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夜の盤上遊戯



コンコン

ずっしりとした木の小気味よい音。シーラは今晩もテオドールの部屋の扉を叩いていた。



思い返せば、最初は本を借りるためにテオドールの部屋を訪ねて、最後の本を借りたら一緒に食べ物をつまんで話をした。

そして昨晩は月を見るという約束の為テオドールの部屋に招かれた。


しかし今晩は何のためだろう。何も考えずにシーラはテオドールの部屋の扉を叩いてしまったが、何か用事はあっただろうか。

いや、何もない。約束もないし、呼ばれてもいないのに、今晩もテオドールを訪ねてしまった。


向こうから何やら声が聞こえたのでシーラが扉を開けたら、焦ったようなテオドールの声がはっきり聞こえてきた。


「ま、また来たのか」


「ご迷惑でしたか」


「そうだ、迷惑もいいところだ。ゆっくり本も読めない」


仕事で疲れて、今日こそは一人でゆっくりしたいところだったのかもしれない。シーラはテオドールの腕に抱えられている本に目をやった。今日勝手に訪ねたのは、迷惑だったのかもしれない。


シーラはテオドールと同じく読書が好きだ。だからシーラにも本をゆっくり読みたい気持ちが分かる。本は雪がシンシン降る夜に橙色に燃える暖炉の傍で一人読むに限るのだ。


部屋に帰るべきかそれとも、とシーラが難しい顔で立ち往生していると、立ち上がってズカズカやって来たテオドールにブランケットをぐいっと押し付けられた。


「早く扉を閉めろ。寒い」






「いくらお前でもチェスのルールくらいは知っているだろう?今晩は俺が暇つぶしに相手をしてやる」


帰るに帰れなくなったシーラが扉を閉めてソファの上でブランケットに包まって丸くなった時、テオドールの声が頭の上から降ってきた。

見上げれば彼は、白亜の石でできたチェス盤を抱えている。


「本はもういいのでしょうか」


「フン……俺は暇が潰せれば問題ない」


読書の邪魔をされたというのに、テオドールはいつもより機嫌がいいようにも見える。


姿勢を正したシーラが頷くと、テオドールは石のチェス盤をテーブルの上に置いた。

シーラはブランケットを巻き付けたまま、駒を並べるのを手伝うために長い毛が気持ちの良い絨毯の上に腰を下ろした。

テーブルの上に置かれたチェス盤が眼前に広がる。


「黒と白、こだわりはあるか?」


「特にないですけど、いつも白を使うようにしています。白を使うと勝てる気がするのです」


「お前な、そういうのをこだわりって言うんだ」


呆れたため息と共に白い駒がシーラの方に寄越された。

テーブルの角にチェス盤は置かれていて、シーラとテオドールは自然にテーブルの隅に身を寄せる形になった。

シーラの肩とテオドールの肩は、近くはないが遠くもないところにある。

今までは俄然遠いところにばかりいたので、シーラは少し不思議な気持ちになった。


特注品であろう白い石のチェス盤に、一つづつ職人の手によって削られた石でできた駒を並べていく。

一つ一つに丁寧に使われてきた柔らかさがある。シーラも物持ちがよい方なのでそういうものは何となく分かる。

大切に使われてきた物には、優しい跡がついている。


全ての駒を並べ終わったところで、チェスを開始する。


「お前のお手並みとやらを拝見してやろう」


「恐れ入ります」



特にべらべらしゃべりながら対戦しているわけではなかったが、石同士がカツンカツンとぶつかる音を聞くのは気持ちがよかった。余計なことを話す必要性は全く感じられない。


カツン、カツン、カツン

テオドールの細長い指が黒いルークを動かして、シーラの白いキングを討ち取った。チェックメイトだ。


「……お前、手を抜いているのか?」


「いいえ、全力です」



カツン

二回戦目、再びのチェックメイト。

テオドールの黒いクイーンが、シーラの白いキングの目の前にいた。


「おい、お前ほど手ごたえがない相手は初めてだぞ」


「また負けました……貴方ほど狡猾な相手は初めてです」



カツン。3度目のチェックメイト。

テオドールの黒いナイトが、シーラの白いキングにとどめを刺した。


「お前、さっきから本当に弱いな!隙あらば突っ込むことしかしてこないじゃないか」


「昔はもっと強かったんですけど、最近してなかったから、まだ本調子ではないようです」


「フン、どうだか。弱い者ほどよく吠えるからな」


弱いと言われてムッとして言い返してはみたものの、実際、シーラはチェスが弱かった。

勉強はできないわけではないのだが、戦略を考えるゲームはどうも苦手だ。駆け引きをするのも、相手の手の内を読むのも、どうもうまくできない。


シーラが難しい顔をしていると、テオドールは少し楽しそうに言った。


「お前は考えなしだな。脳みそが筋肉でできているのかと疑いたくなる」


「酷いことを言いますね。脳みそが筋肉でできている訳ないじゃないですか」


「じゃあなんだ、お前の脳みそは綿でできているのか」


「綿でもないです。脳みそは味噌でできているのですよ」


「……」


「ふは」と、テオドールはいきなり息を漏らした。

堪え切れなくなったのか「真面目な顔して」と言いながら笑っている。


シーラが大変真面目な顔をして、脳みそは味噌でできていると言ったことがお気に召したらしい。

頭の中に豆味噌でも詰まっている想像をしたのだろうか。

なんにせよ、とんでもなく変なところに笑いのツボがある。


本当に変な人だなと思いながらも、目を細めたシーラもつられて笑った。


テオドールが笑っているのは初めて見るかもしれない。それくらい彼の笑った顔は珍しい。

テオドールは笑うと少し幼くなって、氷のように冷ややかな美貌が少しだけ丸くなる。

普段トゲトゲしている分、一気に人懐っこくなったように見える。可愛いと言ってみても語弊はないと思う。


いつもぶすっとしたり赤くなったり忙しそうにしているが、彼はもう少し笑っても良いとシーラは思った。



「そういえば、いつもはどなたとチェスするのでしょうか」


シーラは白い綺麗な石でできた駒の一つを手に取った。

何となく手持ち無沙汰になったので、目的もなくにぎにぎと握ってみる。


「父親が生きていた頃は父親と。あとは友人と時々」


「ふむふむ。ちなみに、女性の方ともチェスをしたことはあるのでしょうか」


先ほどのテオドールの笑った顔を見て、ふと浮かんできた質問だった。

氷の貴公子と噂される冷ややかなテオドールの、この笑った顔を誰かが見たことがあるのだろうか。仲の良い女性はいるのだろうか。

そういう話は本人は勿論、噂でも聞いたことがないので少し気になった。




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