211.ヒロイン逆補正
電車を乗り間違えるというミス。
大雨で電車が止まるという不幸。
どこかに泊まるしかないという逼迫した状況。
そして、一人の少女のまさかの選択。
それら全てが重なった結果が、今。
「聞かれないもんだね。お父さんとお母さんに許可とかいるかと思ったけど」
「こんなんバレたらどうなるか……」
「お母さんなら秒で許可出しそうだけど」
「頼むから黙ってな。言うとしてもシングル二つに泊まった体で」
「うん」
ダブルよりはマシだが、本当に相対的にはマシというだけ。
ビジホらしくあまり広い部屋ではないし、距離は近い。
「先生に何て言おっか」
「サルの言ってることが本当なら、今は酒盛りやってるらしい。
記憶飛ぶまで飲むことを期待しつつ、朝一で帰って部屋に戻ればどうにかなるだろ。
うちの学校の教師は、責任逃れの為に揉み消し上等の輩だし」
「感謝はしないけど、都合はいいよね。……腑に落ちないけど」
「仮に聞かれても、シングル二つ取ったってことでいいだろ。
戻る手段が無い状態で、緊急避難の策はそれしかない」
「そうだよね。……こうなったのも、ボクが勝手にしたことだし」
それは一部事実だが、申し訳なさがあるのは俺。
自分に対して恋愛的な意味での好意を抱いている男と、一夜を共にする。
……不安にならない訳がない。恐らく、俺が想像するよりずっと不安だろう。
「怜二君、ごめんね」
「何が?」
「この部屋に、無理矢理泊まらせたこと」
「いや、それは謝るようなことじゃないだろ。むしろ、いいのか?
アレだったら今からでも別の宿探しに行くけど」
「ううん、その必要はないよ」
「そうか……それなら、その言葉に甘えさせてもらうが……」
「それがいいよ。それと……実はね。
もっと、謝らないといけないことがあって……」
しばし、間が空いた。
無理に聞いたりするものでもないし、促すこともせずに待っていると。
「……怒らない?」
継がれた言葉は妙な問いかけ。
ここから何らかの理由で俺が怒る展開なんて想像できない。
この場合は……正直に答えるか。
「内容によるけど、できるだけそうするようには努める」
「ありがとう。……あのね、今のことなんだけどさ。
ボク……こんな状況さえも、楽しんじゃってる」
(……マジか)
この状況でそんなこと言うのか……!
結構な殺し文句だぞそれ……!
「どういうこっちゃ」
「こういうハプニングとか、ちょっとした非日常って楽しくて。
なんか、むしろよかったな、とか思っちゃってる。
怜二君にとっては、迷惑な話だとは思うけどさ」
「迷惑ではないけど……」
「不安? 何それ美味しいの?」って感じ。
杞憂どころか、とんだ取り越し苦労だったな。
どうやら俺は未だに『水橋雫』という少女の異質さを理解していなかったらしい。
……そして。
「なんか、ありがとな。気が楽になった」
「ううん。ボクがのんきなだけだから」
「それは間違い無いし、前から知ってた」
「そこまで言う!?」
「仕方ねぇだろ。そういうとこ含めて好きになったんだし」
「……あう」
こういう読めなさと、そこから来る危なっかしさ。
そんな短所にもなりうる性格を持つ雫が、どうしようもなく愛しい。
なんとなくから始まった適当な恋活が、今じゃ明確な目的を持っている。
「それじゃ、軽くシャワーでも浴びて寝るか。どっちから……」
「あ、あのねっ!」
シャワーの順番をどうするか聞こうとしたら、雫が突如声を上げた。
「何だ?」
「その……怜二君に、伝えたいことがあるんだ。
一昨日、ラウンジで言おうとしてたことなんだけど……」
そういえば、何か言いかけてたな。
点呼の時間が近いことを知って戻ったけど、まだ内容を聞いていない。
一体何の……ん、待てよ。一個だけ浮かんだ。
(……俺の告白に対する、答え?)
あの時は先生が来たとはいえ、ラウンジには俺と雫しかいなかった。
もしも俺の告白に対する結論が出てて、それを伝えるとするなら、
その場所は誰の目にも触れない所を選ぶはず。
そう考えると、ここは絶好の場だ。
何をどう考えても、ここにはクラスメイトや先生はおろか、家族すらいない。
(遂に、この時が来た……のか?)
勿論、何かの頼み事とかの可能性はあるし、俺の推測に過ぎない。
でも、修学旅行という一大イベントに加え、このイレギュラーの中。
そういう状況が、雫の背中を押す事象であるとすれば……
「聞かせてくれ」
覚悟は、ずっと前に決まってる。
……それじゃ、後は続きを待つか。
「……ボク」
どんな答えでもいい。……なんて、聖人みたいなことは思えなくなった。
雫の幸せが最優先という気持ちは変わって無い。
その上で、その『幸せ』の事象の中に、俺が含まれるように手を尽くした。
……雫、教えてくれ。答えは何だ?
「……っ!?」
(ん?)
あれ、急にどうした? 表情思いっきり変わったけど。
緊張してる……とも違うな。何か引きつってる?
「ちょ、ちょっと待って……」
「え? あぁ、うん?」
そのまま、ベッドに横になった雫。
急にどうした? とりあえず、言おうとしてたことが何かは後回しだ。
「具合悪いのか?」
「えっと……それは合ってるんだけど……」
言いながら、下腹部を押さえてる。
腹痛? いや、特に悪いものを食べた覚えは無いし、
腹を壊すほど大量に食った訳でもない。
それじゃ、特にこれといった原因のない腹痛?
(ただ、それにしては何か違和感あるんだよな)
具合がどうかを聞いて、「大丈夫」でも「具合悪い」でもなく、
「それは合ってるんだけど」というのは何か不自然。
具合が悪いのは間違ってないけど、何かズレているか、
もしくは何らかの理由で言い出せないか……あ。
(……浮かんだ。……浮かんで、しまった)
恐らくは下っ腹が痛くて、具合が悪いんだけど、
それをはっきりと言えず、やや言葉を濁した辺りから考えると。
その理由が『それ』だとするのなら……聞く訳にはいかない。
だけど、このままにしてはおけない。となれば。
「えーっと……あった。雫、これいるか?」
「……あ」
修学旅行前の準備中、鞄の小さなポケットに忍ばせておいた。
色々な場所に行くに当たって、出先で体調を崩した時の為の頓服薬。
俺の推測が当たってるなら、これを必要としてるはず。
「ありがとう。助かった……」
「腹減ってる時に飲んでも大丈夫なヤツだから。
後、今からコンビニに夜食買いに行くんだけど……」
さて、どう言おうか。まさか直接言う訳にもいかない。
それどころか、普通に予想を外していることだってあり得る。
だけど、この状態で痛み止めを必要としたとなったら、合ってるはず。
その辺を考慮すると……
「……日用品も、見ておくべきか?」
「…………………………」
限界まで、オブラートに包んだ。
これならどっちに転んでも問題ないはず。
当たってるならお願いされるし、外れてるなら気づかれない。
できることなら聞くことも避けたいが、外れてる場合もある。
その場合なおのこと雫を辱めることになるし、俺は変態になる。
だから、きっとこれが最善の選択。
「……夜用の、お願い」
「分かった。行ってくる」
当たったということか。
じゃ、急いで行こう。
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女の子のお月さま。
よりにもよって、男の子と二人きりの時に始まるなんて。
(何でこんな時に……)
怜二君がコンビニに行って一人になった部屋の中で、布団を被って丸まる。
お薬は飲んだし、怜二君が戻るまでを凌げるだけのトイレットペーパーもあった。
いつもの周期なら予定日は三日後。修学旅行中は大丈夫なはずだった。
誤差の範囲だから、別に病気とかではないと思うけど……あと。
(……優しかったな)
怜二君は優しい人というのは知ってる。
そして……色々と、気遣ってくれる人でもある。
このお薬だって多分、自分の為だと思ってない。
旅行の最中に体調を崩した人がいた時の為のもの、だと思う。
(怜二君……)
決めた。
怜二君は勇気を出したんだ。それなら今度は、ボクが勇気を出す番。
とっても優しくて、ボクのことを好きでいてくれる。
わがままは許してくれるし、危なっかしいボクを守ってくれる。
……こんな男の子、怜二君以外に誰もいないよ。
(こんなことになったから、伝えそこねたけど……)
もう、自分の気持ちをごまかさない。絶対に逃げたりしない。
ボクは、怜二君のことが……
「一人の男の子として……好きなんだ」