107.後でやればよかったのに
ズカズカと入り込んで、古川先輩に詰め寄る柏木先生。
まず、この明らかに異常な状況に対して言及するべきだと思うんだが。
「うらっ!」
「っとぉ!?」
いきなりビンタ!? そんな気配感じたけど、マジでやりやがった!
俺がガードしてなきゃ、確実に頬に行ってたぞ!?
「アンタ何してんだ!?」
「邪魔だこの野郎!」
「おっと」
今度は俺にグーパン。だが、それも予測済みだ。
こんな単調な攻撃、軽く首を傾けるだけで避けられる。
「柏木先生、いきなり暴力はないでしょ。
俺らは人間なんですから、まずは話し合いから……」
「うるさい!」
ラッシュかけてきたな。避けやすいし受け流しやすいで全部ダメダメだけど。
これは一回止めないとダメなヤツか?
「落ち着かないとケガしますよ?」
「うるさいっつってん……ぶへっ!」
疲れの見えるよれよれパンチを受け流しつつ、腕を掴んで後方へ。
重心がこっちに傾いてる所をちょっと引きながら流せば、簡単に床へと顔面ダイブ。
俺の護身術は打撃より、こういう合気道モドキな技の方が多い。
「ほら、大丈夫ですか? 一人で立てます?」
「うるさい……」
これは喧嘩ではなく正当防衛だから、追撃はしない。あと、さっきから返答がワンパターン過ぎる。
一回区切りついたし、まず話し合おうか。
「柏木敦子先生! 貴方、女性相手になんてことを!」
「先に殴りかかったのは柏木先生ですし、俺が避けたらすっ転んだだけ。
相手の落ち度に関しては流石に……あ、絆創膏使います?」
女性どうこうって言うなら、古川先輩の拘束を解いて欲しいところだ。
主導権は俺が握ってるけど、人質取られてるというのは不利だし。
じゃ、ここからは柏木先生の落ち度を指摘して……
「……そういや宇野。今月のカネはどうした」
……おや?
柏木先生、今何と仰いました?
俺の耳がイカれたんじゃなけりゃ、『カネ』って聞こえたんだけど。
「せ、先生!? ちょっと、そのお話はここでは……」
「カネどうしたっつったのが聞こえなかったか!?」
脳内で単語・漢字変換。これは何かの略語ではない。お寺の『鐘』でもない。
検索結果一件。『金』。お金。金銭。Money。
柏木先生から宇野先輩への要求。しかも『今月の』と来た。
(あー……そういうこと?)
脇役の俺に、主人公並に都合いい出来事が降りかかって来やがった。
しかもピンチになったタイミングで。ドラマティックさ含めて完全に主人公補正。
ただ……別の意味で嫌な予感がする。
「今月のカースト修正料金がまだだろが。あと中間テストの修正代も……」
「わーわーわー! ない! ない! そんなのないですわ! そんなのは……」
「ねぇんなら持ってこいやこの野郎!」
「そういう意味では無くってですね!?」
勝手にボロボロ零してくれる。語るに落ちるとは正にこのこと。
俺は何にもしてねぇのに、とんでもないことが次から次へと晒される。
よし、ここはしばらく黙っていよう。証拠集めだ。
たとえどんな気分になろうとも、今優先するべきはそれなのだから。
嫌な予感は、的中した。
(…………頭痛ぇ)
ドン引きとは、このことを言うのだろう。
柏木先生の口から出てきたのは、あまりにも醜悪過ぎるやらかしの数々。
宇野先輩に賄賂を要求、それに伴うクラスカースト上位への固定化、
テストの点数の改竄、いじめの黙認・加担、掃除担当諸々含む役割の押し付け、
挙句の果てにはタイプが違うだけで、男女両方に対してセクハラをしていた、と。
よくまぁここまで完璧なまでにやらかせるなという、ある意味での感嘆すら覚えた。
勿論、嘆きの方が圧倒的に強い。証拠も十分揃ったし、耳が腐りそうだから黙らせるか。
「柏木先生。そろそろ」
「うるせぇよ入ってくんな!」
「これ、何だか分かります?」
少し肌寒かったから、着てきたベスト。その内側に手を入れて取り出す。
ワイシャツの胸ポケットから取り出した、今回の為に買ったアイテム。
「……あ? 何だそれ?」
「ボイスレコーダーです。色々喋って頂きましたね。
宇野先輩から賄賂を要求していたことを始めとする種々のお話、
これに全部記録させて頂きました」
「ハァ!?」
ボイスレコーダーは、古川先輩に渡した物だけではない。
宇野先輩が文芸部の部室に来た日に、こういう突発的な事態に備え、予備で買い足した。
うまいこと、功を奏してくれたよ。
「それよこせ!」
「嫌です」
「いくらだ!? 10万か、100万か!? 宇野が全部出す!」
「そっ、そうですわ! おいくらがお望みで?」
「いくら積まれても渡しませんよ。俺の望みは金じゃないんで」
お金は人生において重要なものだ。だが、それが全てではないというのも確かだ。
事が片付いた後に、古川先輩への慰謝料だとか示談金辺りで払ってもらおうか。
さて、後はその古川先輩を助ければ……
「犬! この男をどうにかしなさい!」
「はっ、はい!」
教室の外に出ていた犬飼先輩が、こっちに戻ってきた。
手に握っているのはカッターナイフ。凶器持ちか。出方を窺おう。
ついでに、最後のダメ押し。
「犬飼先輩!? カッターを俺に!?」
「うわあああああ!」
戸惑った声を出したのは、ボイスレコーダーに犬飼先輩の凶行を収める為。
そこまで録音した所で、一旦ズボンのポケットに入れる。
犬飼先輩に喧嘩の経験は無いと見た。カッターナイフを振りかぶってるのがその証拠。
殺傷力・リーチから考えたら前に向けて突進だろ? これじゃただ隙を作ってるだけ。
おかげ様で、懐に入り放題だ。
「うわあっ!」
「え゛ぼっ゛!」
録音はしてるままだから、斬りかかられたような声を出しつつ。
カッターナイフが握られた右手を左手で掴み、右手でガラ空きのアゴに全力のアッパー。
怯んだ隙に凶器を奪い取り、古川先輩を縛っているビニール紐を素早く切る。
「古川先輩、逃げて!」
「うん!」
「逃がすか!」
「おっと!」
「ぐへっ!」
逃げ道の多い方向を指し、この場から避難させる。
追いかけようとした柏木先生には足を引っ掛け、転ばせておく。
後は呆然と立ち尽くす宇野先輩に、未だに顎を押さえている犬飼先輩だけ。
古川先輩は運動音痴だが、逃げる時間は十分に稼げる。
誰も動けない状況なら、より安全に行くか。
陽司と水橋、呼んでおこう。