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notopic  作者: GGG
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notopic~前篇~

概念的で中二病万歳な作品です。

ある日の出来事。―――それは、唐突な出来事だった。


概念的。常にまとわりつく。物質の裏側、または本質にあるideaが僕を支配する。―――だから、理解が追い付かないほどに理解した。

 自分がどんなにみじめな存在なのか、僕ははっきりと理解した。

 世界の方程式が、僕という個体を生かしている。僕という個体は、世界規模で比べると取るに足らないのに、主観である僕は、そんな世界に抗いたいと思っている。主観、は、僕、は、自分という名の摂理から反している癖に、世界に抗いたいと思っている。

 他人―――ではなく、世界に。

 それは、愚かしい行為そのものだった。でもその世界とは、他人が支配するものだと、僕は知っていた。―――他人という人だけが、言葉という情報をくれる。今まではそれだけだった。

 でも今は違う。

 ideaにより万物の方程式すべてを垣間見ることが出来る僕にとって、情報は他人だけではなく世界が与えているということに気がついた。否、情報とは二次創作物。真実の情報とは世界がすでに持っているもの。

 僕に逃げ場はなくなった。世界は常に情報を排出する。世界は僕に常に干渉する。世界は僕を蔑にする。世界オリジナルニセモノを蔑ろにする。僕は、真実という圧倒的な存在を知った。

 これは僕に対する世界が与えた強烈な罰だった。

 これで僕は、とうとう見たくないものを直視することになってしまった。

 僕は―――、僕は―――、僕は―――、僕は、僕で、僕が、僕を、僕自身が、世界を見せつける、敵だ。



 やがて眼が覚めた最初の夜―――。辺りは昏々としていて、否、自分が昏々としているからだろうか、夢と言う名の混沌が現実と入り混じり、そこは不思議な幻想世界を作り出していた。―――または、それこそが真実なのか……。

夢現……という訳ではなさそうだ。自分としてはこの上無いほど視界がはっきりとしている。しかしそこに意識は無い。こういう状態のときは決まって金縛りになるものだったが、そうではないようだ。第一、金縛りの時に見える目の裏側から見える血の塊、もやもやがないし。

 ああ、まあそんなことは兎角どうでも良いか。

取りあえず、喉が渇いていた。自分は飲み物を求めて体を起こそうとする。―――が、動かない。右手、左手―――不可。上半身、下半身、大まかな部位も動こうともしない。指先を動かそうと試みる。そうしたら、人差し指がぴくりと立ち上がり、続いて別の部位も動くようになった。上半身を再度動かそうと試みて、そこで自分は気がついた。

―――ここはどこだ?

見知らぬ天井、見知らぬ雰囲気、匂い、それらは夜が見せる瞬きの間の幻想。よくよく考えてみたなら、思い当たる場所であった。むしろ気がつかないのは可笑しかった。おかしくておかしくて笑える。なんだここは学校じゃないか。自分は自分のクラスの教室に横たわり、冷たくて固い床の上で体をガチガチに固まらせていた。

そこまで認識出来る程度に回復すると、今度は意識が完璧に覚醒した。

「何で僕はここに居るんだろう……」

 ……思い出せない。何か大事なことを忘れているような気がする。

―――そこまで考えて絶望した。

自分は、誰なのだろうか―――?

 名前。

 生まれ。

 出身。

 住所。

 家族構成。それら全てが曖昧で、霧がかっていて、ああ、うん、つまり、だ……。記憶喪失ってやつだろう。

 ―――なのに、自覚できる自分の学校。

……右手の甲を額に乗せる。そして溜息を一つ。

「まぁ、良いか。警察に行けば何かわかるかもしれないし……」

 どうやら思ったより自分は大丈夫そうだった。


 学校から出てすぐのことだった。―――弱った。地理が全く解らない。自分の脳内で確認出来たのは、自分の学校のみ、だった。つまり、だ。僕の拠点となるのは学校であり、情報を集めるには学校を拠点にするしかなかったのだ。―――場合によっては、学校で寝泊まりするのもありだな、とそう思い始めた自分がいた。そんなこんなで迷っている自分が居るのはどこかの路地。夜って所為もあって、全く視界が利かないのが残念な結果をさらに呼び寄せている。

学校を飛び出してから約三十分経っていると思う。学校で確認した時刻が確か深夜二時位。学生としてはあまりよろしくない時刻に出歩いていることになる。いっそ補導されたなら良いのに、世の中はいつも上手くいかない。

そして、たった三十分で僕は嫌気がさし、探索するのをやめにすることにした。第一、こんな状態になる理由が解らないし、一体何がどうなっているのやら、さっぱり理解が追いついていなかった。

「朝になれば、誰かしらに会えるだろうし、多少の騒ぎにはなるだろうけれど、まぁそれ以外ないよな。―――それに、朝の方が周りも見やすいだろうし……」

 あまり苦労しない疑問だった。自分を分析すると、結構突拍子もない感性の持ち主であり、多少の事ではどうじない、またはどうしられない性格の持ち主であるということだけ痛感した。

そして、結局その日は、学校に泊まることにしたのだ―――。



「三木谷君、どうしたの?」

 その日かけられた第一声は、そんな声だった。いや、正確には良く解らない。寝ていた間にも、声を掛けられていたかもしれないだろうし、未だ自分の意識は朦朧としていたし、認識出来たと言う意味の第一声では、確かな声だった。

「三木谷って―――僕?」

「本当どうしたの? 床に寝そべって。ああまさか頭打って気絶してたとか?」

 笑いながら明るく話すショートカットの女。彼女には悪いが、記憶外の人間であった。でも、お蔭でわかったことがある。どうやら僕の名前、または苗字は三木谷であるということだ。ニュアンス的にそれは苗字なのだろう。

……しかし彼女の言うまさかは、怖気がする程真実味を含んでいそうで怖い。

「ああ、いや、うん。実は僕記憶喪失になったみたいで……」

 そう言うと彼女は間抜けな顔をした。

「なんの冗談? まじで頭打ったんじゃない?」

「かもしれない。―――てか、自分家どこにあるか思い出せなくて、帰るに帰れなかったんだよねー」

 何故だろう……。自分としては真実を至極当然のように話しているのに、真実味を全く帯びてこない。

「ははは、まぁ無茶振りしたのは私だけどさ、あんま面白くない冗談は止めようぜ?」

 彼女のする乾いた笑いは、ただただ不快なだけだった。

「いや、本当なんだってば……」

「ああ、はいはい、解ったから、大人しく席に着いてな」

 投げやりに返答される。―――どうやら、全く信用されてないらしい。少し、憤慨である。―――最後に一つ、彼女に聞いた。僕の席はどこですか、と。そしたらめんどくさそうに、ショートカットの彼女はそこ、と廊下側の一番端の席を指差したのであった。


 兎に角その日は不思議な一日だった。徐々に集まりつつある人。挨拶を交わす人と人。クラスに集まるんだから、やはりそれはクラスメイトであって、小さくも絆というものがあるのであろう。僕を除いて。その内の何人かは、絆なんてものを忘れた僕に対し、挨拶をしてくれた。少なからず次いでに名前をそこにプラスする人もいた。

だから自分の名前が解った。三木谷みきたに 真弥なおや、どうやらそれが僕の名前らしい。まぁ、解ったところで自覚のない自分には、他人の名前であることには違いなかったし、違和感は拭えなかったけれど……。

「真弥、おはよう」

 そう、一人の少年が話しかける。少年、と言っていい年ごろなのかは微妙だが。それもその筈で、この学校は義務教育ではない高校で、僕達は高校の三年生なのだから。

「ああ、おはよう」

 少年に挨拶を返す。―――よくよく見ると、少年は童顔であった。ストレートでさらさらした髪質は、女性を思わす程だった。眉毛の上でキチンと整えられた髪の毛。後の方も小ざっぱりしている。この人に関して言えば、少年と言う言葉の方が似合っていた。容姿も悪くない。身長がやや低いが、雰囲気とあっているから特に問題はないだろう。―――はて、この少年にとって、僕とはどういう存在なのだろうか。

「えっと、僕に何か用かな?」

 思わずそう聞いてしまったが、それはおそらく愚問。本来なら雑談でもすべきところなのだろう。―――ああ要するにだ、この少年と僕は、友達、らしい。

「用ってほどでもないけど―――なんか、雰囲気違うね。疲れてる?」

「……ん、ああそうかも。だって教室で寝泊まりする羽目になったくらいだし」

「それ本当? 部活の関係でそうなったの? って、帰宅部だったね真弥は」

 ……そうか、僕は帰宅部なのか。

 それは兎も角としてどうやら彼と僕とはなかなかの良い仲らしい。それなら、色々聞いても憚られないだろう。

「実は僕、記憶があやふやなんだ」

 そういうと彼は眼を丸くした。

「いやに唐突だねぇ……。何かあったの?」

「言葉通りさ。なんていうか、記憶喪失らしくて、部分健忘ってやつ? 自分に関することがまったく思い出せないんだ……」

「難しい言葉だね。でもそれじゃ君は何で学校に居るんだい? 病院とか行った方が良いんじゃない?」

 にこやかに笑いながら言う。でも言ってることはもっともらしいことであった。

「誰も異常に気が付いてくれないんだ。自分がどういうやつか判らないから迂闊に誰かに話しかける訳にもいかないしさ……。実は学校以外の場所すら覚えてないんだ」

 そこまで言って、沈黙が流れる。

「―――ちょっと待って、君、本当に記憶喪失なの?」

 少年の顔色が変わった。真実味が帯びてきたのだろう。

「じゃあえっと、僕の名前は解る?」

「解ってたら自分から挨拶してるよ」

「えっと、本当に解らないの?!」

「だから、初めからそうだって。記憶喪失って言っただろ?」

「でも、君、すごく自然だよ……」

「おどおどしててもしょうがないし」

「た、大変だ……」

「そう、すごく大変なことになってしまった様だよ」

 そういうと、今度はジド目をして彼はこう言った。

「君、僕をからかってない? もうちょっと焦るのがやっぱり普通だよ!」

「からかってないんだってば……。自分家が解らないから学校に泊まる羽目になったんだ。昨日何をしていたのかすら思い出せないよ」

「本当なの―――? 君、昨日は普通に学校通ってたし、普通に生活してたよ? それなのに急に記憶喪失って、何さ。本当に記憶喪失なの?」

「物事は常に唐突なの。自分だって好きで記憶喪失なんてものになったんじゃないんだからさ」

 そこまで言うと、彼の表情も面白いように変わっていった。顔に滲み出ている信じられませんという文字は、多少だが俺を落胆させた。

「僕の名前―――、佐藤さとう 和彦かずひこだけど―――、覚えてないの?」

「聞き覚えもなにもないよ。悪いけど」

「そっか……、―――つまらない冗談はよしてよね」

 その一言を聞いた瞬間、少し頭がカッと熱くなった。自分としては本当の事を言っただけ、それだけなのになぜこんなに否定されなくてはいけないのか……。

 だん、と机に拳をぶつけていきり立つ。そして椅子をけっ飛ばし立ち上がった。

「本当だって言ってんだろ?!」

 うわっ、と驚く彼。そして注目する周り。次第にそれはほおっておくと、ざわざわとしはじめた。

「真弥……?」

「もういい」

 それ以降、俺は誰とも喋ること無く、学校を出て行くのであった。



 見回す町に見覚えはなく、道、家、道、家の繰り返しにも飽き飽きした頃、俺はやっと迷ってしまったという事実に気が付いてしまった。当たり前と言えば当たり前。無謀と言えば、明らかに無謀だった。

―――何も知らないままに走り出した。そんな青春のままごとじゃあるまいし。

……僕は、どうなってしまうのだろうか。

不安、は徐々に具現化して現実味を帯びてくる。今までなかった緊張感は、唯一知っていた学校という場を離れることにより、いっきにあふれ出てきた。―――口の中は次第に乾き、器官には喉を潤すツバは一切入らず、横暴なことにそこには空気のみがどくどくと入っていくのであった。

―――それに、げほげほ、とむせかえる。

「はぁ……」

 溜息を一つ。……、いや、ひとつじゃ全然足りないかもしれない。

 とにかく、歩きつめることにした。そうすれば、何かしら解るかもしれない。否、解らなくては困るのだ。さっき、所持品を確認したところ、財布などの持ち物は一切なく、身分証明書もない。時計もなければ、携帯もない。……物欲は絶えない。着こなしているものは制服のみ。

無料で手に入る水のことを考えれば、行動するにあたっては、一週間はもつと思う。それとも、今からでも遅くないから学校を探して友達(顔も実体も解らない)の家にでも泊まりこもうか?―――いや、そんなこと今更出来ない。

考えれば考えるほど、今の状況に絶望を感じ始めた。大体、なんで自分は記憶喪失なんてものになってしまったのか……。どうして、記憶をなくすのか……。答えが欲しい。ひたすらに。自分を休めたい。我儘を聞き入れてもらいたい……。誰かに、―――甘えたい。


午前十時―――。それは見つけた公園の時計に表示されていた数字。僕はベンチに座ってあたりを観察した。

比較的広い土地を持った公園。緑が視界のどこからでも映る。トイレもあったし、水飲み場もあった。―――ここは、良い所だと素直に思った。遊具は少ないが、その代わり軽い運動をするには持ってこいの土地がある。きっと子供たちはここでかけっこや野球等をして遊ぶのだろう。少し、子供には勿体ないな、と思った。

じっとしていたら、陽は傾きはじめ、僕はそれを眼で追いながらカウントをしていた。そして数え始めておよそ一万五千あたりを過ぎたころ、夜へと、闇を徐々に落としながらあたりは変貌していくのだった。―――不思議と、そこになんの感情も抱くことなく、僕の精神は安定していた。だからだろうか。今僕は、無感動だった。

―――夢と現実が入り乱れる、妙な錯覚に陥った。あたりの彩色は異様の一言に変わり、視野という視野に、気持ちの悪いものが見え始めた。―――それはまるで、情報のように僕の脳を刺激した。―――気持ち悪いものが、頭を支配する。白黒、反転する。それに担うように、夜は深みを増し、全体をブルーで染め上げる。地面から何かが浮き上がる。それは文字にも見えたし、あるいは根本的な何かの様な錯覚もする。その時唐突に理解した。これら全ては、方程式なのだと。

「人が―――いる」

 自分の呟きで我に返ると、辺りは真っ暗で、公園の街頭がポツリと中心を照らしている、なんのことのない普通の風景を映していた。唯、自分の呟きの通り、人は、いた。

街頭に照らされるかの如く、直立不動の髪の長い女が、立っていた。ふと、何か違和感を感じた。―――そしてそれにすぐ気がついた。僕と、その女の目が合っていた。視線が交差する。なんだ、呟きを聞かれていたのか……?そう解釈した。そしてそれは間違いではなかった。

「君は―――?」

 向こうさんが呟く。別に、知りあいって訳でもなかったけど、おかしいかな、その時僕は話相手が欲しかった。だからその呟きを聞いた瞬間から、この人と会話するのを待ち遠しく感じていた。

「良かったら、お話でもしませんか?」

 ……我ながら不信感たっぷりの誘い文句だと思った。でも意外なことに、彼女はそんな僕の呟きに付き合ってくれたんだ。

 彼女はゆっくり僕に近づいてくる。光を遮るように歩いているので、逆光になり、表情は暗く読めなかった。

 やがて近づくその女。

「良いですよ」

 そしてその女はそう、やさしく呟いた。


 身の上話って言うのは、案外こそばゆいものだった。第一、自分には語れるほどの身の上話は無く、実を言うと会話なんてもの自体になれていない僕は、すぐにこの状況に落胆することになったのだった。

「えっと、真弥さんでしたっけ?」

「あ、はい」

 彼女は、観察すればするほど、見とれるくらいの美人であった。整った顔、整った鼻、猫の様な眼、長い艶のある髪、スタイル、そのどれもが一級品であることに違いはないだろう。―――それでも緊張せずに話せたのは、僕が極度の疲労感に襲われていたからだと思う。

「真弥さんはいつ記憶喪失になったのか覚えてないんですか?」

「……わからないけど、おそらく、昨日の学校が終わってからです。それまでは普通に生活していたって、友達が言ってましたから」

「何か、大きな事故に巻き込まれたとかは? ……でも見たところ怪我とかしてませんよね」

「さぁ……。わからないです。わからないことだらけなんです」

 そう、そうだった。僕は記憶喪失になってから、自分についての情報、それに関係する他人の情報がまったくわからなかった。情報とは、常に人が作るものである世界において、他人を知らないということは、情報を得られないということに等しかった。自分という限らせた部屋では、いずれ自我が崩壊するのは目に見えて解っていた。いや、もうすでにそうなっているのかもしれない。

「これからどうなさるおつもりですか?」

「交番を探して、自分の家を教えてもらうつもりです。それ位なら交番もやってくれるでしょう」

「……そうですね。でももう夜も遅いし、今日は諦めたらどうですか?」

「いや、うん……。じゃあ今日はこの公園に泊まります。それで明日の朝になったら交番探します。あ、良ければ交番が何所にあるか教えてくれますか?」

「構わないですけど……。ああそうだ、なんなら私の家に泊まりませんか? それで明日になったら一緒についていきますよ」

 そう彼女は言った。その時どくりと心臓が跳ねた。なんの冗談かは解らないが、本人は至って真面目に言う。それはとても羨ましい提案だったが、仮にも僕は男である。襲わないという保証なぞない。まぁ、襲わない程度に紳士なつもりだけれど。

「良いんですか? でも僕一応男ですよ……?」

「良いんですよ。それにそんな人には思えませんから」

 そのまま上を見上げる彼女。その視線の先を追うと、満月が見えた。

「今日の月は奇麗ですね」

 そして思ったままの感想言った。

「そうですね。―――いつまでもこうしているのもなんですし、行きましょうか」

 そして僕は彼女についていった。去り際に一言、

「満月は人を凶暴にするんですよね」

 と言ったところを考えると、なかなかブラックユーモアがお得意な様子であった。



 月が歩く僕達を照らす。柔らかなその光は、何故か僕にとって妖艶という言葉を連想させた。―――怪しげに、されど美しく振舞う太陽の鏡は、太陽を盗み見て夜と言う舞台に花咲かす。そんな私的で詩的なことを考えているうちに、公園から歩いて約三十分、彼女の家についた。

……外観は、ひたすらに丸かった。円周の広い筒のような建物がどでんと建っている。一言で言えば、変わった建物だった。

「この辺りではあまり見ない形の建物ですね」

 思ったままを遠回りながらも伝えた。

「ええ、工房を兼任している家なんです」

 こうぼう、とは、工房のことだろうか……?

「何かのアーティストなんですか?」

「まぁ、そういったところですね」

 そんな彼女の解答に、僕はへぇ、と、つまらない相槌を打つだけだった。

 彼女の家の内観も相当なものだった。……一階は広く、何もない部屋で、ここが彼女の言う工房なのだとすぐに検討がついた。では、部屋は二階なのだろうか。

「こっちです」

 なすがまま、流される僕。―――まぁ、勝手が解らないのだからそりゃそうさ。案内されるままにこれまた円形の螺旋階段で二階にあがる。

 とん、とん、とん、とん。反響する音。最後に、とん、と床を鳴らし、上がった先には、異様な世界が広がっていた。―――おおよそ女の部屋ではない、そこは学校の理科室ってやつを数段パワーアップさせたグロテスクな部屋であった。数々の煌く銀は、月明かりに照らされてより一層凶器性を露わにしていて、試験管やフラスコ、果ては人体模型や、何かの内臓が入った筒、おそらく中身はホルマリン漬けだろう。部屋の電気をつけたら、この惨状は少し改善されるのであろうか。そう考えていると、タイミングよく電気がついた。惨状が露わになる。―――ちっともましじゃないじゃないか。なまじ見えてしまうと、さらにオカルト性が上がった。

「理数系……ですか?」

 何とも間抜けな質問だ。

「え? ああ、確かに科学は得意な方ですよ」

 この惨状を訪ねて良いのか悪いのか、よく解らない。恐らくは、僕なぞが踏み入ってはいけない領域の様な気がしてならないからだ。

「ごめんなさい、少し部屋がごたごたしてるけど、寝る場所位はちゃんとあるから」

 柔らかく微笑む彼女。……だが寝る場所があっても、少し、いやかなりこの部屋で眠るのは抵抗があった。文句は言えない立場ではあるが。

「ああ、お風呂沸いているから、どうぞ。着替えはあいにく出せませんけど」

 有り難い話だ。一日風呂に入っていないだけで、梅雨時の今の季節で、体はべとべとだったからだ。

「一番風呂ありがたくいただきます」

「ええ、どうぞ。お風呂は端の方にあるから」

 廊下を指差し、その一番奥にあるから、と次いで言って、僕はそのまま指す方向にいそいそと小走りをして行った。


 ざー、という音が流れる。否、文字通り流れていた。僕はシャワーを浴びていたからだ。流石に風呂自体に入るのは気がひけたから、シャワーですますことにしたからだ。

「どうして記憶喪失になんてなったんだろう」

 今更な疑問が浮かびあがる。……今頃、居るであろう両親は自分を心配しているのだろうか?それとも、自分に両親なぞいないのか、一人暮らしなのだろうか。―――疑問は募るばかり。そんな疑問を吹っ切るかの如く、シャンプーで頭をわしゃわしゃと洗った。―――それはとても良い、女性独特の匂いがした。


 その後は礼を言って、彼女が代わる代わる風呂に入った。―――それから出てきた彼女は、より一層美と言うものが引き立っているような気がした。そして食事も頂いた。歯ブラシは予備のものを使わせてもらったし、専ら自分は客であった。いや実際そうなんだけど。

「ごめんなさい、床で良いですか」

 寝床の話だ。

「ええ、全然構いませんよ。てか、ベッド使わせてくださいなんて思っても言えませんよ」

 笑いながらそう言った。彼女もくすりと一笑いし、ベッドの横に布団を敷いた。……ベッドとの距離は近い。どく、どく、と血管が暴れる。

「あの、俺一階でも構わないですけど」

「あ、一階だと汚れちゃうんで……。布団も」

「そうなんですか? じゃあ、すみません。俺、絶対襲わないっすから」

 当たり前のことを、当たり前のように言う。そんな自分が恥ずかしかった。

「じゃあ、電気、消しますね」

 パチリと言う音の後に、黒が画面を支配した。変わりに徐々に暗闇の中にブルーと月の光が入り混じり、混沌としていった。

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 落ち着かない夜が始まった。が、極度の疲労状態にあった自分は、そんな状況を考えずに、睡眠欲へと身を投じるのであった。



 思えば、選択肢を間違えていたのかもしれない。―――夢の中で、僕はそう思考していた。知らない人についていってはいけない、そう習ったではないのか?昔先生とかにさ……。そんな当たり前のことを俺は破った。だから、これは当然のことだ。―――体が徐々に覚醒へと近づく。それと共に脳が目覚める。否、それは完璧な目覚めだった。脳の容量の半分以下しか使っていないという人間の領分を遙かに超えている。それはほぼポテンシャルの全てを使っているという状態だ。それは快感だった。高速道路を三百キロくらいで走っている感じ。―――世界が情報に満たされてゆく。水のように途方もない情報の源を片っ端から脳みそは認識しようとする。―――コップから水が溢れるみたいで、なんだかそれは凄く勿体ない事をしているような……、ひどく、後悔した。

「目が覚めているのか……?」

 唐突にそんな声が聞こえた。

「ああ、どうやらそうらしい」

 口が勝手に走る。僕の意識レベルで出来る芸当じゃない。いや、僕じゃない。総合して僕と言う自我があるだけで、僕という部品は沢山ある。僕は、総合的な僕はそんな部品の代表者でしかない。つまり、今喋っているのは僕であり、僕にあらず。そこまで考えて、意識は吹き飛んだ。

「君は……真弥なのか?」

 あの妖艶とした女が喋りかけてくる。口調がずいぶん違うが、恐らくはそれが本来の彼女なのだろう。

「どうかな……。君こそ何者だい? そう言えば名前すら知らない」

 そう俺が尋ねると、彼女は一寸戸惑い、やがてそれを忘れるが如く、こう答えた。

「私の名前は進藤しんどう つかさ。魔術師だ」

 それはおおよそ自分の理解の範疇を超える答えだった。



 目覚めは唐突に来るものだ。自覚していようがいまいが、目覚めとは確実に来る明日への、今日への一歩であった。最も、それは目覚めが当然のように訪れる人にとっての話だが。―――そう。目覚めとは同時に綱渡りである。目が覚めなければ、その間は無防備だし、一生目が覚めなかったら、それは死人同然だ。自分はと言えば、普通に目が覚める人に分類されるので、前者だ。だが、それでもおおよそ日常通りの始まり方を演じる事は出来ない。それが出来るのは満たされている人だけだ。

 笑わせる。自分は満たされていないと言う。自分だって、幸せに暮らしている一人の青年に過ぎないじゃないか。―――それなのに、心は満たされていないと言う。何故なら、そこに有る筈の答え(現実)が簡単に割り切れるものではなかったからだ。

「起きろ真弥」

 乱暴な、それでいて洗礼された声が響く。その声の持ち主の名前を僕は知っていた。―――進藤 司。本人曰く、一級品の魔術師らしいが、その、仕事とか、役柄とか、果てはこんなこと言うのもなんだけど、能力とかも一切不明。素性が知れない。僕に言わせれば二流の詐欺師であることは間違いなかった。

「起きてますよ」

 そんな女性に僕は幾分めんどくさそうに答える。それが、僕にとっての、日常であったからだ。または、非日常の日常、と言ったところか。……そう、現状が異常なのは理解出来た。出来たのだが―――

「司さん、なんで僕、住み込みで働いてるんでしょうか?」

 実は心の底から理解なぞ信じちゃいなかった。

「君の都合も合わせて聞いた。周辺の事は私が何とかするから、君は雇われたまえ」

 ……変な言葉使いだ。しかしその言葉には絶対性があった。僕という雀がなくより、鶴が一声出した方が、絶対性の強いのは当たり前だった。―――どうしてこんなことになったのだろう。でも僕は現状に満足している。それが、甚だ疑問だった。

「一週間……」

 ふ、と呟く。それは僕がここに滞在して、仕事に携わった期間。そして、僕が記憶を失ってから一週間。……理性は解っている。ここに居るのはおかしいと。しかし、本能が納得していた。ここに居るのは正常だと。まるで、体が住み込んだ我が家を恋しんでいるようにも感じた。

「司さん。つかぬ事をお聞きしてもよろしいですか?」

「構わない」

「もしかして、魔術師なんだから、僕に暗示とか使いました?」

 実はあまり聞きたくない質問だった。これが公定されれば、それは間違いなく、彼女が魔術師であることも同時に証明してしまうからだった。

「勘が鋭いな。しかし君は勘違いしている。暗示とは、内側に秘めている優先順位というものを引き出す手段の一つだ。人間は願望に満ちている。たとえば、お金持ちになりたい、死にたい、等。後者は自殺願望と言うな。その一つにこの家に住みたい。働きたい。元の家から家出したい、等があるとしよう。暗示と言うのはそれらの願望をより強くしただけに過ぎないのだよ。君は例え暗示にかかっていたとしても、自分の意志でここに居るのに違いないのだよ。ちなみに、自分の意志を全く無視した選択をさせることを、洗脳と言う」

 ………全く理解出来ない説明で、落胆した。自分の知能が低いのか、はたまた自分に知識がないのか、どうやらこの人の常識は、僕のちっぽけな物差しでは測り知れないようだ。でも、この人は僕になんらかをしたことは疑いようもないと僕は思った。……本人は肯定しないし、何故僕を雇うのかも解らないけれど、“自称魔術師”は僕を必要としている(?)ようだった。

「真弥、ぼーっとしている暇があったら犬の散歩にでも行ってろ」

 そう声をかける司さん。……実はここに来てから行ってることは専ら犬の散歩である。犬は普段は屋上にいて、散歩のときのみ屋上から下界へと降り立つ。おかしな話だが、ここで飼っている犬は縄で繋がなくても付いてくるという万能犬っぷり。唯一やることと言えば糞の処理。糞をするとき、犬は気張るのだがその表情や行為をじっと見ていると落ち着いて出来ないらしく、見るなよと犬のくせに無言の圧力をかけてくる。―――ちなみに犬の名前だが……

「キャニス! おいで!」

 キャニスと言う。上の方でワン!と景気の良い声が響いた。それからとてとてとてと激しい足音。器用に螺旋階段を降りる音だ。そして姿を見せたかと思うと、僕に飛びかかってきた。

「ほぉ、キャニスによく懐かれているな。真弥」

「懐かれてる……というか、友達みたいなもんです。よく駆けっこをするんですが、犬には勝てません」

「ふふ。なんなら私がその足を改造してやろうか? 科学は得意な方だ」

 怖気の走ることを平気でいう。勿論そんなお誘いはお断り。

「断固拒否します」

 それを合図に、僕とキャニスは走って散歩へと出かけたのであった。

 

 白い風があたりを駆け抜ける。又は、それは弾丸というのだろうか。―――その風の正体はと言うと、キャニスという一匹の犬であった。散歩に使っている場所は、司さんと出会ったあの公園。公園の名前はくすのきという。楠公園。今のところ、僕が一番気に入っている場所だ。

 キャニスはと言えば、太陽の日を燦々と浴びて、大いにその身体能力を活かしきっていた。……僕が来る前は司さんの役割だった筈。しつけは行き届いているし、きっとストレスのたまる生活を強いられていたのだろう。ベンチに座りながら僕はそんなことを考えていた。

「キャニス」

 声をかける。すると寄ってくるキャニス。

「お前も苦労してるんだな……」

 無意味にその頭を撫でてやる。……触り心地が良くて眠くなる。キャニスも気持ちよさそうに眼を閉じて喜ぶ。こんな何気ない日常。でも僕はもう昔には戻れなくて……。それは酷く矛盾しているように感じた。キャニスは、どうして司さんに飼われているのだろう。僕みたいに、拾われたのか……。いや、その言い方だと、僕がまるで家畜みたいじゃないか。それに拾われたって……。

「いや、実際にそうなのかもな……」

 司さんがいなかったら、僕は現実と対面しなくてはならなかった。僕は記憶の自分と対面しなければならなかった。僕は、僕自身と向き合わなければならなかった。

 いうなれば、現状は逃げだ。それに甘んじている自分も、逃げだ。たとえきっかけは他人(司さん)にあろうとも、今、僕は逃げている。―――いつか望んだかのように、他人に甘えていた。―――これで良いのか?

「わん」

 その声に思考は遮られた。

「キャニス……。俺、どうしたら良いんだろうな?」

「そんなこと、解る訳ないだろう?」

「わっ!」

 思わず驚いた。キャニスが喋った……?でもそれはすぐに錯覚だと気がついた。顔を上げると一人の女の子。歳で言うと十二歳位。……時刻は午後十三時。結構時間を潰していたらしい。でも、学生がこんな時間に出歩いているなんて、少しおかしい。

「驚いた。まぁ、それもそうなんだけどな」

 でもそんなこと言ったら僕も怪しい人だ。……幾ら十八歳だからと言って、流石に学生の匂いというやつは抜けきっていないだろう。おおよそニートには見えまい。少女はキャニスを撫でながら顔を上げた。……よくよく考えてみたら、この子、少し言葉に棘がある。

「キャニス……なるほどまさしく犬だな。中々直球で捻った名前だな」

 ……僕の周りにはこんな言葉使いの女性しか集まらないのだろうか。

「それってどういうことだい?」

 そういうと、彼女は怪訝な顔をした。

「お前がつけたのであろう?」

 ……エキセントリックな喋り方だ。

「違うよ。この子の飼い主は俺じゃないんだ」

「そうか……。この子の名付け親は相当な皮肉好きだな」

「どうしてだい?」

 そう聞くと彼女は適当な木の枝を拾って地面に文字を書き出した。

canisカニス?」

 それを読み上げる。カニス?……何のことだろう。

canisキャニスだ。キャ、ニ、ス。その犬の名前であろう?」

「それがどうしたの?」

「これはラテン語だ」

「ラテン語?」

 そういうと彼女は得意げな顔をしてこう言った。

「犬って意味だよ」

「……なんと」

 キャニスとは、正しく犬だった。

「読みって、これであってるの?」

「さぁ……。私は辞書で引いたことがあるだけだし、発音までは解らんよ」

 ……一見博学そうだなと思ったけど、やはりそこは一学生。口調の所為で大分大人びたよう感じたけれど、落ちがあるとそんなことないな、と感じてしまう。

「君、そういえば誰?」

 今更ながらに当然の疑問である。

「私か? 私の名前はくすのき かえで。ああ、ほら、この公園の地主の娘だよ」

「何ですと?」

「楠 楓! この公園の地主の娘だ!」

「ああ、いやいやそうじゃなくて、ふうん、君がこの公園のねぇ……。この公園、僕一番気に入ってるんだ。ありがとね」

 偶然の出会いの割にはさっぱりしていた。まぁ、実際他人通しが会ったらこんな感じだろう。

「私のおかげって訳じゃない」

「それもそうか」

「ただ少しくらい感謝されるのも悪くない。犬が可愛いしな」

 そう言うと、彼女はにこやかに笑った。笑った彼女は純粋に可愛かった。

「……、君とは友達になれそうな気がするよ」

「気持ち悪いことを言うな。中々嬉しいこと言うじゃないか」

「どっちだよ……。でもまぁ、お互い嘘とかつけそうじゃないよな」

「私は正直者だからな」

「それは言い得て妙だな」

 はははとお互い笑い合う。なんだ、まぁ、笑いどころの解る笑いではないのは確かだ。それでも、何かおかしくて、俺達は笑った。

「お前の名前は何なんだ?」

「僕? 僕は―――三木谷 真弥」

 最も、その名前は自分から得た情報ではないのだが。

「真弥か。真弥はいつもこの公園に来ているのか?」

「うん。最近は良く来るよ。実は僕、最近拾われた人間でね。この近くに円形の家があるんだけど、そこで犬の散歩に行くように命じられてね」

「拾われた人間……? どういうことだ?」

 若干不安そうな色を浮かべた瞳。そこには間違いなく悲しみと言う色が含まれていた。……どうやら勘違いさせてしまったようだ。

「ああ、いや、雇われた。雇われたってこと」

「なんだ、そうなのか」

「ああ、そうさ」

 それから僕は楠さん(何となくそう呼ぶことに決めた)と色々な、されど他愛のないことを話した。そのどれもが核心のない周りが聞いたらつまらないことだろうけど、それでも僕らは楽しんだ。会話の合間にキャニスも、わん、と相槌を打ってくれた。そして、ふと尋ねた。

「そういえば、学校はどうしたの?」

「学校……か?」

「うん。こんな時間に出歩いてるのって、学生のうちは珍しいでしょ」

「ああ、……今学校では三者面談をやっているからな」

 当然のように言う彼女。いや当然なのだろうけど。

「ああ、なるほどね」

 僕も経験がある。三者面談のうちは学校が半日授業になったりするんだ。なんら疑問はない。

 それから、僕らは長い時間話していたと思う。

「あ、もうそろそろ帰らなくちゃ。少し長居し過ぎた……」

「もう……行くのか?」

「ああ、楽しかったよ」

「そうか……。私としてはもう少し喋りたかったが……」

「明日があるさ! また明日会おうよ。まだ三者面談やってるんだろ?」

「あ、ああ! 勿論さ。楽しみにしているよ真弥」

「僕も、キャニスも楽しみにしてるよ。なぁ、キャニス」

 それにワン、と答えるキャニス。そこには名前で呼ばれているから等ということではなく、確かな絆があると信じたい。そして僕達は別れ、帰路についた。


 聞かなければよかった。そう思うということは、聞いてから起きることだった。例えば、午後の眠い時間に先生から突然テストです、とか言われたり。……ああ、そんなんじゃ最悪とは思わないか?出来る人は出来るもんな。

じゃあ、他人からいきなりお前は死んでいると言われたなら―――?


「そう言えば……」

 帰って早々の一声、それは僕から発せられた声だった。キャニスはと言えば、屋上でのんびり昼寝でもしているのだろう。

「どうした?」

 司さんがここ一週間で見せたことのないことをやっている。……書類を書いているのだ。

「いえ、僕って一週間も学校に行っていないことになるんですよね。これって流石に不味くないですか?」

「……ああ、それならこちらで話をつけた、って言わなかったか?」

 そんなの初耳だ!

「聞いてませんよ! いったいどういうことですか」

「まぁ待て、そこらへんの話は凄く面倒なんだ……。それでも聞くか……?」

「もちろん」

 苦虫を潰したような顔をする司さん。眉間に皺をよせてやれやれ、と首を振る。

「もう少し待て、この書類を書いてからだ。この書類、お前に無関係ではないぞ」

「そこら辺のことも踏まえて説明してください」

「君はめんどくさい人間だなぁ〜…」

「茶化さないでください」

 なんだか無性に腹が立ってきた。

 机に向き合い、書類を書き続ける司さん。

「まずは……魔術について説明しなくてはならない。それでも聞くかね」

「丁度良い機会です。司さんに関わってしまった以上、無視しては通れません」

 もっともだ、と頷く彼女。

「では、説明するぞ。まず世界は方程式で出来ている。様々な式が分布されていて、その結果の上に世界は成り立っている。……式を改編し、イコールを神秘的現象、この場合手段が神秘的だと言っている、に昇華させるのが魔術。方程式を改編し、世界に新たな結果を植え付けるのが魔術式。魔術式とは、世界に何らかの影響を与える、そうだな……、概念的なものでも可。言葉などのフレーズでも“影響”を少なからず時間枠内に影響させるものなら魔術式として成り立つ。ある手段を使い、式を完成させることによってイコール魔術になる。魔術師とは常に科学的であり、世界のブラックボックスにある仮定を埋め込むことによりイコールを実現させる。その式の内容は様々で、手段が違うが結果が同じになる場合もある。解ったか?」

 もちろん、そんな説明、口頭で聞いても頭に入る訳はなかった。

「もう少し噛み砕いて説明してくれませんか?」

「いや、これでも十分噛み砕いているのだが……、そうだな……。魔術とは科学の応用に過ぎない。手段が物質的ならば大概は科学だ。魔術は方法を問わない。尤も、手段が限られるのは両方同じだけどね。要は世界のルールに則った発明が科学で、世界のルールを応用したのが魔術だ。解ったか?」

「いえ……その、まぁ概念的には。けどそれと今回の件、どう繋がるんですか?」

「まぁ聞け。ここら辺の話はややこしくなると言ったばかりだろうに。……魔術師の仕事と言うのを知っているか?」

「知ってる訳ないじゃないですか。説明してもらってません」

「そりゃそうだ。魔術師とは基本的に仕事を選ばない。普通に生活するものもいるし、特と言って特別なことは何もしない。……いや、仕事をしている、普通の生活をしているものは少ないな……。魔術師は、対外は自らの究極を求めて研究をする。そしてその一生を終える。私の様に娯楽を楽しむものは僅か、否、彼らにとっては究極にたどり着くことこそ至高の娯楽と言えよう。そしてそんな彼らをまとめ上げる組織がある……。―――――――――それが国だよ」

 司さんは、ぽろりと、とんでもないことを言っているような気がした。そして数舜遅れて理解した。

「なんだって? 国は魔術を許容しているって言うの……?」

 ふう、と息を吐く司さん。その姿は口淋しそうに見えた。

「そう、国は各々の土地に住む魔術師を管理し、コントロールする。場合によって魔術師を排除するのも国だ。……分不相応な力を持つ人間なんて、この世に必要はないのさ。……続けるぞ。国が魔術師を管理するにはもちろん訳がある。なんだと思う?」

「魔術師の反乱を防ぐ為……?」

「うむ。昔だったならそうだろう。だが実際はそんな反乱を起こせる程の人数はいないし、科学の力は強大だ。一国に数百人いるであろう魔術師共では革命なぞ起こせないのさ。組織は国だといったな。国は国ごとに魔術師を管理することによって魔術師を一か所に集まらないようにしている。これは反乱を防ぐためではない。魔術師の求める究極を避けるためだ。では魔術師が求める究極とはなんだと思う?」

「まさか……世界征服、とか?」

「はずれだ。だが当たらずも遠からずと言ったところだな。―――魔術師の究極とは世界の一部になることにある。そも、世界とは方程式で出来ている。その式を改編するのが魔術。ならば自らをその式の一部にし、世界にルールを書き加えられたらどうだと思う?それは、誰にも邪魔をすることの出来ない究極だろ?つまりは、そういうことだ」

 つまりだ……。悪い例で言うと、竜巻などの自然現象がもう一つ出来ると思っていい。そう、司さんは継ぎ足していった。

「そんな…………。それって、何にも繋がらないじゃないか。結局常識が一つ増えるだけで……そんなの、意味無いよ……。まさか司さんも、そうなの?」

「私の目的はそんなものじゃないさ……。それに私は国に管理されている魔術師だ。一度管理されると後々まで未来永劫管理され続ける。そうなれば魔術師としての自由などは無いに等しい。……まぁ、その変わり特典もある」

 そこまで言うと、更に溜息をつく司さん。

「特典って―――?」

 あくまで冷静に、そんな彼女のスタイルが彼女自身を冷静にさせている。

「一、国から補償金が出る。二、一般的な制限がなくなる。銃器の所持、麻薬、酒、パスポート、免許、果ては義務教育などのだ。三、魔術師一人につき一人だけ弟子を雇うことが出来る。四、弟子に対し師は保護者としての権利を持つことが出来る。五、これらの特典の代わりに死体や研究成果は国に提出する。……ここまで言えば解っただろう?」

「解らないですよ……。つまりは何が言いたいんですか?」

 やれやれ、と司さんは呟く。少し、癪に障る。

「つまりだ。私がお前の保護者になったと言うことだ。親であり、師であり、同時に対等な人間だ」

 ―――――――――。

 ――――――。

 ―――。

 ……いや、まさか……、それは流石に、おかしい。おかしくておかしくて、笑える。

「ああ、そうだ。君の親御さんとも話はつけたよ。学校にも。この書類はそういったことに対する証明書のようなものだ」

「親は……居たの?」

 あまりにまぬけな質問。でも、泣きそうになる。俺に親がいたと知ったと同時に、決別。……脳がついていかない。親との決別……、国が魔術師を許容していて、良いように扱っている。そして、僕が司さんの、弟子―――?

「ああ、いた。ちなみに君は一人暮らしだったよ。色々ごたごたはあったが、そこは語りたくないね」

 ふい、と窓の方を向く司さん。―――その様は、何と言うかまさに語りたくないと体で言っているようなものだった。

「聞きたくもない……」

 決まってしまった。僕は、―――僕は、逃げたと同時に、新たな現実と対面しなければならないということ―――。どうして……。そう思うと、怒りが込み上げてきた。

「どうして―――、どうしてそんなこと勝手に決めたんだよ―――!!! おい、司!!!」

「―――がなるな!!!!」

 一喝。それは激しい叫び。僕は、―――俺は、黙るしかなかった。

「悪かったと思ったがね、仕方なかったんだ……」

 暗い表情をする彼女は初めて見た。

「それに君の両親とも会えないと言う訳ではない。その気になれば私が会わせてやろう」

 ……な、

「なんだ……。国が認めたことだから、もう無理かと思っちゃったじゃないか。それなら全然構わないよ……。多分ね」

「―――現実とは、そうはいかないのだよ」

 未だ暗い表情の彼女。そこには諦めという色が見えた気がした。

「理由は―――?」

 僕はなるべく優しく問いかけた。それは、僕のつまらない癇癪で司さんを落胆させたくなかったからだ。―――長い沈黙が続く。彼女にとっては珍しい、濁った間。いつもの凛とした声を、僕は聞きたかった。けれど―――僕はこの数舜後に、聞かなければよかったと思うことになったのだ。

じゃあ、他人からいきなりお前は死んでいると言われたなら―――?

―――――――――。

――――――。

―――。

「それは―――お前の、記憶はもう戻らないからだ」

 それは同時に、その優しさを蔑ろにするほどのショックな知らせだった。

「冗談でしょ……?」

「ああ、冗談だ」

 …………………………………嫌な間が続く。

「勘、弁、して、下、さい! 一瞬真に受けちゃったじゃないですか!!!」

「ああ、中々見れないレアな表情だったぞ。まるで世界に見放されたような絶望感。およそ人間のする顔じゃなかった。興味深い」

「まさか今までの説明も全部ウソってわけじゃないですよね」

「………いいや、それらは事実だ。認めたくないがな」

「じゃあ、ということは、……僕は司さんの、弟子ってこと?」

「形式的にはだな。当面は必要ないと思われる魔術は教えない。雑用をこなせ。そしたら給料も出してやる」

 有り難い話なのか、果てはそうでないのか。でも、特別って言う感じがあった。自分は選ばれたんだ、とそう思うようになった。―――案外、この生活は、悪くない。自分でも、絶対この思考は間違っているという自信がある。だけれど、案外悪くないのだ。本能が、ここは俺の住み家だと呟く。理性はそれを反発する。でも―――気に入ってしまった。問題は山積み。それも後回しにしたくなる。―――それは逃げの思考。僕は誰かに甘えている。現状に甘んじている。―――でも、もう少しだけ―――。大変になるその時まで、僕は、司さんについていこう、そう、思う。

「でもいつか、記憶を取り戻さなきゃ……な」

 その時は、全てを返上しよう。

 こころなしか、その時の司さんの表情は、堅く険しいものに感じた。

「悪いな、司。こう言う話はもう少し節目を見て話したかったが……」

「いえ、今日は良い機会でした。きっと記憶が戻るまでの付き合いになるでしょうけど、それまでお願いします。」

「……ああ、私も君に無理強いはしない。よろしく頼む」

 それは、司さんから聞いた初めての頼みごと。



 翌日の朝。僕は早めの散歩へと出かけた。時刻は午前五時頃。すっかり目の冴えた犬、キャニスをその散歩のデート役に誘った。ちなみに、男の犬だ。

 朝、薄暗いが清らかな風と空気が僕等を包み込む。……少し肌寒くて、ぶるる、と体を震わす。

僕達がまず向かったのは、やはりというか、結果として楠公園になってしまった。ここに来れば、また何か新しいことに出会える気がしたからだ。そして、その予想は強ち外れてもいなかったのだ。

「楠さん!」

「わっ!」

「あはは、昨日とは立場が逆だね」

 朝早くからベンチに座っていた少女、楠 楓は体をびくりと動かし硬直していた。……しまった、後から脅かしたのが悪かったのか……。いや、悪かったのだろう。

「全く驚かす……。おはよう、真弥、キャニス。朝は早い様だね」

「それはお互い様だろ?」

 ああ、そうだな、と頷く。わん、とキャニスも吠えた。

「私は良く朝の公園に来る。……人気も少ないし、何より過ごしやすい。肌にやさしい風、乱暴な光ではないやわらかな光。それらが気に入っている」

 今日の彼女はおしゃべりの様だ。それなら、次いでに聞きたいことの一つや二つ、ぶつけてやることにした。

「……そう言えば、学校の事、聞いていいかい?」

「―――ああ、構わない。なんなら私が語ってやろう。それに相槌でも打つが良いさ」

「そうする」

 素直にその提案に従う。彼女はうん、と頷いて語りだした。

「そうか……。―――私は中学の二年生だ。楠中学に通っている」

「楠って、まさか―――」

 考えるまでもない。組織だ。

「そう、学校も楠の家が創立した。―――有り余る財力、そしてここら一体を牛耳っているのも楠。言うのも憚れるが、腐っているよ」

 そう言って、彼女は俯いてしまった。でも、言葉はそれで終わりじゃなかった。

「この前、お金を借りに来た人がいたんだ……。その人は楠の所為で困っている人なのに、楠はお金を貸すことをしなかった……。楠は外部に多大な影響を与えているのに保身に走り自己の利益しか優先しない。そんな家、私は嫌いだ」

 込み入ったことはここでは聞かない方が良いだろう。思ったより深い話になってしまった。―――楠、それ程までにデカイ、色々な意味でだが、組織だったとは……。

「まぁ、そう簡単に決めつけるのもいけないよ。よく考えたつもりでも、そういったことに走る裏側にある本当の理由っていうのは意外にあっさりしているものさ。案外、そう言う保身は君の為なのかもしれないし」

 たどたどしい言葉で、自分の考えを伝える。―――なぜか、そんな当たり前のことが、とても重要に思えた。

「―――嘘だ。私の為だなんて、絶対に」

「まぁ、そうかもしれない。でもそれが空回りした愛情だったら、君が気づかせなきゃね。これは間違っている、と」

「私が―――? でもそんな権限私にはない……」

「権限じゃない。それは誰もが持っている権利なんだ。イエスをイエスって言う権利、ノーをノーって言う権利。それは人として当たり前のこと何だ」

「当たり前―――……そう、そうだよな!」

 うん、うん、と頷きながら自身に言い聞かせる彼女。……正直彼女が羨ましかった。何故、と問われると自分でもわからないが、唯ひたすらに、若いな、と思った。成熟しているようでまだまだ青い。そんな彼女のありかたが好きだった。まるで、自分が年寄りみたいじゃないか。

「少しは吹っ切れたかい?」

「ああ、御蔭さまで。本当だ。お前の言うとおり、口に出してみると簡単だな」

「口に出してみるとね。まぁ、それを実行するまでがめんどくさいと言うか……」

 そう言うと、怪訝な目で彼女は僕を見つめなおした。

「お前は、自分から言っといてそんなことを言う……」

 この腑抜けとでも言いたそうな彼女。……何を失礼な。

「少しは見直したと思ったが、一気に落胆した。お前には失望だよ」

「なんであって二日目のやつにそこまで言われなきゃなんないんだ」

 そこで少女は眼を丸くした。

「そうか……。私達はまだあって二日しかたっていないんだな」

「そうだよ?」

 そう言えば、確かに二日でこれだけ仲良く出来てるって、僕も何か珍しく感じてきた……。

「僕達って、仲良しだよね」

 当たり前のことを当たり前のように言う。

「口で言うのも憚れるな」

「……どうでもいいけど、憚れるって多用しすぎだよ」

 彼女は拗ねた素振りを見せてこう言った。

「良いじゃないか、最近辞書で引いたんだ。使わせてくれ」

 やっぱり博学に見えて博学でもない彼女。でもそこがチャームポイントだな、と一人そんなこと考えた。隣に座り込むキャニスを撫でる。嬉しそうに、くぅん、と鳴くキャニス。

「お前の話も聞かせてくれ」

 唐突に彼女がそんなことを言い始めた。

「僕? ああ、別に構わないけど……」

 でも僕の身の上話なんて記憶を失って以来だから、一週間くらいしかない。知識のある赤子がいて、それで一週間の事を語ったとしても、それは楽しいのかどうか……。それに魔術師とかは伏せなきゃならないし……。多分。信じて貰えないだろうし……。

「まぁ、実を言うと僕、記憶喪失なんだよ」

「記憶喪失って、あの記憶喪失か?」

 彼女が首を傾げながらそう聞く。

「そう、その記憶喪失」

「ああ、それで一週間前、僕は路頭に迷ったんだ。―――頼れる友達なんていなかった。唯ひたすらにさびしくて、誰かに甘えたいと思った。そんな時、司さんって人にあったんだ」

「司さん?」

 オウム返しに彼女が言う。それに対し僕も、司さん、と答える。

「そう、その人はとんでもない人で、……自分でもよく解らないけど、今住み込みで働くことになっちゃったんだよね……」

「それって危なくないか……?」

 当然のことを彼女は言った。

「そう。僕も理性では理解しているつもりなんだ。これは可笑しいって。でも本能的な部分でここにいたいって思ってる。矛盾しているよね。……たぶん僕はそういう魔法でもかけられたんじゃないかと睨んでる」

 魔法……、と彼女は呟く。―――そういえば、魔術と魔法とは一緒なのだろうか。今度司さんに聞いてみよう。

「でも、家の人とか心配しているんじゃないか? それに捜索届けとかも出されてるんじゃ……?」

 ……話によれば、そこら辺は片づけてくれているということだけれど……。

「まぁ、見つかったらそれまでの付き合いだな」

「良かった。それなら両親も安心だな! それに、その司って人……、良いイメージが湧かない」

 妙に彼女らしからぬことを言う。それは、確かに言えてるんだけど……。

「いや、基本的にはいい人だよ、司さんは。唯、少し悪い癖があるかな……」

 百歩譲って良い人、ということにはしておこう。実際良い人だし。

「そうなのか……? でも、聞いたイメージだと司って……」

 その後ぶつぶつと念仏を唱える彼女。……そんなに僕の話の中で彼女の中の司株は下がったのだろうか。

「まぁ、僕が話せることって凄い少ないんだ。それにいつまでも現状に甘んじている訳にはいかないし」

「そうか……。でも、もしお前がこの土地を離れたとしても、この場合両親に見つかってだが、私と会えなくなることはないんだろ?」

「ああ、いつでも会えるさ」

「そっか、それなら、良いんだ……。折角出来た友達と離れるのは惜しいしな」

「友達なら学校に居るだろう?」

 楠さんの顔色が曇った。

「……あんな奴ら、上辺だけの付き合いさ」

「言いたいなら言ってもいいけど、無理には聞かないよ」

「いや、いい。ありがとう。いつかは私が解決すべき問題だ。抱えきれなくなったら相談するが、その必要もないだろう」

 そう言いきった彼女は、ただ純粋に凛々しく、カッコ良かった。

「もうすっかり朝だ。私はその、学校に行かなくてはな……。もしその気があるなら、午後に会おう」

 そう言って、彼女と別れた。


 その日の午後、彼女と会って話をした。その次の日も、そのまた次の日も、僕らは次第に仲良くなったし、家の事も雑用以外押し付けられることもなく、平凡に過ぎて行った。そしてある日の朝の出来事。円形の魔術師邸にて。


「そう言えば司さん、魔術と魔法の違いって何なんですか?」

 魔術師は眼を細める。きっと日の光が眩しいのだろう。

「いやに唐突だな……。まぁ良い。知っておいて損はない」

 そう言うと、彼女はおもむろに胸ポケットから煙草を取り出して火をつける。そしてそれを吸って一言、まずい、と言い火種を消した。……全くもって無駄な作業だ。

「魔術とは方程式、これは理解出来ているか?」

「はい。なんとなくですけど」

「魔法とはだな……、イコールが釣り合わない魔術の事を言う」

「イコールの釣り合わない?」

 結局、今回も満足のいく理解は出来そうになかった。

「ああ、そうだなぁ。たとえばだ。とてつもなく簡単に言うと、1+1=2があるとしよう。そして2は炎だと解釈してくれ。魔術と言うのはこの式を1×2=2にするのと同じなんだ。手段は違えど結果炎になる。だが魔法はちょいと捻りがあってだな……、1+1=2+aとなる。付属効果と言うやつがついたりすると魔法だな。だが大概の魔術師は魔法を使えない。何故なら魔術とは科学であるからして、科学でなしえないことは媒体なしにはなにも出来ない。つまり、魔術が世界の決まりの応用なら、魔法は世界に関わることでなせる技なんだ」

 そこまで言い切ると、彼女は又煙草を取り出して新たに火をつけ始めた。背伸びしたい年ごろなのだろう。

「今回は噛み砕いた説明で解りやすかったです。でも、媒体を使った魔術ってどういうことですか?」

 彼女を見ると、やはりまずい、と言って煙草をかき消していた。そんな彼女はめんどくさそうに面を上げてこちらを見る。そして如何にも君は馬鹿かね、と言いたそうな様子だった。

「魔術に媒体はつきものだ。科学がそうであるのと同じにね。ああ、私の説明が悪かったな。唯単に付属効果、例えば炎を青くするだとかは炎を出す媒体に加え炎を青くする媒体があれば出来る、と言いたかったのだ」

「あ、なるほど。塩化カルシウムや酸化銅がこの場合の+aになる媒体ですね」

「そういうことだ」

 ……魔術の世界とは、奥深いものだ。

「そういえば、僕には魔術を教えてくれないのですか?」

 煙草は飽きたのか、今度はパイポを口にくわえている彼女。

「ああ、君はどうせ使いたくても使いこなせないさ……。魔術っていうのはそう誰もが便利に使えるものじゃない。ここら辺も説明しとくかね?」

「出来れば手短にお願いします」

「ふぅー……。良いだろう。魔術式とは、世界と言うノートに文字を書く力がいる。それは世界とリンクすると言うことだ。世界に干渉する力がいる。君は神の手って聞いたら何を思い浮かべる?」

 それは唐突な質問だった。

「沖縄で撮影されたあの凄い雲の写真ですかね」

「……まぁ、想像はつかないだろうね」

 どうやら大外れだったようだ。

「必ずしも手と言う訳ではない。干渉方法は多種多様だ。……神の手、とは概念に触れられる手の事だ。世界の概念に触る、ということは一部ではあるが世界と意思疎通を行うという行為に等しい。世界に侵食される可能性もある。私達はそれを文明という防具でガードしながらそれらに干渉し、式を捻じ曲げる。結果こう言った……」

 そこでいったん言葉を区切り、手を宙に広げる。そしてその手のひらからぼっ、と炎が飛び出した。

「発火現象を起こしたりすることが出来る」

 それは、幻想的な光景だった。

「だが我々は干渉することは出来ても、概念を見ることは出来ない。概念を見る、汲みとると言う行為は、脳が世界に干渉するということだ。それに耐えうる脳は未だかつてないし、それに誰もそんな神様の眼を持つことは許されなかったのさ。ああ、よく漫画や小説等で魔術、又は魔法を唱える描写の際、呪文というのが存在するだろう。あれは他の干渉手段と大差はないんだがね、如何せん古くから伝わる業だから、付属効果―――つまり、威力が強くなる。自己暗示、というのもあるのだが、古くから伝わるということは、使いならされると言うこと。つまりはそういった回路が出来やすいのだ」

 そこまで言って炎と言葉を区切り、司さんは再び気だるそうに伸びをするのだった。


 その次の日の午後。僕は雑用をこなりキャニスの散歩に出かけていつもの公園へと向かった。公園でついて目に入ったのは、休日独特の雰囲気で、子供たちだけではなく、学生達の姿も見える。そうか、今日は日曜日だったな、とそれで気が付く。普段は滅多に来ていない人達が見える。……少し、緊張した。

 そしてベンチに彼女を見つけた。

「よう、楠さん」

「おはよう、真弥にキャニス」

 そう、ゆったりとした調子で挨拶をした。

「早速だがこの掌を見てくれ」

 そう言いながら僕は掌を宙に浮かせる。

「えっと、式を捻じ曲げながら、発火現象を起こします。―――ぼっ!」

 口で言ってみたが、何も起こらなかった。

「何してるの? 恥ずかしいんだけれど」

「ああ、ごめんごめん。司さんがマジック見せてくれたから、俺にも出来るかな、と思って」

 まぁ司さんのは文字通りマジックだったが。

「ふうん。司さんって、手品師なのね……」

「ああ、たぶんそんなところだと思うよ」

 僕達は今日ものんびりと他愛のないことに花を咲かす。そんな時だった。

「あれ? 楠さん、公園に来てたの?」

 一人、知らない女の子が割り込んできた。ツインテールに縛った平穏そうな少女。おそらくは楠さんの友達だろう。

「え? ええ……」

 でもそうだと言うのに、楠さんは浮かない表情をしている。

「その人は? もしかして彼氏?」

 どうやら僕の事を指して言っているらしい。

「……え? ええと、違います」

 そんな曖昧な返事をする楠。……普段とは大違いだ。だからだろうか、気不味い沈黙が続いてしまったのは。

「ごめんね、急に話しかけちゃって。私、向こうでみんなと遊んでるから! またね」

 そう言って、彼女はとてとてと向こう側に言ってしまった。

「おい、どうしたんだ?」

 気だるそうにしている彼女。そんな彼女を見るのは初めてだった。

「私、あの子の事知らない……」

 困惑する彼女の表情。

「―――知らない? まぁ、きっとクラスメイトか何かなんだろうな―――。友達大切にしろよ?」

 そう言うと、悟ったような表情でにこやかにこっちを向いた。

「友達なら、あなた一人で十分幸せ……」

 それは不思議な含みがある一つの言葉の旋律だった。

「それは、そう言われれば悪い気はしないけど、対人関係は高望した方が良いくらいだ」

 それでも彼女は、そのうち頑張る、と曖昧な返事を残し、もう行かなきゃ、と言い何所か、おそらくは家へと帰ってしまった。

 仕方ないから俺達も引き上げることにした。近所の知らない餓鬼に触られて心地よさそうにしている白い犬を呼ぶ。そして子供から離れよってくる犬。名残惜しそうに見ている子供。―――子供には少し悪いことをしたな。

 そして公園を後にしたのだ。

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