98.主人公、敗走
「私が起きた時、透くんってどこにいた?」
長い沈黙を破ったのは、古川先輩。
その問いに対して、透は相変わらずの回答で返した。
「どこって、そりゃ先輩の元に……」
「私の周りにいたのは、藤田くん、水橋さん、茅原くん。
透くんも居たけど、何で地面に寝転がってたの?」
先輩には、意識が戻った後の記憶がある。
それも、透にとって都合いいような中途半端な残り方ではなく、
ほぼ正確な状況を覚えているくらいには。
「それは……あっ、そういえば先輩、ブラ外れてたでしょ!?
こいつ、先輩の下着を……」
「私がやった。熱中症の時は締め付けのあるものを外すのが大事。
ホックは外したけど、そこから動かしてはない」
「水を口移しで飲ませようとしてた!」
「体に吹きかけたんだっての。それも最初の一回以外水橋がやった。
俺と陽司は扇ぎ担当」
「えぇっと……あと……」
「いずれにしたって、お前が何もやってないのは事実だ。
余計な真似しようとしたから、陽司に蹴飛ばされただけ。
言っとくが、陽司がやってなかったら俺が殴ってたからな。
結局は俺も殴ったけど」
「……先輩!」
「透くん。私だって、透くんを信じたいよ。……でも、覚えてるから」
ここにいる誰一人として、お前を擁護しない。
諦めろ。お前はもう、今まで通りにはいかないんだ。
「……先輩、今日は帰ります。でも、騙されないで下さい」
扉を乱暴に開け、そのまま帰っていく。
開けっ放しの扉を静かに閉めると、先輩の泣き声が聞こえた。
「ぐすっ……ごめん、透くん……」
「先輩……」
先輩の唯一の心の支えが、嘘をついた。これ程に辛いことなんてないだろ。
さて……今、俺ができること、そしてやるべきことは何だ?
ただ慰めることは違う。本質的な解決にならない。
つまり、一番の選択は……
「先輩。俺がいます。陽司も、水橋もいます。……それじゃ、ダメですか?」
透の他にも、支えになる人はいると示すこと。
これが、最善の選択だ。
「そんな……ダメなんかじゃ……!」
「私と藤田君と茅原君が、いつだって傍にいます。だから、前を向いて下さい。
私達は、絶対に裏切りません」
「二人、共……うえぇぇぇん!」
水橋のふくよかな胸に顔を埋めた瞬間、先輩の涙腺は決壊した。
上半身の殆どを預ける先輩をそっと抱き、ただただ泣かせ続ける。
「よしよし」
「うえぇぇぇん……うえぇぇぇん……!」
(……俺も、やるか)
水橋が前を取るなら、俺は後ろで。
先輩の背中を摩り、精神の安定を促した。
(柔らかいな、背中なのに……って)
場違いな感想を覚えた時と同じくして、女子の身体に易々と触れていることを自覚し、
胸と顔が熱くなるのを感じた。
こういう積極性は持ったらダメだな。気をつけないと。
「先輩、もっと人を頼って下さい。神楽坂君より頼れる人はいくらでもいます。
藤田君は言うまでもないですし、茅原君だってそうです。
二人ほどの自信はないですけど、私を頼ってくれても構いませんし」
「うん……ごめんね」
古川先輩は、謝ることに慣れてしまっている。
自罰的に考えてしまう癖があるのかな。先輩、何も悪いことしてねぇのに。
俺も少し、言っておくか。
「謝るのやめましょう。先輩は大切にされるべき人間なんです。
誰かの胸で泣くのも、人を頼りにすることも、謝りを入れる必要なんてない。
好きなだけ泣いて、好きなだけ頼ればいいんですよ」
「……ありがとう」
そう。感謝する必要もないけど、謝るぐらいならそっちの方がいい。
人を頼りにしましょうよ、先輩。
(にしても、こそばゆいな)
水橋が透を嫌っているということは知っていたが、対照的に持ってきたのは俺と陽司。
この場に本人がいるってのに、堂々言うか。
陽司はともかく、俺はそこまでの頼りがいがある男じゃないんだけどな。
「ところで、先輩。謝るべきなのは私です」
「……?」
「二人に無理を言って、お話は聞きました。
先輩が……柏木先生から、あまりいい印象をもたれていないということについて」
「え……!?」
忘れかけてたけど、本題はここだった。
今回の件について、先輩に事前許可は取っていない。
「安易に踏み込んでいい問題ではないとは存じています。
ただ、この件は私も関わっているんです。どうやら、私も柏木先生からの心証が悪いようで。
このことはどうにかしないといけないと思ったんです」
「水橋、さんも……」
「先にお話ししてなかったことについては、弁解の余地はありません。すみませんでした。
ですが、水橋は陽司と同じく、俺の頼れる友人です。
今回の件に関して、俺よりも深く関わってますし……信じて下さい」
自分の存じない所での急激な変化を、先輩は好まないということは知っている。
だが、今回の件は現在進行形で先輩が被害を受けているから、スピード解決が必要だ。
そして、その為の仲間は多い方がいい。少なくとも俺一人の力じゃ土台無理。
勿論、透とかは足手まといにしかならないから、厳選する必要はあるけど。
「……うん、分かった。藤田くんの友達だもんね」
「先輩……! ありがとうございます!」
「それに、本が好きな人に悪い人はいない。
水橋さん、私と好きな本の傾向、似てる気がするし……」
「そこまで沢山は読みませんけど、読書は嫌いじゃないんで」
水橋の好きな本は、主に少女漫画。けど、純文学も趣味から外れてはいないらしい。
今までのイメージを保つ為に読んでいたら、趣味に加わったってとこか?
いずれにしても、共通の趣味があるのはラッキーだ。
先走り過ぎたかと思ったが、上手く事が運べた。
「あの、古川先輩。これからのことは後日お話しするとして、今日は私とお喋りしませんか?
本のお話とか、先輩の書いている作品とか……色々、お話をしてみたいんです。
まずは、お互いを知ることから始めませんか?」
「うん……そうだね。私も、色々話したい」
良い関係の構築。
古川先輩が抱える問題解決の為の一歩であると同時に、水橋の目標達成への一歩でもある。
この時点で、収穫はかなり大きい。
(となれば、しっかりと解決していかないとな)
明日からはまた動く必要がある。
それぞれの連係プレーで、いじめ問題解決を急ごう。