第弐拾話 後始末
後の世にて「芯熟大激震の乱」と呼ばれる大事件から一夜明け。
「あぅ~……」
大帝による破壊を免れた小さな宿にて、一刀無双・雫紅は筆を持ってぷるぷると震えていた。
「大帝との戦いで大技を連打したのと、あのダイカッパーなる機械の操縦による反動で、全身筋肉痛が……!」
「だなぁ……きちー……」
座敷に敷かれた布団の上では、翠戦が力無くぐったりと転がっている。まるで溶けた抹茶餅だ。
「うぅぅ……翠戦様を揉めば治るのに……瑞那さんは翠戦様の周りに罠作動の手裏剣発射機構を山盛り設置してどっか行っちゃうし……」
ひぃん、と泣きながら、雫紅はぷるぷるとした筆致で文を書く。
禍の国の政府機関、超廷へ宛てた手紙だ。
書くべき内容は端的に言うと、芯熟大激震の乱の詳細。
それと「乱の発端になった者として下手人、悪機大帝・震沌および元芯熟領領主・葛乃院鉦盛の両名を斬捨御免により八つ裂きにしました」と言う報告。
今頃、ねずみ小姓たちの手によって河原で晒し首にされている頃だろう。
大帝も鉦盛も、具体的に首と呼べる形は残っていないので、正確には晒し肉だが。
……いや、大帝に関しては肉も違うか。面倒くさい。
「…………………………」
乱の顛末を書き記す最中、雫紅の手がふと止まる。
大帝討伐の立役者、千鍛について記述しようとして、止まってしまった。
彼の献身無くして、大帝討伐は叶わなかった。
当然、その活躍を書き記す事に躊躇いは無い。
ただ、彼の事を思い出して、止まってしまった。
「……今でも、拙者は千鍛殿の事を、正直キモいと思います」
正面切って尊い尊いとぅてぇなぁだのと、歯が浮いて背筋がむず痒くなる台詞を吐き散らす柔らかくないもの。
率直にキモい。
だが、その評価の上でなお、想う事はある。
「己の愛するもののために戦い抜いた貴殿の事は、決して忘れません」
彼はキモかった。
でも、彼はまっとうしてみせた。
同志として、その生き様には敬意を表する。
「……拙者、少しおかしいですね。柔らかくもないものに、こんな気持ちを抱いてしまうだなんて」
あの雫紅に、柔らかさを抜きにして前向きな印象を抱かせた。
それがどれだけ大きな事か。雫紅をよく知る瑞那や久蝶が聞けば、驚愕の余りにしばらく硬直するだろう。
それでも、彼女が彼を想う気持ちは本物だ。
「聞こえているかどうかわかりませんが……ありがとうございました。千鍛殿。あなたが繋いだ未来、拙者も必ずやまっとうしてみせます」
位牌の代わりに、彼の活躍を書き記す文に手を合わせる。
しばらく黙祷した後、書く。
多少キモくとも、尊敬できる同志の壮絶な生き様を。
そのまま書くだけでも充分英雄的だのに、更にとことん贔屓目に。
「さて、それから……」
乱の詳細と斬捨御免行使について書き連ね、最後にある一文を書き加える。
それは、一刀無双の名において、ある人物を新たな芯熟領主に推薦する文言。
書き終えて、雫紅はふぅと溜息。
「よし、これにて完成、っと……では、もうひと頑張りしましょうか」
ゆっくりと立ち上がり、雫紅が対峙するは座敷に転がる翠戦。
その周囲には、数を数えるのも面倒な量の……罠。荒縄が発射されるのが大半だが……手裏剣や苦無、撒き菱が設置されているものまで。
瑞那の留守中、雫紅が翠戦を襲わないようにと設置された抑止力、剥き出しの罠。
だがしかし、舐められたもの。
「この罠をすべて耐え抜けば、拙者を邪魔するものは何も無い! 瑞那さんが戻ってくるまで揉み放題!」
「おめーはもう少し自分の体を大事にしろよ!?」
「千鍛殿に誓いましたので。拙者は拙者の未来をまっとういたします! いざいざいざ、いざァッ!!」
「くぁー! 本当に吶喊して来やがった!?」
◆
芯熟中心部。大帝跡地。
無数のねずみ小姓たちがうんせほいせと瓦礫の後片付けに努めるのに混じって、
「肉体労働ニャんて、ワシの柄じゃあニャいんだがニャア……!」
瓦礫を山ほど積んだ荷台を引く一匹の虚無僧。
その尻には黒猫めいた尻尾が二本。
「ちゅちゅ! 大変助かりますでちゅ、僧侶ちゃま! ぼくたちとは比べ物にならない運搬力でちゅ! ちゅごいでちゅぅ!」
「ふ、ふふん! 当然だニャ! ねずみごときに何事でも負けはしニャいニャ! 証拠に見せてやるからニャ! ここら一帯の瓦礫、全部運んだらぁぁぁ!!」
「(よくわからないでちゅが、露骨に扱い易い方でちゅね)」
「(ちゅちゅ。本当に助かるでちゅ)」
「んニャ? 何か言ったか?」
「ちゅちゅ。僧侶ちゃまちゅごいなって話していたのでちゅ」
「ちゅいちゅい。憧れちゃうでちゅ」
「ニャニャニャ! まったく! 調子の良いねずみどもだニャ!」
露骨に機嫌を良くした黒尻尾の虚無僧。
二本の尻尾を快活に振り回しながら、凄まじい速さで瓦礫を運搬していく。
人外じみた速さで行き来しているが、そんな虚無僧に並走する小さな影が。
「ニャ? おみゃあさんは……雫紅の侍女かニャ?」
「肯定。名は瑞那」
虚無僧と同じく荷台を引いて走る少女、瑞那である。
「おみゃあさんもねずみどもの手伝いかニャ。精が出るニャ」
「肯定。ついでに、あなたに聞きたい事もあったから」
「ニャ? ワシに?」
「質問。あなたは――にゃん太郎?」
ドンガラズッガァン!! と派手な音を立てて虚無僧が荷台ごと引っくり返った。
「ニャ、ニャニャニャニャ……何故……いや、違ッ、何の話かさっぱりだニャ!」
「説明」
瑞那は立ち止まって虚無僧を助け起こしながら、淡々と説明を始める。
「昨晩、あなたは妙に嬢様の事を知っている風だった。そして翠戦様はあなたを猫又……長生きした猫が死後に生る化生だと看破した」
雫紅が昔、赤子の頃からずっと一緒に暮らしていた猫、にゃん太郎。
瑞那が雫紅に仕え始めた頃にはもういなかったので面識は無い。
だが雫紅から「やたらニャアニャア混ざっていましたが、言葉を理解して喋れるすごい黒猫さんだったんですよ」と聞いている。
「嬢様の事を生まれた時から知っていて、人語を習得するほどに長生きしていて、やたらニャアニャア言って、黒猫」
雫紅の事をよく知った風で、長生きした猫が生る化生で、やたらニャアニャア言って、実に黒猫っぽい尻尾が生えている。
ここまで揃って、逆に予想できない訳が無いだろう。
「にゅあ、いや、その……それはニャ……」
「嬢様に愛想を尽かして出ていったと聞いていたけれど、それだと何故この局面で助けにきてくれたのかがわからない。それが聞きたかった」
「ニャ? 愛想を尽かして出ていった? ワシが、あいつにか?」
「……? 疑問。その反応、何か違うと? 嬢様からそう聞いたのだけれど」
「いやいや、何故そんニャ事にニャる? あいつは妹みたいなもんだニャ。どんな駄目な奴でも、妹に愛想を尽かす兄貴がいるか? それに、ワシはちゃんと書き置きを残して行ったニャアよ?」
「……書き置き……?」
「ニャア。もうバレバレみたいだからぶっちゃけるが……あん時、ワシはもう……寿命が近かったんでニャ」
「!」
「修行から疲れ切ったあいつが帰ってきた時、縁側でワシの腐った死骸が出迎える……ニャんて、あいつの心に一生ものの傷を残しかねニャいだろ?」
だから、死を間際に感じたその日に、にゃん太郎は書き置きを残して出ていったのだ。
ワシはもう死ぬみたいだが、あの世でも元気にやるから心配すんニャ。
おみゃあはこんな古い猫の事なんぞ忘れて、新しい猫を飼えば良い。
まぁ、ワシほどに優れた猫が他にいるとも思えんがニャ。
せいぜい達者で暮らすのニャ。
……と。
少し茶化した風で、重くなり過ぎないように。
……もっとも、ちゃんと別れの挨拶を交わせぬ寂しさと悔しさからくる震えで文字は乱れ、涙がボロボロと零れ落ちてしまったが。
「だがまぁ、ニャんか予想外にもこうして化けて出ちまってニャア。化けて出られると知ってりゃあ、あんな手紙は書かなかったものを……」
自分の事なんて忘れろい、と書いた手前、おめおめと雫紅の元へ帰れる訳も無く。
寂しくなったら時折、屋敷を訪れて遠目に雫紅の元気な姿を眺めては、流浪の生活に戻る……と言うのを繰り返していた。
虚無僧の恰好をしているのは、この身なりだと信者が飯を食わせてくれたり色々と融通してくれて便利だったからである。
「……質問。ちなみに、あなたは人の文字は書ける?」
「? そりゃあ書けニャアよ。言葉と違ってニャアニャアで覚えられるもんでも無し」
「…………………………」
「ニャ? その呆れ果てたようなじとっとした目つきは何ニャ?」
「……嬢様は、猫文字なんて読めない」
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