考えている事は同じだった。
ライトノベルに登場するとしたら私はモブキャラだし、RPGに出てくるならNPC だと思う。きっと個性が弱くて見た感じ人が良さそうに見えるんじゃないかな?エレベーターの中では知らないおばさまに話しかけられ、旅先ですら道を聞かれる。見知らぬ土地の道を教えてあげられないからって罪悪感を持つ必要もないし、あなたのスマホ『ただの箱』なんですか?と突っ込みたい。でもできない小心者の私。
そんな目立たない私が毎日通勤電車の時間を変え、乗る車両を変え、歩く道順を変える様になったのには理由がある。
まさかこんなに土砂降りになるなんて。朝の予報では思いっきり晴れマークだったのに。鞄の中には折り畳み傘も入っていない。バケツをひっくり返したような雨足だから折り畳み傘じゃ焼け石に水でどうせずぶ濡れになるだろうし服が濡れたって真っ直ぐ家に帰るだけなんだからサクッと帰って熱い湯船にでも浸かろうと決心をして雨宿りしていた軒下から一歩を踏み出そうとしたら男性物の大きな傘がさしかけられた。びっくりして傘の持ち主を見上げると、
「こんな土砂降りの中傘もささずに歩くのは無謀ですよ。僕の家すぐそこなんで一緒にそこまで着いてきてくれたらこの傘差し上げます。」
「いえ、悪いですし、大丈夫ですから。」
知らない男性と傘に入って歩くの誰だって嫌だよね?私だけじゃないよね?傘に大の大人が2人って余程パーソナルスペースが狭い人じゃなくちゃ無理でしょう。親切心なんだろうけどとっても迷惑。そんな拷問に耐えるくらいならオラはずぶ濡れになる方を選ぶっ。煮え切らない態度の私にサラリーマン風のその青年はにっこり笑って
「ほら。いつまでたっても帰れませんよ。遠慮なさらずにどうぞ。」
「……ではお言葉に甘えて。ありがとうございます。」
オラは勇者になれなかった。所詮モブで小心者の私は強い態度に出れずにおずおずとミスターリーマンの傘に入れてもらった。
5分もかからない距離を歩いた先にはワンルームマンションのエントランスが見えた。
「ほら。あそこのワンルームマンションに住んでるんです。」
「そうなんですね。」
知らない人に自宅を知られてもこの人平気なのかしら?いくら個人情報なんてあって無いようなものだと言われていても自衛は大事だと思うの。
「じゃぁ気を付けて帰って下さいね。」
「お世話になりました。ありがとうございます。おやすみなさい。」
「おやすみなさい。風邪をひかないようにね。」
そう言って爽やかに手を振ってエレベーターに吸い込まれて行くミスターリーマンを見送ると、今までの緊張から解き放たれて注意力が散漫になり大きな水たまりを踏んでしまった。その衝撃もあいまってミスターリーマンの顔は記憶の彼方へ飛んで行ってしまったけど問題ない。もう2度と会うこともないもんね。
それから1週間くらい怒涛の月末決済処理に残業が続き、やっと今日は定時で帰れてルンルン気分の私は帰ってから撮り溜めていた連ドラを消化しなくちゃと愛しのわが家へ思いを馳せていると後ろから肩をポンと叩かれた。
びくっとして振り返ると
「こんばんは。僕の事覚えてますか?」
ミスターリーマンだ!こんな顔だったか覚えてないけど、声はこんな声だったと思う。
「こんばんは。その節はありがとうございました。」
ぺこりとお辞儀をすると、ミスターリーマンが笑顔でずいっとこちらに近づいて
「今から一緒に夕飯食べに行きませんか?」
私は頭の中が真っ白になってわたわた手を上げたり下ろしたり奇妙な動きをしてしまった。
「すいません。今日は用事がありまして。」
「では明日はどうですか?」
「ざ、残業になると思うんです。」
どもりながら消え入りそうな声で答えると、今までにこやかだったミスターリーマンが舌打ちをして
「ちっ。いつでもいいんであの傘マンションのポストに引っかけておいてください。」
と言い捨てて駅の方へ歩いて行ってしまった。懇願して傘を貸してもらったわけでもないのに私が悪いの?って言うか差し上げるって言ったじゃんよ。みみっちぃ。心の中でならいくらでも悪態を吐けるけど実際に面と向かっては言えない為せっかく定時で帰れてご機嫌だったのにモヤモヤが収まらない。
それから私は、毎日通勤電車の時間を変え、乗る車両を変え、歩く道順を変える様にした。もう二度と鉢合わせはごめんだもんね。モチロン傘もあのワンルームマンションのポストにこそっと引っかけておくのも忘れなかったよ。
CIAでも秘密工作員でもないけれど、私はシールドのコールソンをお手本に粛々と通勤する。
しかし、どれだけ道を変えて時間をずらしても朝の通勤では顔見知りが出来てしまう。
なるべく先に改札を抜けないと自分が相手の後をつけている不審者に思われても困る。相手は毎日同じ通勤路を通っているので必然的に私の方が分が悪い。
今朝同じ電車だったロングヘアーの女性は、1つ1つは高級品でお洒落なのにコーディネイトがちぐはぐであか抜けない。しかも安いお店でカットしているのか少し分け目がずれると5センチくらいのチョロ毛が切り残しに見えてすっごく気になる。多分この人は医療事務のおねぇさんだと思う。直線で歩けば良い路地を私はその日で曲がる道を変えるから曲がった先でご対面する時がある。そういう時おねぇさんは家の門に繋がれている犬に声をかけて立ち止まる。絶対私を警戒してると思う。その後ろを私は足早に通り過ぎる。
あと3人ほど顔見知りが居るんだけど、その中でも一番長い時間方向が同じの昔ヤンキーだったんだろうなと言う風貌のお兄ちゃんが居る。
このお兄ちゃんと同じ電車になって1回も私は改札を先にくぐれたことが無い。必然的に私が尾行している様に誤解されない道を通らなくてはいけない。なので曲がり角をどこかで曲がって姿を消した隙の数ブロックを競歩よろしく早歩きで、同じ道に出る前に自分がお兄ちゃんを追い越すようにしているのだ。せめて最後に曲がる地点からお兄ちゃんがどっち方向に歩いて行くか解れば迂回する道の選択肢も増えるのに。
ところが何と、私が改札を先にくぐれる日が到頭訪れた。ひゃっふぅ。なんていい日なんだろう。今日は私の好きな道で普段通れなかった長い直線距離を歩いてやる。意気揚々と歩いて行くといつもお兄ちゃんが曲がっていく道にお兄ちゃんが居ない。恐る恐る振り返ると、私の数メートル離れた後ろをお兄ちゃんが歩いていた。さっと顔をそらすお兄ちゃん。
お兄ちゃんも私がどっち方面に歩いて行くか特定したかったらしい。
コールソン先輩、私シールドのエージェントにはなれそうもありません。