226.喜怒愛楽
しばらく抱き合ってから、一息つこうという流れになった。
俺が持ってきたペットボトルのジュースを二人分注ぎ、
テーブルを挟んで、敢えて若干の距離をとって座る。
(……さて、何から話そうか)
俺の想いは、実を結んだ。
ただ……雫の意外な面を、ここに来て更に見ることになるとは。
俺の言い回しの所為で雫からキスされたことはともかく……いや、
こんなもん『ともかく』で置いていいことではないけども、
それの更に上を行った……首筋への甘噛みなんて、予想外も予想外。
どこかで聞いたことがある。唇へのキスの意味は『愛情』で、
首へのキスの意味は……『執着』。
「……あのね?」
俺が思案していた間に、雫は言いたいことがまとまったらしい。
それじゃ、じっくり聞かせてもらおうか。
「その……ごめん。ボク、なんかわけ分かんなくなっちゃって……」
「いや、それはいいんだ。むしろめちゃくちゃ嬉しいし」
「うぅ……」
あの時は雫にヴァンパイアでも乗り移ったのかと思ったが、多分違う。
一番近いのは多分……エサを与えられた犬か、またたびに酔った猫。
普段のクールで理知的なイメージはおろか、素の明るささえも超え、
本能のままに俺を求める姿は、今までの雫じゃ考えられなかった。
「……告白はね、修学旅行から帰ったらしようって決めてたんだ。
本当は修学旅行中にしようって思ってたんだけど、色々あったし」
俺の推測は間違ってなかったってことか。
初日か3日目か、或いはその両方か。
「優しくて、強くて、危なっかしいボクを守ってくれて、
めちゃくちゃなわがままを言ったりもしたのに……好きでいてくれる。
こんなの……こんなの……! 好きになるしかないじゃん!」
心からの叫びと同時に、雫の瞳から大粒の涙が溢れ出した。
だが、その顔を俺はまともに見ることができない。何故なら。
「俺だって好きになるしかねぇよ!
こんなゴミみてぇな脇役人生送ってた俺を救ってくれて、
何もかも諦めてた俺にたくさんの幸せをくれて、
身の程知らずな男の恋に本気で向き合ってくれた!
俺がこんなに欲張りになったのは全部雫のせいだよ!」
俺も同じかそれ以上に涙が溢れ、視界が歪みっぱなしだからだ。
涙と共に今までせき止めてた感情が溢れて止まらない。
俺は本気で雫のことが大好きだし……愛してる。
そして今となっては、雫も俺に対して同じ感情を持っている。
……これ以上の幸せなんてどこにもねぇし、いらねぇよ。
お互い揃って一頻り泣いた後、座る位置を移動した。
俺の右には雫、雫の左には俺。
ぴったりと体を寄せ合い、これまでのことを話す。
「考えてみれば、最初の電話はガチャ切りだったよね」
「仕方ねぇだろ。あの時は誰かも分からなかったし、
接点なんて欠片もないぐらいに遠い存在だったんだし」
「そうだけどさ、ビックリしたよ」
「それ以上のビックリがあったということを分かってくれ」
「ボク自身、皆からは距離を置こうって思ってはいたけど、
ボクってそんなに近寄りがたかった?」
「少なくとも、脇役だった俺には眩し過ぎた」
あの頃の雫は、高嶺の花の女神様でしかない。
それは俺に限らず、ほぼ学校中の全員の共通認識。
文化祭とかその打ち上げでわりと本質も見えたが、
未だに同じ認識を持ってる奴も多いだろう。
「ボクも変わったけど、怜二君も変わってくれたよね」
「おかげ様で」
「多分さ、怜二君が春の頃のままだったら好きになってない。
優しいだけじゃなくて自分に自信を持ってるから、
今の怜二君ってカッコいいもん。誰にも取られたくない」
「そんな奴いないから安心しろ」
「……白崎さん」
「俺が好きなのは、最初から最後まで雫だけだ」
「あう……殺し文句……」
「そして、これからも雫だけ」
「追撃……!」
片思いじゃなくなったからな。
雫が俺を嫌いにならない限り、俺は雫の側に居続ける。
それが彼氏の務めであり、俺がしたかったこと。
「……好きだなぁ。本当に大好き」
「正直それが一番参るわ。何なら何も言わなくても参る」
「お、ボクにも勝機到来?」
「元から雫には敵わねぇよ。ベタ惚れだし」
「うー! だから軽率に殺すなー!」
「どうどう」
ポカポカと殴りかかってきたけど、ほぼ肩叩き。
ダメージ受けるどころか回復してる。
これ、傍から見たら完全にバカップルだな。
「もう、こんなとこまで変わらなくてもいいのに……」
「案外、本当の俺がこれだったのかもな。
薄汚れてる自覚はあったし、それが表面化しただけで」
「それじゃ、その汚れはボクが落とさないとね」
「どうやって?」
「こうやって」
言いながら俺の前に回りこみ、首元に顔を埋める。
そして、そのままマーキングでもするかのようにぐりぐり。
「ん~……あぁ~……ふわぁ~……♪」
「俺の体臭は脱法ハーブか」
「ボクにとってはわりと。んん~……♪」
落ち着きは取り戻したけど、箍は外れっぱなしか。
まぁ、悪い気はしない。というかめっちゃ良い。ということで、
暫くはこの地球上で最も可愛い生物を愛でることにしよう。
「んぅ~……♪」
「そろそろいいか?」
全力でくんかくんかしてる雫程ではないが、俺も中てられてる。
嗅いではいないが、至近距離から来る雫のフェロモンは強烈。
一回リセットしないと、理性が飛びかねん。
「……んあ。これで綺麗になったでしょ」
「どういうこっちゃ」
「ボクもこれぐらいには汚いから、怜二君は綺麗だよ」
えっと……つまり、俺の汚れ(た心)をどうにかするのではなくて、
自分が同じぐらい汚れることで気にならなくさせるという狙い?
……いや、多分違うな。
「で、本当は?」
「怜二君を困らせるついでにマーキングを」
「お前なぁ……」
本当に雫は、どこまでも危なっかしい。
けど、こういう茶目っ気たっぷりな少女が本来の雫。
その彼氏になった以上、しっかり受け止める他ないか。
……それに。
「えへへ、怜二君困らせるの楽しい♪」
(いい顔しやがって……)
小悪魔な雫に遊ばれるというのも、悪くない。
これも惚れた弱みってヤツか。いずれにしても、敵わねぇわ。