165.6番
本日4度目の着替えで制服に戻ってから、3年5組、古川先輩のクラス。
俺と雫が来た時には、設営の準備は既に終わっていた。
「作者名はあったけど、何の朗読かは書いてなかったよな?」
「お客さんを幅広く集めたかったんじゃないかな?
朗読されるとまた違うけど、読んだことあるって理由で来ない人もいそうだし」
漫画以外の本をあまり読まない俺ですら、その作者の名前は知っている。
教科書に載ってたりもするし、誰もが一度は耳にしたことのある名前。
作品そのものを読んでいなくても、代表作の二つや三つはすぐに浮かぶ。
「あ、藤田君に水橋さん」
主役がいらっしゃいました。
この時間帯の朗読は、古川先輩が行うことになっている。
「どうも。髪型戻したんですね」
「うん、やっぱり恥ずかしくて……」
「朗読会、大丈夫ですか?」
「読む時は上げるから、朗読に支障はないよ。
本見てれば、あんまり目線合わないし……」
その黒曜石みたいに綺麗な瞳を隠すのは、勿体無いと思うんですがね。
目立ちたくないというのであれば話は別だが。
「これからですよね? 楽しみにしてます」
「ありがとう。本当はね、やるつもりなかったんだ。
だけど、皆に何やりたいか聞かれて……言っちゃって。
私以外に興味ないと思うし、却下されて当然だと思ったんだけど、
皆、やりたいって言ってくれて……」
(揺り戻し……だけじゃねぇな)
元々、古川先輩はとても誠実で、優しい人だ。
変な嫉妬がなければ、好かれるのは当然のこと。
この分なら問題はないだろう。
「先輩、ちょっと失礼します」
「……? えっ、ふぇっ!?」
(ちょっ!?)
雫!? 何いきなり先輩の前髪上げてるんだ!?
こうして見るとやっぱり綺麗な目をして……じゃなくて、何を考えてる!?
「……うん、やっぱり上げた方いいですね。
いきなり両目を出すのが怖いなら、こんな感じで片目だけでも出してみません?」
そう言いながら、古川先輩の前髪の左半分を垂らし、右目だけが見えるようにする雫。
なるほど、間をとるというのはアリだな。視界の確保もできるし、
羞恥心の刺激も半分。加えて、どこか儚げな雰囲気が美しさを際立ててる。
「片目、だけ?」
「勿論、先輩が一番いいと思う髪形が最優先ですけど、
私はこうするのがいいと思います。先輩の目、澄んでて綺麗ですから。
「水橋、さん……」
女子相手のコミュニケーションなら、押せるとこまで行ってたか。
古川先輩が相手なら難度は低いが、一緒にいる度に成長を実感させてくれる。
「……やってみる。えっと……こんな感じ?」
「そうですね。後は分けて流す感じで、不自然にならない程度に……」
本人にコミュ力が出てきたなら、俺の介入は不要どころか、むしろ邪魔。
女子同士の会話、楽しんでもらおうか。
(……すげぇ)
正直な所、俺は朗読会というものにあまり良い印象を持っていない。
興味の無い物語なら退屈だし、興味があっても多少紛れるだけ。
雫が提案しなかったら、ここに来ることはなかったが。
「『そこで何をしている!』男は刀を抜き、老婆に詰め寄りました」
ある時は力強く、声を荒げて。
「『これは、仕方の無いことよ』」
ある時は弱弱しく、消え入りそうな声で。
声色を巧みに変え、緩急をつけて読む古川先輩。
まるで、映画を見ているようだった。情景がリアルに浮かび、目の前に映るかのよう。
この物語は昔、教科書に載っていたものを読んだことがあるが、
その時には全く感じなかった緊張と感動を、今、覚えている。
「……彼の行方は、誰にも分かりません」
日本文学特有の『余白』を大切にし、しっかりと間を取ってから、結びの一文。
静かに本を閉じて一礼し、朗読が終わったことを示すと、
教室内にいる俺を含む全員の拍手喝采という形で、惜しみない賛辞が贈られた。
「凄かったね。圧倒された」
「あぁ、そうだな。……あ、先輩お疲れ様でした。素晴らしかったです。
書くのもそうですけど、読むのも上手いんですね」
「ありがとう。……ちょっと、演劇部の人に教えてもらったんだ。
緊張で口の中カラカラになったけど、噛んだり咽たりしなくてよかったよ」
ある種、水橋の憑依術みたいなものを感じる。
登場人物の心情を正確に理解し、それを声だけで伝える。
当然、相当に難しいことだ。
「ところで、二人とも占いに興味ある?
知ってると思うけど、朗読会に来てくれた人は無料なんだ」
「えぇ、存じております」
ポスター見ましたしね。先輩のクラスで行っているのは、朗読会だけではない。
その合間には、占いの館なるものをやっている。
「水橋、占いやるか?」
「うん。色々あるけど、どれにしようかな……おすすめってあります?」
「本格的なのはタロットカードかな。……ここだけの話、手相はおすすめしない。
ちょっと、その……なんか、うん……」
口ごもる時点である程度察したが、すぐそこで行われていた手相占いを見たところ、
やたらベタベタ手に触ってるだけで、まともな解説が聞こえない。
担当は男がやってるし、目的はそういうことだろう。察せたし、この話題は早く切る。
「じゃ、タロット占い受けてみますね。ありがとうございます」
「ううん。私は好きなの選んだだけだから……」
「先輩が好きなものなら、いいものだと思います」
「……ありがとう、水橋さん」
透と決別してから、古川先輩と雫の間には強い絆ができた。
興味のあるものの一致は、やっぱり繋がりを強固にするものだな。
(そう考えると、俺と雫の繋がりも強固なもの……)
「の、はず」と、曖昧になるように続いてしまうが、趣味が同じなのは事実だ。
関係を進める為に人事は尽くしているし、占いでは天命を聞くか。
「それでは、この中からお好きなカードを3枚お選び下さい。
選んだ順に手前、真ん中、奥へと並べて下さいね」
紫色のスカーフを垂らしている、いかにも胡散臭い女の先輩。
3人組までなら同時に占ってくれるとのことなので、俺と雫で同時に占ってもらうことに。
占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦。話半分程度にすると決めてはいるが、
どうせならいい結果であって欲しい。
「最初に選んだカードは過去、つまり今までのことを表しています。
お二人が選んだのは……ふむ、こうなりましたか」
俺が選んだのは逆さ吊りにされた男が描かれたカード。
雫が選んだのは……何だろ、メインが分からん。
「『吊るされた男』の正位置ですね。意するものは忍耐、妥協、自己犠牲。
自己を滅し、多くの物事に耐えてきた……そういうことになりますね」
耐えたというか、流してきたんだけどな。
だが、当たってるかどうかで言うなら、そこそこに当たっている。
「この後のカードにもよりますが、努力の成果は実りますよ。
ただ、こちらの方が選んだのは、『月』ですか……」
あ、コレ月なんだ。タロットカードに関する知識は全然無いから、
何が描いてあるのか分からんものが多い。
「よくないんですか?」
「過去の位置に現れたとなると、トラウマを抱えていますね。
勿論、それが何かなんて不躾なことは聞きませんが」
「……はい、合ってます」
中学からのことだろうな。ここまで、二人とも当たってる。
1枚だけなら偶然の範疇だが、ここからはどうなるのか。
「続いて選んで頂いたのは、現在を表しています。
おや、これは面白いカードが出ましたね」
(何が……って!?)
雫の方は文字らしきものが書かれた円盤。意味は分からない。
絵が分からないのは俺も同じだが……まずいぞ。
「まずこちらですが、『運命の輪』ですね。転換の機会が訪れたことを意味します。
正位置ですから、よい報せが来ると思っていいですよ」
「転換……よい変化……あぁ、はい」
ここ最近の雫の変化は、良いものと思えるからこれも当たっている。
問題は俺。……これ、思いっきり『DEATH』って書いてあるんだけど。
「あの、これってまさか」
「えぇ。お察しの通り『死神』です。
終焉、停止、破滅……あらゆる意味での死、終わりを意味するカードです」
とんでもねぇカード引いちまった! 現状、『死神』!?
さっきのカードと組み合わせると、今まで耐えに耐えてきたが、
それは何の実も結ばず終わってしまうというとこか……?
いずれにしても、大凶だ。ただの占いとはいえ、流石にヘコむな……
「……あ、ちょっと待って下さい。これ上下反対じゃないですか?」
「へ?」
雫の指摘で、カードをもう一度見てみる。
よく見たら、文字が書いてある位置が反対だ。これだけだと分からなかったが、
雫の選んだカードと比較したら、明らかに違う。
「ご名答。これは死神の逆位置です。つまり、意味するものが反対になります。
再開、新展開、中断からの回復といった所ですね。努力の成果が現れるはずです」
「え、急にそんな変わるんですか!?」
「凶の反対は吉ですからね。タロットにおいて確実な凶兆を表すのは『塔』だけですから」
災い転じて福となす……とはちょっと違うか。
現状と照らし合わせると、これもかなり近い。透の凋落、友人からの評価の上昇、
そして何より、俺と雫の関係の変化。
停止や終わりの逆、つまり継続と始まり。正に今、そうなっている。
何だこの占い、めちゃくちゃ精度高いじゃねーか!?
「そして最後がこれから、つまりは未来を表していることになります」
未来のことに関しては、当たったか外れたかが分かるのは未来が来てから。
だが、ここまでのことを考えるとなるべくいいカードが来て欲しい。
「これが最も重要なものですね。それでは、失礼して」
カードの端をつままれ、ひっくり返される。
頼む、できれば俺と雫の、少なくとも雫のカードはいいものであってくれ!
「……あら、こういうことになりましたか」
(どっちの意味だよ!?)
まどろっこしい御託は要らねぇんだ! 結果は……
「お二人共、『恋人』の正位置ですね」
出来すぎていると思った。
あまりにも、あまりにも出来すぎていると思った。
「意味はほぼそのまま、絆、深い結びつき等……
言ってしまえば、近い将来に恋人ができることでしょう」
ここまでの流れを汲むと、俺は努力が実り、現状の変化に成功して、
その後には恋仲となる誰かができる。
雫は過去のトラウマを乗り越えて、仮面を外すことに成功して、
誰かの彼女になる。
「お二人がお付き合いすることもあれば、それぞれに別の方ができたりも。
いずれにしても、素敵なパートナーに出会えるはずですよ」
(あ、そういう解釈もあるのか……)
俺にとっての最高のパートナーは、雫しか考えられない。
だが、雫にとっての最高のパートナーとは。
勿論、俺はそうなれるように努力を続けているが、結果は分からない。
「以上で私のタロット占いは終了です。ありがとうございました。
15時30分より朗読会第三部がありますので、宜しければその時にまたどうぞ」
「あ、ありがとうございました……」
占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦。だが、3枚の内2枚はほぼ当たっていた。
残りの1枚……未来のことは、果たしてどちらの八卦なのだろうか。