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正しき王子に国を追われた魔女の「さようなら」

作者: yuyu

 豊かな国があった。

 気候は穏やかで、広い土地にはよく作物が実る。ここ五十年ばかりは天災に見舞われることもなかった。健康で立派な兵士は無駄なく配備され、治安もいい。他国からの客も多く、畑一つを開墾して、この地に根付くものさえ珍しくない。

 なんの憂いもない国には、立派な王子と、その恋人がいた。




「母上、私は彼女と結婚しようと思います」

「あら……」

 王妃は微笑んだ。

 国を支える王の妻であっても、息子を愛しく思うひとりの母だ。息子のつれてきた令嬢は、王妃も子供の頃から娘のようにかわいがっている女性であった。

「まあ、まあ。あなたじゃとても反対できないわ! この子をよろしくね。ほら少し、融通のきかないところがあるから」

「母上、それは」

 王子はなんともいえない顔で困る。彼にとってもまた、彼女は王妃であり、気恥ずかしいくらいに自分をよく知る母親であった。

「出来る限りの支えになれればと思います。融通がきかないくらい正義感が強いのが、王子の素晴らしいところですもの」

 令嬢は愛らしく緊張していたが、幼い頃からこちらも母のように慕ってきた相手だ。王子を表するには少しだけ失礼に、親しく告げて笑ってみせた。

「ふふ。これで私も安心だわ。……でも」

 王妃が表情を暗くする。

「わかっているかしら? 王子の正妃にはなれないの。実質は正妃であっても、側妃として遇することになります」

「はい。わかっています」

「……母上、どうしても、それは動かせないことなのですか」

 正しいことを好む王子は眉を寄せて言った。

 幼い頃から言い聞かせられてきたことだ。王子はどんな令嬢も正妃として迎えることはできない。なぜなら。

「ええ。ええ! どうにもならないのです。先王からの古い約束なのですから。……あなたはあの老女を正妃とするしかないのです」




 およそ五十年前のことだ。魔女は当時の王と契約したという。

『私を王の后としてくれるなら、この国のために力を使おう』

 魔女の力によって土地は潤い、近隣国と比べ物にならない国力を得ることができたのだという。

 そして彼女を娶った王が病死すると、弟である現王にその契約は引き継がれた。魔女は長く美しい姿を保ち続けていたが、今となっては老人そのものとなり、城の奥で働くことなく暮らしている。

(先王は騙されたのだ)

 正しい考えをする王子はそう思う。

(たまたま、発展の続く時であったのだ)

 それは今や国民も、貴族も同じ思いであった。

 しかし当時は藁にもすがるほど、本当に貧しい国であったらしい。側妃を迎える金さえなく、ようやく国が落ち着いてから、今の王妃を娶り、王子を得ることができたのだ。

 王子もそう遠くない未来、王を名乗ることになる。つまり契約に従えば、老魔女を正妃とすることになるのだ。




「王子様、おめでとうございます」

「おめでとうございます」

 婚約の披露の場となった宴は華やかでいてあたたかい。犯罪の少ない豊かなこの国では、王室の在り方も親しみの持てるものである。

「ありがとう。彼女は素晴らしい女性なんだ」

「そんな……。でも、王子といた時の長さなら、きっと誰にも負けません」

「ああ、そうだな。幼い頃はあの庭で隠れ鬼などをして」

「あっ、王子、それは秘密ですわ」

「おっと。母上に知られたら大変だ」

 王妃が美しい庭を大事にしていることは誰もが知っている。けれどそれより息子とその婚約者を大事にしていることも、誰もが知っていた。

 笑いさざめく中、この国でもっとも高貴な、玉座の主も現れた。

「父上! 来てくださったのですね」

「もちろんだ。この婚約に不満があるなどと思われては、妻と息子に嫌われてしまうよ」

「ふふ。新しい娘にも嫌われてしまうものね」

「おお、そうであったな」

 王家であってただの家庭である彼らの話の最中、似つかわしくないものがよろよろと宴の場に現れた。

 老女である。

 黒い布をただ身にまとい、楽しみのかけらもない陰鬱とした表情をしている。

 この場に異質すぎるそれに誰もが視線を向け、言葉を止める。しんとした中、彼女は手近な料理に食らいついた。

 挨拶もマナーもない彼女の行動に、高貴な人々は眉をひそめた。しかし、誰も何も言わない。彼女がそれを許された立場であるからだ。

 魔女の王妃。

 表に出る仕事はせず、ただ時折ふらりと現れては、その場の空気を乱していた。それは契約により許されたことだ。彼女は王の妻なのだから。

「……父上」

 しかし今日は違った。

 めでたい場所に水をさされ、正しい王子は、これはまともなことではないと感じた。祝の気持ちがあるならまだいい。彼女がしていることは、この国に、王家に泥を塗ることだけだ。

 そして常に彼女のために少なくない金が使われている。

 終わりにするべきだ。

 もはやこの国は得体のしれない魔法に縋るような国ではない。

「あのように勝手をされて、それでもなお、契約を続ける必要はあるのですか」

 王子は言った。

 生まれたときから彼女はいて、それが当たり前のように育ってきた。しかし、異常だ。

 異常なのだ。

 異常は正さなければならない。

「父上」

「ううむ……」

 王は難しい顔をして考え込んだ。

「母上のこともお考えください」

「……いえ、よいのです、私は。国のためにあるのが后の在り方」

「そうです。母上こそが、正しく王の后ではありませんか」

「……」

「父上。この国の田畑は多く実り、また不作の年であっても、観光資源、技術資源が支えております。人々はもはや飢えることはありません。他国の民はこの国で市民権を得ることに必死だ。……この国をこのように豊かにしたのは、あの魔女なのですか?」

「……」

「いいえ、あなたです。王よ、あなたがこの国を育てたのです」

「むう……」

 王はむずむずと眉を動かした。彼の名誉欲をそそりながら、王子は言う。

「あらゆるものに縋るべき時はすぎました。どうか、賢明な王でいてください」

「……」

 周囲のものが固唾を呑んで見守っている。

 誰もが場違いな魔女をこの宴から、王家から放り出すことを期待していた。王もそれがわかるのだろう、顔を岩のようにして黙り込んだ。

「しかしな……」

「彼女の功績を否定はしません。得体のしれないまじないが必要な時とて、きっとあったのでしょう。私はこの国が貧しい時を知らない。当時の父上は立派な判断をされたに違いないのです」

「……む」

 王子は世辞を言っているわけではない。本当にそう思っていた。豊かな国で、何不自由なく、正しく育った王子には悪意も欲もない。

「その功績に報いるために、いくばくかの金を与えるというのであれば反対はしません。つつましく人生の最後を過ごす金は必要でしょう」

「いや」

 王は顔を上げた。

「そうだ。余は少しばかり報いすぎたようだ。魔女よ、この時を持って、そなたとの契約を打ち切ろう」




 ぽたりと、魔女の手から料理が落ちた。

 こちらを少しも気にしない様子でいて、言葉は聞こえていたようだ。王はもう一度、見るに耐えぬとばかりに顔をしかめて言う。

「契約は終了だ。そなたとは離縁し、今日より側妃を正妃とする」

 わっと声が上がった。

 この場の貴族も、それに仕えるものも、この時を待ちわびていたのだ。豊かで立派な国の后が、得体のしれない魔女であるということ。若いものほどその理不尽に耐えられずにいたのだった。

「お、おお……」

 歓声の中で、魔女が膝をついた。

 そのあまりに哀れなさまに、喜びの声が消えた。いまにも朽ち果てそうな体を前かがみに床につけ、打ち震えている。

 床にぽたりと涙が落ちた。

 王子はそのさまに顔をしかめた。たとえ国を謀る魔女だとしても、老いた女の嘆くさまは、見世物にしていいものではない。

「誰か、彼女を」

「やっと……この日が……ああ、ああ」

 しわがれた声で魔女が言う。

 言葉は詰まり、感情の行き場を失ったかのように、両の手が天に向けられた。続いて顔が、歓喜にむせぶ顔があげられた。

「なに……?」

 異様な光景に王子は言葉を失う。

 魔女は滂沱の涙を流し、それでも誰にも、その表情は喜びにしか見えなかった。震える全身もまた、あふれる喜びを隠さない。

 彼女は王子に笑いかけた。

「ありがとう、正しき王子よ」

 皺だらけの笑顔に、老人と思えない力が満ちていた。いや、見る間にその皺は失われているのではないか?

 馬鹿な、と王子はつぶやいた。

 そんな馬鹿げたことはない。

 魔女など、魔法など、老人の繰り言だ。そんなものはいない。王子と同年代の若者で、魔女を信じているものなど誰もいない。

 しかし目の前の光景は、これは何なのだろう。

 こぶのように折れ曲がっていた老婆の背が伸びる。たるんだ皺が伸び、その痕さえも消えていく。

 ぼろぼろに抜けた歯は、気づけば真珠のように白く揃っていた。

「王子に祝福を。そして、さようなら」

 美しい女であった。

 つややかな髪がさらりと流れる。それを最後に彼女は姿を消した。

「……リチェル……ああ、ああ……!」

 王が女の名を呟き、よろめいた。




 かつて魔女は言った。

「お妃様にしてくれるなら、私の力をこの国のために使ってあげる」

「……いいのかい?」

 当時の王は幼いと言ってもいい若さで、困窮した国を背負っていた。誰もなりたがらないような王だ。その后になど、名のしれた魔女がなりたがるものではない。

「いいわ。あなた、とてもきれいな目をしているのだもの」

 だから魔女は彼のために力を使った。土に豊穣の力を。災いの封印を。それでも荒れ果てた国、荒れ果てた人々が育つには時間がかかった。

 ようやく国が富み始めた頃、只人である王は魔女をおいて病死した。魔女は嘆き悲しみ、しばらくの間、城から出ていくことさえ考えられなかったのだ。

「先王の契約は余が引き継ごう」

 そう言われたときには、いったい何を言っているのかと思った。

「后にするならば、この国のために力を使うのだろう」

「……」

 そうではない。魔女は死した王の后になりたかったのだ。

 だが契約は契約だった。愛しい相手に浮かれて、雑な契約をした自分が悪い。契約とは自らとの誓いであり、それを破れば魔力を失うことになる。

 彼女は全力で力を使った。

 この国を豊かに。

 自分の身を維持する力さえ土地に割き、魔女の身は老いていった。それは望むことだった。他の誰かの妃として扱われることなど、とても耐えられはしないからだ。




 長く暮らした牢獄のような城から逃れ出て、彼女は魔女の隠れ村にたどり着いた。

「リチェル! なんてこと! やっと開放されたのね!」

「ええ、姉さま。やっと終わったの!」

「リチェル? リチェルが帰ってきた!」

「アイーナ、大きくなったわねえ」

 力が循環している限り魔女に寿命はない。懐かしい人々との再会を祝い、リチェルは五十年ぶりに自由の身を満喫した。

 長い命があるとはいえ、終わりの見えない契約は苦痛の日々であった。もはやあの国に愛する人はおらず、彼の愛した国も大きく変わっていた。

「契約には気をつけろって、いつもリチェルが言っていることなのに」

「そうね。王がとてもかわいかったんだもの……でも大丈夫、しばらくはもう、この村から出ることはないわ」

「そうしなさい。皆そうしてるわ」

 かつて世界に散らばっていた魔女の多くは、もはや人と関わる気はない。関わることで互いによくない結果を生むと知ったからだ。

「でもリチェルはまた出ていく気がするねえ」

「ライリー、不吉なことを言わないで。……わかるけど。かわいい子に目がないんだから!」

「だってかわいかったの! 今もいい思い出よ」

 長い地獄も、彼を喪った悲しみを忘れさせたという意味ではとてもよかった。魔女は長生きだが、とても情が深い生き物なのだ。

「さあさあ、今日はもう寝なさい。リチェル、あなたとても枯れてるじゃないの」

「うん、ちょっと力をつかいすぎたみたい」

「なんだってあそこまでやったんだい? 今じゃあれほど豊かな国はないよ」

「そうねえ。その方が早く開放されると思って。まずかったかしら?」

「まあ、大丈夫でしょう。きっとすぐ忘れるわ、人なんて」

「ひとつの国があったことなんて」

 魔女がいたことも忘れてしまったのだから。




 今季の収穫はひどいものだった。

 これまでの不作の年など笑ってしまうくらいに、微々たる量しかない。今までの蓄えでなんとかなるにしても、それから先を考えねばならない。

 でもきっと、来年は大丈夫。

 今年がおかしかっただけだ。

 そう人々は言うが、王子にはとてもそうは思えなかった。畑を見ているだけで、そこに往時の輝きがないことがわかるのだ。ふくふくとした土を感じられないのだ。

 まるで水気がすっかり抜けてしまったかのように、不毛の地であった。

(かつてはそうだった、と老人の言葉を誰も信じなかった。当たり前だ。そんな土地が急に変わるわけがない……)

 きっと大げさに言っているのだと思っていた。

 おとぎ話の魔女と同じだ。

「あなた……」

 不安そうに后が声をかけてくる。正しい王子は王となった。魔女が出ていって以来、先王は女の名をつぶやき続け、公務も、家族との語らいも失われた。今は誰も訪れるもののない王宮の奥で、療養を名目に幽閉されている。

 先王がこの国の富を失わせたかもしれないことは知られており、外に出るのは危険なのだ。この国を富ませたのもまた先王の所業だが、若者はそんなことは知らない。

 それも自業自得のように思えた。先王に何があったかはわからないが、あの様子は彼女に恋慕していたものだ。そして彼女をこの国に縛り付け続けた。更にはその恩を忘れきって、老いた魔女を追い出したのだった。

 正しい王子であった王にも罪はある。

 知らなかったことだ。

「……これからだ。土地が痩せていようとも、この国にはよいところがたくさんあるではないか……」

 だがそれも、飢えないことを土台に成り立っている。

 王にもわかっている。しかし自分を鼓舞するために、言わざるを得なかった。どうあれこの先は地獄だろう。奇特な魔女が現れて、助けてくれない限りは。

「いや、人は、人の力で生きるべきだ。そうだろう?」

 妻は口ごもった。

 今まであったものがなくなる。そのことに耐えられる民はごく僅かだろう。


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