44.弁えようか。
日本有数の海水浴場だけあって、その賑わいは凄まじい。
家族連れもいるが、高校生、大学生と思しき集団が最多。
軽く見渡すだけで、ナンパや逆ナンに興じてる方々も見つかる。
「これが、わしの海の家じゃ」
「おぉー」
バラック的なものを想像していたが、全く違った。
海辺の小洒落たカフェ……そういう言葉が似合う、白と青が映える海の家。
こんなの、俺らの年代には最高にウケいいだろ。
「従業員入り口はあっちじゃ。中に入ったら、もう少し説明する。
ついてきてくれ」
サルの言葉も、強ち嘘じゃなかったな。
これだけ洒落たところで働くのは、十分リゾートバイトと呼べるよ。
「ということで、基本はキッチン3人、ホールは2人で回ってもらいたい。
ポジションの希望はあるか?」
「俺、出来ればホールやりたいです」
ここで不安なのは、水橋がホールをやりたいと言った場合。
今回のバイトの理由を考えると、可能性は大いにある。
業務上の接客とはいえ、初対面の相手との応対は初体験。
その場合、なるべく俺の目が届く位置をとっておきたい。
「それじゃ、私はキッチンかな」
「鞠がキッチン行くなら俺も! よろしくな!」
「うん!」
「俺もキッチン。例年通りならそっちがラクだろ」
「……ホール」
余りを埋める形で、水橋はホールに。
うーん、自分からではなく、言い出すのが遅れた結果って感じだな。
なるべくは頑張ってもらうけど、ヤバそうだったら適当に入れ替わらせてもらうか。
透と同じポジションになると、それはそれで問題になる気はするが。
「うむ、それじゃ決まったな。それじゃ……そうそう。
ホールの2人じゃが、聞いておきたいことがある」
「何ですか?」
「制服が男女それぞれ二種類あってな、普通の制服と特殊な制服。
で、特殊な制服を着ると日給が倍になるんじゃ」
そう言って出したのは、ブーメランパンツとマイクロビキニ。
……制『服』ですらねぇ!
「男の肉体美と女子のエロスはやはり人気での。
特に水橋君だったかな。君だったら3倍、いや5倍出しても……」
「爺ちゃん。働くのがキツいなら引退してもいいんだぞ。この世ごと」
「はっはっは。ジジイジョークじゃよ」
サルがツッコミ側に回るという、中々にレアな光景が見れた。
というか普通にセクハラだっての。……正直、俺も一介の男子高校生だし、
水橋のそんな姿とか超見たいけど。
「…………………」
耳まで真っ赤。元が色白だから、変化が分かりやすい。
こういったノリ、水橋じゃなくてもついていける方が少ないだろうに……
「ま、冗談はこの辺にして着替えてもらうか。
更衣室はあっちじゃ。貴重品は各自、ロッカーに入れるようにな」
勤務開始前から先行き不安なのだが。
頼むから、杞憂に終わってくれよ……?
ホールスタッフの直属の上司となる方は、40代くらいのおばさん。
物腰柔らかで、自然な笑顔が印象的。
「あなた達が今日から入るバイトさんね。チーフの矢沢よ。
短い間だけど、よろしくね」
「藤田です。宜しくお願いします」
「……水橋、です。宜しく、お願いします」
つかえながらではあるが、水橋も返答ができた。
入り口は問題なし。流石に、この辺はもう注視しなくてもいいか。
「お仕事の内容はシゲさんから聞いたと思うけど、注文とって運ぶだけ。
機械とかないから、帳面でお願いしてるけど、書き方は自由だから。
どこの席で何が入ったかが分かればOKよ。おばちゃんはこんな感じに書いてる」
『⑥ 氷イチ+ミ2 ヤソ2』
6番席にカキ氷のイチゴ……ミルク? それとヤキソバ?
ギリギリ分かるところまで文字数削ってる。
「スピードは大切だけど、正確にとるのはもっと大事だから、落ち着いてね。
たまにやたら急かすお客さんもいるけど、そんなお客さん、こっちから願い下げよ。
そんな人いたら多少失礼に振舞ってもいいわ。おばちゃんが許す♪」
あ、めっちゃいい人だ。
バイトに多くを求めてないし、事前にプレッシャー抜いてくれた。
非常にありがたいッス。
「じゃ、早速始めましょうか。困ったら呼んで頂戴。
おばちゃん、すぐに飛んでくるから!」
「ありがとうございます。では、入ります」
「……宜しく、お願いします」
軽いノリについていくのはできなくても、とりあえず会話はできた。
この分なら大丈夫だとは思うが、初めての場所だから何が起こるか分からない。
いつでもフォロー入れられるように、余裕をもっておこう。
「とりあえず生人数分!」
「生ビール4つですね。ジョッキ大中小ございますが」
「全部中で。あとイカ焼きも4つね」
「イカ4つ、かしこまりました。以上で宜しいですか?」
「以上!」
「ありがとうございます。イカ4丁、生中4杯!」
伊達に長期バイトでサブトレーナーやってねぇよ。
コンビニだから業種は違うが、スピードと正確性には自信がある。
「あなたやるわね! おばちゃん、教えること無いじゃない!」
「あざっす。一応、別のバイト長くやってるんで」
「なるほどね。じゃ、その調子で……」
矢沢さんの視線が、俺の後ろに。
振り返ってみると、そこにいたのは水橋と、一人の男性客。
「ねぇ、君の水着姿っていくら?」
「えっ……?」
「つーかさ、ここ抜けて俺と遊ばね? な?」
「えっと、今、働いてて……」
「バックれよーぜー? いいじゃんよー?」
「あの、その……」
早速絡まれてた。
サラっと流していいんだが、水橋には難しいか。
これは介入するべきか? それとも矢沢さんを呼ぶか。
……って、その矢沢さんがこっちに来た。
「藤田君。『アレ』の処理、任せていい?」
「大丈夫です」
「OK。手、出しちゃっていいから。容赦しないように」
(一応の)お客様をアレ呼ばわり。加えて実力行使を容認とは。
だが、そういうことなら活用させてもらおう。
「水橋、他んとこ頼む。……お客様、ご注文は?」
この手の輩に対して、口頭での注意は無意味。
何も無かったかのようにして、事務的対応に徹する。
痛い目見たくなかったら、ここで引き下がってくれよ?
「あ? 俺姉ちゃんに用あるんだけど?」
まぁ、そうなるわな。
気にせず、俺はロボットみたいに対応させて頂く。
「ご注文は?」
「空気読めよ」
「ご注文は?」
「うるせ」
「ご 注 文 は ?」
「うるせぇっつってんだ……ろ……痛たたたた!」
殴りかかってきた拳を掴み、可能な限り怖い顔を作って、握り締める。
それなりに鍛えてるし、単調なパンチを止めるぐらい楽勝。
「……ご注文は?」
「……焼きそばとコーラで」
「かしこまりました。焼きそば1丁、コーラ1杯!
……今度は握り潰すからな」
「すんませんっした!」
ちょっとやりすぎた感もしないでもないが、後悔はしていない。
水橋のコミュ力大幅レベルアップのチャンス、邪魔すんじゃねぇよ。
「水橋。ああいうヤツは無視して注文だけ聞け。
それでも聞き分けなかったら、ほったらかしていい。ヤバかったら誰か呼べ」
「あ、ありがとう……」
やっぱり水橋には難易度高いな、接客バイトというものは。
けど、これは運が悪かったわ。初日からいきなり面倒な客に出くわすとは。
「藤田君」
「はい。……すいません、やり過ぎました」
「逆。もっとビシッとシメてよかったのに」
「マジっすか」
「水橋ちゃん。こういうこともあるけど、気にしないでね。
辛かったらバックで休んでいいから」
「えっと……ありがとう、ございます……」
その分……と言うのもおかしい話だが、上司は最高にいい人。
こっちの方の人間関係は、心配する必要ないな。