124.起承大転
「んー……」
怒鳴られることを覚悟していた。
しかし、聞こえてきたのは唸りとも呻きともつかない声。
それが、しばらく続いた後。
「怜君がお風呂に入っていることに気付かないまま雫が扉開けちゃって、
とっさに怜君は雫のことを気遣って背中を向けた。
後は扉を閉めればいいだけなんだけど、雫は腰が抜けちゃって動けない。
そんな感じで、合ってる?」
「う、うん」
(えっ!?)
脇役は勿論、主人公ですらこういう場面に事情を知らない第三者が来ると、
大変におかしな勘違いをされて、事態がこじれる。
にもかかわらず、渚さんはこの状況を正確に分析してくれた。
「とりあえず、雫は服着よっか。怜君は5分……10分くらい浸かってから出てきてもらえる?
のぼせそうだったら適度にお湯から出たり、水飲んだりでお願いね」
「はい、その……分かりました」
背後から、扉が閉まる音。
渚さんの機転によって、この場はなんとか収まった。
「お風呂、頂きました」
「おかえり。はい、お風呂上りの水分補給」
「頂きます」
「ごめんね。まさかこんなタイミングで雫が下りてくるとは思わなくて」
「扉空ける前に俺が気付けばよかったんですけど、すいません」
「何言ってるの。私譲りのダイナマイトボディを前にして、目を背けただけ上等よ」
思い出させないでもらえますかね。色々と抑えるのが大変なんです。
最重要箇所は隠されてたけど、曲線美の極致のくびれとか程よい肉付きの太腿とか、
脳裏に焼きついて離れないんで。
「……それにしても、何であそこまで分かったんですか?」
「あの状況のこと? 雫がお風呂に入ってる所に怜君が、だったらともかく、
立ち位置的に間違えたのは雫でしょ? 雫が入るタイミングは分からないから、
先回りしてっていうことでもないし。しかも怜君は背中を向けてる。
それなのに雫が尻餅ついたままってことは、腰抜けた以外にありえないでしょ」
「そうではありますけど、よく冷静でいられましたね」
「驚きはしたけど、怜君はそんな子じゃないって思ってたし。
お祭りの時だって、そうだったでしょ?」
確かに、あの時に考えていたのは水橋の脚を痛めなくて、かつ観客から見えないようにして
ステージからハケる方法は何か、ということ。
浴衣がはだけた水橋の胸元は、気合で見ないように努めた。
俺だって人並みに性欲はあるが、それに負ける男が彼女なんて作れる訳がない。
何より水橋に対して申し訳ねぇし、嫌な思いをさせたくねぇんだ。
「今時、君みたいな純情な子なんて中々いないわ。大したものよ」
「当然のことをしただけなんですけど」
「当たり前のことを当たり前にやるのって、難しいことだからね?
怜君と雫さえ良ければ、多少の間違いぐらい起こしても……」
「渚さん」
「……うん、ごめん。さっき源治さんにも言われたから、自重する」
俺は流すだけだからいいんだけど、今の水橋にもこのノリで来られたらまずい。
それは渚さんも分かってるだろう。
「ただ、私としては割と本気よ? 怜君も雫も高校生だから、分別はついてるはずだし。
それに、最近はアルファベットが5番目から6番目になったし」
「渚さん!?」
「安心して。私の血を受け継いでるなら、もう1つか2つは射程圏内だから♪」
「そういうことじゃなくてですね!?」
……結局、俺がどうにかしつつ、渚さんの良心に賭けるしかないのか。
一度失敗したんだし、流石に水橋の前ではやらないと思うけど……
「怜二は俺の部屋で寝てもらうけど、いいよな?」
「あぁ。泊まらせてもらう身だし、一畳分のスペースが貰えればどこでも」
「きっちり敷布団1枚分のスペースはくれてやるよ」
俺の寝床は、海の部屋になるらしい。妥当なところだろ。
まさか水橋の部屋で寝るわけにもいかんし、源治さんや渚さんの寝室も気まずいし。
「枕替わっても寝れるか?」
「何ら問題ない。寝つきも寝起きもいい方だから」
「便利な身体してんな。俺は一度寝たらぐっすりだけど、寝起きが全然ダメで」
「お疲れ」
社会人の苦労は、俺にはまだ分からない。
といっても、明日は日曜日だから多分お休み。その辺は気楽なはず。
友人の家に泊まりとなったら、基本的には翌日も休みであることが条件だしな。
「でー……雫、どうしようか」
「俺が晒せる面の中に正解がないと思うんだが」
課題はこれ。
何かとあった水橋に、俺はどうあるべきか。
渚さんからのアレコレは、今となっては最早過去。
まさか、あんな事故が起きるなんて誰が予想したよ。
「兄として、最善の選択は何だと思う?」
「俺だったら……無かったことにするな。少なくとも茶化すのはなし。
謝るのも気にさせることになるし。っていうか、お前別に悪くないしな」
確かに、それもそうなんだよな。俺は特段まずいことはしていない。
だからこそ、始末が悪いんだが……
「あ……」
そうこうしてたら、本人が来た。
多分、寝る前の習慣のホットミルクを飲みに来たんだろう。
「ねぇ、怜二君。……ちょっと、ボクの部屋に来てくれない?」
お呼び出し、か。日付が変わる前に解決しておきたいんだろうか。
そういうことなら、俺もそうさせてもらおうか。
「座って」
指し示されたベッドに腰かけると、水橋が隣に座る。
それにしても、可愛らしい寝間着だな。フリルのついたピンクに、白抜きの水玉。
しかも猫耳フードまでついてるから、なんとも少女趣味で、幼い印象を受ける。
いや、まだ少女と言える年齢ではあるけど。
「その……お風呂のこと……」
やっぱり、その件だよな。無かったことにするつもりはないらしい。
どうしたものかね。
「俺が気付いてればよかったんだ。ごめんな」
「ううん、怜二君は何も悪くない。ゆっくりしてるとこ、邪魔しちゃって……」
「俺が言うのもなんだけどさ、このことはお互いに忘れよう。……本当に、ごめん」
被害者は、間違いなく水橋。原因となったのも水橋だけど、加害者は俺。
どこに責任を置いて、どうするべきかが分かりにくい。
どうしたって上手く行かないなら、いっそのこと放棄した方がいい。
というか、させてくれ。それ以外の解決方法が浮かばねぇんだ。
「……ねぇ、怜二君」
「何だ?」
それでも優先すべきは、水橋がどうしたいか。
水橋が辛い思いをするのは嫌だが、俺が辛い思いをするのは別にいい。
そうなる方法があるんだったら……
「怜二君って、好きな人いる?」
……え?