136.任せて下さい
「ごゆっくり、どうぞ」
用意された食事は、予想よりはるかに豪華だった。
刺身の盛り合わせが一番目立っているが、隣の天ぷらも負けていない。
小皿料理も煮炊きに漬物に飾り切りされた果物に他色々。
蓋がされているのは汁物に茶碗蒸しに米だろうか。
とにかく、品数が尋常じゃない。
「さて、まずは食事だ。話はそれからとしよう」
「……頂きます」
大宴会の席とか、要人のもてなしとか……そういうレベルだろ、これ。
俺みたいな一般庶民が食っていいメシじゃねぇよ。
「怜二、天ぷら交換しねぇ? 春菊苦手なんだ」
「いや、こういうものって一人一人に……」
「そういったことは気にせんでいい。
出来ることなら、俺も柿を引き取ってもらえると助かる」
相手が源治さんと海でよかった。
それなりの場だったら、きっと何一つとして味が分からなくなっただろう。
そんな状態になって食べるのは、あまりに勿体無い。
「社会に出ると、虚礼を好む人間が多くて辟易する。
最低限の常識さえあれば、粗探しのような真似をして、不作法を指摘する必要などない。
……あぁ、勘違いするなよ、怜二君。君の礼儀作法は虚礼のそれではない。
強いて言うなら、少しばかり謙虚になり過ぎているきらいはあるが」
「すいません、目上の方と会話するという時は、どうしても……」
「俺は年上だが、目上ではない。君にとっての俺は、友人の父親というだけだろう。
まぁ、こんな面した大男じゃ、萎縮してしまうのも無理はないがな」
「そういうこった。親父は顔で損してるよな。醜男ってわけじゃねぇけど。
いっそのこと透と顔取り替えればいいんじゃね?」
「美男子になるだけならともかく、心の汚れた人間の顔を貰うというのは嫌だな」
「確かに。悪い、余計なことほざいた」
「それに、俺はこの顔が気に入っている。ただ、万人受けしないというだけだ」
最初は不気味な感じがしたが、慣れれば源治さんの笑顔は中々に味がある。
普段は無表情だが、時折見せる笑みの素晴らしさは、雫に受け継がれたんだろう。
最近の雫は、そこそこ表情豊かになってきたけど。
「どうだ、怜二君。ここは俺の特別な場所の一つなのだが、君はどう思う?」
「いい所ですね。お料理も美味しいですし、適度な非日常感もありますし」
「ほう、そこに目をつけたか。君は中々に豊かな感性を持っているな」
「怜二って結構鋭いよな」
透のフォローをしてた頃は、周りの状況や相手の思ってることを常に考えてたからな。
これからは、その辺のセンスは透以外の為に使っていこう。
「そろそろ、話をしようか」
食事に手をつけてからしばらく。遂に、この時が訪れた。
一体、何を話されるのだろうか。
「君は、雫はどんな人間だと考える?」
「どんな人間か、ですか」
関係性ではなく、雫そのものについて、か。
俺が見る『水橋雫』という少女の人物像。それは、学校の女神様というだけではない。
それ以外の面を、俺は知っている。
「文武両道、博学多才。元から持ってる素質だけでも凄いのに、
自己の研鑽も怠らないから、大体何でもできるって感じですね。
ただ、それ故に浮世離れした印象がついてしまってもいて。
物凄く難しいことはできるのに、どこか常識が抜け落ちてる所も……あ、すいません」
「いや、俺もほぼ同じ考えだ。続けてくれ」
「では、もう少し」
正直な回答が求められている、ということか。
それなら、もっと踏み込んでも大丈夫か。
「意外だと思ったのは、結構茶目っ気があるところですね。
学校では物静かですから、その分普段との違いに驚かされます」
「間違いなく渚譲りだろう。幼い頃は、可愛らしいいたずらをよくする娘だった」
雫によれば、孤立していることを明確に感じたのは中学生の頃。
となると、それまでは素の方の雫がそのまま出せていたのだろうか。
俺からも、聞いてみよう。
今後のことを考えても、身内からの情報が欲しい。
「だから、学校での雫が全く違う理由が分からないんですよね。
理由は本人から聞きましたけど、そのきっかけと言いますか、発端というか」
「俺が思うに、お前と神楽坂の腐れ縁みたいな感じだろ。
雫も周りも気がつかない内にそうなっちまったっていうか」
だとしたら、やはり容姿から来るイメージという線が一番濃厚か。
……今思えば、俺と透の主人公・脇役の関係もそれか?
人は見た目で判断するもんじゃないが、第一印象はまず見た目から。
そして、そこで大きな差がつくと、挽回するのは難しい。
仮定の下での話だが、そういうことかもしれない。
「成長による変化かと思っていたのだが、実際は全く違っていた。
悩みを抱え込む性質だと分かっていれば、こうはならなかった筈。
……親として、情け無い限りだ」
「そんなことねぇって。俺も気付かなかったんだし」
「小学校の頃の友達から、伝わったりは?」
「あれ、言ってなかったっけ? 雫は中学、俺は高校入ってすぐに転校したんだよ。
だから、友達はおろか知り合いもゼロからのスタートだ」
「本社への栄転の話があってな。元より俺と渚の実家に近いのもあり、受け入れた。
故に本来の雫を知っている友人は、ここにはいない」
「あー、なるほど……」
「というか、人見知りするって事に関しては小さい頃からだったし、
友達らしい友達って言うのは、多分怜二が初めて。
どっちにしてもあまり変わらなかったと思うな」
ほんの少しだが、気になっていたことが解決した。
そういうことなら、雫のイメージは学校の女神様以外にならない。
「高校デビューするにしたって、その頃はおかしな見方する奴だらけで。
リスク考えたら、このまま偽りの自分でいた方がいいってなって」
「雫は何にでもなれる才気を持っているが、唯一なれないものがある。
いや、正確には『なれなくなった』と言った方が合っているか。
それは……」
「『雫自身』ですか」
「その通りだ。……雫は今、仮面優等生になっている。
ありのままの雫……つまり、『何者にもならない』ことができないんだ」
学校でのデフォルトは、欠点が一つとして存在しない、『優等生の水橋雫』。
それで通らない場面なら、憑依術を使って自分を騙す。
仮面を被り、自分を消し……殺される一歩前に発したSOS。
勘違い含みとはいえ、受け取り手となったのは俺。
「怜二君、本来なら親の責務であるが、恥を忍んでお願いする。
……雫を、雫自身にして欲しい!」
涙声になりながら、頭を下げられた。
……源治さん。
「今更止めるつもりなんて一切ないですよ。既に仮面は脱げかかっているんです。
優等生っていう部分だけ残して、お茶目で可愛い雫を……いや、
『雫がなりたいと思う雫』を、取り戻します」
俺は、雫から沢山のものをもらった。
雫を変えようとする前に、俺を変えてくれた。
だから、これはそのお礼。
「……恩に着る!」
源治さん。
頭を下げるべきは、俺なんですよ。