92.後ろか隣で。
ともすれば、状況を更に悪化させかねないおちょくり技。
博打とさえ言える応用術を、水橋は華麗に成功させた。
「ありがとう、茅原君」
「どういたしまして。っていうか、水橋って結構面白い奴だな。
今まで全然知らなかったわ」
収穫は、『学校の女神様』以外の水橋が出せて、それを知る奴が増えたこと。
特に、俺以外の男子に出せたということが大きい。
その男子が陽司だけというのもポイントだ。こいつからは、こじれない。
「あれぐらいなら、いちいち許可とらなくてもいいぞ? 呼べば行くしさ」
「……不安、だったから」
「そっか。それならそれでいい。そういう丁寧さ、いいと思うぜ」
……? これ、事前に何か仕込んだのか?
あの流れを水橋単独で完成させるとなったら、更に難しい。
誤解されでもしたら、大変なことになる。
後で聞くことが増えた。
時間が取れるのは閉会後か。メッセだけ飛ばしておこう。
「総合優勝は…………3組です」
放送委員による発表がされた瞬間、3組の隊列から歓声が沸き起こった。
俺ら1組は中間から順位を一つ上げ、準優勝。
2年生のスウェーデンリレーで男女共に1位を取り、優勝は目前かと思われたが、
3年生が酷い結果に終わり、僅差で中間1位の3組に届かなかった。
「総合優勝の3組の各学年の代表者は、前に来て下さい」
後方から、代表者が駆け足で出てくる。
校長先生からは優勝カップが、深沢会長からは副賞(校章の焼印入り記念饅頭)が渡された。
「君達の戦いぶり、心から感銘した! おめでとう!」
会長は相変わらずの激情ぶり。ここからだと代表者がどんな表情をしているか分からないが、
恐らく困惑が入り混じった苦笑いをしていることだろう。
例によって、校長先生の閉会の挨拶は聞き流し、続くのは生徒会長。
こっちは毎回何かしらブッ込んで来るので、生徒全員が聞き入る。
「まず、言っておこう。皆、よく戦い抜いた。
勝者がいる以上、敗者もいる訳だが、全力で戦い抜いたことは等価値だ。
それは本当に素晴らしいことだと、私は思う。
校長先生の挨拶でもあった通り……体調を崩す生徒もいたということが残念だ。
その点については私の不徳の致す所であり、深く反省する」
これは古川先輩のことだろうな。会長が反省する必要なんてないのに。
誰が問題かと言ったら、1000m走を押し付けた誰か、だと思うんだが。
「原因究明に努め、来年はこのようなことがないようにする。
もっとも、私は今年度で卒業だ。調べた結果と想いについては、後輩に託す。
どうか、来年はもっと素晴らしい体育祭になるようにして欲しい。
残り僅かだが、私も任期中はできるだけのものを残そうと思う。
……では、生徒諸君」
一拍置いて、大きく息を吸い込んだ。
大きいだけじゃない。長い。しかも後ろにのけぞってる。これは来る。
「青春、したかァーーーーー!!!!!」
「「「「「オーーーーー!!!!!」」」」」
この会長は何でこう『青春』というものにとことん熱量を持っているのか。
大体の場合、青春って大人になってから気付くものだと思うんだが。
まぁ、それだけ熱い人間ってことか。
体育祭が終わり、テントの解体などの後片付けが行われる。
体育委員が面倒そうにしているが、大きな仕事はほぼこれだけ。
図書委員や美化委員みたいなルーチンワークは少ないから、割と人気がある。
「先輩、大丈夫かな……」
陽司が不安そうにしている。
意識回復までは持っていけたし、病院なら適切な処置がされるはず。
そうは分かっていても、不安にはなるよな。俺も同じだ。
「お前と水橋が来てくれてよかったよ。俺一人じゃ限界があった。
水持ってくるっていう大事なことを忘れるとか、焦り過ぎたわ」
「仕方ねぇよ。それに、陽司の足ならすぐ戻れるだろ?」
「そうかもしれねぇけど、水橋には助けられた。
あいつ、何事にも無関心な奴かと思ってたけど、いい奴だな」
「だな。……あ、それで思い出したんだけど、リレーの後のアレ。
お前、水橋に何か頼まれたのか?」
リレー走者への、水橋の冗談めかしたフォロー。
それの前に、水橋は陽司に何を頼んだのだろうか。
「あぁ、あの演出がどうのこうのってアレな。
その後を拾ってくれないかっていう話をされたんだ」
「やっぱりか。うまく纏めてくれたな」
「俺もどうすっかとは思ってたけど、まさか水橋から頼まれるなんてな。
あいつの印象、今日だけでかなり変わったわ」
ニカっと笑う陽司。安定のイケメンスマイル。
水橋に対して、いい印象を持ってくれたようだ。
「じゃ、帰ろうぜ。あと、柏木先生の件は他の先生方にも話してみる」
「それじゃ俺は、古川先輩のクラスからちょっと聞いてみるわ」
「任せた。それじゃ、また後で」
「おう。じゃあな」
この問題は、そのままにしておくつもりはない。
テスト期間の前に、はっきりさせておかないとな。
「勝手なことしちゃって、ごめん」
夜、水橋に電話をかけ、今日のことを話してからの第一声。
……いやいや、何を言ってるんだよ。
「水橋。俺はお前を縛る為にいるんじゃない。
お前がやりたいと思ったことは、どんどんやれ。
上手く行けばそれでいいし、失敗した時はどうにかするからさ」
「うん……その、あの時にボクが慰めてもダメかなって思ったんだ。
ボクが宮崎さんの立場だったら、もっと自分を責めることになると思って。
だから、茅原君にお願いして、あんな感じにしたんだけど……」
「大正解だ。事前に陽司に頼んでおいたっていうのもいいな。
あいつはコミュ力高いから、どうあれうまくやってくれる」
容姿もそうだけど、今となっては透より主人公然としてるし。
爪の垢を煎じて透に飲ませてやりたい。
「上手く行って、本当によかった」
「……なぁ、水橋。聞きたいことがあるんだ」
「何?」
体育祭であった、不可解なこと。
それを、はっきりさせておきたい。
「二人三脚の時さ、何で、全力で走ることだけ考えろって言ったんだ?」
「夏休みの時、八乙女さんと朝練したでしょ?
その時と同じくらいか、少し早いくらいで走ればいいって思ったから」
「それだけ?」
「うん。強いて言うなら、何となく、合わせられる気がしたんだ。
根拠なんて無いけど、ボクを信じてくれたら上手く行く気がして」
「……そうか」
答えとしては、不十分。だけど、これ以上を求める必要はない。
俺は水橋を信じ、水橋は俺に応えてくれたんだ。他に何を求めるってんだ。
「ありがとな、俺の走りに合わせてくれて」
「こちらこそ。ボクを信じてくれて、本当に嬉しかった」
こんなに信頼されてるなんてな。
どうやら俺は、この関係を軽く思いすぎていたようだ。
水橋。俺はお前を束縛したりなんてしない。
自分のやりたいことを、やりたいだけやればいい。
それで失敗したとしても、いくらでもフォローするからさ。