26.決壊
紙コップと、ペットボトルに入った烏龍茶を持って、ドアを開ける。
そこにあった光景は。
「ヤバイヤバイマジヤバイ……」
カーペットに散乱した、ポテトチップスの残骸。
それを拾おうとしてるが、うまく拾えずポテチを潰しているだけのサル。
「……サル」
「あ……その、すまん」
「お前なぁ……まぁいい。そこどけろ」
パーティー開けしようとして失敗し、飛び散ったってとこか。
無茶しやがって。
「今度からは、無理しないでハサミ使えよ」
「悪ぃ。いやマジでごめん」
粘着ローラーかけて、細かくなった欠片を剥がそう。
そう思いながらペットボトルと紙コップを置いたテーブルの中央には、シフォンケーキが。
「あえてクリーム塗らないで、シンプルにしてみたんだ。休憩に丁度いいかなって」
「うわ美味そー! 鞠、お前本当こういうの上手いよな!」
「えへへ♪」
流石は料理研究会所属。カカオの香りが鼻腔をくすぐる。
透の喜びっぷりも納得だ。水橋もほんの少しだが、嬉しそうな顔をしている。
「悪いな。紅茶とかの方いいだろうけど、コレしかなかった」
「ううん、そんなことないよ。わざわざありがとう」
「んじゃ怜二、お酌宜しく」
「はいはい」
それぐらい自分でやってくれないかね。
まぁ、別に大したことではないけども。
キャップを開け、透の持つ紙コップに烏龍茶を注ぐ。
7分目くらいで、注ぐのをやめた瞬間。
「透君、ちょっと」
「ん、どした?」
門倉に呼ばれ、振り向く透。
回るのが首だけなら、よかったんだが。
透は紙コップを持っていた腕まで回し、
あろうことか、中の液体をテーブルにぶちまけた。
「ちょっ、バカ!」
慌ててティッシュを出し、テーブルを拭く。
ノートは下ろしてあるから大丈夫として、他は……
「あっ……」
そこにあったのは、ふっくら美味しそう『だった』シフォンケーキ。
今あるのは、烏龍茶香る濡れたシフォンケーキ。
……これは、やってしまったな。
穂積の表情を見てみる。小さく口を開けて、呆然。
折角の自分の作品を、口をつける前から台無しにされたんだ。
いくらいつも明るい穂積だって、そうなるのは当たり前だ。
「えっと……気に、しないでいいよ! うん、食べられないことはないし、
濡れてない所も、結構あるし……」
そう言いながら、ケーキを切り分けようとする穂積。
空元気であることは、誰の目にも明らか。
「ごめん! 折角焼いてくれたのに……本当にすまねぇ!」
「怜二君は悪くないよ。飲み物注ぎ終わってから、出せばよかったよね」
俺が謝る必要はない。けど、それしか言葉が出てこねぇ。
この場で沈黙を守り続けるのは、流石に辛い。
それに、こうすれば自然と透も……
「何やってんだよー?」
……ん?
「怜二、もっと注意して注げよ。そうすりゃよかったのに」
それは……アレか?
原因は俺だと?
「鞠、ごめんな。俺は濡れたとこでいいから」
「大丈夫。そこは私が食べるから」
これ、誰がやらかしたかって言ったら、100%お前だろ?
俺は注ぐのを既にやめてたし、透を呼んだ門倉も悪くねぇ。
単純に、透の手元の不注意。
空気的に謝った俺に続いて、透も謝ると思ってたが、
やることは俺への責任転嫁、か……?
「全く。これだからガサツな人は困るのよ」
「怜二くーん? ポテチより大変なものこぼしてくれたねー?」
門倉にサルまで加勢してきやがった。
お前らまで、俺のせいにするつもりか!?
(おい……どうなってやがんだよ……)
誰がどう見たって、謝るべきは透だろ!?
俺は悪くねぇだろ! 確かに注いだのは俺だが、こぼしたのは透。
注いだ量も常識的な範囲だし、紙コップにぶつけてもいねぇ!
「お菓子なんて必要なかったけど、こんなことしていい訳ないでしょ?」
「人のこと注意するより、自分の反省した方いいんじゃないかー?」
「お前、鞠の心遣い踏みにじったんだぞ? もっとちゃんと謝れよ」
……そうか。
これも、主人公補正、そして脇役補正か。
主人公がいくらやらかしても、それが責められることはない。
結果的にいい方向に転ぶことは多いし、誰にも気づかれないことだってある。
で、そういうのに該当しない、明らかなやらかしが目撃された場合、
どういう訳か、脇役ポジにいる奴が叩かれる。
俺も分かってるからな。スケープゴートに最適だってことは。
門倉が透の肩を持つのはいつものことだし、サルは透に従った方がいいと見たらしい。
そして透自身は、主人公補正にモノを言わせて、俺を叩くことで矛先をそらす。
(脇役補正って、思ってたよりキツいな)
そういっても、結局はいつものことがちょっと重くなっただけ。
足掻くことなんて放棄しているし、本来、俺のポジションはここだ。なら、仕方ない。
三人の声も大きくなってきたし、今はこの場を収めよう。
「穂積、本当に……」
「もうやめて!」
時が、空気が、呼吸が止まった。
あまりにも、ありえるはずのないことが起こった。
最悪の雰囲気の俺の部屋という、掃き溜めにいた鶴の一声。
一瞬にして、辺りは静寂に包まれた。
その声の元は、俺の左隣。
学校の女神様、水橋雫。
その澄んだ声で叫び、俺への罵声を鎮めた。