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婚約破棄2




「お前を雇ってやると言っている。終身雇用だ、衣食住は保証してやる」


ロベルトにサイン済みの婚約解消の同意書を返したシーラの前に男性が一人立っている。


予想外の、というかあまりよく知らない人物だった。

何度かパーティや騎士団関係の行事で見かけたことがあって、時々友人の令嬢たちから話を聞くことがあって、少しだけ直接話したことがあるくらいの男性だった。

雇い雇われるような関係でもなければ、こんな時に気軽に冗談が言い合えるような親しい関係でもないはずだ。


彼は、ブルーナー伯爵家のテオドール。

ブルーナー伯爵家と言えば先代の当主が騎士として魔物と戦って戦死しているから、シーラとそう歳も変わらない若い彼が家の当主だ。



「来い」


シーラがぼんやりしていると、乱暴に手首を掴まれた。

そしてシーラを引き摺るように、人だかりを割りながらテオドールはズンズン歩いていく。

婚約破棄という事件が起こった現場には留まりたくなかったし、ザワザワしている周囲から逃れる他の方法も咄嗟に思いつかなかったので、シーラはそのままテオドールについて行った。


テオドールは、煌びやかな会場から外にある落ち着いた薄暗い廊下まで、振り返りも止まりもしなかった。


人目が完全に消え失せ、会場で楽しむ人の声が遠くに聞こえるような廊下の突き当りまで来た時、大きな息をついたテオドールが、シーラの方を振り返った。

廊下の左側は大きなガラスで、雪が庭園に降る様子が見られる。

シーラを引っ張って歩いて疲れたのか、綺麗な顔は赤く染まっていたが、外の雪に反射した庭園の照明を片頬に受けたテオドールの顔は、びっくりするほど綺麗だった。


彼は眉をぎゅっと寄せて顔をしかめ、シーラの手首を握る手を離した。

そして思い切ったように一歩ズイッと踏み出してきた。

同時に厚い紙も差し出された。



「これが契約書だ、嫌なら帰れ」


絞り出したような声が、目の前というには遠い位置にいる彼の唇から漏れてきた。


シーラが渡された紙を受け取って見てみると、それは雇用契約書ではなく婚姻届だった。

分厚く立派な紙に、婚姻届けと濃い紅色の文字で刻印されている。

以前、何かのついでに見たことがある実物と全く同じだ。


裏返して見てみても、逆さにして読んでみても、明りに透かして見ても、それはどこからどう見ても婚姻届だった。


紙の端から顔をのぞかせたシーラは、テオドールを窺うように見てみた。

細身ですらりと伸びた体躯。毎日魔物を切り刻んでいるロベルトほどがっしりはしていないが、背が高い。

冷たい雪のような白い肌と、月の出ていない綺麗な冬の夜のように黒い髪と目。透明な氷のように独特で低い声を持った人だ。

婚姻届など何も知らないと言いたげな、怒った顔をしている。



騎士団に所属する彼の噂は聞いている。

彼は、この雪の降り積もる白銀の地を守るミルフォーゼ騎士団の中で意外にも数の少ない、氷と雪の魔法を使うソーサラーだ。

寒さに強いこのあたりの魔物に決定打を与えられる魔法かと言えばその強さはないが、環境を味方につけ仲間の援護をさせたら騎士団屈指のソーサラーだと言われている。

優秀で、彼が王都の士官学校を卒業した時には、王家直属のエリート戦闘集団である中央騎士団からの勧誘もあったと聞いたことがある。



シーラは、彼の身元よりも手元の法的な書類のことを考えることにした。

元来シーラは、丁度いいという理由でロベルトと結婚するつもりだったのだ。年老いた貴族の後妻や性悪貴族に娶られるのでなければ、誰と結婚しても大差ない。

それにシーラは先ほど大きな声で野蛮と宣伝され、中古令嬢に格下げされたので、選べる立場でもない。


……そう。私は選べる立場でもないのに、由緒正しい伯爵家の方からの申し出は破格ですよね。


ふうと息を小さく吐いたシーラは、テオドールから遠慮がちに差し出されたペンを受け取っていた。


元々誰かと結婚するつもりだったのだ。

結婚相手が大して好きでもなかったロベルトから、よく知らない人になったところで、シーラはきっと困らない。

相手が誰でも当たり障りなく、可もなく不可もなく淡々と妻の役を全うできるだろう。


……私にとって、結婚なんてこんなものです。


動じず穏やかに、婚約解消の同意書にしたように、シーラは婚姻届けにさらさらとサインをした。


この時のシーラは、結婚など誰としても大差ないと思っていた。





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