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173.ボクの前から消えろ

日本には元々の意味が変わったり、意味が増えたりした言葉が多数ある。

『壁ドン』もその一つ。元々は主に集合住宅において、

やたらうるさい隣人に対する威嚇方法の一つだったが、

いつしか、少女漫画によくあるシーンの名称になった。


「いいのか? めちゃくちゃ目立つぞ?」

「そこは憑依させて誤魔化す。

 穂積さんのお願いだし、数十秒ぐらいなら何とかなる」


雫の憑依術は、かなり強力な自己催眠ということは知ってる。

本人曰く、なりきってる時はラクとは聞いているが、

全校生徒が集まってるこの場では、その後の印象に与える影響が大きい。

とはいえ、その辺はサルに任せればどうとでもなる。

問題はどちらかと言えば、俺。シンプルに心臓が持たん。


「……分かった。やれるだけはやる」

「宜しくね。今回は無口な子で行くから、そのつもりで」


だが、俺の問題は俺が解決しなければ。

雫は友達として、穂積の頼みを受け入れたんだ。

俺のヘタレさで失敗する訳にはいかない。覚悟決めろ、俺。




待機場所であるステージ袖。

そこに各クラスの女子も入り、密度が増した中、

視線はなんとなく、俺と雫に向かっている気がする。

そりゃ、この中で一番釣り合い取れていないのは俺と雫だし、

俺じゃなくても雫は学校の女神様だし。


「……そろそろ」

「おう」


雫がゆっくりと目を閉じて、自己暗示をかけ始めた。

直前の壁ドンの音が鳴ったのとほぼ同時。丁度いい所か。


「………………」

(うん、かかってるな)

「ありがとうございました! 

 それでは続きまして、2年1組、藤田怜二君!

 先程は華麗なステップで魅せてくれました! 壁ドンはいかに!?」


憑依が完了したのを確認した所で、実行委員会の声が。

後は落ち着いて、手早く、そして無難に済ませるだけ。

これはあくまで、夏祭りの時と同じ仮初の姿。

そして文化祭の演目であり、実行委員の悪ふざけだ。

妙にヒネる必要もないし、ヒネった言葉も浮かばない。

ただ、壁をドンっとやってそれらしいセリフを吐くだけだ。


(さて)


雫は壁を背にして……視線向けるか。

いざとなるとやっぱり緊張するが、やるしかない。

壁との距離を確認して、適当にセリフを浮かべて、これでよし、と。

それじゃ、早速。


(……ん?)


視界の端に、違和感が。

何かが動いたというか、ポケットに手を……!?


「泥棒!」


一般参加の人混みの中、赤い帽子の男!

前に居た奴のポケットから財布抜き取りやがった!


「おい待て! テメェどこ行くつもりだ!」


ステージから飛び降り、スリを追う。

知らない人を押しのける形になるが、幸い距離はそこまでない。

向こうも人混みを強引に掻き分けると目立つから、素早くは動けない。


「っと! 出せ! 今盗った財布!」

「離せよ! 俺は何もやってねぇって!」

「騒がせてすいません! 誰か実行委員呼んで下さい!」

「何もやってねぇって言ってんだろ!」

「そこのベージュのトレンチコートの方!

 財布入れてたポケット確認して下さい!」

「え……あれ、無い!? 私のお財布が無い!」

「こいつの持ってるヤツですよね? 赤の二つ折りにロゴ入ってる!」

「それ! それは私のお財布!」


この野郎、楽しい文化祭に何しに来てんだボケが!

それもこんなイベントの最中に……


(……あっ)


イベントの、最中。

今行われているイベントは、ミスター規定演目、壁ドン。

その為にステージ上にいたのは、俺ともう一人。

で、そこから俺がステージを下りて、ここにいるということは。


「…………………………………………………」


雫、ただ一人のままステージ上。

とんでもない放置プレイをさせてしまった。




(……やらかした)


その後のことは、朧にしか覚えていない。

スリを実行委員に引き渡して、俺の規定演目を仕切り直すことになって、

そのタイミングで穂積が回復して、相手が変わって。

で、力なく壁ドンした俺が月並みなセリフを吐いて終わり。


(俺、何やってんだよ……)


壁ドンをやりきってから捕まえに行けばよかった。

無駄な正義感と考えなしの行動のせいで、雫に負担かけちまうなんて……


「……水橋、本当にごめん」

「ううん。私は、大丈夫だから……」


大丈夫という表情ではない。

何をしたらいいかも分からないまま、目立つステージ上に一人ぼっち。

恐怖やら困惑やら、プラスの感情は何一つとしてないだろ。


「それに、藤田君のおかげでスリが捕まったし。

 壁ドンより大切なことをしたんだから、気にすることないよ」

「でも、水橋は」

「私のことは気にしないで。大丈夫だから……」


雫を、不安にさせてしまった。

こういう変な目立ち方をするというのは、誰だって辛いし、

その経験が多い雫なら尚更だ。優先順位、完全に間違えてる。


「おいおい、俺からミスター出場権奪っといて、何してんだー?

 ステージに雫一人取り残すとか、お前マジでクズだな!」


案の定、透が煽りに来た。

俺を理由つけて貶せるチャンスだからな。逃すわけがないか。


「雫、大丈夫だ。怜二がバカやりやがってごめんな。

 つーか壁ドンあるんだったら俺がよかったよな?」


ただ、今回限りはありがたい。

この重苦しい空気を変えてくれる誰かが必要だったから。

とはいえ、こいつを長居させるとロクなことにならない。

きちんと引き剥がして……


「俺だったらキッチリ壁ドンして、甘い言葉を……」

「ふざけないで」

「……えっ?」




「藤田君は人として本当に尊くて、優しいことをした。

 窃盗の現場を見ておきながら、雰囲気に流される人なんて大嫌いだし、

 優しいことをした人を貶すなんて、最低のこと。

 私はそんな人に壁ドンされたくないし、気安く話しかけられるのさえ嫌」




一続きに、はっきりと。

透に対して明確かつ、非常に強い拒絶の意思を示した。


(……っと、ボーっとしてられん)


俺からもきちんと言わねぇと。

後手に回ってしまったが、自分のことを棚上げしないように注意しつつ。


「水橋には悪いことしたと思ってる、けど、状況が状況だ。

 あのままじゃ盗難があったこと自体に気付かれなかったかもしれないし、

 イベントを円滑に進めるよりも、そっちの方が大切だと俺は考えた」

「バ、バカ言え! お前のせいで、雫は……」

「勿論、それは本当に申し訳ないって思ってる。

 その上で、俺はスリを捕まえる方が重要だと考えた。

 お前は見なかったことにするつもりか?」

「そんな訳……」

「何もしないで手柄だけ横取りしようとしたこと、何度もあったよね。

 藤田君はもう、それを黙認することはやめたんだよ。

 そうしたら今度は藤田君をやたら貶そうとしてるけど、何がしたいの?

 昔と変わったのが気に入らないっていうなら、私は神楽坂君を軽蔑する」

「夏休み辺りで、お前のことは見限らせてもらった。

 俺はもう、お前のお守で割を食うのはたくさんなんだよ」


雫が他人をここまで徹底的に非難するなんて、珍しいどころの話じゃない。

それだけ、透のことを嫌っているんだろう。


「……あぁ、そうかよ」


言い返す気力も無くなったのか、透は意気消沈して席へと戻っていった。

……さて、俺にはもう一つ謝ることができてしまったな。


「水橋、ごめん。色々言わせちまって……」

「謝ることなんてないよ。私からも言いたかったし」

「だとしても迷惑かけっ放しだ。謝りきれないぐらいに」

「そんなことないんだけどなぁ。……あ、じゃあさ、私のお願い聞いてくれる?」


内容は謎の提案。

だが、謝る以外で雫に対しての償いができるのなら、答えは一択。


「勿論。何でも言ってくれ」

「ありがとう。それじゃ、ちょっと外に出よっか」


ここではできないこと、なのか?

今はミスのパフォーマンス中だし、集計との兼ね合いもあるから、

結果発表はそこそこに先。だから、時間的な余裕はあるが……




「ここならいいかな」


体育館の外、なおかつ校庭とは反対側の、用具入れが置いてある面。

空の色と涼しい空気が、秋の深まりを感じさせる。

仮設トイレなどが置いてある校庭側とは違い、ここには誰もいない。


「で、何すればいいんだ?」

「簡単なことだよ」




「ボクに、壁ドンして」

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