第玖話 尽読・真髄
悪機には鬼能と呼ばれる特殊機能が備わっている。
それを起動する行為を指して悪鬼解放。
共通して、悪鬼解放すると額から角が露出する。
それこそが起動の証。
鬼能の内容は悪機個体ごとに様々雑多。
だが一点、共通する事がある。
泰厭紋もそうであったように。
膂力や挙動速度と言った単純な身体機能が、大幅に強化される!
悪鬼解放前から、雫紅と千鍛の身体的な能力差はほぼ無かった。
その状態から、千鍛が悪鬼解放したら、どうなるか。
簡単な話だ。
先ほどまでは雫紅が凌げていた千鍛の一撃が、凌げない領域になる。
「――ッ――」
雫紅は目を剥いた。
角を出した途端に、千鍛が――消えた。
紅い光の粒子を置き去りにして、いなくなった。
雫紅の眼筋を以てしても追えない速度で、どこかへ移動したのだ。
それを悟る猶予はあった。
だがしかし、どこへ行ったかを推し量る時間は無かった。
雫紅の直感が、背後からの悪寒を察知した。
咄嗟の判断で思考を削ぎ落して、挙動速度を高める。
雫紅はただ「背後から何かが来る」とだけ理解し、それを防ぐためだけの行動を取った。
身を捻って刀を振るいながら、振り返る。
振り返った瞬間、視界は紅い光を帯びた黒鉄に塗り潰された――千鍛だ。
冥月刀・死埀殺薙を大きく振り上げた千鍛がいた。
「遅いぞ!!」
「ッ」
「ぬぅんおおおッ!!」
咆哮と共に振り下ろされる血黒の鉄槌。
雫紅は薄桜色の刃で受けて立つ。
流凌の剣技、剛勢霧消【無音羽梟】。
刃を盾にして敵の攻撃を受け、いなす。
刃から伝わる衝撃や気配から最適な力と角度を瞬時に判断して、敵の攻撃を逸らし受け流す技。
超絶技巧の防御剣技。
……だが、及ばなかった。
千鍛の一撃は余りに強く、そして何より、速かった。
刃に伝わる衝撃から、雫紅が受け流すために最適な力と角度を計算するよりもずっと速く。
その衝撃が、雫紅の体を圧し潰したのだ。
「がッ、は……!?」
盾にした刃もろとも、思い切り地面へと叩きつけられる。
先ほど千鍛が落下した時に空けた穴には及ばないが、雫紅の背が地面を大きく凹ませた。
雫紅の体が高く弾む。まるで毬のように。
口から血を撒き散らしながら、跳ね上がった雫紅の肢体が地面へと降り戻る。
「ッの、程度……、ッ……!」
酷い損傷。ではあるが、雫紅はこの程度では壊れない。
少し緩んでしまった指を堅く握り直して、すぐに身を起こそうとした……が。
その動作を演算していた千鍛が、雫紅のその喉に、死埀殺薙の切っ先を添えた。
「これで死だ。一刀無双、美川雫紅」
「ぐッ……!」
「恥じる事など無い。オレ以外の四将相手であれば、確実に貴様が勝っていた」
もしも千鍛以外の羅刹四将が挑めば、雫紅にさっくりと斬り捨てられていただろう。
三機で一斉にかかっても、千鍛が雫紅を仕留める前に一機は墜とされていたと演算結果が出た。
やはりオレだけが尖兵になって正解だった、と千鍛は安堵すると同時に、己と雫紅を讃える。
「つまりこの結果は、貴様の未熟故ではなくオレの強さ故。そこを履き違える事は許さない。貴様は強く、オレは更に強かったのだ」
そう言って、思わず千鍛は笑ってしまった。
雫紅の表情から今、彼女が何を思っているか演算したからだ。
「……要らない忠告だったな」
――雫紅はまだ、諦めていない。
まだ、負けたと思っていない。
そんな奴が、負けを恥じているはずが無い。
千鍛が毛一本分、刃を前に出せば喉を抉られるこの状況でなお。
雫紅は戦いの中にいる。
勝つために眼を開いている。
「どこまでも讃えよう、美川雫紅。貴様のその精神は、歴戦の悪機でも獲得し難い強烈な代物だ」
――オレならこの状況でなお、己の勝利を信じられるか?
無理だ、と千鍛の完璧な演算機構は結論した。
優れた演算機構があるからこそ、無理だとわかってしまう。わかり過ぎてしまう。
まだ経験は無い。
だがしかし、いずれ――避け難く防ぎ難い超絶圧倒的な不可能を前にした時、オレはきっと、こんな眼はできないだろう。
きっとオレは、利口に諦観するだけだ。
無駄を省くと言う理由で、自ら一早く区切りを付ける。
その結果を演算して、素直に認める。
今、この場での殺し合いにおいて、オレは勝てた。
だが、精神の強さにおいてオレは永劫、雫紅には及べない。
そして、強く興味がわいた。
――知りたい。
「冥土の土産を置いていけ、美川雫紅」
千鍛は紅い瞳をほとばしらせて、ある能力を起動する。
それは、千鍛の鬼能【知有未覧】の本領。
ただでさえ凄まじい千鍛の演算機構が、更に上の領域へと研ぎ澄まされる。
通常時の千鍛の演算では行えない次元の演算が可能になるのだ。
その演算項目のひとつが【超・逆算】。
単なる逆算ではない、超が付く。
今、この場にある何かを解析し尽くし、その構成を物質的観点からのみならず四次元的――即ち時空的観点からも読み解く。
端的に言って、完璧な過去視だ。
解析対象の過去を、脳回路内にて正確に映像として再生する事ができる。
(最期に見極めさせてもらうぞ、一刀無双・美川雫紅……この悪機最強をも凌駕する、その精神性の由来を!!)