115.延長戦
テストに出そうな所の勉強は終わった。
滞在時間はそれほどでもないが、俺が水橋の家にいる理由は無い。
……はず、なんだが。
「この女の子が、電話で言った子」
「へぇ……」
帰ろうとしたら、「折角だし、読んでみない?」と引き止められ、
水橋の持っている漫画を紹介してもらうこととなった。
本線の勉強会は終わってるから、別にいいんだけど、こういう展開になるとは。
「やっぱり可愛いなぁ……こういう子になりたいって思って、一人称変えたんだけど、
それだけじゃ何も変わんないよね」
「願掛けなんてそんなもんだろ。水橋がやりたいならやるべきだし、
やりたくなくなったら、やめるべき」
「やりたくない訳じゃないから、しばらくは続くかな。
最近は何か、馴染んできたんだよね。この前は穂積さんの前で言いそうになっちゃった」
「言ったとしても気にしないだろうけどな。門倉とか男連中だとヤバいが」
一枚一枚、ページをめくる。
水橋がボクっ娘となった理由の、憧れの少女は確かに等身大で、可愛らしい。
サブキャラ的位置づけだが、水橋曰く、次の次の巻辺りからはほぼメインキャラになり、
そこからはほぼ主役級の扱いをされているとか。
「人気投票でも普通に主役抜いちゃってるんだよね。というか1位だった」
「結構あるよな、主人公の順位が微妙に伸び悩むことって」
「作者さんもこうなる予定じゃなかったらしいんだけど、好きになっちゃったみたいで。
急遽プロット書き換えたらしいんだよね」
この明け透けな性格が人気の理由と見た。
メインターゲットは中高生女子だろうけど、この手の少女漫画は割と男も読む。
幅広い層から票を集めそうなキャラが1位をかっさらうというのも納得だ。
(あるんだよな、サブキャラの主人公昇格)
ずっと脇役を自称してきたが、俺もクラスチェンジできるのだろうか。
いや、できるだろうかじゃない。する。どうあろうが知らん。自力でどうにかする。
変わると決めたんだ。他力本願になってどうする。
しっかりと意識しろってんだ。……あと、そろそろ心の中で叫んでおくか。
(読み始めから近ぇんだよ!)
勧めに甘え、ベッドに腰かけて漫画を読もうとしたら、水橋が隣に。
それだけならいいんだが、妙に近いというか、接触してる。吐息すら感じるレベルで。
しかも、気付かれないようにちょっとずつ離れても、それにぴったりついてくる。
気になって仕方ないが、まさか直接言う訳にもいかない。
「……水橋、暑くないか?」
「そう? ボクは普通だと思うけど……クーラーつける?」
「いや、そこまではしなくていい」
うん、こういう古典的な手法は通じないよな。それは分かってた。
……耐えるか。俺の理性はそこそこに強いと自負している。
「うぉっ」
「ここは驚くよね。これでか弱き乙女自称してるんだから」
何より、水橋は純粋にこの漫画を俺に読ませたいと思ってくれたんだ。
その気持ちに邪念を持って接するなんて、あっちゃならねぇだろ。
「古川先輩が読んでた本、漫画版で読んだことがあって。
図書室に小説版があったから、それを読み始めてるんだ」
読書が趣味というところから繋がった、水橋と古川先輩の絆。
アフターケアの一番の中心になっているのは、水橋だった。
「先輩が卒業したら、部員がいなくなっちゃうんだよね。
ボク、部員になろうかな?」
「いいんじゃね? 先輩も喜ぶと思うぞ」
「ただ、部活って活動実績もいるから、そこが問題なんだよね。
古川先輩みたいな小説書いたりする力、ボクにはないから」
「そうか……」
いかに万能の水橋といえども、全てのことが出来る訳ではない。
このハイスペックだって、才能と努力の掛け合せで成立している。
キャパシティの限界が高いだけで、限界自体は存在してるんだ。
「元々、部員が古川先輩だけになった時、同好会に格下げになるはずだったんだけど、
活動実績がかなりあったから、部活として存続させることになったんだって。
残ってる部員が先輩だけだから、部費もそんなにかからない、って理由もあるけど」
「コンテスト受賞も、大きかっただろうな」
「この前分かったんだけど、部の存続がかかってたんだって。
あのコンテストまでに賞が貰えなかったら、廃部になってた」
「……マジか」
「藤田君に助けてもらったって言ってたよ。
神楽坂君も面白いって言ってたみたいだけど……ちゃんと読んだのかな?」
「俺は素人の感想言っただけだ。透は……どうだろうな」
多分、読んでいない。古川先輩の作品は面白いというより、深く、引き込まれるもの。
それも『面白い』の範疇にあるとも言えるけど、透に重厚な物語をしっかり読んで、
具体的な感想を言うといったことができるとは思えない。
「今年の5月頃に、山内先生と柏木先生が廃部にしようとしてたみたい。
深沢先輩がなんとか止めたけど、タイムリミットを切られて……」
「深沢先輩が生徒会長で良かったな。並の生徒だったら押し切られてる」
深沢先輩が1年生で生徒会長に立候補した時は、無謀だという声が上がったらしいが、
その胆力と情熱が生徒の琴線に触れ、結果として満票での当選となった。
公約は『生徒の主体性を重んじる』。その為に、必要の無い校則は外すと言ったことも、
支持を得るのに一役買ったのだろう。
「この前文芸部に行ったら、深沢先輩が土下座してたんだよね」
「何があった!?」
「『生徒会長として、生徒の苦しみを知らずにいた自分が愚かしい!』って。
むしろ、突然土下座されたことと、それをボクに見られたことの方が、
古川先輩にとっては辛かったと思うんだけど……」
「……会長、とことん直情径行型だからな」
それもまた、支持を得た理由の一つではあるのだが。
何とかならないものなのだろうか。
空の色が、徐々に変わってきた。
思ったより長居をしてしまったな。もう帰らないと。
「今日はありがとな。それじゃ、帰るわ」
「うん……それじゃ、また」
この時、俺は水橋が俺を引き止めた理由を、深く考えていなかった。
だから、本当に驚いた。
「あっ、怜君!」
「本日はありがとうございました。失礼します」
帰り際、渚さんに挨拶をしたら。
「ねぇ、今日はうちに泊まっていかない?」
「……えっ?」
一切予想していなかった提案を、されたから。