94.そういうことなら
どういうことだろう。
先輩が、嫌われてる……?
「あっ、何でもない! ごめんね、突然こんなこと……」
「先輩は、どうしたいんですか?」
噛み合ってないのは承知の上。
だが、ここで言うべきは「どういうことですか?」ではない。
古川先輩は、確実に何かを背負い込んでいる。
言葉の意味そのものではなく、何を求めているか。
説明を飛ばしてでも、それを最短ルートで探るべきだ。
このタイミングを逃したら、全部抱え込んでしまう。
ゆっくり、一歩一歩行くつもりだったけど、それだけじゃダメだ。
心から何かが溢れたこの瞬間に、一気に切り込む!
「……え?」
「何でもない訳ないじゃないですか。教えて下さい。
それとも……俺じゃ、頼りないですか?」
古川先輩から話を引き出すには、罪悪感を刺激するのがいい。
つけこんでいるようで申し訳ないが、そうでもしないと引っ込んでしまう。
ごめんなさい。俺、手段は選びません。
「そっ、そんなことないよ! 藤田くんは頼りなくなんかない!」
「なら、教えて下さい。古川先輩は、何を望んでいますか?」
今の状態以上のものを、古川先輩は望んでいないことは知っている。
でも、先輩が抱えているものは小さいことではないはず。
そうじゃなきゃ、あんな呟きは出てこねぇ。
「望み、なんて……」
「『やりたいこと』でいいんです。どんな些細なことでも構いません。
……先輩は、『今、どうなりたい』んですか?」
答えのハードルを下げ、回答を出しやすくする。
古川先輩の俺に対する信頼はそれなりにあるはずだ。
頼む。どうか、これで……
「…………いじめから、逃げたい」
……よくぞ、言ってくれました。
どうにかしようじゃありませんか。
「いじめ、ですか」
「うん……」
古川先輩も、覚悟を決めてくれたらしい。
ここまで来れば、話すより他ないということか。
それなら、先輩のペースで話してもらおう。
「……私、人と目を合わせるの、苦手なんだ」
なんとなく、そうじゃないかなとは思っていた。
これだけ長い前髪をしているのは、理由があるって。
「どうにかしようとは、思ってる。プールの時はピンで上げたし。
けど、やっぱり無理だって思って、今はこうしてる」
「生活に支障無いんですか?」
「慣れたから、あんまり。たまに本が読みにくいくらい」
時には雑談も挟むことで、円滑にする。
重苦しい話を続けるのは辛いだろうし。主に俺が。
あと先輩。それって結構致命傷じゃないですか?
「それにこうすれば、私の顔も隠せるから、誰も不快にさせないで済むし」
……うん?
これはちょっと、不可解なことが出てきたな。
少し踏み込んでみるか。
「どういうことですか? 先輩、美人じゃないですか」
「そんな、私なんか……」
「誰が何と言おうと、それこそ先輩自身が否定したとしても、俺は認めません。
先輩は、めちゃくちゃ美人です」
古川先輩は、自己肯定感が極端に薄い。強引に押し切るくらいで丁度いい。
自分を否定することがやめられないなら、その否定を否定してやる。
「……ありがとう。こんなに強く言ってくれたの、藤田くんが初めてだよ」
「あれ、透じゃないんですか?」
「透くんは、いつも笑いながらだったから、冗談だと思う」
あいつはやっぱり、単独だとコミュニケーションの取り方を間違えるな。
それが上手く行くのは穂積と八乙女だ。古川先輩とは、真摯に向きあった方がいい。
……さて。
「先輩。こう仰るからには、誰かが先輩の容姿を貶したってことですよね。
それは一体、誰ですか?」
先輩にとっては、辛いことを思い出させることになる。
だが、このお話はある程度強引に切り込まなければ、解決の糸口は見出せない。
押し引きの判断が、重要だ。
「……宇野さんと、柏木先生」
宇野という名前に聞き覚えは無いが、多分同じクラスの……『さん』ってことは女子か。
柏木先生が絡んでいることは、予想通り。
「宇野さんとやらは存じませんが、いずれにしても揃って節穴のようで。
先輩。そんな馬鹿共の言葉よりも……俺を、信じて下さいよ」
努めて真剣に。前髪の向こうの、先輩の目を見つめて。
……顔、逸らされた。やっぱり目を合わせるのが苦手なんだな。
でも、それでも構いません。俺は決めたんだ。
「俺が保証します。先輩は、美人です。自信を持って下さい。
自分に自信が持てないなら、俺が先輩の自信の理由になります。
……俺を、信じて下さい」
ゆっくり、心に伝えるようにして。
顔を逸らせば目を合わせることはできないが、耳は近くなる。
どうか、届いてくれ!
「……うん、分かった。藤田くんを、信じる」
通った。
古川先輩の信頼を得ることに、成功した。
「信じてくれて、ありがとうございます」
この信頼に、報いてみせる。
誰が何をやらかしてるのかは知らんが、絶対にとっちめる。
このまま逃げ切れると思うなよ。
「……で、先輩は今、どうなってるんですか?」
まずは現状の把握。全ての原点であり、基礎基本。
自分がどういう状況か分からなければ、相手が誰かを探ることもできない。
見える範囲では、外傷はない。
といっても、肌が見える範囲は顔と手足ぐらいだし、プールの時もスク水だからほぼ同じ。
腹や背中とかに、何かしらの傷を負わされている可能性はある。
「机に落書きされたり、悪口言われたり……透くんに相談しようとも思ったけど、
心配かけたくなくて……」
透に言わないのは大正解。無論、心配かけるからではなく、何の役にも立たないから。
それどころか、下手すれば足を引っ張る可能性だってある。
「ケガとかはありませんか?」
「そういうのは、今の所は」
傷は心に負わせてるのか。
柏木先生があの様だと、敵だと考えるべきだな。
「先輩が良ければですけど、辛い時は吐き出して下さい。
何なら、当たってくれたって構いませんよ」
「藤田くん……ありがとう……!」
先輩が、俺にもたれかかってきた。
おぉ、このずっしり感とむちむち感、何とも癖になる味わいで……ってバカ!
今はそれどころじゃねぇだろが! これ大問題だっての!
これからどうするかだけに頭を働かせろ!