初めての朝
外に積もった白い雪がささやかな日の光を反射している朝。いつもと変わらない冬の日の始まりだが、シーラにとって今朝はこれまでの毎日とは違う。
ブルーナー家で迎えた初めての朝だ。いつも使っていた物とは全く違うベッドだったが、寝覚めはすこぶるよかった。
実家でシーラが使っていた物より二回りほど大きなベッドには、上にも下にもフワフワで軽い毛布がこれでもかと重ねられていて寝心地もかなり良かった。
ベッドから起き上がり、顔を洗うために洗面台のある部屋へ移動しようと自室の扉を開けたら、冷えた廊下の空気がしゅるりと温かい部屋の中に入ってきた。
シーラはそこで気が付く。自室はシーラが目覚める前から快適に温められていた。
実家であるリシュタインの家では、朝に部屋を暖めておいてもらうことは長らくなかった。
父が生きていた頃はそんなこともあったかもしれないが、最近では燃料も勿体無いし使用人達の余計な仕事を増やしたくないし、シーラは寒さに強いからと断っていたのだ。
……しかし、毎朝布団から出るために覚悟が要らないとは、なんとも素敵ですね……
シーラは実家の自室を思い出して苦笑した。
温かい布団を押し上げて、冷たい朝の空気に身を晒す時はいつも気合が要った。
スリッパをひっかけ、シーラの部屋の隣にある洗面所へ向かう。
廊下はひんやりしていたが、洗面所は自室と同じように温められていた。
昨夜も使ったが、洗面所は白くて美しいタイル張りの空間で、床は大理石のような色合いの魔法石でできている。保温効果があり、寒いミルフォーゼの浴室や洗面所でよく使われている魔法石だ。
顔を洗うため、磨かれた大きな鏡の前で蛇口をひねったタイミングで扉がノックされた。
コンコンコン!
「おはようございます、シーラ様!支度をされているのですよね、開けてください、開けてください!」
朝から強めに扉をノックされ、その扉の向こうからは泣きそうで悲痛な声が聞こえてきた。
ミラの声だ。
シーラの身の回りの世話を全てするように言われているのだろうか。もしシーラが一人で支度していたことがばれたら折檻でもされるのだろうか。そう思わせるくらい、ミラの声は切羽詰まっていた。
しかしシーラは、すぐに侍女の悲痛な声の本当の理由を知ることになった。
「是非、是非私にやらせてください!私からシーラ様の肌の調子を整える楽しみを奪わないでください!髪をアレンジする楽しみを奪わないでください!」
顔だけは素早く冷水で洗ってタオルで拭きながら、諦めたようにシーラは扉の鍵を開けた。
ミラは転がるように中に入ってくる。彼女のエプロンのポケットからはあらゆる道具が顔を出していて、腰にも化粧品の入ったポーチをぶら下げていた。
結局、シーラは大げさなミラに手伝ってもらって支度をした。
思い返せば、昨日の夜使った湯舟には華やかな香りの香油が垂らされていたし、湯から上がった後にはミラに様々なものを塗りたくられた。
予想以上に長くテオドールの部屋に滞在していたので夜も遅く、眠いから解放してくれと言ってもまだヘアケアができていないとシーラを放してくれなかったミラ。
新婚だから気合を入れているのかと最初は思っていたが、蕩けるような顔をしてシーラの髪を触っているミラは本当に楽しんでシーラに世話を焼いてくれている。
「はい、できました。これから毎朝私がやりますからね」
シーラを綺麗に仕上げて満足した様子のミラはふうと額を腕で拭った。
鏡の向こうに見える緩くウェーブが掛かったシーラの蜂蜜色の髪は、こめかみの生え際から緩く編みこまれ、ふわりと降ろされていた。
丁寧で素早い仕事だった。起き抜けのシーラが短時間で綺麗な伯爵夫人に変貌した。
魔物や悪漢をぶちのめしたことで女性らしさを否定されて婚約破棄をされたシーラだが、お洒落は人並みに好きで、人並みに美容にも興味がある。
朝から熱狂的なミラには驚かされたが、綺麗にしてもらえることはやはりうれしい。
自分でやるのとはやはり仕上がりも違う。シーラは素直にお礼を言った。
返事の代わりにミラは微笑み、着替えも済ませて準備が完了したシーラを椅子から立ち上がらせた。
「さあ、朝ご飯を食べに行きましょう。旦那様が待ってますよ。うふふ」