信はあります」
父の趣味の一つだったので、真似ているうちに何時しか得意なことになってしまった木彫り。
木彫りは、ガリガリ木を削って粉まみれになりながら黙々と作業するものだから、品があるわけでもない。
全く令嬢らしからぬ特技だ。
だが頑張って作れば、それなりに気持ちも伝わるのではないかと思えなくもない。
木彫りを贈ることに決めて、シーラは早速、彫刻刀や木の準備をミラに頼むことにする。
シーラの彫刻刀は、結婚してまさか使う決断をすることになるとは思わなかったので、実家においてきてしまっている。
使い込んで刃こぼれもしているし、新調することにした。
どのような彫刻刀がいいか、どの種類の木が欲しいか詳しく説明し、ミラには明日の昼に買い物に行ってもらうことにした。
「はいはい、お任せください。あ、参考までにお聞きしたいのですが、木彫りってどれくらいで完成するものなのですか?」
「デザインと大きさにもよりますが、一週間もあればいけるかと」
「まあ、そんなに早くできるのですか。うふふ、旦那様喜びますよ」
「ええ、だと良いです」
……
その次の日の夜。
シーラはテオドールの部屋から自室に帰ってきて、薄暗闇の部屋の中、テーブルに並べられた道具を確認していた。
従者たちに手配してもらった上質で柔らかい木片と、新品の彫刻刀を撫でる。
父は、木彫りが上手なシーラを片っ端からほめて伸ばしたが、母はあまり良い顔をしていなかった。
特に、シーラが彫刻刀で手を切ってからは、女の子は安全な刺繍と編み物をするべきよ、とふくれっ面だった。
母がここにいればまた小言を言われるのだろうな、と一人苦笑いするが、シーラは正直ワクワクし始めていた。
ロベルトと婚約したくらいの時期から、お淑やかな趣味ではない木彫りは封印していたので、今回は久しぶりの木彫りにワクワクする。
あと、木彫りを贈った時に、テオドールがなんと言ってくれるか、少しだけ気になっている。
こんなものいらないと突き返される可能性だってあるのに、木彫りを贈ろうと決めた瞬間から、もしかしたら喜んでもらえるかもなんて思えてきたから不思議だ。