夜の盤上遊戯2
「まだ生きていた頃に母親とはしたことがあるな。母親に勝てたことはなかったが」
「なるほど、お義母様はチェスが上手だったのですね」
「母親はあれで頭の回る人だったからな。ゲームと呼ばれるもの全般得意だった」
テオドールの母親は騎士団でソーサラーとして名を馳せていた。
昔、シーラも何かの折に何度か会ったことがある。顔はぼんやりとしか思い出せないが、痺れるように綺麗な人だったことは覚えている。
妖艶な雰囲気を纏った賢そうな人だったので、ゲームなんかでは負けなかったのではないかと簡単に想像できた。
テオドールの家族の話も聞いてみたいと思ったが、話を戻して単刀直入に仲のいい女性はいるのかと問えば、テオドールは「特に思い当たらんな」と素っ気なかった。
「なら、お前は誰とよくチェスをしていたんだ?」
「最近はほとんどしていませんでしたが、昔は父としていました。チェスも父に教えてもらいました」
「そうか」
チェスのみならず、お父さんっ子だったシーラは大抵の遊びは全て父親から教えてもらっていた。
しかし父がいなくなってから、シーラのチェスの相手はおらず、チェスをする機会はほとんどなかった。
「それと、一応聞いておくが、お前には懇意にしているやつはいるのか?……女友達ではなく」
少し言いにくそうにして、テオドールが呟いた。
片手で黒いチェスの駒を弄んでいる。
その様子を見たシーラは、肩をすくめて小さく笑った。
「気になりますか?」
「俺だけ答えて、お前が答えないのも不公平だろう」
「世の中不公平な事ばかりなのです」
気にしている様子のテオドールの顔をもう少し見てみたくて、そうしれっと答えれば、テオドールは「理不尽だ」と睨んできた。
物怖じしない性格のシーラは誰とでも当たり障りなく話せるが、それを楽しいと思うことはあまりない。
必要に駆られて男性と話すことはあっても、気を許せる男性の友達はいない。仲の良い幼馴染は数人いるが、全員が女の子だ。
「そうです。気を取り直してもう一戦、しませんか」
「フン。いいだろう」
ポンと手を打って明るく提案したシーラに、テオドールは頷いた。
少し赤くなっている自分の顔に気が付かないふりをしている彼は、率先して駒を並べ始める。
そして、手際よく黒い駒を行儀よく並べ終え、シーラがゆっくり並べている白い駒を並べるのも手伝ってくれた。
「俺を相手に、痛い目を見るだけだと分かっていてもやりたいらしいな。その根性だけは褒めてやる」
「はい。私、根性はあるのです。勝てるまでやらせていただければ、勝って見せます」
「そんな屁理屈を言っていたら朝になるだろ」
「朝になる前には勝って見せます」
「やる気だけは十分だな。
まあ、その意気込みだけは汲んでやろう。文机の上に紙とペンがあるから取ってこい。俺がお前に、戦略のコツを教えてやる」
「ありがたいですが、そんなことをしたら、テオドール様はもう私に二度と勝てなくなってしまうかもしれません。手の内を明かしてしまって良いのでしょうか」
「は、お前が多少知恵を付けたところで知れている」
「そうですか。では、そう言ったことを後悔させてあげます」
「永遠にないだろうな」
シーラはぴょんと立ち上がって、文机の上にあった紙とペンを抱えて戻ってきた。
元の位置に座り、それらをテオドールに手渡す。
紙とペンを受け取ったテオドールは、早速紙にチェス盤に見立てた線を引き始めた。定規も使っていないのに、線は真っすぐに並んでいる。
「お前は弱すぎるからな。これからも俺の相手をするというなら、多少は強くなれ」
「はい、では頑張って強くなります」
紙に何か書き込み続けているテオドールを見ながら、シーラは大きく頷いた。
戦略の解説が始まり、テオドールは駒とペンを交互に操って事細かにシーラに説明してくれた。
面倒臭そうに毎回文句を言うが、テオドールは実は面倒見が良いとシーラは気が付いている。
パーティでは冷たいところがかっこいいと噂され、群がる令嬢にウンとスンしか言わない冷たい印象が強かったが、それはミーハーな令嬢たちに対してだけだったようだ。
令嬢を撒いた後のテオドールの周りには、いつも騎士団の仲間や彼の友人がいた気がするし、屋敷の従者たちからの信頼が厚いことからも、彼はやはり面倒見が良いのだと分かる。
シーラは何でも一人でこなす方が気楽だと考えるタイプの人間だが、テオドールに世話を焼かれるのは悪くない、とシーラはこっそり思った。
……
チェスの基本戦法を教えてもらったものの、一度も勝てないままだったシーラはそろそろ眠いと言って、早々に自室に帰ってきた。
もふっと布団に潜り込む。
ふかふかの毛布が上にも下にもこれでもかと重ねられているのに加え、ミラが準備してくれた2つの湯たんぽがすでにベッドを暖めてくれていたので、全く寒くない。
毛布にくるまれていると、温かくていい気持ちだ。
もそもそと動いて、シーラは窓の外が見えるお気に入りの姿勢に収まった。
暗い室内から、銀色にぼんやり光る庭が見える。
シーラは夜が好きだ。
冬の日の夜が特に好きだ。
この王国最北の地ミルフォーゼに生まれてよかったと思うのは、ほぼ毎日冬の夜が来ることだ。
温かくて肌触りの良い室内着を着て、オレンジに燃える暖炉の火の傍で窓の外にちらつく牡丹雪を見るのは幸せだ。
布団の上で毛布を頭から被って、シンシンと音のするような白雪を鑑賞するのもいい。
白湯を飲みながら窓の外を舞う粉雪を目で追うのも捨てがたい。
結婚してブルーナーの家に来てからも、シーラは雪の夜が好きなままだった。
不思議だ。シーラは一人だけで過ごす夜が好きだったはずなのに。
毎晩テオドールと過ごしているのに、夜が好きなままだ。
一人でゆっくり過ごす時間が無くなったのに、あった頃に戻りたいとは驚くほど思わなかった。
むしろ今一人きりで過ごせと言われたら、どうしていいか分からなくなりそうだ。
寂しいとか思ってしまいそうだ。多分。
そういうことは経験がないので、シーラは深く考えないことにした。
いつか、勝手に腑に落ちる時が来るだろう。