シアン・テラー
隊員たちの夕食が終わると、ナツコは食事を持って懲罰房区画へと向かう。
シアンに対して食事を与えるのをタマキも止めようとはしなかった。
ナツコは相手に警戒心を与えることなく話すのが得意だ。
だからタマキは、自由に彼女がシアンと接する機会を作っておいて、折を見て何を話していたか確認する算段だった。
そのほうがタマキ自身が直接尋ねるよりもずっと効率的に思えた。
少なくともナツコは、他の誰も聞き出せなかったシアンの名前を聞き出しているのだから。
「何してんのよ」
食事を終えたシアンが食器を戻した後、直ぐに回収するのかと思いきや、ナツコは机の上に置いた拳銃弾の先端をじっと見つめていた。
新しいタイプの精神病にでもかかったのでは無いかと、シアンは腫れ物でも見るような視線を向ける。
しかしナツコはまるで反応しない。自分が無視されるのは嫌いなシアンは、もう1度声を張り上げる。
「何してんの」
「え? 何です?」
ようやく声に気がついたナツコは素っ頓狂な声を上げ、何が起こったのかとシアンの方を見た。
「こっちが聞いてんのよ。
変なもんでも食べた?」
「あれ、美味しくなかったですか?」
「人の話聞いてないわね。
あんたが今何してたのか聞いてんのよ」
ようやっとシアンが聞きたいことを把握したナツコ。
「実はですね、集中力を鍛える訓練をしてたんです。
私、1つのことに集中してると普段見えない物まで見えるんです。
でも1つだけだと周囲が疎かになってしまって……。何とか複数の方向に意識を向けられるように訓練をですね……」
「じゃあ全然出来てなかったわよ」
「え?」
きょとんとするナツコ。
シアンは一切の情け容赦することなく告げる。
「出来てなかった。
だってあたしが声かけても反応しなかったでしょ」
「そんなことは……。
違うんです。今は訓練中だったので。普段は周りの声くらいちゃんと聞こえてますよ」
言い訳するナツコを白い目で見てシアンは続ける。
「そもそも1つのことに意識を向けるのを集中って言うんじゃないの?
複数に集中するって矛盾してない?」
「でもフィーちゃんは私なら出来るって」
「フィー? もしかしてあの人形女のこと?
あいつの言うことなんて当てにならないわよ」
「そんなことないと思います。
それにフィーちゃん、ああ見えて結構感情豊かなんです」
「あたしにはそうは思えないけどね。
ま、精々無駄な努力をするといいんじゃない」
シアンは止めるつもりはないとナツコへ訓練再開を促す。
しかしナツコは無駄な努力と言い切られてしまいとてもやる気にならない。もっと別に良い方法がないかと尋ねる。
「何か良い訓練方法とかありますかね?
私、射撃だけに集中できる環境ならなんとか命中弾を出せるんですが、他のこともいろいろしないといけない状況だと全部が上手くいかなくなってしまうんです」
「確かに射撃だけはまともだったかもね。
それ以外はホント壊滅的だったけど」
「壊滅的、とまでは行かないと思うんです。
シアンちゃんの攻撃だってちゃんとギリギリ避けました」
そこまで酷くはないと反論を試みるナツコ。
だがシアンはそれを一蹴した。
「壊滅的よ。
あんたが攻撃を避けたんじゃ無くてあたしが当たらないように撃ってやったのよ。
回避パターンが教科書通り過ぎて簡単に予想出来たわ。あれじゃ止まってるのと大差ないわよ」
「そ、そんなことって――」
しかし実際の所、シアンがレインウェル北部での戦闘で手加減していたのは明らかだった。
リルもサネルマもそしてナツコも、機体の動作を封じながら、搭乗者が大怪我を負わない絶妙な被弾状況になるよう攻撃を受けていた。
「どうしたらいいですかね?」
「自分で考えなさいよ」
「でもシアンちゃんとても強いです。
そういえばシアンちゃんって、攻撃の反動とかどうやって計算してるんです?」
「計算なんかしてないわよ」
返された答えに、ナツコは首をかしげる。
「でも、攻撃の反動使って旋回速度増したり攻撃回避したりしてましたよね?」
「慣れよ慣れ。
何回もやってたら『大体これくらい』で何とでもなるのよ」
「いやいやいや。
だってあんなの失敗したら大怪我しますよね。
怪我で済むなら良い方です。腕ちぎれるかも知れないですし、下手すれば死んじゃうかも」
「あたしはそんなに軟弱じゃないの。
だからいくら無茶なことでも試せるのよ」
「え、えー。
そんなことってありますかね……?
というかシアンちゃんの身体、どうなってるんです?」
乗員保護を一切無視した〈アヴェンジャー〉を装備し、人間業とは思えないような危険な操縦をしたにもかかわらずぴんぴんしているシアン。
普通の人間と何かが決定的に異なるのは明らかだ。
「尋問のつもり?」
「いえ、単純に個人的な興味です」
「そ。なら直接確かめたら?」
確かめてみたい気持ちに駆られながらも、懲罰房の扉を開けることは出来ない。
ナツコはぐっと堪えて諦めた。
「流石にタマキ隊長に怒られそうなので遠慮しておきます。
こう、私でも簡単に強くなれる方法とかないですか?」
「そんな方法があるなら弱い奴なんていないのよ」
「ごもっともなんですけど、少しでも強くなりたくて」
「凡人相手に出来るアドバイスなんて持ち合わせてないわ」
シアンはナツコの頼みをバッサリ切り捨てる。
ナツコはやっぱりこれまでの訓練を続けるしか無いと、拳銃弾を机の上に並べ始めた。
その様子を見て、シアンは仕方なく口を開く。
「役に立つかどうか分からないけど、知り合いにとんでもなく強いのが居たわ。
そいつは自分と敵の動きから、放たれた砲弾やビーム軌道、周辺の環境までことごとく計算し尽くして戦ってた」
「そういうのです!
私もそれが出来るようにしたいんです!」
声を張り上げるナツコに対して、シアンは冷ややかな視線を投げつつ、それでも言いだしたので最後まで話す。
「あんたに出来るとは思えないけどね。
そいつが言うには、1つのことに集中しようとするから無理が出るんだって。
人間、特に何も考えてないときは、脳が勝手に必要な情報を適切に扱ってくれるそうよ」
「ええと、つまり何も考えるなと……?
それって難しくありません? 人間は考える生き物です」
「あたしもそう言ってやったわ。
そしたらそいつ、だから頭の中にだけ集中するんだって」
「頭の中?」
それだけでは不明瞭だと、ナツコは首をかしげて尋ねる。
「そ。頭の中。
何言ってるか理解出来なかったけど、頭の中に普段使ってる思考領域とは違う、ずっと高性能な領域があるんだと。
そこに集中すると脳が勝手に必要な情報を全部計算してくれるとかなんとか」
「ええと……。ごめんなさい、難しそうです」
「だから役に立つかどうか分からないって言ったでしょ」
シアン自身も理解出来ないと肩をすくめる。
ナツコは頭の奥に意識を向けようとしてみるが、いまいちその領域とやらに集中する方法が分からない。
それでも折角教わった集中方法を身につけようと、目を瞑り、頭の内側へと意識を向ける練習を始める。
「本気でやるつもり?
あんたみたいに弱っちいの、ちょっと強くなったところでたかが知れてるわ」
シアンがその努力を馬鹿にするような発言をする。
ナツコはその発言を認めて、それでも強くなりたいんだと答えた。
「それは分かってますよ。
でも私、故郷を――ハツキ島を取り戻すために出来ることは、全部やるって決めたんです。
それがたかが知れてるようなものでも、少しでも強くなれるなら強くなりたいんです。
駄目ですか?」
「駄目なんて言ってない。
あんたのことだもの。あんたの好きにすれば良いわ」
シアンはナツコの努力については大した興味も無さそうだった。
ただ「あたしが寝てるときは騒がしくしないで」とだけ注意して、ベッドに横になろうとする。
そんな彼女へと、ナツコは尋ねた。
「シアンちゃんの目的って何です?」
「尋問のつもり?」
寝るのを止めて返すシアン。ナツコはかぶりを振って返す。
「いえ。そういうつもりはないです。
ただシアンちゃんの目的が、私たちの目的と相反するものでないなら、仲良く出来ると思うんです。
だってシアンちゃん、帝国軍の人じゃないですよね?」
シアンは肯定とも否定ともとれない曖昧な反応をする。
ナツコは続けた。
「あの時も私のことを助けてくれました。
これからも、助けてくれませんか? シアンちゃんが一緒なら心強いです」
「それは見間違いだって言ったでしょ」
「私、目は良いんです。集中してればですけど」
「なら集中してなかったのよ」
シアンは見間違いだとする意見を譲るつもりはないようだった。
しかし突然、ベッドから勢いよく立ち上がる。
「考えてくれます? 私、頑張ってタマキ隊長を説得しますよ!」
それを思い直してくれたのだと勝手に解釈したナツコは笑顔を見せる。
シアンは真っ直ぐに鉄格子へ向かうと、真剣な眼差しでその扉を示した。
「扉開けて。
拳銃もこっちによこして」
「え、今すぐは流石に駄目ですよ」
タマキの許可を取ることなく扉を開けることは出来ないし、ましてや武器を貸すことなどもってのほかだ。
ナツコは断りながらも立ち上がったが、その目前でシアンは鉄格子を両手で掴んだ。
「早く開けて」
「駄目ですって」
「いいから早くして」
「駄目です! ちゃんと説得しますから明日まで――」
「分からず屋! 今すぐ開けろって言ってんのよ!」
懲罰房正面の鉄格子が悲鳴のように音を立てて湾曲する。
シアンは力任せにそれをねじ切り、更にその両隣に手をかけ強引に道を開く。
「ちょ、ちょっと何を――」
ナツコは咄嗟に拳銃に手をかけ、ホルスターから引き抜いた。
初弾を装填。引き金に指をかけたが、シアンに向けて銃口を向けられない。
再び声を張り上げようとするが、爆音がそれを遮った。
突如、懲罰房区画と収容区画を繋ぐ管理ゲートが爆発によって吹き飛ぶ。
爆炎の向こうから姿を現したのは、帝国軍最新鋭偵察機〈コロナD型〉。
踏み込んできた敵機は個人防衛火器の銃口をナツコへ向けて構えると、躊躇無くトリガーを引いた。
マズルフラッシュが瞬き小口径高速弾が3発放たれる。
その射線上にシアンが身を投げ出した。
ナツコをかばうように飛び出したシアンの背中に全弾命中。
シアンは被弾しながらもナツコから拳銃を奪い取る。
そしてナツコの身体を、今し方通ってきた鉄格子の隙間へと無理矢理押し込んだ。
シアンの身体が床に倒れる。
押し込まれたナツコは懲罰房内で尻餅をついて、ようやく何が起こっているか理解した。
帝国軍の偵察機から攻撃を受けた。
懲罰房区画に入ってきたのは〈コロナD型〉1機。管理ゲートで待機しているのが1機。恐らくそちらも〈コロナD型〉
先ほどシアンを撃った〈コロナD型〉が接近している。
応戦しようにもナツコは丸腰だ。拳銃はシアンの手に握られている。
取り返そうと、這うようにしてシアンへ近づく。
ナツコの視線の先で倒れていたシアンの目が開く。青かった瞳は今は真っ赤に染まっていて、口元が僅かに動いた。
「引っ込んでろ」
被弾していたはずのシアンが、身体を回転させるようにして勢いよく跳ね上がり拳銃を立て続けに3発発砲した。
拳銃弾は接近していた〈コロナD型〉頭部に全弾命中。ヘルメットの正面、メインディスプレイを叩き割った。
倒したと思われたシアンから攻撃を受け、〈コロナD型〉は慌てて一歩後退。
しかしシアンは立ち上がる動作の中で先ほど折った鉄格子の一本を掴み、槍のように真っ直ぐ突き出した。
ねじ切られ尖った金属棒の先端が、〈コロナD型〉の装甲とヘルメットの間に突き立つ。
喉元を貫き、勢いのまま押し込まれた金属棒は搭乗者の脊椎を砕いた。
シアンは金属棒を引き抜き、力なく前のめりに倒れる敵機を前へと蹴り飛ばして管理ゲートに残っている敵との射線を塞ぐ。
だが管理ゲートの敵〈コロナD型〉は、味方が死亡したと判断すると、躊躇することなく攻撃を開始した。
投射機から放たれたグレネード弾が投げ出された敵機に直撃し爆発。その機体を吹き飛ばす。
更に主武装の12.7ミリライフルが容赦なく放たれた。
放たれた銃弾は吹き飛んだ敵機の隙間を縫って、姿をさらしたシアンの額に命中した。
ライフル弾の直撃を受け、シアンの身体は後ろに大きく吹き飛ぶ。
背中から床に倒れたシアン。左手に持った拳銃が床に落ちて大きな音を立てる。
「嘘――シアンちゃん――」
倒れたシアンの身体は懲罰房の正面。
生身で、しかも脳天に対物ライフル弾の直撃を受けた。
生きていられるはずがない。
それを目の当たりにしたナツコは一瞬だけ恐怖で身体が硬直したが、直ぐにこれからどうすべきか模索し始める。
生身で扱える武器はシアンが落とした拳銃か、敵機から落ちた個人防衛火器。
距離が近いのは拳銃。しかしどちらをとるにしても通路に身をさらさなければならない。
敵〈コロナD型〉は慎重に一歩ずつ、懲罰房に向けて距離を詰めてくる。
敵機に警戒された状況で、〈R3〉に守られない生身の身体で飛び出し、武器を拾い、反撃を受けること無く倒せるか。
あまりに絶望的な賭けだが、このまま懲罰房に残っていても無駄死にするのは目に見えていた。
ナツコは頭の中で数を数え始めた。
立ち上がりながら、足に力を込め、駆け出す準備をする。
敵機の足音に合わせてカウントを進める。
5,4,3,2,1――
次で駆け出そうと言う瞬間だった。
倒れていたシアンの目が開いた。
真っ赤に染まった瞳が輝き、身体が勢いよく跳ね起きる。
敵機はシアンの予想だにしない動きを見ながらも、冷静に攻撃を仕掛けた。
投射機からグレネード弾が放たれる。
しかし跳ね起きたシアンの動きは早い。
手に持った金属棒を振り上げ、飛来したグレネード弾を空中で弾く。
信管が起動しグレネードが爆炎を上げた。
シアンは巻き散らかされたグレネードの破片を受けながらも、振り上げた金属棒を投擲した。
人間の限界を超え、筋繊維が引きちぎれるような速度で振るわれる腕。
金属棒は風を切って飛び、回避行動をとった〈コロナD型〉の右脚部。脛の位置に突き立ち、装甲もろとも骨を砕いた。
片足を失った敵に向けてシアンは真っ直ぐに駆け出す。
苦し紛れに自動迎撃で放たれたライフル弾を交差させた両腕で受け、一気に距離を詰めて間合いの内側へ。
そのまま右腕を横薙ぎに振るい、敵機を壁へと叩き付けた。
苦悶の表情を浮かべ、壁にもたれ倒れる敵機。
「――何故、生きている」
荒く呼吸をしながらも絞り出されたその問いかけに、シアンは右腕を突き出し、ヘルメットを掴んで答えた。
「生きてなんかいないわ。
とっくに死んでるのよ」
シアンは右腕に力を込めて敵機頭部を壁に叩き付けた。
歪に変形したヘルメットの残骸からどろっとした血液が流れる。
敵の死を見届けたシアンは、素早く機体から武器を回収し始めた。
「あ、あの……」
懲罰房から顔を出し、襲撃を仕掛けてきた敵の死亡と、シアンの生存を確認したナツコ。
ナツコは通路に出ると自分の拳銃を回収し、恐る恐るシアンへと近づく。
「シアンちゃん、何者なんです?」
「尋問のつもり?」
不機嫌そうに眉を潜めるシアン。
先ほどまで赤かったシアンの瞳は、今は元通り青色に染まっていた。
「だって、死んでるって」
シアンは装備漁りを続けながら話した。
「言ったでしょ。
親に捨てられたの。
人間が生存するのに適さないゴミ投棄用の辺境惑星に」
「え、でもシアンちゃんちゃんと動いてます」
「それも言ったでしょ。
お母様があたしを拾って、新しい命をくれたって」
「比喩表現で無く?」
「お母様は天才よ」
きっぱりと言い切るシアン。
しかし確かに彼女は脳天に機銃弾の直撃を受けながらも、現にこうして動いている。
通常ではあり得ない存在がここに居ることは間違いなかった。
「痛くないんですか?
というか銃弾刺さってません?」
「痛いわよ。
でも頭蓋骨で止めたから問題無い」
額に突き立ち潰れていた銃弾を、シアンは指先で無理矢理に引き抜く。
痛々しい光景にナツコは思わず「ひっ」と身を引いてしまう。
傷口からは真っ黒な液体が漏れ出していた。だが次第にそれは皮膚の一部となり傷口も埋まっていく。
「え、え、それは大丈夫なんですか?」
「あんた状況分かってる?
まだ敵は居るわよ。直ぐに移動しないと次が来るわ。
お喋りしたいなら一人で壁にでも話してて」
「それは……まずいですね。
一応確認させて下さい。
この人達は何者なんです? シアンちゃんを迎えに来たわけでは無いですよね?」
シアンは質問に対して、敵の機体から回収した個人用端末を取り出して示した。
そこには帝国軍の認識票が表示されていた。
「あたしの迎えだったらこんなヘマしない。
帝国軍の、まあ下っ端みたいね。あたしのことも知らないみたいだし」
「なるほど」
重ねて尋ねようとするナツコに対して、シアンは個人防衛火器を差し出す。
「お喋りしてる余裕は無いわよ。
ついてくるならあたしの命令に従うこと。
こないなら牢屋の中に閉じこもってて」
ナツコは質問を取りやめ、個人防衛火器を受け取って応える。
「ついて行きます。
ツバキ小隊のみんなを助けないと」
「賢明な判断だわ。
とりあえずこっちよ」
シアンは12.7ミリライフルを肩に担ぎ、先導するようにして管理ゲート方向へ歩き出した。




