アスケーグ姉妹
その日の夜、夕食後は自由時間を与えられたが、ナツコだけはカリラより〈ヘッダーン1・アサルト〉の整備について補習しておくよう厳しく言いつけられ、1人整備倉庫に残り格納容器から取り出した機体の点検を行っていた。
「予備動力残量よし。可動域潤滑剤よし。駆動伝達系は――どうでしたっけ」
「それを最初にやるんだよ。予備動力から信号線引っ張って確認すりゃ良い。予備動力残量確認は最後」
投げかけられた言葉に振り返ると、スキットルを片手にぶら下げたイスラが整備倉庫の入り口に立っていた。イスラはスキットルに口を付けると、整備中のナツコの元へやってくる。
「お酒飲んでます?」
「ちょっとな。基地内にバーがあるってきいて行ってみたんだが、統合軍兵士でいっぱいだって門前払い食らっちまって。仕方ないからその辺にいた士官様にこいつだけ譲って貰ってきた。ナツコちゃんも飲むか?」
差し出されたスキットルからは揮発したアルコールが漏れ出していて、思わずナツコは鼻を手でつまんだ。香りからして相当強いお酒のようだ。
「お酒、あんまり強くなくて」
「まあそんな顔してるよ」
「どんな顔ですか。ちょっとは飲みますよ。アルコール強くない、甘めのリキュールとか」
「そいつはなかなか手に入りにくそうだな。見つけたら貰ってきてやるよ」
「そこまでして飲みたいと思ったことも無いですけど……。ところでどうやって譲って貰ったんですかね?」
「それは秘密」
イスラは含みを持たせた笑みを見せて、スキットルに再び口を付けると蓋をして懐にしまい込んだ。それから、ナツコの手が止まってることを指摘する。
「点検終わったのか?」
「こ、これからやります!」
「優しいイスラ姉さんが見ててやろう」
言葉通り、イスラは見ているつもりなのか折りたたみ式の椅子を1つ持ってきて、そこに腰をかけた。本当に見ているだけで一切手伝うつもりも教えるつもりもないらしく、頬杖ついてナツコが作業を始めるのをただただ待っている。
「教えてくれても、いいんですよ?」
「ナツコちゃんの担当はカリラだろう。カリラに聞けば良い」
「うぅ……。カリラさん、厳しくて」
「イスラ姉さんはもっと厳しい」
「うーん、どうでしょう。言われてみればどっちも厳しい気がします」
ナツコの言葉にイスラは大きな声で笑って、椅子から立ち上がると防護手袋をつけ重火器用のレンチを持ってきた。
「ちょ、ちょっと。暴力反対!」
「殴りゃしないって。まあちょっと見てろ」
イスラはそのままナツコの隣にしゃがみ込むと、分解された〈ヘッダーン1・アサルト〉にエネルギーパックを差し込んだ。そのままイスラが機体に触れようとするので、ナツコは思わず制止する。
「エネルギーパックつけたまま分解したら駄目だって、カリラさんが」
「お、ちゃんと覚えてて偉い偉い。褒めてやろう」
「いやいや、危ない、んですよね?」
「ちょっと下がってろ」
ナツコが思わず1歩下がると、イスラは躊躇せずむき出しになっていたコアユニットの出力ケーブルへとレンチを接触させた。
ばちん、と大きな音がして、白い閃光が瞬く。接触したレンチは弾かれて宙を舞い、倉庫の床に落ちると甲高い金属音を響かせた。
「あ、危ないじゃないですか! 心臓止まるかと思いました!」
「そりゃ危ないよ。だから絶対真似するなよ」
イスラは〈ヘッダーン1・アサルト〉からエネルギーパックを取り外すと、付けていた防護手袋を外した。それからさっき持ってきた椅子に腰掛けて、取り出したスキットルに口を付ける。
「〈R3〉ってのは本来装着者を守るためのもんだ。だが扱いを間違えりゃ逆に装着者を傷つける。だから使う前にしっかり点検しとかなきゃいけないわけよ。
カリラは別にナツコちゃんの事が嫌いなわけじゃ無い。ただナツコちゃんに整備不良の機体が原因で怪我して欲しくないだけさ」
言われて、ナツコはカリラの優しさに気づかされた。
扱いを間違えれば怪我をする。もし、エネルギーパックを付けたまま点検作業を始めてしまっていたら。床に転がったレンチを見て身震いする。素手で触っていたら、ただじゃ済まない。だからカリラは口うるさく叱ってくれていたのだ。しかも、自分の機体やサネルマ、トーコの機体のこともあるのに、ほとんどつきっきりで見てくれた。
「カリラさん、とっても優しい人だったんですね」
「そりゃそうさ。なんたってあたしの自慢の妹だからな」
イスラは大きく笑うと「あたしはもっと優しいけどな」などと冗談を言ってのける。ナツコはそれについての判断はひとまず保留して、作業を再開した。イスラは言葉通り、そんな様子を近くで見続けた。
「そういえば、カリラさんのあの妙な口調って、昔からなんです?」
作業が佳境に入り点検の終わったパーツを格納容器にしまっていく段階になると、手持ちぶさたになったナツコはふと尋ねてみた。
「妙な口調とは酷い言い様だ」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりはなくてですね……」
「いや実際妙っちゃ妙なんだけど」
「え、ええ。どっちですか」
怒るのか共感するのかどっちかにして欲しかったナツコは困惑したが、イスラはそんな様子を見て笑う。からかわれているのだと分かったナツコは、目を伏せて「むう」と小さく声を上げた。
「そんな顔するなって。あの口調は親父が仕込んだもんでな。小さい頃からずっとあんな調子なのさ」
「お父さんが?」
一転して真面目に話し始めたイスラへと相づちを打つと、イスラは更に話を続ける。
「ああ。カリラは産まれたとき未熟児でな。今時未熟児なんて産まれる確率は相当低いし、産まれたところで育てるのは非効率的だからなんて理由で再処理工場送りにされちまう。
でも親父は産まれてきたのに未成熟も成熟もあるかっつって、病院の倉庫で眠ってた保育器その場で修理して使えるようにしてカリラを育てたそうだ。
それで、お前は母さんや姉さんみたいに美人にはなれないかも知れないから、立ち振る舞いや言葉遣いだけでも淑女であれって、妙な教育を始めちまった。
結果として立ち振る舞いは全く根付かず、中途半端なお嬢様口調だけが残ったって訳。今となっちゃ笑い話だが、本人はあれで真面目に淑女ぶってるようだから余りからかってやるな」
カリラの過去を聞いてナツコは自然と笑みがこぼれた。父親から愛情を注がれて育った結果なのだと思うと、あの妙なお嬢様口調もなんだか愛らしく感じた。
「優しいお父さんだったんですね。どんな人だったのか気になります」
「優しいって言うか変人の類いだな。見てくれは普通のおっちゃんなんだが、頭の中がなあ」
イスラは口にしながら個人用端末を操作して、そこに画像データを表示させるとナツコへと投げて渡した。
そこに映る家族写真を見て、ナツコは目を見開く。小さな女の子2人と共に映る、くすんだ灰色をした髪の男には見覚えがあった。
「これロイグおじさんじゃないですか」
「ん? なんだナツコちゃん、知り合いだったのか?」
「はい。たまに孤児院に遊びに来てくれたんです。来る度に私にお土産持ってきてくれたので良く覚えてます」
「待て待て。そんな話聞いたこと無いぞ」
今度はイスラが目を丸くして、ナツコの元へと歩み寄った。
それからおもむろにナツコの髪の毛を1本引き抜く。
「痛っ、突然何するんですか!」
「隠し子だったら大変だと思って。遺伝子検査かけとかねえと」
「そんな訳――そんな訳ないですよね……?」
産まれて直ぐにハツキ島に預けられたナツコは両親が分からない。まさかいつもお土産をくれたロイグおじさんが自分の父親だったなどとはとても信じられなかったが、完全に否定できる根拠は何も無い。
「いや、あり得ないな。親父は他の何を裏切ろうとも、母さんを裏切るようなことは絶対にしない」
「そ、そうですよね。良かった。それを聞いてほっとしました……」
ナツコは胸をなで下ろしたが、イスラは念のためとナツコの髪の毛をしまおうとしたが適切な容器もなく、測定するときまた抜けば良いかとその辺に捨てた。憤慨するナツコを適当にあしらい、イスラは話を続ける。
「親父に連絡ついたらナツコちゃんの事聞いといてやるよ」
「それは嬉しいですけど……ロイグおじさんって、普段何してる人なんです? 技術者だとは言っていましたけど」
その辺りのことを詳しく聞いていなかったナツコが尋ねると、イスラも全く知らないとかぶりを振る。
「分からねえんだよ。母さんが死んで直ぐ「俺は宇宙に出る」とか言って出て行っちまって、たまにメールも来るし家に顔も出すから生きてはいるだろうが、何処で何をしてるかはさっぱり分からん」
「え、ええ? 大丈夫なんですかそれ」
「それすら分からん」
きっぱりと言い切ったイスラに、ナツコからはもう何も言えなかった。確かに孤児院に来るのはたまにだったし、お土産はいつも何処の星のものだか分からないようなものばかりだった。
それよりもナツコは別のことが気になって、尋ねていいのか分からなかったが、思わず聞いてしまった。
「お母さん、亡くなっていたんですね」
「ん? ああ、結構前にな。元々体の強い人じゃなかったんだが、親父が無理矢理連れ出してあんな汚い工場に住ませるから。美人薄命とはよく言ったもんさ」
イスラはナツコが持っていた個人用端末を指し示すと、次の画像を見るよう促す。言われるがままに次の画像を表示させると、そこには灰色の髪をした美しい女性の画像があった。
「え!? これお母さんですか!? 物凄い美人じゃないですか! え!?」
思わずナツコは画像を戻し、イスラとカリラの父親であるロイグ・アスケーグの画像を確認した。くすんだ髪色をした、何処にでもいそうな普通のおっちゃんである。
しかし次の画像へと送ると、生きている次元が違うんじゃないかと思うほどの絶世の美人がそこにいた。ナツコは失礼だとは感じつつも思わず問いかける。
「どうしてこの人はロイグおじさんと結婚しようと思ったんですか」
その質問にはイスラも大笑いで、腹を抱えてしばらく笑った後、笑いすぎて涙のにじんだ顔を向けて答えた。
「それは永遠の謎だ。大戦中に中立宙域のリゾート惑星で出会ったそうなんだが、その話題を持ち出す度に親父ときたら顔を真っ赤にして話を逸らすもんだから。これほど母さんが生きてる間に聞いておけばよかったと後悔してることもない」
「ですよね。物凄く気になります」
ナツコはそう言って何度か画像を見比べてみたが、そんなことをしているとイスラがそろそろ返せと催促するので、やむなく個人用端末を返却した。
それから残っていた〈ヘッダーン1・アサルト〉の整備を再開し、パーツを格納容器にしまいこんでロックをかける。
「ご苦労さん。その調子でやれば問題無いさ」
「結構時間かかってしまいました」
「それで構わないさ。早いに超したことはないが、そりゃ別に遅いのが悪いってことじゃない。急いだせいで整備不良なんか起こしたら元も子もないからな。一番大切なことはミスしないことさ」
「なるほど。肝に銘じておきます」
そういえばカリラは手順を間違えたら怒ることもあったが、作業が遅いからと注意することは決してなかったことを思い出す。
「明日、カリラさんにも見て貰います」
「それがいい。ああ、それと、酔っ払いの戯言を余所でぺらぺら吹聴するような真似はバカだと思われるから止めた方が良い」
「分かってます。ここでの話は、2人だけの秘密ですね」
イスラは分かってりゃ良いと頷いて、〈ヘッダーン1・アサルト〉の格納容器を運び出すのに手を貸した。
「ありがとうございます。何から何まで」
「あたしは見てただけさ。それより、消灯時間より前にあの素晴らしい宿舎に戻ろう。副隊長殿が寝る前に朝起きたときの練習をするって張り切ってたから」
「そういえば宿舎アレでしたね……。早く戻った方が良さそうです」
「そういうこと」
イスラは整備倉庫に施錠するから先に宿舎に戻っているよう促す。ナツコは頷いて、1人宿舎へと歩いて行った。
◇ ◇ ◇
宿舎内にある談話室と銘打たれた、実質事務仕事を押し付けられた一般兵のたまり場にイスラは足を運んだ。案の定、探していた人物がそこにいるのを見て、隣の椅子を引く。
「あら、お姉様」
隣に座ったイスラを見て、カリラは操作していた整備用端末を消灯して笑顔を向ける。
「タマちゃんに言われた報告書、そんなに大変だったか?」
イスラの問いかけにカリラはかぶりを振る。
「いえ、これは……別件ですわ」
「どれ、お姉さんが見てやろう」
「もうお姉様ったら」
折角画面を消したのに、イスラに見てやると言われたらカリラは断れなかった。
整備用端末の画面を再び表示させると、そこには〈ヘッダーン1・アサルト〉の整備手順について詳細にまとめられたレポートがあった。
「ほう、ナツコちゃん向けか?」
「ええ。ナツコさんにはあれこれ言うより、こういうのを作って差し上げた方が良いかと思いまして。根は真面目ですから、渡しておけば自分で勉強してくれますわ」
「その意見には完全に同意するね。にしても良い出来だ。統合軍のぼんくら整備士にも見せてやりたいよ」
カリラの作ったレポートは、専門用語をなるべく減らし、〈R3〉を扱うのに手慣れていない人間でも分かるよう書かれている。統合軍の整備手順書には書かれていない現場のノウハウについても記述され、これを読みながら手を動かせば誰でも整備可能な代物だった。
「お褒め頂いて光栄ですわ」
「事実を言ったまでさ。タマちゃんに渡して、統合軍でも使って貰えないか頼んでみたらどうだ? 多分タマちゃんも喜んでくれるぞ」
「そうかも知れませんが、わたくしたちにとっては飯のタネですから――などとは言っていられる状況でもないのでしょうね。戦争に負けたらわたくしたちも廃業でしょうし」
「そういうこと。このご時世、共有できる知識は共有しといた方が良い」
カリラはレポートのタイトルを『ナツコさん向け整備資料』から『〈ヘッダーン1・アサルト〉整備手順書』に書き換えて、作業はこれで終わったと整備用端末の電源を落とす。
「サネルマが呼んでた。寝る前に朝起きた時の練習をするんだと」
「それは妙案ですわね。明朝も遅刻したらあの少尉さんも笑って許してはくれないでしょうし」
カリラは立ち上がり、イスラと共に談話室を後にする。そんなカリラにイスラは「そういえば良い物が手に入った」と、ウイスキーの入ったスキットルを手渡す。
思いがけない贈り物にカリラは目を輝かせて「感謝しますわお姉様」と、スキットルを懐にしのばせる。
そんなご機嫌モードのカリラに対して、イスラはふと問いかけた。
「そういやナツコちゃんの機体整備不良。あれわざと予備動力からエネルギー抜いておいただろ」
カリラは一瞬どきっとして、それから平静を装って答える。
「――お姉様は何もかもお見通しですわね。取り返しの付かない間違いをやらかす前に、1度軽い失敗をさせておいた方が良いかと思いまして」
カリラの答えにイスラは「そりゃ間違いない」と軽く笑う。
「ま、ナツコちゃんは精一杯やってるよ。今は結果が追いついてないが、直ぐ人並みになるさ」
「そうあることを願っていますわ」
カリラはナツコの間の抜けた顔を思い出して小さく笑う。
今は手ばかりかかるが、素養はしっかりしている。指導さえ間違わなければ直ぐに独り立ちしてくれるだろう。
だから今は、多少手を焼いてでも基礎を教え込まなくてはならない。
「全く、手のかかるお子ちゃまですわ」
「だから楽しいんじゃないか」
独り言のつもりで口にした言葉に返答され、一瞬どぎまぎしながらもカリラは笑顔を作って答えた。
2人は並んで廊下を歩き、割り当てられた宿舎の扉を開く。「待ってました」と坊主頭の副隊長に出迎えられ、それから消灯時刻まで、朝起きる練習とやらは続いた。




