帝国軍の進出
〈音止〉を含むツバキ小隊の機体は冬期に合わせ雪上迷彩へと塗装を変えた。白すぎない反射を押さえた白色をベースに、クリーム色のパターンの入った迷彩。
肩には部隊認識のため、サネルマ考案の幾何学を組み合わせたハツキ色のツバキが描かれる。当然、〈音止〉の肩にも描かれた。
デイン・ミッドフェルド基地はカサネの強行偵察の結果を受けて警戒レベルを引き上げていた。
これまで以上の偵察部隊が最前線に配備され、次の強行偵察部隊が準備される。
時間をかけて構築された前線の防衛拠点も機能し始め、訓練を修了した兵士達は次々に前線へ送り出されていった。
ことここに至っては、ツバキ小隊にいつ声がかかってもおかしくない状況になった。
それでもタマキは、デイン・ミッドフェルド基地に駐留を許されるうちは徹底的に訓練を続けるつもりだった。
その日も雪上行軍訓練を行い、慣れない雪上走行を叩き込む。全ての機体の機動ホイールは雪上仕様に改修済みで、それでも転倒する者が相次いだ。
訓練を終えて機体を片付けると、士官向けに帝国軍の動向について最新情報が送信された。
タマキはそれを隊員に伝えるべきか悩んだが、結局話すことにした。
「本日の訓練はこれまでにしますが、最後に1つだけ。
前線の偵察部隊からの報告によりますと、帝国軍の突撃機部隊がこちらの偵察基地へと攻撃を仕掛けたようです。遊撃部隊が迎撃に当たり追い返しましたが被害も出ています。皆さんもいつ出撃を命じられてもおかしくない状況ですので、機体の整備を怠らないように。
ユイさん、トーコさん。〈音止〉の最終点検を念入りにお願いします。
イスラさん、カリラさん。全〈R3〉の点検を行っておいて下さい。各員も手を貸すように」
いよいよ逼迫してきた戦況に、隊員達の返事の声も小さい。それでもやるべきことを示されると、各々必要な行動をとった。
タマキも実戦配備までに行うべき装備の見直しを始め、〈C19〉の整備状況を確認しながらも、対装甲騎兵装備の補給申請を出しておく。
偵察機なら対装甲ロケットも装備できるし、補給さえきちんと行われさえすれば弾頭を1人数発運用可能だ。
まだ帝国軍の攻略部隊編成が分かっていないため、対歩兵を重視すべきか対装甲騎兵を重視すべきか分からないが、デイン・ミッドフェルド基地周辺での戦いに置いて装甲騎兵は驚異だ。備えておいて無駄になることも無いだろうと、多めに申請を出しておく。
「さて、後は――」
タマキはツバキ小隊の保有する唯一の装甲騎兵、〈音止〉が格納されている隣の区画へと視線を向けた。
前回はトラブルがあったが、それでも最新型2脚装甲騎兵として十分な活躍をしてくれた。次の戦いでも、どうしても頼ることになるだろう。平地においての対装甲騎兵戦闘で最も有効な手は、こちらも装甲騎兵を出すことに他ならないのだ。
◇ ◇ ◇
「ねえユイ。これ、調整終わったんだよね」
「機体の調整はな。パイロットの調整は終わる目処が立たん」
「そういう嫌味は今ききたくない」
〈音止〉コクピットで座席位置の微調整を済ませたトーコだったが、どうしても気になることがあって後部座席に座るユイへ声をかけた。返ってきたのはいつもの通りパイロットの未熟さを指摘する言葉で、すっかり聞き慣れていたトーコは適当にあしらって話を強引に進める。
「出力上げられないの?」
「必要無い」
「そればっかり。調整は終わったんでしょ」
〈音止〉は量産前最終試作機であり、特別製の超高出力コアユニットを搭載している。だがその出力は24%に制限されていてそれ以上の出力は出せない。
それでも量産型である〈I-K20〉と同等かそれ以上の機動力を発揮してくれてはいるが、いつもコアユニットに余裕があるのにも関わらず頭打ちする出力にトーコは不満を抱えていた。
「言った通り、機体の調整は終わった。だがパイロットの調整は――」
「それ出力制限の話と関係ある?」
「ある」
問いただすトーコに対してユイは迷うこと無く頷く。
「いいか、出力が上がって、仮に――本当はあり得ないが――〈音止〉が4倍の速度で動いたとしよう。お前はそれを操縦できるのか?」
そう問われてはトーコも首を横に振るしか無い。
2脚装甲騎兵の操縦は、スーミア機構と呼ばれる直感的な操作を可能にした操縦システムを用いたとしても、〈R3〉のように自分の体の一部として扱うようなことは出来ない。
しかもただでさえ高機動な〈音止〉を更にここから4倍速にしたりしたら、操縦が間に合わず事故を起こすのが目に見えている。
「だったら、2倍でも1.5倍でもいいから、回避とか攻撃の瞬間だけでも出力上げたり出来ない?」
「そんな器用な真似が出来る代物じゃ無い」
「欠陥品め」
「なんだ。自己紹介か?」
「ホント腹立つ」
ユイの態度に苛立ったトーコは足の先でコクピット内部を軽く蹴っ飛ばす。即座に後ろから「物に当たるな」と注意され、むくれながらも蹴っ飛ばした場所にひびが入ってないか確認する。
「だいたいさ、そんなこと言ったら誰にも操縦できないじゃない。なのに何でこんな高出力コア積んだのよ。設計ミスでしょ」
「お前なら操縦できるはずだった。それが出来ないと言うから、制限をかけざるを得ない」
どういうこと、と振り返った先では、ユイが濁った瞳でそんなトーコをまじまじと見つめていた。
「それ、どういう顔?」
「不出来なパイロットに呆れてる顔」
「誰でもこの機体の整備が出来るなら、あんたなんてとっくにぶん殴って、市民コード偽造で隊長に引き渡してる」
「愚かな考えだとしか言えないね」
そんな脅しにもちっとも怯える様子は無く、ユイは淡々と最新型のエマージェンシーパック(ゲロ袋)の設置を進める。
しかしトーコが何時までも後ろを向いていると、面倒臭そうにため息ついて口を開く。
「もう1度聞いてやる。お前は仮にこの機体が4倍で動いたとして操縦しきれるのか?」
「だからそれは出来ないって」
「3倍でもか」
「多分無理」
「倍でも駄目か」
「恐らく駄目」
トーコは素直に答える。出来ると言うのは簡単だが、実際に動かすのが不可能な以上、虚勢を張っても自分を苦しめるだけだ。
「逆に聞くけど、それ出来る人存在するの?」
「――はずだった。だが当てが外れた」
ユイはエマージェンシーパックの設置を終えると、座席から身を乗り出してトーコの眼前に顔を寄せた。極至近距離で見つめられながらもトーコは動じること無く、ユイの濁った碧眼を真っ直ぐ睨む。
「脳波診断を受けろ」
「それ、新しい煽り?」
「性格の歪んだ奴め。必要な措置だ。結果によっては、こいつの設定も考える」
ユイに性格の歪んだなんて言われるのは心外だったが、そこまで言われては頷かざるを得なかった。
トーコは分かったと答えると、座席にしっかり座り直しコクピットの最終点検を済ませる。
何から何まで特殊な機体だ。
出力の件もそうだし、いくつか通常のスーミア機構には存在しないブロックもあった。
右下、起動キーのある場所の下に、『触れるな』と警告表示された小さな箱があり、そこに触れようとするとユイが怒鳴り散らし、未熟者が適当に触るなと癇癪を起こす。
トーコはここに出力制限を解除するスイッチがあるのだと踏んでいたが、それが真実かどうかは謎だ。ユイに問いかけたところで、教えてはくれないだろう。
『トーコさん、ユイさん、調整中ですか? 終わったら装備について相談しておきたいことがあります』
通信機にタマキから連絡が入り、トーコは直ぐに了解した旨を伝える。ユイも面倒なお嬢ちゃんだとか愚痴りながらも、後部座席のシステムを落としてさっさとコクピットを開けろと命じた。
ともあれ実戦は近そうだ。
脳波診断とやらの結果がどうあれ、もう1度くらい、出力の制限解除について要求してみよう。そうトーコは心に決めて、〈音止〉のシステムを休止状態にすると、コクピットを開放した。




