174.憑依なんてできない
……あれ、今何て言われた?
壁が何とか、ドンがどうとか……いや、聞き間違いだよな?
「……ごめん、もう一回言ってくれ」
「ボクに壁ドンして、漫画みたいなこと言って」
(悪化した!)
鈍感でも難聴でもないんで、分かってはいたけども!
こればっかりは聞き間違いであって欲しかった!
「一度、壁ドンされてみたかったんだ。漫画じゃ憧れのシーンだし」
「……その漫画の主人公みたいなことを俺にやれと?」
「さっきは未遂だったし。……怜二君がやったら、どうなるかなって♪」
『幼い頃は、可愛らしいいたずらをよくする娘だった』
ここに来て雫の親父さん、源治さんが言っていたことを思い出す。
本質的な雫は、母親である渚さん譲りの、茶目っ気たっぷりなイタズラっ子。
壁ドンをされたいという点について、嘘はついていないとは思うが、
本線は俺を困らせたいという、イタズラっ子な部分が出たが故だろう。
……表情もどことなく、ニヤって感じだし。
「じゃ、どうぞ」
(どうぞって言われても……)
辺りの暗さが、無駄にそれらしい雰囲気を醸し出してしまっている。
そもそも、アレって不意打ち的にやられるものだろ?
いや、だからこれはイタズラ的なもので、ドキドキさせる為ではない。
当然ドキドキしてるのは俺の方。鼓動が激しくなりすぎて、心臓が破裂しそう。
「なぁ雫、やっぱり……」
「『何でも』って言ったよね?」
軽率だった。けど、予想できるかこんなもん。
ハタから見たら学校の女神様に壁ドンできるなんて、相当に幸運だが、
いざその場に立つと、緊張で何も考えられない。
……けど、言ってしまったことは変えられないし、償いの為の行為がいる。
その望みが壁ドンなら、やり切ろう。
「……分かった。行くぞ」
「うん」
「……ッ!」
力一杯、壁に右手を叩きつける。
後はそれらしいセリフを言えばいい。
(……どういった?)
頭が真っ白になった。
ヤバイ、このままじゃ変な空気になってなおのことやりづらくなる。
えぇっと、定番の言葉とかあるだろ? そこから何か。
(『俺の物になれよ』はダメだ。雫は間違ってもモノじゃない。
『他の奴見んなよ』も違う。これは互いが恋人だった場合のセリフ。
というかオレサマ系セリフ全般ダメだ。要素が皆無すぎる。
俺のキャラじゃないし、そもそも立場的にはむしろ逆。
なら『今日は帰さない』? いや意味が変わってくる!)
……どこまで行っても、俺は脇役なんだな。
このシチュエーションで出てくる言葉の一つも無くて。
「ごめん……もう、無理……!」
「えっ、ちょっと!?」
思ったことをそのまま口にして、泣きながら崩れ落ちるしかできないなんて。
(……雑魚が)
屋内に戻り、視線を宙に浮かせ、数分前の俺を罵倒する。
あの後は雫に慰められながら、俺の涙が止まるまで頭を撫でられるという、
恐らくは壁ドンした男史上最も情けない反応をされてしまった。
(そもそも、雫は俺に対して何を求めてたんだ?)
正解は何だったんだ? あの時の俺は、何を言うべきだったんだ?
俺の困惑する顔を見た後、どういう壁ドンをされたかったんだろうか。
雫が読んでる少女漫画は多岐に渡るし、その殆どを俺は読んだことがない。
主人公の男がどういう性格で、どういう振る舞いを普段していて、
ヒロインに対してどういう気持ちを抱いているか、何も分からない。
(漫画っぽいことやりたかったなら、俺のキャラは度外視でよかったのか?)
キャラじゃないし、雫を軽んじてるようなことになるとしても、
ナルシストなオレサマ系主人公とか、王子様系のセリフが欲しかったのか?
俺はあくまで役者であって、藤田怜二本人の壁ドンは求めていなかったのか?
(いずれにしても、やらかしたな……)
何も分からない中、それだけは確か。
この後は各種スタンツの後、ミス・ミスターコンテストの結果発表。
どのみち俺の出番は無いから、静かに観覧するか……
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「……ごめん、もう一回言ってくれ」
「ボクに壁ドンして、漫画みたいなこと言って」
鈍感でも難聴でもないから、聞こえてるくせに。
怜二君は、人の悩みをしっかり聞いてくれるということを、ボクは知ってる。
ボク、穂積さん、古川先輩、八乙女さん。多分、門倉さんも。
誰かから言われたことを聞き流すということは、絶対にない。
「一度、壁ドンされてみたかったんだ。漫画じゃ憧れのシーンだし」
「……その漫画の主人公みたいなことを俺にやれと?」
「さっきは未遂だったし。……怜二君がやったら、どうなるかなって♪」
ふふっ、困ってる困ってる♪
壁ドンの経験はなさそうだし、そういう漫画を読んだことも無さそう。
ドラマならあるかなと思ったけど、この分だとそれも無いみたい。
……表情緩んでないかな? バレててもいいけど。
「なぁ雫、やっぱり……」
「『何でも』って言ったよね?」
わがままなボクに対して、『何でも』は禁句だよ。
怜二君の優しさにつけこむっていう、神楽坂君みたいな真似しちゃったけど、
ボクはこの辺、遠慮しないから。
「……分かった。行くぞ」
「うん」
さてさて、どういう壁ドンが来るのかなー?
純粋に愛の言葉を囁くのか、ちょっと誤魔化した感じにするか。
可能性が高いのは後者かな? 本気な怜二君も見てみたいけど。
「……ッ!」
(んっ!)
流石は普段から鍛えてるだけあって、すごい音が鳴った。
ボクの目を真っ直ぐに見る眼差しも力強いし、普段と雰囲気が全然違う。
これはもしかして、まさかまさかのオレサマ系が来る?
顎に手を当てられたら確定。さぁ、怜二君の決めゼリフを聞かせて!
「……ごめん」
(え?)
「もう、無理……!」
「えっ、ちょっと!?」
泣いた!? 怜二君!?
えっと、これ……うん、間違いない! やらかした!
「ごめん、ホントごめん。無理。俺こういうの無理だわ。
ホントごめん。何も浮かばない。本当にごめん」
「いやボクこそごめん! わがまま過ぎたよね!?
本当にごめん!」
わわわ、まさか泣き崩れるなんて!
しょげることないよ! しっかりやってくれたし!
(というか……)
むしろこれは、怜二君に一番合ってる壁ドン。
怜二君の持ってる壁ドンのセリフのイメージって、規定演目でやったみたいな、
オレサマ系主人公が言う脅迫めいたセリフなんだろうけど、それだけじゃない。
ボク自身、これをされるまで忘れてたけど、これは……
(『限界型壁ドン』……)
何もかもがいっぱいいっぱいになって、訳も分からず泣き崩れる。
相手のことが好きすぎて、何も言えなくなるタイプ。
優しい草食系の男の子が、気力を振り絞って、という時にこうなることがある。
だから、怜二君のキャラだと一番合ってる……って、そんなことより!
(ボクの馬鹿! 怜二君の気持ちを弄んでどうするの!?)
ボクは怜二君に好かれてる。ボクが思ってたよりも、ずっと、ずっと。
本当にごめん、怜二君。……今は、そのまま地面を見ていて欲しい。
こんなふざけたことして、怜二君に合わせる顔がないし、
今のボクの顔……この暗さでも分かるぐらい、真っ赤になってると思うから……