66.え、心拍数? 祭囃子のちょっと上くらい。
夏祭り当日。持ち物は確認したし、虫除けスプレーもふりかけた。
可能な限りのオシャレ着を出して、身嗜みも整えた。
甚平は小さい頃に着た丈の短いものしかなかったから、普通の夏服だけど。
(水橋、浴衣で来るのかな)
見たいか見たくないかで言えば、めっちゃ見たい。
基本的に何を着ても似合うだろうけど、浴衣姿の水橋とか、
どんだけレアなんだって話。
あの時、海さんの問いに正直に答えてよかった。
それなりの心証がなければ、俺にボディーガードを頼むことはなかっただろうし、
もしかしたら水橋の浴衣姿が見られるかもしれない、という期待もできなかった。
加えて送迎までして頂けるというんだから、至れり尽くせり。
やらしい話、水橋の脇役としてはかなりの役得。
家の前で待つこと数分。以前、雨の日に乗せてもらったワゴン車が来た。
「こんばんは」
「おいっす、久しぶり! ほら乗れ乗れ!」
「では、失礼して……あれ、海さんだけですか?」
「安心しろ。これから戻って雫も乗せる。
……喜べ、雫は浴衣だ」
キター! テンション上がるわー!
海さん、本当にありがとうございます!
「君にはギリギリまでドキドキ感を味わって頂くということで、
特別に、玄関からの登場シーンからお見せしてしんぜよう」
「……海さん、ありがとうございます」
「礼なら雫に言え。浴衣着たいって言ったのは雫だ。
俺の懐の都合でレンタルだが、はっきり言おう。……ヤベェぞ」
「だと思います」
『水橋』がある時点で、どんな掛け算してもプラスにしかならないというのに、
『水橋×浴衣×夏祭り』とか、どうあがいても最高に決まってる。
「だからこそ、怜二というボディーガードが必要な訳よ。
もしかしてさ、何か武道とか習ってる?」
「いえ、軽く護身術覚えてるだけです。
だから、ボディーガードというには力不足ですけど、できるだけ頑張ります」
「謙遜すんなって。2対1で勝ったんだろ? いけるって」
弱い相手二人ならともかく、強い相手に通用する自信は全くない。
でも、信頼して頂けた以上、何としてでもやり通すしかあるまい。
ベストは問題が発生しないことだけども。
「じゃ、しばし待たれよ」
水橋の家の前に着き、芝居がかった声を出しながら、海さんが家の中へと戻る。
あと少し待てば、浴衣姿の水橋が来る。……ドキドキが止まらん。
頼むぞ俺の心臓、もう少し頑張ってくれ。水橋の浴衣姿を見ずに死ぬわけにはいかない。
いや、普通に大丈夫だとは思うけど、それくらいには鼓動が高鳴ってる。
……玄関開いた!
(………………はっ)
目を奪われた。
可愛いとか、美しいとか、そんな月並みな言葉じゃ表せない。
自分の語彙の無さが恨めしく感じる程に、水橋の浴衣姿は綺麗だった。
紺を基調とした、紫陽花の模様をあしらった浴衣。
僅かに赤みがかった黄色の帯を締め、頭には銀色のかんざし。
小さな手提げ鞄を持ち、カラン、コロンと下駄を鳴らして現れた。
学校での美しさと、素の時の可愛らしさ。
大人っぽくありながらも、どこか幼さも感じさせる雰囲気。
それら全てが、完璧に調和している。
「お待たせ。……藤田君? おーい?」
「……あっ、いや、その、えっと」
「落ち着いて。どうしたの?」
見惚れた。水橋の呼びかけの反応に遅れるくらいには。
これは……反則だ。こんなの、俺が隣にいていいものじゃねぇ。
俺だけじゃない。僅かにでも穢れたものを持つ存在が近づいてはならない。
そんな仰々しいことを考えてしまう程に、水橋の浴衣姿は神がかってる。
「浴衣、自分で選んだのか?」
「うん。色々悩んだんだけど、これが一番着たいって思った。……どうかな?」
「似合ってるよ。色と柄が、水橋の雰囲気と合ってる。
それに、そのかんざしも綺麗だな。履物が下駄っていうのも粋だ」
「褒め過ぎだよ。……でも、ありがとう♪」
にっこりと微笑む。
……大丈夫だよな。俺、浄化されて消えたりしないよな。
「それじゃ行こっか。まずわたあめは絶対でしょ、かき氷も外せないし、
チョコバナナにりんご飴も。あ、この時期なら冷やしパインも……」
よかった、水橋そのものは変わってない。
甘い物大好きな食いしん坊という部分は同じだ。
ありがとう。おかげで俺は落ち着きを取り戻すことができた。
あっという間に夏祭りの会場に着き、車から下りれば祭囃子が鳴り響く。
ステージを中心にズラリと並んだ出店と、これぞ夏祭りといった感じ。
「お兄ちゃん、体調は大丈夫だよね?」
「勿論!」
「じゃ、順番に回るか。ところで、海さんって結構焼けてますね。
お仕事、外勤なんですか?」
「いや。思いっきり内勤の事務仕事」
「これ、蛍光灯で焼けたんだよね……」
「マジで!?」
初めて聞いたわ!
虚弱体質とは聞いたけど、肌もめちゃくちゃ弱いな!?
「生まれつき色々と抱えてるもんで。筋繊維とか、骨密度とか、色々少ないんだよ。
でも何かの病気って訳ではないんだよな。小さい頃、その辺調べたらしいけど、
医者曰く「君は貧乏くじを山のように引いたね」とのことで」
「気を抜くとすぐ寝込むから、心配で心配で」
「そういうことだから、もし俺から連絡無かったら、適当にタクシー拾って帰ってくれ。
祭が終わる頃には、親父は飲んでるだろうしな。じゃ、楽しんでこい!」
そう言って、車に戻る海さん。
……え、ちょっと待った。
「海さん、お祭り来ないんですか?」
「人混み苦手なんだよ、酔うから。ということで、楽しむのはお若い二人に任せる。
俺の体調が大丈夫なら、迎えに来るから安心しろ」
えーっと……今ここにいるのは、俺と水橋、そして海さんの3人だから、
そこから海さんが抜けると……
「それじゃ、宜しくね」
(……聞いてないぞ!?)
俺は、女神様と二人きりで夏祭りを回ることになった。