トーコ・レインウェル
「ハツキ島義勇軍ツバキ小隊、ナツコ・ハツキ一等兵です。よろしくお願いしますね、トーコさん」
「統合軍装甲騎兵科軍曹トーコ・レインウェルです。こちらこそよろしく」
ナツコは握手しようと手を差し出しかけたが、〈R3〉を装備している状態だったので引っ込めた。それから、トーコから漂う独特な香りに鼻が反応する。
「ごめん。臭うよね……。ハツキ島からずっと、狭い潜水艇に乗って来たから……」
「あ、いえ。気にしてないです。辛いですよね……。私も一時期長いことシャワー浴びられなくて、やっと浴びられたと思ったら冷たい消毒液で……」
「今は消毒液でもいいから浴びたいけど、直ぐに作戦開始だろうからそうも言ってられないね。案内、よろしくね」
ハツキ島撤退作戦からこれまでの間シャワーを浴びることの出来なかったトーコからは独特の香りがし、短い黒髪はべったりとして皮脂で艶やかに光っていた。
それでも先ほどのユイが生産した汚物に比べたら随分ましなもので、耐えがたい程のものではなかった。ナツコは表情に出さないよう気をつけて、笑顔で応じる。
「ええと医務室ですよね。でもどうして医務室なんでしょう」
「検疫かな? それか私が怪我しているからか」
「トーコさん、怪我しているんですか?」
「大した怪我じゃないけどね。ハツキ島撤退作戦の時にちょっと」
「それは大変です! 直ぐに医務室に案内します!」
ナツコは〈ヘッダーン1・アサルト〉のメインディスプレイにハイゼ・ブルーネ基地の地図を表示させて医務室の場所を確認した。
基地内は非常時以外は速度規制があるため〈R3〉で駆け抜けたりするのは御法度だ。機動ホイールを展開することもなく、歩いて目的地へ向けてトーコを先導する。
ナツコが道順を確かめながら歩いて行くと、ふとトーコがぽつりと口にした。
「私、信用されてないのかな?」
「え? トーコさんがですか? そんなことはないと思いますけど」
トーコの言葉にナツコが応えると、トーコはナツコを指さした。
「隊長さん、突然現れた私のこと不審に思ってるみたい。ナツコは私の監視役でしょ?」
「え? 私?」
ナツコは自分を指さして戸惑った。
監視? 自分が?
少し考えただけで分かる。そんなのは世迷い言もいいところだ。
「そんなことあり得ないですよ! タマキ隊長はトーコさんのこと信頼してます! だって、もしそうじゃなかったら、私にトーコさんの道案内を頼んだりしません! 自慢じゃないですけど、私はツバキ小隊の中で1番弱いんです! タマキ隊長が本気でトーコさんのことを疑っているなら、フィーちゃんかタマキ隊長本人がついてきますよ!」
自信満々に自分が1番弱いと宣言したナツコに、トーコは思わず声を出して笑ってしまった。
「ナツコ、面白いことを言うね。普通自分が1番弱いだなんて、口にしないよ」
「そうですか? でも事実ですから。あ、でもユイちゃんが来たら私が2番目になるかもですね」
「でもナツコの言うとおりだとすると、ユイは隊長さんにかなり疑われてるみたいだね」
ユイの道案内に着いたのはフィーリュシカとタマキだ。ユイはかなり深く疑われているとみて間違いないだろう。
「それは……私から見ても怪しかったですからね……。トーコさんはユイさんとずっと一緒だったんですか?」
「ハツキ島撤退作戦の後からね。〈音止〉の整備士で――それ以上のことは私も分からない」
聞けば聞くほど怪しいユイの身元にナツコも流石に不安を感じた。あの小さな女の子は無事に戻ってくるだろうか……?
基地内を歩いて行くと直ぐに2人は衛生部の医務室に辿り着いた。
既にアントン基地で発生した戦闘の負傷者受け入れを始めている医務室は慌ただしく、入り口から先に進むことも出来なかった。
仕方なしにナツコは出てきた衛生部所属の統合軍兵士をなんとか捕まえて、トーコの怪我を見て欲しいと頼み込む。
やがて医務室から2つ離れた会議室に仮設された軽傷者受け入れ所で、トーコは衛生部所属の看護師から手当を受ける。
装備していた汎用〈R3〉の腕パーツを外して、止血だけ済ませた負傷箇所を見て貰う。
「重要な血管も神経も問題ありません。運が良かったですね」
「ええ、本当に。出撃があるので簡易手当で大丈夫です」
トーコは衛生部の看護師にそう頼んで、体内に残っていた金属片の摘出してもらう。
出撃が控えているので麻酔をせず金属片の摘出を行ったというのに、トーコは顔色1つ変えない。代わりに、見ていたナツコがその光景に青ざめた。
「い、痛くないですかね……?」
「痛いけど、放っておいたらもっと痛くなるから」
「そうでしょうけど……ひぃっ」
摘出された小さな金属片がトレイの上に置かれると、そのぎざぎざの形状を見たナツコは息を呑む。こんなものを麻酔無しで摘出なんて、恐らくナツコには耐えられなかっただろう。
破片の摘出を終えると消毒と止血処理を施してもらい、念のため採血を受けると、やることは終わったからと追い出されるように会議室を出された。
「トーコさん、大丈夫ですか? まだ休んでた方が……」
「そう言っていられる状況でもないから。通信機、繋がってるよね? 隊長さんに汎用〈R3〉のパーツと武装の受領出来るか確認して貰ってもいい?」
汎用〈R3〉の方ではツバキ小隊とデータリンクしていなかったため、トーコが頼むと、ナツコはトーコの怪我を心配しながらも返事をしてタマキへと通信を繋いだ。
タマキはナツコの問いかけに「準備させます」と答え、そのままトーコを輜重科まで連れて行くよう指示した。
「では次は輜重科です、けど、怪我は――」
「大丈夫。心配性だね。衛生部のお墨付きだから安心してよ」
「そうですけど……」
トーコの言うとおり、衛生部の看護師に「もういっていいよ」と送り出されたのだからそこまで心配することもないだろう。少なくとも「問題ない」の一点張りで治療どころか診察すら受けようとしなかったフィーリュシカよりはずっと安心できる。
「そうですね。では輜重科まで案内します」
「よろしく。ナツコ」
ナツコはトーコを引き連れて、輜重科武器部の倉庫へと向かう。
輜重科も戦闘態勢に入り多忙を極めていたが、偶然倉庫の外へ出てきた見覚えのある統合軍士官へナツコは声をかける。
ハイゼ・ブルーネ基地でツバキ小隊に機体を用意してくれた、ビームス中尉だ。
「ビームスさん! ツバキ小隊のナツコ・ハツキです。汎用〈R3〉? のパーツと武装の受領に来ました!」
「ん? ああ、ツバキ小隊か。少し待て――申請は通ってる。準備はさせるよ。それより……」
ビームスはナツコの側に近寄ると、かがみ込んで耳元で尋ねる。
「見ての通り戦闘態勢でとにかく忙しいんだ。あの整備士の2人はどうしてる?」
「イスラさんとカリラさんですか? でしたらツバキ小隊の機体整備をしていますけど……そのまま出撃なので、多分お手伝いは……」
「そこをなんとか! ちょっと隊長に掛け合ってみてくれないか!」
「え、ええ!? 駄目だと思いますけど。分かりまし――」
「ストップストップ」
ビームスの申し出を受けようとするナツコに対して、2人の会話をきいていたトーコがストップをかける。
それからビームスへと微笑みかけた。
「ツバキ小隊のトーコ・レインウェルです。見ての通り汎用〈R3〉が故障してしまい、腕のパーツだけでも替えが欲しい。直ぐに用意して貰えたら隊長に掛け合う。約束します」
ビームスはトーコを値踏みするように見定めて、肩につけた階級章を読み取ると頷いた。
「分かった。直ぐ用意させる。おい、汎用機の右腕部パーツとPDW持って来い、大至急だ」
ビームスが一声かけると言葉通り大至急装備が用意され、トーコは破損したパーツと新しいパーツを交換した。調整が始まると、約束を履行させようとビームスがトーコに再度頼み込む。
「こっちは約束を守った。次はあんたの番だ」
「当然。ナツコ、お願い」
「はい!」
ナツコはタマキへと通信をつなぎ、輜重科が整備士を貸して欲しいと頼み込んできたことを伝える。タマキは即答で「無理」と答えた。ナツコはそのままビームスへと伝える。
「無理だそうです」
「いやいや。こっちは約束を守ったんだ」
「そう言われましても」
ナツコは申し訳なさそうな表情で再度タマキへと通信を入れていいかと迷ったが、またしてもトーコが間に割って入った。
「私は掛け合うとはいったけど、その結果がどうなるかまでは保証しなかった。約束は果たしました。間違いありませんね?」
ナツコの代わりに整備用端末に受領印を押したトーコは、ビームスへと端末を差し出した。
ビームスは渋い表情をしたが、差し出されたそれを受け取るしかなかった。
「ま、仕方ねえな」
ビームスは元より無理な相談だったと諦めて、2人を送り出す。
ナツコとトーコはビームスと輜重科の作業員に礼を言ってその場を後にし、〈音止〉のある基地格納庫へと向かった。
「軍隊なんて面倒ごとの押し付けあいだからね。押し付けられたまま受け入れたら損するばっかりだから、相手を利用してやるくらいでいないと」
「なるほど! 勉強になります!」
「と言ってもほどほどにね。それとあんまり身内にはやらないほうがいいよ」
「ですよね。タマキ隊長にやったら、絶対怒ります」
ナツコの脳裏には面倒ごとを押し付けられたタマキの嫌そうな顔がありありと浮かんだ。トーコも同じような光景を想像して笑う。
「トーコさんは軍隊のことに詳しいんですね。やっぱり、軍曹って偉いんですか?」
「うーん、叩き上げの場合は偉いし怖いだろうけど、私は新米だから」
「あれ? そうなんですか?」
すっかりトーコのことを熟練の軍人だと思っていたナツコはぽかんとして尋ねる。
「装甲騎兵乗りは専門職だから、訓練学校に通って、配属と同時に伍長か軍曹になるの。2脚装甲騎兵は戦場の花方だから新米でも軍曹待遇。出撃数回で曹長まで昇進するのも珍しくないよ」
「なるほど。確かに、あのおっきな機械を動かすんだからそれだけで凄いですよね!」
「そのはずだったんだけどね……」
トーコは目を伏せて寂しそうな表情を見せる。
トーコがハツキ島で訓練中、宙族と戦う事になり味方が全滅したとタマキから聞かされていたナツコは、話題を変えようとあたふたして、なんとか質問を絞り出す。
「と、トーコさん、私よりずっと大人びて見えますけど、おいくつなんです?」
「私? 19だけど」
「あれ、同い年」
身長が20センチ近く高く、女性らしい部分の成長もナツコとは比べるまでもないトーコが同い年であったことに、ナツコは自身の成長の鈍さを呪ったが、そんなナツコを見てトーコは話題を変える。
「ええと、名前、ナツコ・ハツキだったよね? ハツキ島ではハツキ姓って多いのかな?」
「あ、それは違います。私、ハツキ島の孤児院出身で、元の姓が分からなかったので、ハツキ姓になったんです」
「なんか悪いこと聞いちゃったね」
トーコはナツコに孤児院の話をさせてしまったことを謝るが、ナツコの表情は明るい。
「いえ、謝らないで下さい。私、ハツキ島から名前を貰えてとっても嬉しいですし、気に入ってるんです。それに孤児院の生活は貧乏でしたけどとっても幸せでした。だから私は、故郷のハツキ島を取り戻すために、ハツキ島義勇軍に入ったんです」
嬉しそうに話すナツコを見て、トーコは胸を痛めた。
きらきらと輝くナツコの鳶色の瞳を羨ましそうに見つめる。
「そういうの良いな。故郷って、私には分からないから」
「トーコさん?」
呟いたトーコに対してナツコが首をかしげると、トーコは語り始める。
「私も孤児院出身なの。レインウェル区の孤児院だったからトーコ・レインウェル。孤児院は、事務的で役所みたいなところだった。不便はなかったけど、あそこを故郷とは思えない」
不便ではあったけど優しさにあふれていたハツキ島の孤児院出身のナツコには、トーコの言うことが理解出来なかった。それでも孤児院出身で同い年のトーコに自分の境遇を重ねて親近感が沸いた。
「ナツコは両親の記憶ってある?」
「うーん、本当に小さい頃に預けられたそうなので、さっぱり」
「そっか。私も。もし会えたら、会いたいって思う?」
次の質問にはナツコは一瞬戸惑った。けれど笑顔をつくって答えた。
「ちょっと会ってみたい気もします。でも、私にとっては孤児院の院長先生と奥さんが両親ですから」
「そっか」
「トーコさんは?」
「私は会ってみたい。会って、一発ぶん殴ってやらないと気が済まないもの」
トーコの言葉にナツコは苦笑いを浮かべたが、真っ直ぐにトーコの鳶色の瞳を見つめて語りかける。
「会えると良いですね!」
トーコは応じるようにナツコの鳶色の瞳を見つめ返した。
「そうだね。そのためにも、この戦いを乗り切らないと」
「はい! 頑張ります!」
格納庫に入ると同時に待っていたタマキが2人を呼び寄せる。
「遅いです」
「ごめんなさい」「申し訳ありません」
2人は謝ったが、顔を見合わせるとこっそり笑顔を作る。
タマキは謝罪がされたことに満足して、次の指示を出す。
「トーコさんは〈音止〉に搭乗して出撃準備を。ナツコさんはフィーリュシカさんがナツコさんの装備を用意してくれたので、それを受領して下さい」
2人は敬礼し返事をしたが、トーコは尋ねた。
「すいません。ユイの市民コードはどうなりました?」
問いかけに対して、タマキはうんざりした様子でため息をついて、格納庫の〈音止〉の下で整備指示を飛ばしているユイを示した。
「市民コードは再発行されました。わたしがチェックしましたが問題なし。本名ユイ・イハラ。統合軍を補佐する技術者として〈音止〉試作機の開発に手を貸していたようです。ひとまずは問題なさそうなので同行させますが、トーコさん、彼女が不穏な行動を見せたら直ぐに報告するように。場合によっては発砲も許可します」
「大げさなような気もしますが、留意しておきます」
トーコは形だけ受け入れて、〈音止〉に乗り込むべくユイの元へと向かった。
ナツコは外で待つフィーリュシカの元へと向かう。
そんな2人の背中にタマキの檄が飛ぶ。
「帝国軍は直ぐそこまで迫っています。急いで下さい」
◇ ◇ ◇
〈音止〉の整備は既にほぼ完了し、エネルギーの充填も弾薬の補充も完了していた。
〈音止〉の足下で整備士に指示を飛ばしていたユイはやってきたトーコを睨むと、搭乗するよう促す。
「分かってる。ユイも乗るの?」
「当然だ。こいつはまだ調整中なんだ」
「そ。なら汎用〈R3〉貰ってきた方が良くない?」
「無いそうだ。お前がヘマしなければ問題ない」
「そう。分かった」
ユイの体のサイズに合わせるとなると子供用の〈R3〉が必要だ。だがそんなものが最前線基地に直ぐ使える状態で置いてあったりしないことは明らかだった。
トーコは汎用〈R3〉でユイを前に抱え、リフターに片足をかけて上昇させると、〈音止〉コクピットに乗り込む。
後部座席に座ったユイは〈音止〉を起動させ、先ほどの戦闘データを元に〈音止〉の戦闘プログラムをトーコに合わせて調整する。
起動シーケンスを終え、各種操縦桿の微調整を行っていたトーコは、後部座席のユイへ声をかける。
「本名、ユイ・イハラだってね」
ユイは面倒くさそうに答えた。
「だったら何か問題があるのか」
「別に、ないけど」
微調整を終えたトーコは汎用〈R3〉を〈音止〉とリンクさせ、ツバキ小隊からのデータリンク要請を承認すると、再度ユイへと声をかける。
「私は宙族を倒したい。そのためには〈音止〉が必要。〈音止〉を整備できるのはあなただけ。そうよね?」
「そうだ」
ユイの答えに、トーコは意志を固めた。
「なら、私にはあなたが必要。よろしくね、ユイ」
「こちらこそ。精々〈音止〉を使いこなして見せろ。こいつは最強の機体だ。パイロットさえまともなら、敵など存在しない」
「それは楽しみ。今度は吐かないでね」
「安心しろ。最新式のエマージェンシーバッグを搭載してある」
自慢げに新品のゲロ袋を持って見せたユイに不安を感じながらも、全調整を終えて出撃準備が整ったトーコは、スロットルを上げ〈音止〉のコアユニット出力を上昇させた。
「ハツキ島義勇軍ツバキ小隊、ツバキ8〈音止〉出撃します!」
 




